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ドキドキ、新生活 8


 あの落ち込んでいた日々が噓みたいな幸せをかつらは感じていた。

 大好きな彼の消息が秋葉原あきばはらの地で消えて絶望しかなかった。目の前が真っ暗に閉ざされたかのようだった。そこから救い出してくれたのは小さな天使。どういった経緯で預かるようになったのかは思い出せないが、そんなことは些細なことだった。そばに誰かがいてくれるだけでも、帰る部屋に電気が点いていることも嬉しいのに、それだけではなく美味しいご飯も作ってくれる。幸せな気分だった。

 この可愛い同居人は幼く、口数も少ない、けど何かと気を使ってくれている。それが分かる。これではどちらが保護者なのかと反省することも多々あった。

 大切で大事な幼い従妹のために、どんな辛い仕事も頑張れるような気がした。こんな風に思うのは人生で二度目だった。

 一度目の時の彼はいない。

 また悲しみで落ち込みそうになるが、自力で奮い立つ。彼のことを思いだして落ち込むと、可愛い同居人もなぜだか顔が曇ってしまう。だから悲しい顔は見せないようにした。

 新学期に向けて仕事が多い。残業になり、帰宅が遅れる。少しでも早く帰宅したかった。同僚の呑み会の誘いも断り、桂は満員電車へと飛び乗った。


 食事の準備をするのが楽しかった。

 必要に駆られて自炊をしていた頃はそんな気分なんか一切なかったのに、桂と一緒に暮らすようになり、食後にいつも「美味しかった、今日もありがとう」。この言葉を貰えるのがこんなに幸せなことだとは想像もしていなかった。

 美月みつきは張り切って夕食の準備に取り掛かった。

 ついさっき帰宅すると電話をもらった。そこから逆算する。

 晩御飯のメニューはもうすでに決まっていた。材料もすでに買い揃えてある。

 後は調理するだけ。

 本日の晩御飯は中華。得意の炒飯に、回鍋肉、後は中華スープ。

 肉と野菜を火の通りが良いように均等に切っていく。

 稲葉志郎であった頃はこの下ごしらえの作業がけっこう雑だった。しかし、美月の姿になってからはモゲタンのアシストもあり、丁寧に、更に均一に切ることが。

 桂に美味しく食べてもらいたいという欲求もあるので、一人の時には絶対にしなかった手間も惜しまずにする。

 後は炒めるだけ。ここで一旦作業を中断する。

 仕上げは桂が帰ってきてから。熱々のものを食べてほしい。

 テレビを点ける。面白そうな番組がなかったから消去法でNHKに。

 交通情報を知らせる音が鳴った。画面の上にニューステロップが。

 桂が通勤帰宅で使用している路線で原因不明の停車が。

 おそらく桂の乗っているはずの電車も線路のどこかで停止しているはず。

 虫の知らせ、悪い予感のようなものが美月の中に。

「なあ、これってまさか……」

〈確証はない。が、その可能性は高いと思われる〉

 このところずっと静かだったのに。それが突然。しかも、桂の乗っているかもしれない電車の近くで。

 気が気でなかった。万が一という可能性だってある。

「行くぞ」

〈了解した〉

 玄関から靴を持ち出す。その靴をベランダで履き、暗い夜空へ飛び出した。

 美月が飛び出した数分後に電話のベルが無人の部屋に鳴り響いた。


 誰かが待っている部屋に帰るのは思ったよりも幸せなことだった。

 それに出迎えてくれるのは天使のような美少女で、おまけに美味しい晩御飯も作ってくれる。

 今日の晩御飯は中華と言っていた。

 桂は太りやすい体質だった。だから、極力油の多い食事はセーブしたかったけど、幼い従妹が自分のために作ってくれるものを絶対に残すわけにはいかない。それに本音を言えば好物の一つでもあるし。

