桂 6
桂は珍しく、一人でキッチンに立っていた。
そして、まごまごと戸惑っていた。
普段料理を全くしない桂がキッチンにいるのにはそれなりに理由があったからだ。
夕食に食べるものがない。
修学旅行に出かけた美月は、自分の不在中でも桂が食事に困らないように二日分の夕食を作り置きし、冷凍にして出かけていった。
桂もそれで充分足りる、むしろ余るくらいだと思っていた。
しかしながら、久し振りの一人での食事は寂しいような気が。
そんなことを考えていた桂の携帯に学生時代の友人、今は仙台在住、から電話が。
都内に出てきているので、逢おうと。
普通ならば、どこかで逢って外食という流れにでもなるのだが、桂はその友人を自分の部屋へと招待した。
翌日は土曜日で仕事が休みということもあり、プチ宴会に。
アルコールが入り、久し振りの再会ということもあって盛り上がる。
盛り上がり過ぎて、二日分の夕食を、全て消費してしまった。
つまり今日の夕食がない。
ならば、外に出て食べるとか、お弁当、もしくはお惣菜を購入してきて部屋で食す、または出前を頼むとか、色々と手段はあるのだが、桂が選択したのは自分で作るということ。
だからこそ、現在キッチンに立っているわけである。
そうは決めたものの、なかなか手が動かない。
料理はあまり得意ではない。
いつも美月に任せきりにしてきた。これではいけない、と思いつつも甘えてしまっていた。
そんな桂が自炊に挑戦しようとしたのには理由が。
それは昨日の友人との会話の中で出てきた、麻婆焼きそば、なる食べ物。
話を聞くだけで美味しそうに思えた。
だが、美味しそうと思っただけで、いつもの桂ならば自分で作るという決断はしない。
そんな桂がどうしてそう思い立ったのかというと、それは美月のためであった。
この家での麺類といえばパスタが中心である。しかしながら、美月、というか稲葉志郎、はパスタよりもラーメンとか焼きそばの方が好みであった。
いつも自分の好みに合わせてくれている。そんな優しい愛おしい人に、下手だと思うけど、それでも自分の作った物を食べてもらいたい。
そんないじらしい乙女心、もうとっくに乙女という年齢は通り過ぎてしまっているのだが、が桂をキッチンに立たせた理由であった。
だが、再三述べてきているが、桂は料理が苦手。
意気込みだけで料理が作れるのであれば、とうの昔に苦手を克服していたであろう。
だからこそ、いざキッチンの前に立ったのはいいが、どうしたらいいのか分からずにまごまごとしてしまっているのであった。
いつまでもこのまま何もせずに突っ立っているわけにもいかない。
お腹も空腹を訴えているし。
桂は慣れぬ手つきで調理を開始した。
まずは麻婆豆腐。
近所の、美月とよく行くスーパーへと買い出しに行っていた。ここでちょっとお高目の豆腐、焼きそばの麵、それから調理には必要ない余計なもの、そして一番肝心の麻婆豆腐の素を購入。
麻婆豆腐の素は、いくつもある種類の中から、パッケージ裏の説明文を読み比べ、できるだけ簡単そうなものを吟味し、選んだ。
いつもは美月が振っている鍋にパッケージに書かれている通りに素を投入。
続いて豆腐を投入するのだが、ここで四苦八苦を。
桂とて一応は家庭科の授業を受けていた。それに美月が料理をするとき、偶にだが横に立つこともある。
豆腐は手のひらで切ると切りやすい。
そのはずなのだがいざ自分の手のひらに乗せ、包丁を降ろそうとするけど怖い。
仕方がなく俎板の上で。使い慣れていないものを使用するのだ、余計な力が入ってしまう。
結果、豆腐は綺麗な賽の目ではなく、歪な、所々崩れ、潰れてしまう。
豆腐で手間取っている間に疎かになっていた鍋の中の麻婆豆腐の元が焦げ始める。
慌てて崩れた豆腐を投入。
見た目がちょっと悪いけど、味は美味しい。
高いのを買ってきて正解だった。
だが、これで満足してはいけない。
今度は焼きそば。
別の鍋で炒める。
カップ焼きそばなら作ったことはあるが、自分で焼きそばを炒めるのは初めて。
麺が上手くほぐれずに塊になったり、焦げたり、なによりふっくらとしていない。
それでも何とか炒め終わる。
炒めた焼きそばをお皿に乗せ、その上に麻婆豆腐を。
これでなんとか完成。
いざ、実食。
麻婆焼きそばだけでは物足りないので、一緒に購入したサラダを。
このサラダを購入する時、今から焼きそばを作るというのに思わずパスタサラダを購入しそうになったことを追記しておく。
ともかく、生まれて初めて作った焼きそばを桂は口へと運んだ。
麺は少々焦げてはいるが、麻婆豆腐の辛さが絡まって美味しい。
高いけど、それなりの麻婆豆腐の素、それからお高目の豆腐を買ってきて正解だった。これが安物だったら、こうも美味しくはならなかったろう。
麺を啜る。時折、サラダ、そして偶に発泡酒。
自分で作ったわりには上出来のはず。味も焦げがあるものの食べられる範疇。
なのに、桂には一味、いやそれどころか大分と味が足りていないような感じがした。
すぐにその理由を思いつく。
お腹は空いているはずなのに箸が止まった。
「……一人で食べていても美味しくないよ。……稲葉くん……さみしいよ……」
食べかけの麻婆焼きそばを前にして、もう二日も逢っていない、最近ちょっと依存気味かなとは思いながらも逢えないと寂しい愛しい人の名前を言いながら、小さく呟いた。
全然出番のなかった桂の話。
またしばらく出番がありません。




