女子中学生、西へ 3
この警告音はデータ出現を知らせるものではなかった。
だが、美月は以前にもこの音を聞いていた。秋葉原、それから名古屋で。
この音は近くに、同じような力を持つ者がいることを知らせる音。
近くにいるのか、と美月は反射的に身構え、周囲を警戒した。
最初にこの音を発して近付いてきた少年は、美月に対して敵意をむき出しにして襲い掛かってきた。
二度目の発信者である麻実も、最初の邂逅は最悪に近いものだった。
二度あることは三度ある、かもしれない。
また襲われてしまうのではという不安が美月の中で生じる。
〈そんなに警戒する必要はないだろう。麻実の時のように上手くいく可能性もある。それに以前も言ったと思うが、あの少年はバグのようなものだ〉
美月の左手のクロノグラフモゲタンが脳内で助言を。
たしかに麻実とは分かり合うことができ、そして今では仲良く過ごしている。
秋葉原の少年はモゲタンの説明によると何らかの事情で壊れてしまい、美月の力を奪おうとしてあのような行動に出たらしい。
となると、警戒を解いてもと、美月は考えるが、できなかった。
これまでの事例は二つ。そのうちの一つは最悪な結末に。もう一つも結果は上手くいったものの、そこに至るまでの過程は順風満帆とはとてもいえないようなものであった。
無警戒で接触した結果、それが要因で戦闘になってしまう可能性も十二分にある。
なんせこれまで経験した二例はともに戦闘状態に陥ってしまった。
そうなったら京都に被害が。修学旅行どころではなくなってしまう。
警戒しながら前方で楽しそうに知恵と文、靖子と楽しそうに話しながら歩いている麻実の背中を見る。
この様子ではどうやら麻実はまだ気が付いていないようだった。
(なあ、このシグナルの持ち主は俺達のことに気付いていると思うか?)
〈それは分からない。だが、麻実はまだ気付いていないことから推察してみると、おそらく相手との距離があるだろう。これまでのデータ回収によって君の能力は当初よりも飛躍的に向上している。それは探索能力もだ。向うが君と同レベルの能力かそれ以上のものを有しているのならば、コチラに気付いているだろうが、そうでない場合はまだだろう。そしてこの音は小さい、相応の距離がある証拠だ〉
モゲタンの説明を聞きながら、それでも足を休めずに、美月は考える。
(なあ、これまでに京都でデータが出現したということはあるのか?)
〈しばし待て。……ワタシの知る限りではなかったし、情報を検索してそれらしい事例がなかったか調べてみたが皆無だ〉
(……そうか)
だとしたら相手はこれまで全くデータと会うことなく運良く安寧とした日々を過ごしてきたか、または自分たちと同じような旅行者。
京都という観光都市には世界中から人が集まる。
美月の思案は続く。
相手も観光者だとして、このままニアミスで済むのなら別に構わない。
だが、絶対にそうと言い切れない。断言できるだけの情報が全くない。
そして、その可能性は低いだろうが、もしかしたら好戦的な人物かもしれない。
美月の迷いは深くなる。
〈ならばいっそのこと、コチラから接触を試みるのはどうだろうか?〉
思案を続ける美月の脳内にモゲタンの助言が。
相手のことが全く分からない状態であれこれと考えていても埒が明かないのはたしか。
助言に従い、思い切って接触し、敵対する意思がないことを相手に伝える。胸襟を開いて、話し合いを。全てを赤裸々に伝えればきっと分かってくれるはず。
そんな理想論が美月の中に。
すぐに、それを否定。
コチラが話し合いを求めても、相手が応じてくれない公算の方が高い。なにせ、データ絡みの話し合いで解決したという成功例が美月にはなかった。
つまり、失敗のイメージしかない。
そんな状態で、次こそは絶対に成功する、上手くいくという、安易な考えは持てない。
〈近付いてるぞ〉
美月の脳内の音が先程よりも大きくなった。
見知らぬ相手との距離はまだありそうだが、このままだとそう遠くない未来で接触してしまうことに。
先を行く麻実の背中をチラリと見る。
相変わらず楽しそうに、はしゃぎながら歩いている。
この様子ではまだ気付いていないはず。
麻実が気付く前に事態解決を、収集を。
だが現在修学旅行の団体行動中。勝手に抜け出して単独行動なんか許されない。それでなくとも今日はもうすでに二度も注意を受けているのに。
