古代のしらべ
番外編のようなもの。
一行は一旦、桂の実家へと。
そこで荷物を置き、それから桂の母親が準備してくれた昼食を頂き、しばし休憩した後、まだ日が高く、暑くて普通ならば外出を控えたいような気温ではあったものの、あの後文尚が電話し、おりよく掴まった紙芝居のお兄さんが、「その場所のことなら知っている。以前ネタにして台本を書こうとして調べたことがあるから。じゃあ、俺も行くよ」と電話口の向こうで言い、午後の三時に待ち合わせをすることに。
待ち合わせ場所に指定されたのはイオン桑名の三番街にあるサイゼリヤ。
夏休みの、お盆休みの午後、こんな人の多いような場所で待ち合わせしなくても、一応場所は分かっているのだから現地集合でもよかったんじゃ、と三人車内で話ながらイオン桑名へ。
案の定車が多く、ちょっとだけ駐車場探しに苦労し、少々約束の時間を越したところで到着。
紙芝居のお兄さんはもうすでに店内の東側、窓側の席で待っていた。
「ここを待ち合わせの場所に指定したのには、まあ理由があるんだ」
ドリンクバーを注文して、それぞれ好みのドリンクを注いで四人が、つまり美月、桂、文尚、そして紙芝居のお兄さん、が腰を下ろしたところでおもむろにここを待ち合わせの場所に指定した経緯を説明し始めた。
「大桑の向こう側に山が見えるでしょ」
そう言いながら紙芝居のお兄さんが指をさす。
大桑というのは大垣桑名間を結ぶ国道258号線のことで、地元の人間は大桑という名で呼んでおり、地元の人間ではないが美月は、何度も来たことによってもうすっかり耳馴染みになっていた。
「はい」
「あれって実は古墳なんだ」
「古墳なんですか?」
美月の目にはどう見ても普通の竹山としか映らなかった。
「そう、高塚山古墳といって、この北勢地方では最大の古墳」
「ああ、そうだ高塚山古墳とかいうのがあったんだったよな」
「あれって、こんな場所にあったんだ」
知識自体はかろうじて有していたものの、それが何処にあるかまでは全然知らなかった二人がこんな身近な場所にあるとは露にも思わずに、兄と妹同時に驚きの声を上げる。
「それで電話で話していた神社は、この先1㎞くらい先、丘陵地というか竹山を超えた場所にある」
先程までは東の方向を指していた指が、今度は北西の方角へと。
「近いですね」
「そう。大きな集落があったと考えても不思議じゃないよね。実際あの辺りには蠣の貝が多く出土したらしいし、それに近年北高の傍でまあまあ大きな貝塚も発掘されたし」
「でも、そんな大きな集落があったのなら子供の頃に習ってもいいようなもんだけどな」
「そんなこと教えてもらった記憶ないよね」
「まあ、確実にその場所が日本書紀に記されていた桑名郡家という証拠はないからね。そことは反対の南の方角にある増田神社の辺りにあったという説もあるし」
「あの……こおりのみやけというのは? もらったプリントには郡家って書いてあるんですけど」
持ってきたプリント用紙を出し、美月は質問を。
「それで、こおりのみやけって読むんだ。どうしてそう読むのかまでは知らないけど。ああ、桂さんは国語の先生だから詳しいかも」
「……いえ、これは私も教えてもらわないと読めませんよ」
「そういえば国語つながりで思い出したんだけど、柿本人麻呂も桑名に来ていた可能性があるんだよな」
「人麻呂って、あの和歌の?」
と、文尚が言い、
「そう、その人麻呂」
「知ってた?」
美月が横にいる桂に確認を。
「知らなかった、全然」
桂は大きく頭を振って。
「それってどういうことなんですか?」
主に現国を教えているが、時折古文も指導する桂は、生徒が興味を持ってくれるネタを仕入れておきたいという、ある種職業魂のようなものを発露させ質問を。
「天武天皇、その時はまだ大海人皇子だけど、その息子の草壁皇子の舎人として仕えていたという説があるんだよ」
「舎人って、たしか足立区にたしかそんな地名がなかったかな」
そんな名の地名があったような気がして美月が声を。
「舎人というのはね、皇族や貴族に仕えていた人の役職名。足立区の舎人もたしかそこからきたのが名前の由来だったような気がしたけど」
「トルネコとは関係ないのか」
「もうお兄ちゃんは黙ってて。勉強になる話なんだから、そんな面白くもないボケは必要ないんだから」
「草壁皇子は大海人皇子と一緒に桑名に入ったとされているんだ。まあ当時はまだ子供だったみたいだけど。その舎人である人麻呂が後に壬申の乱のことを詠んだ。もしかしたら同行していたんじゃないのかという想像力をかきたてるでしょ」
「たしかに」
紙芝居のお兄さんの説明を美月は興味深く聞きながら、もっと早く、具体的には去年の春ごろに聞いていたら歴史の授業をもっと面白く学べただろうなと思ってしまった。
興味深く聞いていたのは美月だけではなく、成瀬家の兄妹も同様であった。