 そこまで考えた桂の脳内に一つの疑問が。

 一緒に暮らすようになった美月に好きな食べ物のことを話した記憶がまったく思い当たらない。

 彼には話した記憶はあるけど。

 思い出そうと努力してみるけど空腹が邪魔をする。お腹がすいて考えられない。 

 だったら、どうでもいいことなのかもしれない。

 今は幸せなのだから。

 再び晩御飯へと思いを馳せる。

 口の中がいつの間にか唾液で一杯に。油断すると口から漏れ出そうに。

 幸福な、至福な思考に急停止が。

 止まったのは思考だけでなく、乗っている電車もだった。

 もう駅に着いたのだろうか、窓から外を見るとそこにホームの影も形もなし。

 車内にアナウンスが流れた。

『お急ぎのところ、誠に申し訳ありません。只今線路上でトラブルが発生しており、停車しております。しばらくの間お待ち下さい』

 乗客数のわりに静かだった車内が騒然となった。

 本来ならば使用が禁止されている携帯電話を取り出し、話し始める人の姿があちらこちらで。

 桂はそれを見て悩んだ。自分も美月に連絡を入れるべきだろうか。駄目な行為であるという認識はあるが、かけて安心させておきたい気持ちもある。メールで連絡できればいいのだが美月は携帯電話を持っていない。自宅のパソコンもあまり使用していないから送っても気付かないだろう。逡巡しながら結局かけることに。周りもしているのだから、私もという小市民的な思考で。

 受話器の向うにコール音が響いた。いつもなら数回のコールで美月は出るはずなのに、いつまで待っても出ない。一旦切る。もしかしたらトイレにでも入っていて電話に出られないのではないかと考えた。時間をおいて、またかけよう。五分後、また出ない。

 十分後、まだ出ない。

 不安が波のように押し寄せてくる。

 そんなに心配しなくても大丈夫。美月ちゃんは私なんかよりもしっかりしているから。そんな風に考えて不安を自分の中から押し出そうと桂は必死に努力する。

 しかし、不安は全然消えてなくならない。より一層に強くなっていく。

 彼がいなくなった時も全然連絡が取れなかった。

 不安が、不安を増殖させていく。

「出て。……早く出て、美月ちゃん。……声を聞かせて安心させて」

 呟きながら携帯電話を操作し続けた。


「変身するぞ」

 ベランダから飛び降りた瞬間、美月は小さく言う。

〈了解した。しかし、今はまだ変身しなくても。遭遇してからで遅くないのでは〉

 モゲタンの指摘はもっともであった。

 だが、あの姿で移動すれば目立つかもしれないが正体がバレる心配は皆無。

 それに能力も向上するから移動速度も速くなる。

 桂が何時帰宅するか分からない。空振りに終わったとして、万が一虫の知らせが当たったとしてさっさと終わらせたい。

 美月は魔法少女もどきへと変身した。

 線路沿いの道路を走るわけにもいかないので、街道沿いの電信柱の上を跳びながら移動する。

 悪い予感は当たった。

 かつて聞いたことのある警告音のような音が美月の中で大きくなっていく。

 駅三つ分移動した所で立ち止まる。美月は電柱の上に。

 沿線は住宅街なのに騒がしくなってきた。

 大勢の人ごみの中で異様な物体が線路上に浮上していた。

 その姿はまるで逆さまの胎児、いや勾玉のようだった。

 浮かんでいるのはそれだけではない。その周辺を薄い円盤が数枚周回する。

 円盤の軌道が線路の電線を切断していた。

「こいつなのか。こないだのとは全然違うぞ」

 形状が全く異なっていた。

 何かを取り込んでいるというのではなく、一から独特の形状を作り出しているような姿。

〈異なるタイプのデータだ。分かりやすく説明するならば前回のより進化したタイプのデータだ。前回遭遇したのは寄生して暴れるだけだったが、今回のは危険だ。自己で判断をしてその身体を進化していく〉

 モゲタンが簡単な説明及び、注意を。

 たしかに異なるのは姿だけではなかった。暴走して周囲に危害を及ぼしていた前回と違い、今回はそこに浮上しているだけ。電線を切り、電車を停めてしまい、大勢の乗客に迷惑をかけている以外には破壊活動を行っていない。

