青春のシンボル
麻実が新しい変身デザインの創造に悩み苦しみ、海外ではズィアが大西洋を越えて北米へと足を踏み入れアメリカ大陸のデーモンと接触し仲間を増やしている頃、美月の学ぶ教室内でちょっとした変化が起きていた。
それはほんの些細な変化であった。
その変化が起きた場所は文の顔。
小さなニキビが。
青春のシンボルともいえるニキビができたことが、この話の幕開けだった。
青春まっさかりの文の顔にニキビができるのはこれが初めてのことではなかった。
年頃の女子らしく、お菓子も大好きだし、時には夜更かしも。
可愛い顔に吹き出物が。
その度に文は、この世の終わりかとも思えるような落ち込んだ表情に。
しかしながら、この日の文は顔にニキビができたというのに、これまでのような悲惨な顔にはならず、むしろ笑顔であった。
その理由はニキビのできた場所。
小さな口の下に、つまり顎の位置に。
俗に言う、想われニキビであった。
想い、想われ、振り、振られ。ニキビのできる場所によって、そんなことを言うという知識は美月にもあった。稲葉志郎であった幼い頃にも、そんなことを言っていた記憶もある。それがまだ続いているというはちょっとした驚きであった。
ともかく、ニキビができて上機嫌な文は、誰が頼んだわけでもないのだが、自ら嬉々としてこのニキビについて教室で話し始めた。
「こないだお姉ちゃんに付き合って乙女ロードに行ったんだよね。そしたら、そこで偶然お姉ちゃんのクラスメイトに会ってさ、その後一緒に同人ショップを回ったんだけど、好きなカップリングがあたしと同じで話がすごく盛り上がったんだ。それから連絡先の交換をして毎日のようにメールし合ってるし。そしたらさ、こんな場所にニキビができたんだよね。これってさ、もしかしたらあたしのことを意識してくれているのかな?」
本当はもっと長い文の喋りであったのだが、要約するとこんな感じに。
「文さんもコッチの世界の良さに気付いたのね」
と、靖子が言う。
完全な百合属性ではないが、それでも美月に恋慕の感情をずっと懐き続けている靖子は、女の子同士の世界が美しいと思い、そして友人がこちら側の人間になることを素直に嬉しく感じた。
「ああ、違うわ、それ。文の言っとる相手は多分男や」
「えっ? どういうこと? だって文さんと同じ趣味の持ち主なら、女の人じゃないの」
「いや、世の中には腐男子という存在もおるんや。まあ、ウチはよう分からんけど」
「腐男子?」
傍で聞いているだけであった美月が疑問の声を。
「えっとな……あれ? こういう時には絶対に説明してくれる麻実さんが今日はえらい静かやな」
「麻実さんは最近ちょっと考えごとで忙しいから」
同じ場所にいるけど、これまで会話に一切参加せずに、美月の変身デザインを考え中の麻実に代わって美月が。
「そっか、ほなウチが簡単に説明するけど、BL好きな男のことをそう言うんや」
これまで文との交友でBLというのがボーイズラブの略称であることは知っていた。
「へー、そんな人もいるんだ」
素直に感想の声を上げる靖子の傍で美月は思わず固まってしまった。
昔舞台で男色の役を演じたことがあった。だが、最後の最後まで役柄を掴むということができなかった。それなのに世の中にBLを好む男子高校というものが存在するなんて。
同性愛を否定するつもりはないが、男なのに男同士の恋愛を好むというのが理解できない。
「それでね、今度二人一緒に買い物に行かないかって誘われてるの。これって絶対デートだよね」
少し弾んだ声で文が。
ちょっと理解不能なことでフリーズしていた美月の脳内が再起動を。
再起動と一緒に七十年代アイドルのピンクレディーの『SOS』が脳内に流れだす。
男のBL好き=同性愛者というわけではないだろう。世の中には両刀使いという人間も存在する。その知識を美月は持ち合わせている。
高校生の男子。現在の高校生と、昔の高校生に趣味嗜好の変化はあっても、それ程の違いはないはず。
相手の男子高校生がどんな人間かは、文の話だけでは分からないけど、それでも一般的な男子高校生を美月は想像し、先程からずっと頭の中でリフレインを繰り返している『SOS』はある意味警告音のような感じで美月の脳内に響いていた。
思春期の男子は狼である。性欲に飢えた獣である。
年の離れた妹のような存在である異性の友人に恋人ができるということは、大変喜ばしいことである。大人への階段を一歩上ったんだと感慨深く思ってしまう。
だが、高校生男子の思考は下半身へと直結している。
かつて自身も一介の高校生男子、但し非モテ、だったからよく分かる。
やりたい盛りの年頃である。
健全な男女交際ならばなんら問題はない。しかしながら、もしかして一線を越えてしまったら。
そんなこと中学生にはまだ早いのでは。まあ、中には中学生でもそういう行為をするような人間もいるけど、中三にしてはまだ幼い容姿の文には絶対に早すぎる。
自身のことは、すっかりと棚に上げて危惧を、心配を。
だがしかし、それはあくまでもうすぐ中年に差し掛かってしまう厭らしい小父さんの思考で、健全な付き合いをするかもしれないし。
でもしかし、高校生男子の下半身に全幅の信頼なんか置けない。
どうすべきか?
ちょっと浮かれている文にそれとなく注意をすべきなのだろうか? だがちょっと舞い上がっている状態の少女に危機を伝える言葉を投げかけても小言としかとられないのでは、いやもしかしたら嫉妬しているんじゃないかと思われてしまうんじゃ。
そんなことを美月は考えてしまう。
上手く行ってくれるのなら、それでいいのだけれども、恋愛というのは大抵上手く行かない方が多い。
傷付く姿はあまり見たくない。
しかしながら、失恋というのも人生の成長においては重要なことのはず。
だったら見守ろう。
そしてもし傷付くような結果になったのなら、その時は全力でフォローしよう。恋愛面、とくに女子中学生の失恋で力になれるかどうか定かではないが、男であった時にはアルコールで解決したが、美味しい料理をご馳走して失恋の痛手から回復するのを手助けしよう。
依然考えごとに没頭中の麻実と、同じように思考の海へと入っていた美月を置いてきぼりにして、紛れもない現役の女子中学生三人は恋バナに熱中していた。
結論から言うと、ニキビの相手は件の男子高校生ではなかった。
偶然ではあるが、後日仲睦まじく女子と歩く件の男子高校生を文が目撃。
そのことでショックを受けて、後に盛大な失恋パーティーが催されるということはなく、意外とサバサバとした気持ちですぐに割り切ることができた。
だがしかし、そんな文の中に一つの疑問が。
だったらこの想われニキビは誰の想いがつけたものだったのだろう?
偶然できたという可能性が一番高いのだが、それでは少し面白くないと思い、文は物思いにふけってしまうのだが、結局のところそれは分からずじまいに。
文の視点からは終生それを知り得ることは叶わないのだが、文に恋心を懐いたのは一年生の男子生徒であった。小柄な文を自分と同じ一年生と勘違いし初恋に落ちたのだが、後に先輩だと知るとその恋心はあっさりと瓦解してしまった。つまり、その少年には年上趣味がなかったのである。
かくして文のニキビ騒動が終わりを迎えた頃、麻実はようやく新しい変身デザインを半分ほど創り上げることができた。




