女子中学生、西へ 4
不安は気持ちを落ち込ませてしまう。
当然、美月もそうであった。
あれからずっと不安が心の片隅に巣くって、せっかくの修学旅行なのに全然といっていいほど楽しめなかった。
二度目の修学旅行。そんなにはしゃぐ必要はない、なんせ二度目だし、それに見た目はともかく中身はれっきとした大人だからと内心で思っていたのに、実際に京都に来てみると想像した以上に楽しかった。
それがこの京都市内に、自分や麻実と同じ力を持つ者がいると分かった瞬間、信号を感じたとった瞬間、その楽しさが吹き飛んでしまう。
反応はすぐに消えてしまったが、代わりに美月の中に不安という危険信号が。
その結果、修学旅行を心の底から楽しめない。
常に周囲を警戒してしまう。
それも必要以上に。
〈そんなに警戒する必要はない。あの時もそうだったがワタシがアンテナを張っておくから、キミは安心して修学旅行という行事を楽しめばいい〉
あの時というのは去年の初夏のこと。黒ずくめの少年との邂逅。
モゲタンの言うように、必要以上に周囲を警戒して、夕飯が作れないくらいに神経を摩耗させ疲弊してしまった苦い記憶が。
今度は同じ轍を踏まないように、その助言を素直に受ける。
とはいかなかった。できていれば、美月の中に生まれた不安はすでに解消され、綺麗に吹き飛んで、元のように修学旅行を楽しめたはず。
だが、現実は楽しめていない。
この不安は時間の経過とともに美月の中で大きくなっていった。
神経が摩耗するとまでいかなくとも、それでも不安が増大してしまったのには理由が。
それは当然、近辺に同じ力を持った未知の人間がいるというのはもちろんだが、もう一つ。それはこの事態にどう対処するのか。
一度はコチラから接触することを試みようと、一応、決断した。
だが、時間が経つとその決断も揺らいでいく。
すべきなのか、それともしないほうが良いのか、その判断に再び迷いが。
このまま一人で考えていても埒が明かない。同じような力を有する麻実に相談を持ち掛けようかとも考えてしまうのだが、それを行ってしまえば人生初の修学旅行を満喫している人間を、自分と同じように悩みと不安の沼に引きずり込んでしまう危険性を孕んでいる。
結局、美月はそのことを一切口にせずにいた。
己一人で、モゲタンもいるのだが、解決をしようと。
それがまた不安を増大させてしまうことに。悩みの沼により深く嵌ってしまうことに。
こんな精神状態では、ちょっとだけ楽しみにしていた旅館の夕食も楽しめないは当然。それなりに美味しいはずなのに、味気ないものになってしまった。
京都の修学旅行の夜といえば新京極は定番だった。
もちろん、美月達の学校の行程にも組み込まれていた。
夕食後に、新京極へ。
不安を抱えたままでは楽しめないのは十分に承知している。
だから美月は、何らかの事情を自身の中で構築して、平たく言うと嘘をついて、新京極には赴かずに一人室内で待つことも考えた。
が、考えただけで実行に移していない。
一人だけ行かない、別行動をとるというのは、周りにいらぬ心配をかけてしまう。それは美月の望まないもの。
みんなにはこの修学旅行を楽しんでほしい。良い思い出を作ってほしい。
だから不安を抱えたままで行くことに。
日中の制服姿とは異なり、新京極ではジャージで。
そんな中美月は新京極でも常に警戒を。
そんな美月をよそに盛り上がっている。
「なあなあ、やっぱり修学旅行のお土産の定番いうたら木刀やろうな」
「そんな男子じゃないんだから」
「えー、女子も木刀を買ってもいいと思うんだけどな。けどさ、木刀よりも模造刀のほうがかっこ良くないかな」
「違うわよ。旅行のお土産の定番はペナントよ」
