女子中学生、西へ 8
説明回です。
ドイツは第二次大戦の敗北により疲弊し、土地も、国力も、人口も多く失った。
そこから復興に力を注ぎ、60年代には工業化に成功し回復した。しかし、それにともない労働者不足に陥ってしまう。
マンパワーを必要とするため移民を募集した。
募集した先は、トルコ。
その募集に応じたのはズィアの祖父であった。異国で稼ぎ、家族を養うことを選択した。
ドイツに渡ったのは彼の祖父一人ではなかった。
その後、祖父を頼りに家族で。
苦渋の決断ではあったが家族はその後祖国を捨て、ドイツ人になることを選んだ。
だが、ヨーロッパの地が彼等にとって楽園とはなり得なかった。
そこには迫害と差別があった。
そんな中でも同じような境遇の者同士が肩を寄せ合い、コミュニティを形成していた。
やがて70年代中頃には移民が規制される。
ズィアは規制以降に生まれたドイツ生まれのトルコ系ドイツ人だった。
そんなズィアに、彼の両親は貧しいながらも教育を与えた。この境遇から抜け出すには自分たちになかったもの、教育こそが必要であると考えたからだった。
その期待にズィアは見事に応えた。
留学するチャンスをつかむことに成功した。
留学先は日本。そこでズィアは大きな決断をした。
そのことは詳しくは書かないが、それを決断したことにより、彼は家族との決別を選んだ。
そうして現在のズィアが形成されていき、やがてドイツへと帰国した彼は教育によって開花した己の能力を生かしシステムエンジニアとしてヨーロッパ中を転々とした。
これがズィアという人物の大まかなルーツであった。
伏見稲荷を参詣した後、靖子の希望であった千本鳥居へ。
いくつもの連なる朱塗りの鳥居を美月と一緒に潜りたい、その願望を成就させるために。
靖子の願いが叶った後でグループは別行動を。
これは潜っている間に諍いが起き、険悪になってしまい別行動になってしまったというわけではなく、美月同様にデーモンである麻実にズィアが関心を示し積極的に会話を試みようとしたのだが、人見知り傾向な性分な麻実にとって年上で、異性、さらには外国の人間というのは二人だけで話すにはハードルが高く、双方が美月に助っ人を頼んだ結果、しばしの間三人ずつに別れることに相成った。
これは美月にとって正直ありがたいことだった。
昨晩布団の中で美月はモゲタンと相談し、麻実の時のようにナノマシンをズィアの脳内に送り込み、自分達の特殊な事情を説明しようと考えていた。しかし、これは一方的に情報を送るだけ、秘密を知る人間同士で固まって行動し、そこで内緒の話ができるのであれば共有する情報も多くなるはず。
ということで少女二人に、男一人。
図らずもイスラム式のデートのような形に。
戒律の厳しいイスラム社会では、未婚の男女が一緒に歩くのは禁忌であり、デートをする場合女性側の姉妹や親族が同行し三人でするらしい。
美月と麻実はもちろんイスラムとは関係はなく、ズィアもルーツこそイスラムではあるが現在ではこれまた関係なし。
「なるほどね、ミツキの事情は理解しましたわ。よろしくね、モゲタン」
三人だけになってしばらく歩いた後、人気の少ない場所で美月がズィアの脳にナノマシンを送り込み、限定的な情報であるが、一応開示。昨晩は話していなかったモゲタンという存在と、他のデーモンとは異なり左手のクロノグラフに力が宿っていることを説明。
それを受け取ったズィアが美月の小さな身体には似つかわしくないクロノグラフを見ながら挨拶を。
「モゲタンもよろしくと言っています」
モゲタンは美月としかコミュニケーションが取れないので、美月が通訳を。
「だけどちょっと、いいですか? さっきの情報の中にあったデーモン同士のネットワークの構築、そんなこと可能なのですか? どんなにセキュリティーを高めてもいつか絶対に誰かに突破されてしまいます。そうなったら、わたし達のことが世界に公表されてしまいます」
ズィアの指摘はもっともであった。
絶対に破れないと宣言したプロテクトが次の日にはもう突破されてしまっているというのがコンピューターの世界。
「大丈夫とモゲタンは言っていますけど。……僕はよく理解できなかったのですが、人類がリーマン予想を証明しないかぎりその危険性限りなく低いと言っていますけど」
昨晩モゲタンから美月に提案があった。
それは、デーモンだけが使用できるネットワークの構築。自らの能力の一部をナノマシンにコピーしてネットワークに付随させる。それによって同じようにナノマシンが付随した機器同士で相互の通信が可能になるというものだった。
美月はコンピューター関係には詳しくはないが、それでも日々のニュースの中で、やれハッキングだの、乗っ取りだの、というネガティブな情報を多く耳にしていた。よく分からないものではあるが、その危険性についての知識はあった。それを質問すると返ってきた答えが、先程出たリーマン予想。
二度目の中学生活であるが、数学的な知識が飛躍的に上昇したわけではない。まあそれなりの成績を収めることができていても、この数式や公式が社会でどう活用されているのかまでは知り得なかった。
そんな美月にモゲタンが丁寧に説明をしたが、その内容は難しく、美月の理解を越え、なんとか記憶に留まっていたのが、素数と暗号の二つの単語。
「それならば数年は安全かもしれないわね」
ズィアはシステムエンジニアをしているだけあって数学的な知識も持ち合わせていた。
「ねえ、そのリーマン予想って何なのよ?」
最初の頃は警戒心からか、それとも人見知りからなのか、あまり喋らなかったのだが、ここにきてようやくズィアに慣れ始めた麻実が質問を。
「素数の規則性にかかわる予想です。これが証明されたら100万ドルの賞金が出ると言われています」
「凄いじゃない。モゲタンはそれを証明することが可能なんでしょ。だったらシロ、賞金をゲットしちゃいなさいよ」
「……麻実さん。それすると多分正体がバレてしまうと思う」
ちょっとだけ呆れたような声で美月が言う。
「そうですね。百年以上誰も成し遂げることができなかった予想を証明したのがこんなキュートな美少女だとなったら世界中が大騒ぎをしますわ。それによって正体が見つかってしまう危険性もあります」
「あ、そうだ。もう一つ聞いてもいい? そのリーマン予想がネットと何の関係があるの?」
「……えっと、それは……」
美月は布団の中でモゲタンから講義を受けたのだが、その内容はなかなかに専門的な内容であったために、なんとなくの概要はつかめたものの、それを別の人に説明できるほどの理解まではできなかった。
「素数は暗号に使用されます。大きな数字の素数が予想できるとなると、プロテクトの突破が容易になります」
「ふーん、よく分からないけど、まあモゲタンの力を使えば他の人に知られることなくネット上でやり取りができるんでしょ」
「……多分、そうだと思う」
自信なく美月が言う。
「そうです、可能です。わたしは休暇をリセットして明日にでもヨーロッパに戻ります。仲間にこのことを知らせます。それから別の大陸にも渡って他のデーモンにも教えます」
嬉々とした表情でズィアが言った。
その後伏見稲荷から少し離れた位置にある伏見桃山城にデータが出現。隣接する、桓武天皇陵、明治天皇陵でなかったことに少し安堵しながら、美月達は無人の天守閣の中でデータと静かに戦闘、耐震性に問題があるため崩壊しないように、無事回収することに成功した。
別れ際に、
「今度はわたし達だけのオンラインの中でお逢いしましょう」
そんな言葉を二人に残し、予定を切り上げて、ズィアはヨーロッパへと帰還していった。