その後、かつて額田廃寺というのがあり、その反対側の下流には縄生廃寺という大きな寺院が存在していたこと。そして両廃寺の痕跡、額田廃寺は住宅地として造成されてしまい記念碑がひっそりと建っているだけ、一方の縄生廃寺は遺構が保存されている、二つの自治体の意識の違いを嘆いてみたり、非難して憤ってみたり、それか以前は縄生廃寺で大海人皇子が東の方角に向かって遥拝されたとされていたが、最近になって四日市の大矢知という所で正面が東側という全国でも珍しい遺構が発掘され、近年の説では遥拝したのはその久留倍遺跡でないのかという話を紙芝居のお兄さんがし、その聞き手に回っていた三人と話し手がそれぞれ三回ほどドリンクバーをおかわりし、コップの中身が、氷だけ、もしくは三分の一くらいに、または空っぽになったところでようやくサイゼリヤを後にした。
紙芝居のお兄さんの運転する軽自動車で、目的の神社に向かうことに。
イオン桑名を出て大山田方面へとしばし坂道を上り、トヨタの販売店のある交差点を右折、今度は一転下り左手に浄水場と東名阪を見ながら下っていくとミニストップと信号が見え、その交差点を越えると再び坂に。
狭いと懸念した坂道は存外広かった。上り下りの車が互いに行き交うだけの道幅があった。
「これならあのままデリカで行ってもよかったかもしれないな」
と、助手席に座る文尚が言う。
文尚の車、デリカでも悠々と通れる。
「まあ、ここはある程度道幅があるし、大型なんかも偶に通るから」
「じゃあ、やっぱりデリカで問題なかったんだ」
「けどね、この先がね。まあ、行けば分かるけど」
紙芝居のお兄さんのその言葉の意味はすぐに判明した。
上りの先にあるのは当然下り道。
坂は途中にカーブがあるために見通しが悪く、その上道もデコボコしており、さらには少々逆バンク気味。
それでもまだ道幅は広い。
だが、その先、あとわずかで目的の神社という所で突如道は狭く、そして三差路に。
「なるほど、これデリカで来てたら通ることは可能だけど、帰る時に絶対に四苦八苦して後悔しただろうな」
と、文尚がポツリと漏らす。
それはともかく、軽自動車は池の横にある参道のようなとこへ、そこを50mほど行くと鳥居が、そして小高い丘の上に社が。
「ここが日本書紀に出てきたかもしれない場所なの?」
桂がそんな感想を言うのも無理のない話であった。
件の神社は、こじんまりとした社である。ここにかつて後の天皇一行が滞在するような建築物があったとは到底思えなかった。
それは美月も同じであったのだが、
「あ、でもさっきの池のところに何かあったから、もしかしたらそこに由来とか書いてあるんじゃ」
車窓の左側にチラリと見えた物のことを言う。
「ああ、それは全然関係ないから。地元の建築会社が平成になってから建てた弁天様だから」
と、紙芝居のお兄さんが。
「それじゃあ、どうしてこの社が桑名郡家だったかもしれないという説が出るようになったんだ?」
と、文尚が。
「それはこの社の、縣社の祭神が持統天皇だったから」
「えっと……持統天皇って?」
「確か女性天皇だったような記憶はあるけど、でも壬申の乱と関係あったかな?」
受験勉強は十年以上も昔、兄は工学系の大学へ、妹は文系ではあるものの歴史学ではないために、その辺りの知識のことはもうすでに忘れ去っていた。
「……そうか天武天皇の奥さんだ」
去年の歴史の授業、それから夏休み前の副担任から受けたレクチャーを美月は思い出す。
「そう。持統天皇、その当時は確かその名前じゃなくてなんとかの讃良姫とからしくて。まあその姫も、大海人皇子や皇子達と一緒に抜け出して、それから桑名郡家に約七十日も滞在したとかいう記述が紀に記されている」
「知らなかった」
「ほんと」
兄と妹が同時に驚く。
「あれ? それならもっと前から知られていてもおかしくないんじゃないかな。先生も時間に余裕のある学生時代に来ることが可能だったんじゃ」
美月が疑問の声を。
学生時代に研究していたのだから、以前から知られていたとしたらもうとっくの昔に訪れていたはず、代理を頼む必要なんかなかったはずじゃ、そんなことを美月は考える。
「祀られている名前が持統天皇じゃなくて別の名称……あれっ? 昔調べて覚えたんだけど忘れちゃったな」
〈高天原廣野姫天皇だな〉
美月の左腕のクロノグラフ、モゲタンが素早く検索し美月の脳内にだけ聞こえる声で告げるのだが、ここでその名前を口に出すと、何かしら変なことになりそうな予感がしたので、黙ったままでいた。
「まあそれはともかく、桑名市内には他にも持統天皇を祀った神社があって、以前はその辺りが桑名郡家って考えられていた。けどさっきもサイゼで話したけど、近年の発掘調査でこの辺りにも集落があった可能性もでてきたから。けど諸説紛々で絶対にこの場所という位置が特定されているわけじゃないから。これは個人的な妄想なんだけどもっと北側にあった可能性も否定できないんだよな。多度の柚井という土地で戦前に日本初の木簡が発掘されたんだ。学校ではそんなこと全然教えないけど、この街って意外と歴史の古い、古代ロマンがもしかしたらそこかしこに溢れている土地なんだよな。だからそのこといつか紙芝居とか舞台でしたいと思っているんだ」
紙芝居のお兄さんの説明、及び考察、そして未来への願望のようなものを、三人はだれ一人茶化すことなく聞いていた。
小ネタを追加。




