ただいま、準備中
谷間の短いお話。
昨冬同様に、この夏も受験生であるにも関わらずコミケの買い出し係に駆り出された美月は、人手ごった返した中を上手く廻り、前回と同じく、いや経験があった分それ以上に効率良くノルマを達成し、その後は成人向けの同人誌に危うく手が伸びてしまいそうな欲望を何とか振り払い、無事帰宅を。
これでまた過酷な受験生に戻ったのかというと、それはちょっと違った。
帰宅後、したことは夕食の準備、そしてそれから三重への帰省、つまり桂の実家へと行く準備に忙殺、とまではいかなくともそれなりに慌ただしかった。
一方桂はといえば、受験生であり、自分の勤める高校への進学を希望している美月が、夏休みという大事な時間に遊び惚けている、とまでは言わないけど、それでも外出ばかりしていることに目くじらを立て、立腹していた、ということは全然なく、美月と同じように帰省の準備をウキウキしながら行っていた。
たしかに受験勉強は大事で、夏が大切な時期であることは重々に承知している。
しかしながら、それ以上に夏一緒に遊びに行ける、そのことの方が遥かに重要であった。
それに美月は、塾の夏期講習こそ受講していないが、それでもコミケ前まで学校で行われていた勉強会に毎日真面目に参加していたし、それに夜の桂との個人レッスンでも見事に学力は向上を見せていた。
人によっては、油断大敵と指摘されてしまうかもしれないけど、桂はメリハリを重んじ、まあ自分の気持ちを抑えられないだけだけど、桑名で過ごす数日は目一杯楽しむ所存であった。
「なあ、水着はこれも持って行くのか?」
別々に準備をして、お互い背中合わせのなか、美月が桂に質問を。
「スクール水着は持って行く必要ないからね」
どんな水着か見ることもなく桂は即答を。
「そうじゃない、こっちの水着」
「こっちってどっち?」
「これ」
そう言って美月が掲げたのはほとんど紐といっても、決して大袈裟ではないようなマイクロビキニ。
「それは持って行きません」
「でも桂、俺がこの水着を着るのけっこう好きだよな」
何度もこの水着を美月に着させ、家の浴室で楽しんだ。だが……
「駄目。こんな水着を稲葉くんが着て、人目に、ナガシマのプールには行かせません。あの姿を堪能できるのは私だけの特権なの」
昨年の夏には行くことはできたけど、入ることは叶わなかったナガシマスパーランドの海水プールで遊ぶことが予定に組み込まれていた。
「いや、俺だってあんな人混みの中でこの水着を着るつもりはないよ」
桂とは市は異なるが、それでも同じ三重出身に美月はナガシマスパーランドの混雑を、その身では知らなくとも、昨年の経験、そしてニュースで混雑することを知り得ていた。
「だったら、何で訊くの?」
「いや、向うでもこの水着で一緒にお風呂に入ったら桂が喜ぶかと思って」
この言葉にちょっと喜びを感じ、それから妄想した桂ではあったが、すぐに脳内に浮かんだ邪な思考を振り払い、
「嬉しいけど、向うは私の家族がいるでしょ。そんな中で……そんなことできないよ」
できるならば堪能したい、楽しみたい、というような願望はあるけど、とてもじゃないが二人暮らしのこの部屋のように、といっても頻繁に麻実が遊びに来るのだが、思う存分、気ままに、欲望の赴くままにプレイに興じることは不可能。いや、それどころか家族の目、耳があるのだから自重しなければ。
「絶対に持って行っちゃ駄目。フリじゃないからね、絶対に駄目だからね」
己の自制に自信を持てない桂は強い口調で美月に言う。
その口ぶりに感じ入ったことがあったのか、美月は手にしていたマイクロビキニを置き、代わりにプリントが挟み込まれているクリアファイルを持って行く鞄の中へと詰め込んだ。




