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歴史のしらべ


 その後、美月は文尚から借りているカメラで(あがた)社の社殿と、その周辺の風景を収め、自分の脚で坂を下って、なるだけ全景の映る場所を探してシャッターを切り、そして再度紙芝居のお兄さんの軽自動車へと乗り込んだ。

 軽自動車は、細い坂を少し下り黄金に実った田んぼの間を通り、しばし進み養老線の線路を超えて、その先の十字路を左折して東名阪の下を潜りぬけ、すぐの丁字路を右折、道なりに進んだ先にあるのは国道258号線、通称大桑(だいそう)道路、つまりほんの一時間ほど前までいたイオン桑名の横を走っていた大きな道へと。

「このまま戻るんですか?」

 後部座先に美月と並んで座っている桂が、運転している紙芝居のお兄さんに訊く。

「いや。一号線に出る」

 国道一号線へと行くという。

「ああ、大桑を通ってマイカルの所まで行って、そこからバイパスで行くのか」

 文尚の言ったマイカルというのはイオン桑名の以前の名称で、昔から利用していた人間は、その頃の癖が抜けずに今でもつい出てしまう名前であった。

「違うけど。成瀬さん、この辺の道のこともしかしてあんまり知らない?」

「全然通らないからな。おちょぼさんとか、二ノ瀬行くときは富士通の前を抜けて多度に出るから。この辺の道は通らないんだよな」

「ああ、裏ね。けどさ、あの道は行きはいいけど、帰りはきついんじゃ」

「まあね、最後の坂が意外と長くて地味に脚にくるんだよな」

「だったらさ、深谷を通って播磨に抜けて大山田川沿いで帰ったら。今度一緒に走るよ」

 前の三十路の男二人がロードバイクの話をし、後部座席の女性陣、といっても一人は中身が三十路前の男なのだが、は明後日の予定について話し合っているうちに、車は大桑からすぐに左折し、NTNの工場の横を通るバイパスを抜けて宣言通りに一号線へ。

 一号線を南に進み、一車線の道路が二車線に広がったところで、脇道へと入っていった。

 

「ここが目的地」

 紙芝居のお兄さんが車を停めたのは一号線から少し離れた場所に建っている神社だった。

「ここは?」

「縣社でも言っていたけど、他にも持統天皇を祀った神社があるって。それが、ここ」

 先程までいた縣社よりも広くはあったが、それでも有体に言って小さめな境内であった。

 だがそれでも、鳥居の横には由来の書かれた看板が。

 それらを美月は一応カメラに。

 副担任から渡されたプリントにはこの北桑名社のことは書かれてはいなかったのだが、収めておいた方がいいだろうという知恵が、機転が働いてのことだった。

 これがもしフィルムだったら少しは悩んでいたのかもしれないが、デジカメなのだからデータが少々無駄になるだけ。それに必要なかったら、後で消去するだけ。


「後は何処か行きたい場所はあるのかな?」

 紙芝居のお兄さんの言葉に美月は素直に甘えることに。

 実をいうと、副担任の本命は縣社以外の場所であった。

「天武天皇社というのが、……鍋屋町という場所にあるらしいんですけど。それってここから遠いんですか? 近かったら行ってみたい、というか先生に一番念を押されたところが、この神社なんですけど?」

