ワクワク、中学生活 2
うるさい勧誘を払いのけて美月は一人教室で読書に勤しんでいた。
読んでいるのは桂の本棚から持ち出したシリーズ物。
これまで、男のままだったら絶対に手を出していない作品を読みふける。
面白い。ページをめくる手が早くなっていく。
けど、集中して読書をするのはけっこう疲れる。
ずっと活字に落としていた目を上げた。前の席では三人組の女生徒が賑やかに話している。
何気なく視線を上げた美月の視界に思いもしないものが飛び込んだ。それは中学生の持つような物ではなかった。正確に表記するならば少女の一人が手にしていたのは下敷き。それを団扇代わりにして扇いでいる。これだけならば問題はなし。しかし、その絵柄は未成年がしてはいけないはずのゲームのもの。
美月が志郎であった頃、高校生の時に同級生に家でこっそりとプレイさせてもらった未成年がしてはいけないエロゲーのキャラクター。
「えっ」
思わず声が出てしまう。しかも教室中に響き渡るような音を。
〈どうして? 何を驚いている?〉
(……いや別に、……何でもない)
内心はまだ驚いたままであったが一応平静を保つふりをした。
〈そうか、ならいい〉
「うん? 何や? もしかして伊庭ちゃん、これのこと知ってんの?」
モゲタンのやり取りをしている間に、いつの間にか三人組のうち一人が美月の横に移動して話しかけた。
三人の中でリーダー格の少女で、外見はショートカットにややツリ目、そして八重歯、更に最大の特徴は関西弁。
「……うん」
思わぬ展開につい肯いてしまう。
「なんや、伊庭ちゃん。すかした転校生とばかり思ってたけど意外と好き者なんやな。こんな昔のエロゲーのキャラ知ってるなんて。それに今読んでる本もそれ系やしな」
桂の説明曰く、結構長いシリーズ物でアニメ化もされているから読んでいる人間は多いらしい。しかし、昔の作品を。それを現役の中学生が知っているのは少し驚きだった。
「いや、嬉しいわ。昔の作品で話し合える仲間が同年代におらへんからな」
美月の肩を叩きながら関西弁の少女が言う。
「今日は学校でどうだった? 友達できた?」
美月の学校生活を気にかけている桂は毎日のように訊いていた。
「……話しかけられた」
「また部活の勧誘?」
「違う。読書してたら、その本に興味を持ったみたいだった」
本当のきっかけは少し違うのだが、それを話すとややこしくなる。面倒なことになる。
「何を読んでいたの? 今の中学生の女の子はどんな本が好きなのかな?」
「本棚にあったやつ。……女子高の連続物」
「へぇー。あれ私が学生の頃の作品だよ。今でも読んでる子がいるんだ。ねぇ、ねぇ、その子と友達になってみたら? 話が合うんじゃないかな? ああでも、美月ちゃんが百合の世界に行くのはちょっと困っちゃうわね。でもこれくらいの年頃ならあの世界に憧れるのは分かるし。……私にもちょっと覚えがあるし」
「桂……さんもそうだったの?」
そんな話を聞いたことがない。付き合ったのは自分が最初のはず。それともそれは男の話で、以前に女性同士であんなことやこんなことに興じていた。
変な妄想が美月の頭の中に。
ならば、今のこの姿で桂と女同士の享楽に浸ってみるのも。
モゲタンの説明では美月の脳は男のまま。つまり性的な思考も以前のまま。絶対に体験できないゆえに百合、レズというものに少しだけ憧れを抱いていた。それがいまならば可能。男では味わえない快楽を桂と一緒に。
妄想が加速度的に広がっていく。
「ちょっとだけね。ああいうのは幻想だから綺麗に見えるの」
美月の妄想を止めたのは桂の言葉だった。
「……そうなんだ」
「とにかく、その子と話してみたら。もしかしたら一生の友達になる可能性だってあるんだし」
積極的に友人を作ることを薦める。一回り以上年の離れた友人なんて作る気はさらさら無いが、
「……うん、まあ一応考えておく」
「それじゃ、明日は結果を楽しみにしてるからね」
「……うん」
生返事をしながら晩御飯のから揚げをつまみ口に運んだ。これで口の中は一杯になり当分の間は返事もできない。
