ばんがいへん 7
美月は携帯電話の向こうの美人の落ち込んだ声を聞いていた。
美人が落ち込んでいる理由は、紙芝居でのことだった。
ショッピングセンターでの紙芝居の上演の合間に、一人トイレに向かう途中で若いお母さんから「貴女の大きな声のせいで赤ちゃんが泣いちゃったじゃないの」という、クレームを受けたらしい。
そのことが非常にショックだったらしく、その後の上演はグダグダに。周囲の大人がフォローしてもあまり効果はなく、そこで美月に話を聞いてあげて欲しいという依頼が。
色々なことを加味して美月は美人からの電話を待つのではなく、こちらからかることにした。
心配だった。もしかしたら、紙芝居を、芝居を辞めてしまうのでは、と。
もちろん、続ける、辞めるは、個人の意思だ。他者がどうこう言うものではないことは十分に理解している。
しかし、クレームが原因というのはやるせない。
もしかしたら出ないかもしれない、そんなことを考えながら電話をかけたのだが、美人はすぐに出た。
最初からクレームの件を。
遠回しに、徐々に外堀を埋めていく、悩みを聞いていくという方法もあるのだが、そんな芸当は美月にはできない。
だから、直球で。まずは事の仔細を直接話してもらう。
一応どんなことがあったのかは事前に聞いていた。しかし、それは当事者の言葉じゃない。
もしかしたら、美人を辛い思いにさせてしまうかもしれない、と一瞬美月の頭の中にそんな思考がよぎったが、すぐに話すことによって、言葉にすることによって、楽になるかもしれないと思い直す。
始めは話すことを渋っていたが、美人が少しずつ語り始める。
その音は暗かった。
一方の主張だけで、事の善悪を判断するという愚かな行為はしたくなかった。場合によっては美人を、大人の義務として、差し出がましく、喧しく思われようが、諭すつもりでいた。
だが、そんな美月でも美人の話を聞いていると憤りを覚えてしまう。
理不尽だ。
ショッピングセンターでどのように紙芝居の上演が行われているのか、美月は知っている。
美人の話を聞く限り、そのクレームを入れたお客さんは紙芝居を観ていたわけではない。離れた場所で買い物をしていた。
それに上演は美人一人がしていたわけではない、師匠も一緒だった。
正月以来紙芝居を観ていないので美月の憶測になってしまうが、どう考えても美人の音量があの師匠である紙芝居のお兄さんを上回るとは思えない。
大人である師匠ではなく、未成年の美人に文句を言う。
弱者を装った、弱い者いじめのように思えた。
そんな言葉は気にする必要なんかない、と言おうとしたが美月は思い止まる。
正論で、美人の沈んだ気持ちが浮上するようならば何も美月に助っ人なんか依頼しないだろう。
落ちた気持ちが浮上するような言葉を考える。
美月はしばし考えた後、
「クレームを受けて良かったんだよ」
『……美月ちゃん……酷いよ』
携帯電話の向こうの声はより沈んだ暗いものに。
「離れた場所にいて、紙芝居を観ていない人間が煩いということは、美人ちゃんの声が以前よりも大きくなったということ」
『……えっ』
「つまり成長しているという証拠だよ」
以前の美人は小さくて細い声だった。
それが、良いか悪いかは別として、クレームが出るほどの音量に。これは紛れもなく成長した証。
『でも、せっかく上手になってもクレームなんか受けたら迷惑をかけちゃう』
褒めたが、まだ意気消沈している音だった。
「迷惑だなんて絶対に思っていないよ。酷い大きな音だったら、ちゃんとあの人が指導してくれるはずだから。それにショッピングセンター側からも小言もあるはずだし。そんなことはなかったんでしょ」
『……うん、多分』
「だったら大丈夫」
『……美月ちゃん……』
「後さ、もし仮に、本当にうるさくて周囲に迷惑をかけていたとしたら、今度から音量を調整すればいいんだよ。大きな音を出すのはすごく大変だけど、それよりも小さい音を出すのは簡単でしょ」
昔、エキストラの仕事を始めた頃。運よく台詞をもらい、舞台の音量で声を出し、音声さんに怒られたことを思い出しながら話す。
『ありがとうね』
もう携帯電話の向こうの声は暗く落ち込んだものではなかった。
明るい、軽やかな音に。
その後は、美人が春休み中に師匠に知り合いの劇団の舞台公演の手伝いの顛末を聞いたり、GWにはこれまた知り合いのアクションショーの手伝いで司会のお姉さんに挑戦するという報告を受けたり。
美月も、知恵達とまた一緒のクラスになったことや、近況を。
楽しいおしゃべりに。