 が、このまま放置しておくわけにもいなかい。

「どうする?」

〈データを回収するまでだが〉

 モゲタンの言う通りにしなければ、稲葉志郎には戻れない。そんなことは言われなくても理解している。

 しかし、この人だかりの中で正体がバレないとはいえ派手な行動を、もしかしたら前回以上の戦闘を行うわけにはいかない。

〈君の意図することを理解した。あれをここから引き離そう〉

「できるのか?」

〈分からない〉

 思案にくれてしまう。現状被害は線路上に存在し、電線を切断し、電車の運行を妨げているだけ。

 下手に刺激して、事態をおかしくするのは悪手。

〈来るぞ。警戒しろ〉

 勾玉状の物体が美月の存在に気が付いたのか、ゆっくりとした速度で接近してくる。攻撃を仕掛けてくるような気配は感じられなかった。

 今の間に線路から離れようと美月は考えた。このまま、この場所で戦闘を開始してしまったら大小を問わず、必ず線路を傷付けてしまう。多くの帰宅困難者を出してしまう。

 桂もいつ帰れるか分からない。

「ここから離れるぞ」

 線路から美月は離れた。その後を勾玉状の物体が追いかけてくる。敵と認識されたかは定かではないが興味を持たれたのは確かのようだった。住宅道路沿いに建つ電信柱の上を、距離を保ちながら移動する。

「この辺りでどこか暴れても大丈夫そうな場所はないのか」

 独り言のように言う。線路から離れても周囲には多くの住宅が建っている。この場所でも戦闘はできない。もっと人気の無い所に移動したいのだが、生憎土地勘がまるで無い。どこに連れ込んで回収すればいいのか、まるで分からなかった。

〈この近くに広い場所がある。そこに誘導できれば気兼ねなく戦えるだろう〉

 何時の間にこの周囲の土地の情報を収集していたのか、モゲタンが美月に指示を出した。

「それでどっちに行けばいいんだ」

〈案内する〉

 美月の脳内に架空の地図が広がる。モゲタンが指示するのは、ここから二キロほど北上したところにある広いゴルフ場だった。今は夜、ラウンドを楽しむ人間はいないだろう。それにそれだけの広さがあれば大きな戦闘になって地形が変化するようなことはあっても人的被害は回避できるはず。このまま付いて来てくれることを期待しながら美月はゴルフ場へ移動を開始した。

 思惑は成功した。勾玉状の物体をゴルフ場へと誘い込むことができた。

「さてと、これからどうする?」

 勾玉状の物体は依然攻撃を仕掛けてくるような気配は無い。美月と対峙したまま空中に静止していた。まるで同じく異形な存在である美月を観察しているようであった。

〈データの回収がワタシの責務だ〉

「でもさ、アイツはこのまま放っておいても大丈夫なんじゃないのか。前の時のように暴れまわる様子も無いし」

〈君はワタシの仕事に協力する約束をしてくれた。それは履行してもらう。それに君は安全だと言うが、それはただの現状に過ぎない。今後もこのまま大人しくしている可能性は極めて低いと判断している〉

 モゲタンの言う通りかもしれないと美月は思い直した。前二回は凶暴だった。自己の存在を誇示するように暴れていた。今回の相手は少し種類は違うと言っていたが、本質的なものに変わりはないのかもしれない。

「どうすればいい?」

〈まずはコチラから仕掛けてみてくれ。それで反応を見てみよ〉

「了解」

 足の指に力を入れて地面を強く蹴る。勾玉状の物体との間合いを美月は一気に詰めた。その勢いのまま右の前蹴りを中心部に向けて放つ。

 が、美月の攻撃は周囲を飛ぶ円盤に防がれた。本体に長い脚は届かなかった。勾玉状の物体の全体が光りだした。光は中心部に集まる。次の瞬間、光線がほとばしった。危険を感じ、身を屈めた美月の頭上を光線が通過した。

 どうやら今の一撃で観察の対象から敵へと認識が変化したようだった。

 トンボを切る要領で下から大きく蹴り上げる。これも円盤によって防がれる、が効果はあった。防御の一枚を打ち砕く。二段蹴りの応用でもう一撃、今度は勾玉状の物体に喰らわせようとした。