はしゃいだ声で麻実が宣言するように。
「ペナントって何なの?」
未知の言葉、というか土産物に靖子が首を捻る。
「知らないの、靖子?」
「あっ、あたしも知らない」
と、文が追随。
「それじゃペナントを知らない二人のために教えてあげるわ。ペナントというのはね、三角形の旗に地名や風景が描かれたものなの。シロと知恵はもちろん知っているわよね」
「まあ一応知ってるけど、それを現代の女子中学生に求めるのはちょっと酷やで麻実さん」
知恵が笑いながら言った後、少々反応が遅れた美月が、
「……知ってはいるけど、買ったことはないかな」
稲葉志郎の実家の食卓の壁には、彼の父親が高校時代に購入し、そして長い年月によって色褪せてしまったものが貼られていた。
「じゃあシロは何を買うのよ?」
腰に手を当てて怒ったような仕草をしながら麻実が言う。
「……えっと……」
突然の詰問に美月は困惑してしまった。
不安があって楽しめていない。正直お土産を選ぶような心境ではなかった。
だからみんなの後について、店先を眺めるふりをずっとしていただけ。
思いつかない。
けど、このまま黙ったままでいることもできない。
昔に、十数年前に来た時に購入したものを思い出そうと努力する。
あの時はたしか、木刀を買おうとしたけど結果止めたはず。そして購入したのは……。
「……キーホルダーかな」
予算のとの兼ね合いでキーホルダーを購入したことを思い出す。
「美月ちゃん、今時キーホルダーって」
「せめてストラップにしようよ」
「……それじゃあ、私と一緒の……お揃いで何か買わない」
実らぬ恋とは知りつつも、好きな人とお揃いの物を持ちたい。そんな乙女心全開の想いを靖子は緊張しながらも口に。
「別に構わないよ」
何か絶対に購入しないといけない土産があるでもなし、桂からもお茶と千枚漬けを買ってきてくれと頼まれているくらいだし。
「ほんと。……じゃあ、喜んでくれるような物を選ぶわね」
顔を少し赤らめ、嬉々とした声で靖子が美月の手を取り、近くの土産物屋へと駆け出そうとした瞬間、
「ちょっと待ったー」
と、麻実の声が飛ぶ。
「二人だけでお揃いいうのはアレちゃうか」
「そうだよ。どうせだったらみんなで同じ物を一緒に買おうよ」
新たな提案が。
この提案に靖子は考え込んでしまった。そして……
「……分かったわ。全員で一緒の、記念に残るような物を買いましょ」
と、折れた。
そこには恋愛も大事だけど、友情も大事という想いが。
「それじゃ行くわよ」
麻実の号令で揃いの物を探しに歩き出す。歩きながら、楽しそうに何を選ぶか相談をしている。
その様子を美月は微笑ましく思いながら見ていた。
不安は美月の中から消えていた。
しかし消えていたのはほんの一瞬だけ。美月の中に再び、あの音が聞こえた。
(いるのか?)
脳内でこの音が鳴っているのは近くに同じ力を持つ者がいる紛れもない証拠なのだが、美月は脳内で思わずモゲタンに訊ねてしまう。
〈まだ遠いが、近付いてきているのは確かだ〉
モゲタンの冷静な声。
落ち着いた声が冷酷な真実を告げる。
ずっと警戒はしていたものの、できれば接触は避けたいのが偽りない心境。
それなのに……。
〈どうする、コチラから接触を試みるか?〉
あの時は、一度は覚悟して接触を試みようとした。しかし、時間の経過とともにそんな覚悟は萎んでしまっている。
どうすべきなのか?
無理に接触しなくとも、また離れていく可能性もある。昼間はそうだった。だが、今度もまたそうであるという確証はない。
美月が判断に迷う。
〈接近速度が速い。これはおそらく交通機関を利用しているのかもしれない〉
(そうなのか?)
