女子中学生、西へ 12
水柱に続き、大量の水が水平方向に移動しながら美月のいる戎橋へと勢いよく襲い掛かってきた。
襲いかかってくる水を無視してデータとの距離を詰めることも可能であったが、美月は欄干の上で立ち止まり、向きを変え、水柱のほうを見据えた。
「モゲタン」
〈了解だ〉
号令と共に円盤状の盾が、美月の眼前にいくつも展開される。
水飛沫を全て防ぐ。
いくら勢いよく迫ってくるとはいっても所詮は水。美月の持ちうる能力ならば、まともに受けたとしてもさほどダメージがあるわけでもなく、問題なくデータへと辿り着けたはずであった。
だが、美月は止まった。そして水飛沫を防いだ。
これには大きな理由が。
美月にとっては痛くも痒くもないかもしれないが、普通の人間にとっては、水の塊は脅威になりうる、ものすごい衝撃をもって襲い掛かってくる、最悪の場合死に至るということも。
また人だけではなく、周辺の建築物を壊してしまう可能性も。
水柱が消え、そこに人のような姿が。
二つ目のデータもどうやら人型のようだった。
おまけに何か長いものを手にしている。
〈どうする? どちらに対応する?〉
どちらにも対応しなくてはいけないのだが、同時に二体というのには流石に無理が。これが二体ともに美月に向かって挑んでくるのであればまだ対処のしようがあったのかもしれないが、片や逃げようとしている、もう一方は反対に迫ってくる。
「アッチだ」
美月は言いながら眼前のデータを指さした。
逃げ回っていたデータはこれまでのところ被害を出していない。これからも出さないという確実な保証はないが、それでもいきなり攻撃を仕掛けてくるのよりもその可能性はかなり低いはず。美月はそう判断した。
「向うは麻実さんに任せる。お願いできる」
『しょうがないな、任された』
脳内に麻実の返答が。
美月は道頓堀の中のデータと対峙する。
人型。白色、灰色の人形のようだった。長年放置され続けていたかのように汚れていた。
汚れてはいるが、美月はこの人形を観た瞬間、ある人物を思い浮かべた。
「あれって……」
思わずつぶやいた瞬間、背後から声が上がる。
「バースの降臨やー」
背後の酔っぱらいの群衆から美月の考えを代弁するかのような声が上がった。
その声に呼応するように次々に声が上がる。
「バースが戻ってきたんや」
「これで貧打から解消される」
「今度こそ、王の記録をぬいたれや。東京もんの鼻あかしたれ」
「甲子園に花火が上がるで」
「神様、仏様、バース様や」
「今年こそ絶対に優勝や」
「俺流のドラゴンズをいてこましたれ」
昨年度から導入された統一球、蔑称加藤球、により、プロ野球の世界は打高投低から一変し打低高投へと様変わりした。
なかでも関西地区の人気球団阪神タイガースは、打てる捕手としてチームを牽引してきた城島が引退し、四番を打っていた金本も衰え、新井はセカンドゴロゲッツーばかり、さらには甲子園という本塁打の出にくい本拠地で、見事なまでに打てない打線へと変貌を遂げていた。
一昨年までは優勝争いをし、Aクラスを維持していたのだが昨年は打てずにBクラスへと転落してしまう
そんな貧打にあえぐ中に、かつての伝説の助っ人外国人そっくりの人形が出現したのだ。阪神ファンが色めき立つのも無理もない、当然のことである。
ランディー・バース。阪神タイガースの、いやプロ野球史上最強といっても過言ではない選手。彼より後に、シーズン本塁打数を上回る助っ人は何人も登場したが、それでも史上最強と謳われるのは、阪神唯一の日本一に多大な貢献をしたということもあるが、それ以上に二度の、二年連続の三冠王。プロ野球の世界で三冠王になった人物はわずか七名。その中で、二年連続で三冠王に輝いたのは王、落合、そして外国人選手ではバース只一人である。
数々の声が上がっている。その声はやがてバースの応援歌へと変化していく。
美月の背後で大合唱が繰り広げられる。
誰かが投げ入れた阪神タイガースの帽子がカーネルサンダース人形の頭に見事に乗っかる。
やんややんやと拍手の大喝采。
そんな中、人形は水の中へと。
橋の上の群衆から見ていると、それは阪神タイガースの行く末を暗示しているかのように映った。
「見捨てんといて」
「バース、帰って来てくれやー」
酔っぱらいどもの声を聞きながら美月は、
「あれってどう見てもカーネルサンダースだよな」
という感想を漏らした。
〈そうだ。しかしワタシが検索したところではかつてカーネルサンダースの人形をバースと称して道頓堀へと放り投げたという記事を発見したのだが〉
「……ああ、そういうこともあったらしいな」
そんな軽口をたたきながらも美月とモゲタンは、道頓堀の中へと姿を消したデータの人形への警戒を怠らなかった。
というのも、水中へと消えたものの、データは美月のいる戎橋へと着実に距離を縮めつつあったからである。
このままいけば確実に接触する。
それだけならまだしも橋の上には大勢の人が。
そんな場所で戦闘になってしまったら、多くの人を巻き込んでしまう。
それは避けたいことであった。
一方、美月から追跡を任された麻実は上空からの観測を止めて、人でごった返す橋へと降り立った。
麻実が降りた瞬間、カーネルサンダース人形をバースに見立てて熱狂の声を上げていた一部の人間が、目聡く麻実を発見。
次々に歓喜の声を上げる。
「バースだけやのうて天使まで舞い降りてきたでー」
「これで不振から脱出やー」
「神様、天使様、バース様やー」
「巨人をいてこましたれー」
「貧打解消や」
「あかん、絶対に優勝してしまう」
麻実の変身姿はゴスロリ風に漆黒の羽。
黒い羽は天使というよりも堕天使を想起させるものだが、酔っぱらいらには関係がなかった。
中には冷静に判断ができる者も少々いたのだが、多勢に無勢、周囲の勢い、熱に煽られてしまう
群集心理の恐ろしさ。
熱気は瞬く間に周辺に拡散。
水の中へと姿を消してしまったバースことカーネルサンダース人形にガックリとしていた人々は瞬時に関心の対象を麻実へとスイッチした。
麻実の周りに人々の群れが。
「ちょっと退きなさいよ。そこドサクサに紛れて抱きつかないで」
麻実が声を上げるが、周囲の人間はそんな言葉に耳を傾けずにいた。余計集まってくることに。
その間にあの黒色の人型データは人々の波の中へと姿を隠した。
注釈
実際には、道頓堀のカーネルサンダース人形は2009年に発見されていますが、この世界線ではまだ見つかっていないことになっています。
中日の落合監督は2011年をもって退任していますが、この作品中では引き続き指揮をとっているという設定になっています。