 しかし、別の円盤が防ぐ。

 円盤は勾玉状の物体にとって強固な、そして自由自在に何枚も動かせる盾だった。

〈駄目だ。単発の攻撃では全て防がれてしまう。もっと有効的に攻撃しなくては〉

「そうは言っても」

 頼りない助言に従い、少し距離をとり、再び詰めて右の回し蹴りを連続で放った。これも効果は薄かった。円盤の破壊には成功するものの他のがすぐ防御する。

 また夜空に一筋の閃光が走った。美月の離れるタイミングを狙って。

「責めたら鉄壁の防御、離れたら遠距離攻撃か。……モゲタン、何か策はないのか?」

〈連続の攻撃を仕掛けるしか手段はないだろう〉

「つまり根競べということか」

 連続で攻撃を仕掛けてみるが全て阻まれる。美月の攻撃はまだ一撃も勾玉状の物体にまでは届いていなかった。しかし、気付いたことがあった。コチラの攻撃にも相手の防御にもタイムラグがある。円盤は瞬間で移動しているわけではない。

 頭の中に一つのプランが浮かんだ。それを実行する。左足を軸にしてバレエのフェッテ、つまり回転をする。右足の指先が円盤に激突する。破壊をするが別のが出てくる。それでもめげずに続けた。姿勢を崩すことなく回り続ける。右足は一寸の狂いもなく同じ箇所を蹴り続けた。回転速度を上げる。その姿は駒のように高速で回転した。それでも防がれる。相手も回転しているような状態になった。軸足が回転で沈み込みはじめた。

「壊れろー」

 怒声を上げながら回転の速度を上げる。円盤を破壊する。別のが来る。これも破壊する。また来る、破壊する。何度も繰り返す。美月の攻撃は徐々に相手の速度を上回った。円盤の防御が間に合わなくなってくる。

 均衡を保っていた両者のバランスが崩れる。美月の回転は前へと進み出た。

 中心の勾玉状の物体をようやく捉える。そのまま蹴り壊す。強烈な回転はデータを木っ端微塵に粉砕した。

〈よくやった。これでデータを無事回収することが可能になった〉

 疲労困憊した美月は、その言葉に応える体力も無かった。


 まだ電話は繋がらなかった。何度もかけ直したせいでバッテリーが消耗してしまった。

 心配が大きくなってくる。お願い、無事でいて。お願い、早く動いて。桂は心の中で祈りながら運転再開を待ち続けていた。

『大変お待たせしました。線路上の異常が取り除かれましたので、これより運転を再開いたします。なお、この電車は予定より二時間遅れでの運行となります。ご了承下さい』

 再会のアナウンスに車内は拍手が起きるが桂の精神はそれどころではなかった。

 駅に到着した電車から飛び降りるように下車した。階段を一気に駆け上り改札を通る。タクシー乗り場には多くの人が列を作っていた。桂はそれを見て自宅に向けて走り出した。運動には縁の無い生活を送っている。すぐに息があがるが脚は止めない。ヒールを溝に引っ掛けて盛大に転ぶ。ストッキングが破れ、膝から血が出ていた。痛みには気づかなかった。ヒールを脱ぎ、また走り始めた。

 マンションの前に着く。住んでいる部屋を見上げると、いつもは迎えてくれる灯りが点いていなかった。均衡を保っていた不安がまた急速に拡大していく。

 部屋の前まで来るが慌ててドアを開けられない。それでもなんとか押し開けて中に入る。

「美月ちゃん」

 美月はリビングのソファーの上でぐったりと倒れこんでいた。あの勾玉状の物体との戦闘の後、ここまではなんとか帰ってきたがそこで体力が尽きてしまった。

「……おかえり」

「良かった、無事で。……心配したんだからね。何回も電話したのに全然出てくれないんだもん……」

 言いたいことはもっとあるけど言葉もうが出てこない。でも、姿を見て少し安心した。

「……ごめん、身体がだるくて」

 美月は本当のことは言えずに適当に言葉を濁した。

「いいの。……こうして、いてくれたんだから。……勝手にどこかに行ったりしないでね」

 桂の声は涙交じりになっていた。返事の代わりに美月は小さく肯いた。たったそれだけの行為なのに桂の中で肥大していった不安を全て霧消させてくれた。安心させてくれた。

 そのまま美月を強く抱きしめた。悲しくないのに涙があふれてきた。そして泣き疲れたのか、それとも緊張の糸が切れたのか桂は美月を抱きしめたまま、いつしか眠りについてしまった。


「……行かないよ」

 美月は小さく呟き、桂の頭を小さな手で優しく撫でた。


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