ワクワク、中学生活 3
「ねえ、美月ちゃんのお弁当ってなんか男子みたいだね」
お弁当の時間に美月は文に指摘された。
美月は三人の弁当箱と自分の弁当箱を見比べてみた。たしかに三人のとは全ての面で違っていた。まずは大きさ。美月のは倍くらいの大きさの弁当箱。中身も三人のは色とりどりで華やか。それに対して美月のものは地味な色合い。
三人のが質ならば、美月の弁当は量だった。
「たしかに。ちっこいのによう食べるなー」
感心したように知恵が言う。一緒には食べているが会話には参加していなかった美月の弁当箱の中身は残り三分の一になっていた。
「……うん。すごい」
食べるスピードに驚嘆したように美人が言う。
「なんかさー、運動部の男子のお弁当って感じだよね」
「そやなー。美月ちゃん見た目はちっこくて可愛いんやけど中身はなんや違うよな。一見大人しそうな雰囲気なんやけど、なんや偶に男子みたいに見える時あるしな」
自宅で桂によく注意されているから外では気をつけていたつもりだったのだが。終始そこにばかり気がいっているわけではない。気を抜いていたところ目撃されたのだろう。今度からは気をつけないと、男とバレてしまう可能性もある。
「それ、オカンが作っとんの?」
「……えっと……自分で」
晩御飯の残り物と冷凍食品を適当に詰めただけの代物。
何も考えずに作っている。
「そんで一人分毎朝詰め込んどるの?」
「ううん、桂さんの分も一緒に……」
毎朝、桂と自分の分、二人分のお弁当を詰めている。桂は職場で適当に何か買って食べるからいいと断っていたが一人分の労力も二人分の労力もさほど変わりない。そう言って半ば無理やり持たせていた。
「ふーん、じゃその桂さんいう人は喜んでるやろな」
口では感謝していたが顔はあまり喜んでいないような気がした。美月はその理由が突然分かった。ここ数日風呂上りにストレッチをしていると桂は一緒にすると言い出した。前にもこんなことがあった。その時の理由はダイエットのため。今回も多分そうだ。美月の作る料理はカロリーが高くて量が多いものばかり。それなのにいつも残さずに食べてくれた。お弁当箱も空っぽになって返ってくる。それは桂なりの優しさなのだろう。
そして突如昔のことを思い出した。
付き合い始めの頃、「稲葉君はずるい」と理不尽に怒られた記憶。
子供の頃から食べてもあまり身に付かない、いわゆる痩せの大食いだった。高校時代は文化系の部活だったにもかかわらず普通の弁当箱全部に白米を詰め、おかずは別にしてあったのに、それを全て平らげていた。その食欲は成人してからも衰えることはなく、志郎の体質とは正反対の太りやすい桂は憤慨していた。
(ごめん、桂)
心の中で謝罪する。きっと気にはしていたが傷付けないように言わなかったのだろう。我慢して食べていたのだろう。
〈そうだな。たしかに君の作る料理はカロリーが高いし量も多い。過剰な栄養はワタシが体内でコントロールして適度の排泄はするが、一般の成人女性には多すぎる。過剰な栄養は脂肪になる。過剰に摂取すれば生命の危機に陥る可能性もある〉
(分かってたなら俺に教えておいてくれよ)
〈すまない。ワタシは君を管理することだけを考えていた。これからはその意見を留意しよう。適度にアドバイスを送ろう〉
「おーい大丈夫か?」
「帰ってこーい」
モゲタンとの会話に集中して動かない美月に知恵と文が声をかけた。
「……でも、すごい。自分で作るなんて。私お父さん料理人だけど自分では作れないし」
美人が小さく言う。その言葉で美月は顔を上げた。
「料理人なんだ?」
「……うん。和食のお店でお仕事している」
「それだけじゃないんだよ」
「そうやな、美人にはもっと凄い秘密があるんや」
「何?」
「実はな、美人はクォーターやねん」
「そうなの?」
少し日本人離れしたような雰囲気は感じていた。その理由はクォーターだったからなのか。
「ほら、証拠を美月ちゃんに見せようよ」
文が美人の前髪をかき上げる。隠れていた瞳が光の下に現れた。そこにはライトの光で青く輝く瞳があった。
「なあ、綺麗な目してるやろ」
「うん」
「……ありがとう」
礼を言いながらも美人は上げていた髪を前に降ろして青い瞳を隠した。他人からみれば羨ましがるような色合いでも本人にしたらコンプレックスなのかもしれない。
「それでお父さんとお母さん、どっちがハーフなの?」
「……お父さんのお婆ちゃんがイタリア出身で。私の名前はお婆ちゃんのお父さんとお母さんの出身地のミラノとトリノの頭文字から取ったの。それに漢字を当てたって言ってた」
照れながらも美人が言う。その顔を見ていたら美月の頭の中で一つのアイデアが生まれた。それを実行するには美人の協力が必要だ。お願いをする。
「頼みたいことがあるんだけど。料理を教えてくださいって美人さんのお父さんにお願いしてくれないかな」
カロリーについての知識は美月にはない。けど、せっかく食べてもらうのならば喜んで食べてもらいたい。嬉しそうな顔をする桂の顔を見るのは美月にとっても幸せなことだった。
「……うん。……でも聞いてくれるかどうかわからないよ」
「ありがとう」
〈料理のレパートリーを増やすのならば、ワタシが情報を集めて君に提供できるのだが?〉
(いいんだよ。こういうのは生きた経験がものを言うんだから)
〈そういうものなのか?〉
