家族会議+オマケ 4
伊庭美月は悩んでいた。
どうすれば桂を説得できるか、と。
かねてより希望したことがようやく結実しようとした矢先に、桂が傾きかけていた意見を突如翻してしまった。
それでは美月が困るのだ。
このまま桂の意見を尊重して長い髪のままで過ごしても、外見上では何ら問題ない。
しかし、内面の問題であった。
元は男、それも三十路間近の。
一年という時間少女の身体で過ごしてきた。その身体に慣れてしまい、しまいには女の悦びさえ覚え始めてしまった。
このまま死を迎えるまでずっと女としての生を全うするのであれば現状のままで構わない。
だが男に、元の姿に戻れる可能性があり、現在それに向けて鋭意努力中でもある。
だから、身も心も完全に女性化してしまっては困る。
せっかく男に戻ることができても、今度は内面が女になってしまっては。
そうならないために意識しようとしてはいるが外見に内面が引っ張られてしまう可能性を否定できない。
何かしら、確固としたものが必要だった。
それが短い髪、ショートカットだった。
少女という身体の一部に男を想起させるようなものを。
世の中には髪の長い男もいれば、坊主頭の女性だって存在する。髪の長さで性別が決まるわけでもない。にもかかわらず美月が髪の長さに固執したのは、それが一番目につきやすく、美月の中にある分かりやすい男女の比較であった。
なんとかして桂の意思を変移させないと。
そうは考えるが妙案が浮かんでこない。
あの時、時間を置かずに畳み込んでしまえば、もしかして上手くいっていたかもしれないという後悔に少しだけ苛まれつつ、頭を悩ませる。
アレコレと言葉を並べても全て論破されてしまう未来図しか浮かんでこない。
このまま長いままでいくしかないのか、まあそれでも強い意志を持ち続けていれば心まで完全に女性化するはずないし、それに長い方が桂が喜ぶのであればこのままでも。そんな諦めの気持ちが美月の中に蔓延しようとした時、
〈キミの想いを素直に桂にぶつけてみてはどうだろう。存外、その意見を聞けば桂も同意してくれるかもしれない〉
少女の身体に似つかわしくない左手のクロノグラフモゲタンが美月に助言を。
「駄目もとでやってみるか。……まあ多分当たって砕けて終わるような気がするけど」
半ば諦めモードで美月はモゲタンの提案を受け入れることにした。
桂が一度は揺らぎかけてしまった意思を再び強固なものにして、俄然反対したのには理由があった。
自分の髪質が好きではなかった。軽いウェーブがかかっている。真っ直ぐな長くて黒い髪にずっと憧れをいだいていた。
そんな憧れの髪を美月は持っていた。
その美しい髪を色々といじり、アレンジしたりするのは楽しい。
それが代償行為であることは自覚しているが、それでも止められない。
一時の気の迷いで髪を切ることを危うく承認してしまいそうになった。だが、あれは危ない妄想をしてしまった結果。
そんな妄想はもう振り払ってしまったのだから、今後二度と少年のようなショートカットも良いとは絶対に思わないだろう。
したがって、髪を切ること事体には問題はないが、短くすることには断固として反対。
短い髪型では可愛い服も似合わないはずだし。
今後も色々と、昔の自分が着ることができなかった格好をさせて楽しみたい。もっともっと美月を着飾らせて愛でたい。
オモチャにしているかもという罪悪感も無きにしも非ずだが、それでも認められない。
それになんだかんだ文句は出るし、ちょっとだけ嫌がる素振りをみせるけど、それでも選んだ服を着てくれるし。
だからこのままでいいはず。
これが桂の変遷の経緯だった。
夕食後、話し合いが。
いつものようにご相伴に預かりにきていた麻実は、いつもとは少しだけ違う雰囲気を察知して、そそくさと自分の部屋へと退散しようとしたが、異なる意見の二人だけではもしかしたら場が険悪になるかもしれないということで、中立の立場として残ってほしいとお願いされる。
かくして、美月と桂の議論が開始される。
まずは桂の先手。
「短いのも可愛いとは思う。けど、断然長い方が合っている。私もそっちの方が楽しいし」
「それに短くしたら、服の大半を買い直さないといけなくなるかもしれないよ。だってロングヘアーで想定して買った服ばかりだから」
「この先首元が熱くなって嫌だと言うなら、私が腕によりをかけてアレンジして涼しくしてあげるから」
「ショートにすると普段は楽になるかもしれないけど、ロングの時よりも頻繁に美容院に通わなくちゃいけないかもしれないわよ。ロングのままだったら、私が時々切ってあげればいいんだし。経済的観念で見たら現状のままの方がお得だって」
本当はもっと長く話したのだが、桂の主張の一部を抜粋し要約すると今のものになる。
これに対して美月は、
「意外と短い方が合っているかもしれないぜ」
「どのみち、今まで着ていたのは小さくなったから買い直さないと」
「桂も忙しいのに、俺のことでそんなに手間をかけさせるのは悪いし」
と、反論し、最後の経済的な問題については、
「それについては考えてなかったな」
「でしょ。稲葉くんあんまり美容院に行くの好きじゃないよね。だったら、やっぱり長い方が良いんだよ」
と、反撃の余地を与えてしまった。
そのまま桂が攻勢をかけようとした時、美月の会心の言葉が。
「……長い髪の方が桂が喜んでくれるのは分かっている。けど、この先もずっと少女然とした姿のままだったら、俺は中身まで女の子になってしまうんじゃないかって恐れているんだ。だからどこかに男だという部分が欲しい。けどこの身体にはそんな個所なんか存在しないから。だったらせめて短い髪にしようと思ったんだ」
心情をそのまま吐露する。
単に長いのが嫌、それが髪を切りたい理由と思っていた桂は驚いた。
そんな気持ちでの発言だったんだ、と。
しかしながら、そうと分かってもまだ切ることを承諾できない。長い方が良いという自身の意見を曲げられない。
平行線のまま時間だけが無駄に過ぎていくかと思われたが、意外な場所から救いの声が。
それは第三者としてこの場にいる麻実……ではなく、美月の左腕のクロノグラフモゲタンから。
美月にしか聞こえない声で助言が。
「モゲタンからアドバイスなんだけど、試してみたらどうだろうか? って。それで桂が気に入らなかったら一瞬というのは無理だけど、通常の数倍の速さで髪を伸ばすことも可能だって」
「……それなら」
この言葉に桂は同意しようとした。
何が何でも絶対に長い髪じゃないと駄目ということはない。仮に、万が一失敗してもすぐに伸びるのなら問題はない。
桂の脳裏にちょっとだけいけない妄想が。
「あ、でもちょっと待って。切るのはいいけどもうちょっと長い髪を堪能したいな」
速く伸びるとはいえしばらくの間は長い髪を愛でることができない。
「ならさ、誕生日か新学期に合わせるというのは」
美月の誕生日は中学二年生にしては身体が小さいことを考慮して三月三十一日と設定し、偽装した書類関係にもそう記載していた。
「それならいいわよ」
ということで、話し合いは美月の意思を尊重することに。
「これさ、別にあたしがいなくてもよかったじゃん」
話し合いが終わりいつものように仲良くしている二人を見ながら麻実が一人呟いた。
小ネタ、ショートの話が続きます。