〈能力を使用しての移動であった場合はより明確に感知できるだろう。だがこの反応は明確ではない、つまり能力は使用していないと判断できる。しかし、通常の移動速度よりもかなり速い速度で京都市内を南から北へと進んでいる。地図と照らし合わせると地下鉄に乗車している可能性が高い〉
(なら、そのまま乗り続けて俺から離れていく可能性も高いよな)
〈可能性だけならば、その公算が大きいだろう。しかし、気にし続けるよりも、思い切って接触を試みたほうがキミの精神にとって良いと判断するのだが〉
気に病むよりも、行動を、とモゲタンのアドバイス。
しかし、美月は悩む。
成り行きに任せてしまう。自分では判断ができずに相手任せで、匙を投げてしまうのか。それとも、一か八かで賽を投げるのか。
〈こっちの方角へと進行しているぞ。確実に接近しているぞ〉
モゲタンの声が脳内に飛ぶ。
この声を聞いた瞬間、美月は腹をくくった。
接触を試みることに。そしてコチラには敵意が全くないことを伝える。穏便に事を済ませる。
仮に、話が全く通じない相手だった場合は、万が一にも争いになった場合は、できるだけ周囲に被害を出さないようにする。大惨事を巻き起こしてしまい、修学旅行を中止にしてしまうなんていう事態は絶対に避ける。
ほんの数歩だけ前を行く四人の楽しそうな背中を見ながらそう思う。
「ゴメン。さっきのお店で文尚さんから頼まれた物を買い忘れちゃった。買ってくるから先に行っていて」
決意を行動に移すためにはみんなからは離れないと。とくに麻実、彼女は精度の差こそあれ、美月と同じ力を有している。ある程度の距離まで接近したときには気が付いてしまう。
距離をとるための咄嗟の言い訳に、桂の兄の文尚の名前を使用する。
「それならみんなで行こか」
という知恵の言葉に、
「それは悪いから、一人で行ってくるから。みんなは記念に買うものを選んでおいて」
そう言い残し、美月は反転し背中を向けて走り出した。
夜の繁華街、しかも観光地、人が多い。
その大勢の人の間をかき分けるように、ぶつからないように細心の注意を払いながら美月は脳内の信号の発する方向へと。
音が大きくなっていく。近付いている証拠。
〈近くにいるぞ。目視可能な距離だ〉
モゲタンの声が。
美月は足を止めた。周囲を伺う。
反応のする方向へと目を凝らす。
大勢の観光客の中で、一人の外国人男性へと美月の目がいく。
「あの人なのか?」
〈おそらく、間違いないだろう〉
浅黒い肌の色に濃い顔立ち、中東系の特徴の出ている顔だった。
てっきり同じ日本人だとばかり思っていたから、美月は少しだけ呆気にとられそうになったが、すぐに思い止まる。
美月は男の方へと一歩、また一歩と歩み寄る。
男もまた美月へと静かに近付いてくる。
二人の距離が縮まっていく。
あと数メートルという所で互いの足が同時に止まった。
対峙するような形に。
相手はともかく、美月が動けなくなってしまったのには理由があった。
まず一つに、これ以上近付いて不意な攻撃を受けてしまった時に反応するため、いわば安全な間合いを確保したためだった。そしてもう一つは、予想外の外国人、話して理解してもらおうと考えていたのだが、言葉が、日本語が通じるのか? 中学レベルの英語ならばテストである程度の点数を取ることも可能になったが、会話となったら。日常会話程度ならばなんとか可能かもしれないが、自身の複雑な事情を説明する術なんて持ち合わせていない。
ならばいっそのこと、麻実の時と同じようにナノマシンを介して相手の脳内に直接情報を送り込もうか。となると、もっと接近しないと。
美月がそんなことを考えている間に、相手が先に動いた。
動いたのは身体でなく、口。
「君は秋葉原の……最初のデーモンなのか?」
顔に似つかわしくない流暢な日本語が飛び出した。