翌日、料理教室の開催が決定した。
美人の父親は一目でハーフと判別できるほどの濃い顔立ちをしていた。
外見からいえば、完全に洋食のイメージだが、これで和食の料理人というのは驚きだった。
けど、そんな驚きは内心に押しとどめ、
「今日はわがままを聞いていただき、本当にありがとうございます」
貴重な休日を自分のために割いてもらったのだ、頭を下げて美月は礼を言う。
「いいよ、いいよ。僕も若い子と一緒に料理ができる貴重な時間を貰ったんだから。僕の娘はあまり料理を作るのは好きじゃないみたいだから、こういうのは新鮮で面白いよ」
この急遽開催された料理教室の参加者は美月だけだったが、見学者が他にいた。この家の娘の美人がいるのはもちろんだが、なぜか知恵と文も一緒に来ている。学校帰りに家へと押しかけたのだから案内人の必要も無いのだが「行く」と二人は言い、今はリビングで三人料理ができあがるのを楽しみ待っていた。
美月を除く三人は料理の腕を磨くためにいるのではなく、食べるために参加していた。
簡単なレシピであるせいか、それとも指導が良いのか、はたまた美月の手際が際立つのか料理教室はスムーズに進行していく。
「君はけっこう手際がいいね。家以外のどこかで教えてもらったことある?」
この質問に美月は素直に答えることができなかった。料理の基礎は昔アルバイトをしていた中華料理店で磨いたものだった。熱心な指導を受けたわけではないが、見て、簡単な事柄は盗んで憶えた。しかしこれを話すわけにはいかない。噓をついてしまう。首を振る。
「ありません。あ、そうだ、他に何か上達するようなことってありますか?」
「そうだな。……昔ある時代作家のエッセイ本で読んだんだけど、美味しい物を食べる。これは真意だよ。僕らも勉強のために色んな店や料理を食べるけど。学ぶことは多いもの」
「……それって池波正太郎ですか?」
自分の苗字の元ネタを書いた作家の名前を美月は言った。美人の父が言ったようなことをエッセイで読んだ記憶があった。
「そう。それにしてもよく知ってるな。それに最初の挨拶もしっかりしていたし。中学生の女の子と話しているような感じがしないな」
「そうやで、おっちゃん。美月ちゃんは見た目は可愛い美少女やけど中身はけっこう親父やねんから」
いつの間にか横にいたのか、知恵が口を挟む。この数日で隠していた本性をいくつも暴かれていた。中身が大人の男のようだと認識されていた。
「親父はないな。店の若いこと話しているような錯覚はするけど」
気をつけなくては反省をする。男の子っぽいで留まればいいのだが、中身が本当に成人男子とばれてしまったら困る。
できあがった料理はみんなで食べて、残り物は桂へのお土産にする。
「ありがとうございました」
帰りしなに挨拶をする。
「ごちそう様でしたー」
「したー」
「ありがと、頼んでくれて」
美月は美人にも礼を言った。
「……あの、私も美月ちゃんにお願いしたいことがあるの」
「なに?」
「えっと……どうしたら美月ちゃんみたいな可愛くて良い声になるのかと思って」
「そうそう、あたしも思ってた。可愛い声だけど、それ以上によく響くしさ、通りもいいよね。こないだの国語の時間の朗読も上手かったもん。なんかプロみたいな感じしたし」
「うん、声優みたい」
「なんか、練習とかしてんの?」
この身体になってからも毎日の発声、滑舌の練習を欠かしたことはなかった。習慣になっていることもあったが、男の身体に戻った時に下手になっていたら嫌だったので訓練は継続している。
だから過去のことを隠したとしても、この場合はしているの範疇に入るだろう。
「うん、まあ」
短く答えた。本格的なことはしていないが、基礎的なことはしている。
「……あの、……私にその練習の仕方を、……教えてくれないかな?」
以前言っていたことを思い出す。本人が告白したわけではないが美人は将来声優になりたいという夢がある。正直、声優にはどうすればなれるか美月は知らない。元は売れない劇団の役者。それでも演技という共通点があるはず。それに基礎的な発声法なら指導できるはず。そう美月は考えた。
「それじゃ今度は発声の練習を一緒にする?」
その言葉に伏し目がちだった美人の顔が上がる。白い肌が赤く染まった。
「うん、する」
「あたしも参加する」
「それじゃ、ウチも」
またもやこの二人の参加が決まった。別段それには異論は無い。
「はい、もう一つ提案してもええかな?」
知恵が勢い良く立ち上がり右手を高く上げた。
「なんでしょう保科さん?」
ノリに付き合い文が教師のような口調で言う。しかし幼い彼女には似合っていなかった。
「今度は美月ちゃんの家がいいと思います」
「ああ、それいいね」
「……私も行きたい」
文が大きく賛同の声を上げ、美人も小さく手を上げて追随した。
「……ちょっ、それ無理」
否定した。マンションで大きな声を出すのは近所の迷惑になる。それに狭い部屋に三人も呼んでできることではない。美月は教室かどこかで練習するつもりでいたのに。
「でも、行ってみたいな」
「僕一人では決められないよ。桂さんの家だし。僕はお世話になっている身だから。それにマンションで大きな声をだしたら近所の迷惑だよ」
「それじゃ頼んでみてよ。大きな声は昼間なら多少は大丈夫ちゃうかな」
必死の反論は一言で押し切られてしまった。