「ああー、美月ちゃんまた胡坐をかいてる。スカートでそのかっこうだとパンツが見えちゃうでしょ。もっと気を付けないと。ここには私と二人しかいないからいいけど、学校でもそんなことしたら男子に見られちゃうから」
スカート姿にはまだ慣れていない。当初感じたスースーする違和感は克服したが気を抜くと足を大きく開いていたり、胡坐をかいてしまう。その都度桂の注意を受けていた。
翌日の朝、再び関西弁の少女に話しかけられた。昨日の桂の言葉を思い出し、対応する。
意外なことに、思ったよりも話ができた。
そこで美月はこの少女のグループの一員になった。
「ほな、改めて自己紹介するで。ウチは保科知恵。この手の趣味はオトンとオカンの影響でさ。オタク同士で結婚して、まあいわばウチはいわばオタクの英才教育を受けきたみたいなもんや」
女の子らしくない笑いをしながら言う。
「あの?」
小さく控えめに美月は挙手をした。最初に会話をした時から聞きたかったことがあった。
「関西弁だけど、出身はどこ?」
「ウチな子供の頃はよく引っ越ししたんや。それこそ関西中。そんで色んな地方の言葉が混じってしまって、なんか変な関西弁になってもうたんや」
知恵の言葉は理解できた。
一口に関西弁といっても多種多様である。故郷の三重も一応関西弁のエリアで、厳密に言うと関よりも東にあるから関西ではないが、くくれるが本場の人間からすると少し異なるらしい。
「それじゃ次はアタシね。田沼文だよ。よろしくー」
次はツインテールの背の低い子だった。といっても美月よりは高い。そして少女趣味という感じが全身から滲み出ていた。
「あたしが好きなのはBLかな。美月ちゃんも好きかな?」
かつて男だった身としてはその手のものはまったく受け付けられなかった。かつて舞台で男色に励む青年の役を演じたことがあったが、最後の最後まで男を好きになる気持ちが理解できなかった。それを思い出し、首を振った。
「ええー、面白いのにー。ああー美月ちゃんはまだ子供だから良さが理解できないんだー」
思ったことを全部口にだすようなタイプ。見た目どおり中身も子供のようだった。
「……新井みと……よろしくお願いします」
最後は背の高い子だった。出席番号は一つ前。体育の時間に五十メートル走を一緒に走った子。声が小さく、身長を気にしてか猫背で伏し目がちだった。
「みと?」
変わった名前に思わず疑問調で呼んでしまう。
「ああ、この子はな美人て書いて、みとって読むんや」
「良い名前だね」
素直な感想を述べる。前髪で隠れて伏せている顔は少し日本人離れした雰囲気を醸し出していた。美月の言葉に美人は照れたのか、その顔を下に向けた。そして、
「……ありがとう」
小さな声で礼を言った。
「あのねあのね美人はね、声優になりたいんだよ。こんなに声小さくて恥ずかしがりやなのに」
「文、そんなこと言うたらアカンで。人間夢があるのはええこっちゃ。それにもしかして将来有名になってみ、アタシら有名人の友達やで」
友達の夢を少しだけ馬鹿にする文を知恵が嗜めた。中学生でも意外と大人なんだ。美月は感心したが、最後でものの見事に落とされた。やっぱり関西人なんだと納得してしまう。
「ほな、美月ちゃんももう一回自己紹介しよか」
「お、……僕は伊庭美月。趣味は……」
俺、と言いかけて言い直した。この少女の姿で俺はおかしい。かといって私という一人称を使用するのにもわずかな抵抗があった。外見は少女でも中身は男、恥ずかしさがある。妥協点として美月は僕という言葉を使うことにした。
「ちょお、今、僕、言うたな。もしかして美月ちゃん女の子っぽいのに僕っ娘やったんか。いやー、ええの聞かせてもらった」
たしかに女の子っぽい外見で、この一人称は違和感がある。
「イメージと違うね」
「……でも可愛い」
それぞれが感想を述べた。その言葉で美月は自分の顔が朱に染まっていくのが分かった。恥ずかしかった。けど今更言い直すことはできない。時間を戻すことは不可能だった。
〈どうした? 何を赤くなっている?〉
モゲタンが美月の微妙な心理を理解できずに聞く。
(うるさい)
それだけ答えて後は黙っていた。