「なにそれ、そんなのあったの?」

「天武天皇を祀った神社が桑名にあったんだ?」

 と、兄と妹が。

「ああ、あそこ鍋屋町っていうのか。町名は知らなかったけど、神社の場所は知っているから、というか何度か参詣に行ったことがある」

「本当ですか」

「うん。まあ近いけど、一つ問題があるんだよな」

「問題ですか?」

 と、美月が訊く。

「車を停める場所がないんだよな。コンビニかドラッグストアに車を停めて歩くという手段があるけど、ちょっと距離あるからな。まだ暑いし」

 この言葉に美月は少し考える。

 自分一人ならば迷わずに、「問題ないです、平気です」と言って、案内してもらったのだろうが、桂と文尚が同行している。

 この二人に、とくに桂、ピークの時間帯は過ぎたとはいえまだまだ暑い中を歩かせてしまうのはちょっと申し訳ない。

 それに元々は一人でモゲタンにナビゲートしてもらいながら訪れる予定だったし。

 せっかくの申し出だけど、美月は断ろうとして口を開きかけた、

 だが、それよりも早く別の人間の声が。

「大丈夫です、行きましょう」

「せっかくだからな、その神社にも行ってみたい。一人だったら、絶対に行かないと思うからな」

 と、桂も文尚も行ってみたいと。

「案内、お願いします」

 ついさっき口から出そうになった言葉を引っ込め、美月は紙芝居のお兄さんに連れて行ってほしい、と。

「了解」

 というわけで、一行は天武天皇社へと。


 もう夕方近くだというのに、まだまだ暑い中を一向歩き、住宅に囲まれた天武天皇社へ。

「美月ちゃん、この名前を知ってる?」

 着いてすぐに、紙芝居のお兄さんが鳥居の前の、銘碑の石柱が。

 そこには松平定敬(さだあき)と記されていた。

 この名前に美月は見覚えがあったような気はするのだが、それをどこで見たのか全く思い出せない。

 それでも思い出そうと、必死に記憶の棚をひっくり返している美月に、また紙芝居のお兄さんの声が。

「ヒント。高須四兄弟」

 このヒントの言葉に美月の脳内が一気に活性化。

「あっ、容保の弟だ。そうか、すっかり忘れていたけど、一会桑の桑って桑名藩の桑だ。桑名って戊辰戦争の時幕府側だったんだよな」

 幕末の京都で徳川慶喜、会津藩の松平容保(かたもり)、そして桑名藩主の松平定敬の三者によって構成された態勢。

 昔読んだ幕末ものの小説で知った名前だった。

「おお、正解。しかしまあ、自分でふっておいてなんだけど、女子中学生が何でそんな名前を知っているんだ? うちの美人は、戦国武将の名前は結構知っているけど、歴史そのものの知識は全然ないのにな」

 美人というのは、美月の友人で、去年の夏に名古屋へと転校し、現在は紙芝居のお兄さんの弟子になった女子中学生。

 その子は歴史に興味があるのではなく婦女子ですから、と美月は思わず言いそうになってしまうのだが、年下の友人のことを本人がいない場所で揶揄するのも如何なものかと思い、そのことは自分の胸の中に留めておくだけにした。

 そしてその代わりに、

「偶々読んだ歴史小説に出てきたから。桂さんの育った桑名に縁のある人物だから、憶えていただけですよ」

 と、半分本当、もう半分は嘘の説明を。

「えっ? 私その人のこと全然知らないよ」

「俺も。桑名藩の藩主のことなんか全く憶えていない、というか学んだ記憶なんかないし」

 という妹と兄の言葉。

 これはこの兄妹に地元愛、郷土愛というものが欠落しているというわけではなかった。

 そもそも学校で教えていない、郷土の歴史というのを学んでいない。

「ほら、普通の人は地元民でも知らないんだ」

 見た目は十代の美少女だけど、中身は三十路前の男。

「さっきも言いましたけど、偶々読んだ小説に出てきただけですよ」

 ボロが出ないように言い訳を。

「それじゃあさ、もしかしてだけど立見尚文は知ってる?」

「はい、最近『坂の上の雲』を読んだので」

「読むの? 司馬遼太郎なんかを」

「読みますよ。ああでも、僕はどっちかというと池波正太郎の本の方が好きですけど」

「本当に中学生なの? 同年代の男でも読まない野郎のほうが多いくらいなのに」

 ボロを出さないように苦心したのに、またすぐに失敗を。

 美月は、

「あの、それで立見尚文がどうかしましたか」

 と、咄嗟に話題を変更、というか元に戻す。

「立見尚文が戊辰戦争後に謹慎していた寺が近くにあるんだけど」

「ちょっと興味がありますね」

「痕跡というか、謹慎していたということを示すものは何もないけど」

「それでもいいです」

 そんな二人の会話を聞いていた兄と妹は、

「知ってる?」

「知らない。幕末の人物みたいだけど、そもそも俺『坂の上の雲』を読んだことないしな」

「私もないな」

 と、会話を。

 そんな温度差のある四人は、いつまでも鳥居の前で話をしているわけにもいかず、天武天皇社の境内へと足を踏み入れた。



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