〈どうする?〉
モゲタンが決断を求めてくる。
美月は決められない。
接触を試みて、話し合いに成功し、互いの境遇を理解することができたならば、それに勝ることはない。だが、世の中そう上手くいかないことを知っている。話し合いで全てが解決するのならば戦争なんていう行為はとうの昔に歴史上から消えているはず。それなのに未だに世界のアチコチでは戦闘が行われている。
まだ美月の中で考えがまとまらない。
それが無意識な動きを。
「シロ、ほら早く」
楽しそうに話していた麻実が不意に足を止め、振り向きざまに美月に急ぐように促す。
いつの間にかみんなとの距離が開いていた。考えごとをしている間に歩みが遅くなっていた。
「楽しみにしていたんでしょ、坂本龍馬の銅像を見るの」
明るい声で麻実が言う。
気付いていない、と美月は思った。
二つの意味で。一つは同じ力を持った者の接近。そしてもう一つは、それに対してどう対処しようか思い悩んでいることに。
気付いていないのならば、余計な心配をさせてしまうのは。それではせっかくの修学旅行が楽しめなくなってしまうのでは。
ここは一人で、モゲタンもいるが、事態の解決を。
美月は持ち前の演技力を駆使して表情を作る。といっても、今更楽しそうな笑顔を取り繕っても変に怪しまれてしまいそうになりそうだったから、現状の思案中のちょっとだけ険しい顔をほんの少しだけ柔らかくして、
「……楽しみにし過ぎて緊張してきちゃった」
という、嘘を。
「何や美月ちゃんでも、そんな緊張するんか」
「珍しいね」
「でも、そんな美月ちゃんの顔もまた良い」
他の三人も歩みを止めて美月の元へと集まってきた。
と、同時に脳内の音も大きく。
さらに近付いて、接近してきている。
このままだと直に麻実も気が付くだろう。
気付いてしまったら、初めての修学旅行で楽しそうにしている顔が曇ってしまうかもしれない。
それは過保護、考え過ぎなのかもしれないが、こんなにも楽しそうにしているのを台無しにしてしまうのは忍びない。
美月は決断した。
(こっちから接触する。それで俺は上手く説明できる自信がないから、麻実さんの時と同じように、俺達の事情をある程度隠さずに相手の脳内に送ってくれるか)
麻実にはナノマシンを使用して、自らの情報を全て開示した、晒さなくてもいいものまで、経験があった。
今回もそれを。元男であることは隠して。
〈了解した。すぐに向かうのか〉
(いや、ここだと人目につく。何処かに隠れて、そこから跳躍で接近する。できれば、触れる位置まで一気に跳べればいいんだけどな)
周囲にはクラスメイト、学校関係者以外にも観光客が多数。
〈それは難しいかもしれない。……待てよ、短距離を連続して跳躍すれば上手くいくかもしれない〉
(ならその案で。行くぞ)
〈ああ〉
「……ゴメン。ちょっとトイレに行ってくるから。先生にも言っておいて」
あと少しで念願の坂本龍馬の銅像が見られる、という後ろ髪を引かれるような思いをしながら美月はトイレに向かって走り出した。
走りながら未練を打ち払う。
素早く行って帰ってきたら見られるはず。無理だったとしても、また今度桂と一緒に京都旅行を計画して来たらいいだけ。昔と違って時間も、それから資金も一応あることだし。今は自分のことよりも平穏な修学旅行を。
トイレへと到着。
先程よりも音が小さくなっていた。
「これって?」
〈ああ、遠ざかっている〉
個室に入ってすぐにでも跳ぶつもりでいたのだが、様子をみることに。
美月の脳内の音は次第に小さく、そして消えていった。
「離れたのかな?」
〈キミの探知能力の外に出た。どうする、追いかけるか? まだそう遠くは離れていないはず。今すぐに跳べば接触できると思うが〉
「いや、ここでしばらく様子を」
無理にこちらから接触する必要はない。それに、もしかしたらまた近付いてくる可能性も。
脳内に響くはずの音に神経を集中する。
短いのか、それとも長いのか、分からないような時間が過ぎていく。
その後、美月の頭の中であの音は鳴らなかった。
このまま籠っていても仕方がない。美月はトイレから出て、クラスのみんなと合流。
合流したのはいいが、楽しみにしていたものは結局見ることができず、そのまま円山公園を後にすることに。




