Girl M not
一周年です。
「まさか、こんな事になるなんて」
鏡に自分の姿を映しながら美月は大きな溜息とともに今の言葉を外へと吐き出した。
〈申し訳ない、キミをこの姿にしてしまって〉
左手のクロノグラフモゲタンが美月に謝罪の言葉を。
去年まで美月は、稲葉志郎という三十路の売れない役者だった。それが秋葉原で起きた惨劇のおり、モゲタンによって年端もいかない美少女へとその姿を変えられた。
「……うん……ああ、そうじゃない。まあ、こんな姿になってしまったのは正直あれだけど、けどまあお前のおかげで死ぬことなく桂とこうして一緒に暮らせているんだから」
不幸にもあの時多数の犠牲者が出た。
惨劇に巻き込まれてしまい、姿が変貌したこと事体は不幸なことなのかもしれない。だが、生を永らえることができたのはモゲタンの能力のおかげであり、それを幸運に感じていた。
〈ならば、今の溜息の理由は?〉
「コレに慣れてしまうとは自分でも思わなかったからな」
鏡に映る自分の姿を見ながら言う。
〈少女の姿にか?〉
「いや、それもあるけど、それよりもこの格好に」
現状の美月は上半身には淡いピンクのブラジャー、そして下半身はお揃いのショーツ。
つまり、下着姿。
かつて男であった身としては、女性用の下着を身に着けるということには若干の抵抗があった。
仕方がなく着用するが、違和感が。この違和感の理由はフィット感。男であった頃にもボクサータイプのパンツを穿いていたのである程度は身体にフィットしていた。しかしながら男の身体には完全なフィットを遮る二つの器官が。それによってわずかに空間が生じている。だが、少女の姿にはその器官は存在しない。それによってより密着感が。女性的な丸みのあるヒップを包み込む収まりが良いはずなのに、なんだか収まりの悪い感覚が。
その感覚も何時しかなくなっていた。
つまり、女性用のショーツに慣れてしまっていた。
と、思ったら今度は上。ブラジャー。
胸のふくらみの成長によってブラを着用することに。
着け始めた頃は恥ずかしさ、煩わしさ、窮屈感、それに意外と溜まる汗の不快感に、着用することを拒んでいた。
それがいつしか着けることが当たり前に。着けないことに違和感がでるくらいに。
このまま身も心も女性化してしまいそうで軽い自己嫌悪を陥ってしまう。
だが、嘆息の理由はそれだけではなかった。
それを解決するためには桂が必要だった。
「おーい、桂。ちょっと悪いけど来てくれないかー」
ドアの向こうにいる桂に声をかける。
「どうしたのー、一人で着替えることができなかったの?」
たしかに今から着ようとしている服は一人で着るのには少々骨が折れるが、呼んだ理由はそうではない。
「違う。とにかく来てくれ」
「うん、分かった」
朗らかな声と共に桂が入室。
が、鏡の前の美月の姿を見て桂は絶句。さらには部屋に入る時には明るかった表情が、一瞬で曇ってしまう。
というのも、桂は自分がリクエストしたゴスロリ風の衣装の後ろボタンを上手く留めることができずに応援を頼むために声をかけたと思っていた。
それがまだ着ていない、ブラとパンツのまま。
これはもしかしたら意趣返しで、あえて下着のままに姿を自分に見せつけ反抗の態度を示すつもりなのだろうか、と桂は美月の心情を推察した。
「……もしかして着るの嫌だった?」
表情同様に沈んだ声で訊く。
その声の奥には、本音はゴスロリ衣装を着た可愛い美月の姿を久し振りにこの目で見たいのだが、本当に嫌なら着なくてもいい。
「いや、そうじゃなくて」
「そうじゃないなら、どうして着ていないの?」
着て欲しいという欲求が声に。
「……合わなくなった……サイズが」
「へぇ?」
間の抜けたような音が桂の口から
「だからさ、小さくなってる。一応着ることだけならば可能だと思うけど」
美月は出来得るならば桂の願いを叶えてやりたいと思っていた。
ゴスロリの服を着ることに若干の抵抗があるのは事実だが、それでも桂の喜ぶ顔が見られるのならば、そんなものはかなぐり捨てるつもりであった。
半年ぶりに袖を通した服は、美月の身体の成長に伴い小さくなっていた。
それでも一応着用するだけならばかろうじて可能かもしれないが、その後行動することは絶対に不可能。至る部分が窮屈で、最悪破れてしまうかもしれない危険性が。
衆目の中、服がはじけ飛んでしまうなんていうマンガみたいなことが起きてしまうかもしれない。
「聞いてる?」
沈んだ表情から呆けた顔になっている桂に、美月が声を。
「……う……うん。……そうだよね、成長期だもんね」
中身はとっくの昔に成人しているけど、現在に肉体年齢は二次性徴真っ只中。
落ち込み気味で肩を落としている少しだけ頭を垂れている桂を見て、美月はとあることに気が付く。
「もうすぐ桂に追いつくな」
そう言いながら美月は桂の横に並んで踵を浮かせて、背比べを。
美少女のはずなのだが、その顔が一瞬屈託のない少年のような顔に見えた。その表情を桂は知っていた。それは稲葉志郎が、時折見せたもの。
「……稲葉くん」
小さな、自分でもよく分からない感情が呟きに。
「うん、なんか言ったか?」
「ううん、何にも。……それよりも服はどうするの?」
これから出かける予定だ。流石に下着姿のままで外出というわけにいかない。
「まあ行く場所が場所だけに派手なのはな。となると制服だと思うんだけど」
「うん、それでいいんじゃないかな」
事態の解決、といか許可のために桂の同意が必要だった。それがとれた。
着替えを再開。
まずはタイツを。少女の姿になった当初はこんなものを穿く理由がさっぱり分からなかったが、最近ではその必要性を理解した。
次にシャツ。これも着る必要性はないのかもしれないが着用。
襟に首を通して下の降ろすとき、現在絶賛成長中のまだ小さなふくらみが少しだけ邪魔に。
「あんまり大きくなってほしくないんだよな」
見るのや触るのは大きい方が楽しめるが、実際に膨らみ始めると、胸で動きが阻害されたり、新しくサイズにあったブラを買い直さなくてはいけないとか、なにかと不便なことが多々。
〈申し訳ない。ワタシのせいだ〉
モゲタンから本日二度目の謝罪の言葉が美月の脳内に。
「どういうことだ?」
思わず反応して声が出てしまう。
「どうしたのいきなり?」
事情が分からない桂も疑問の声を。
〈キミの胸を大きくなり始めているのは成長期というのはもちろんだが、それ以上にワタシがそのようにキミの身体を構成したからだ。これからの活動のために多くのエネルギーが必要となる。それを貯蔵するための部位が必要だ。胸という器官の大部分は脂肪であるから貯蔵に適している。その為にある程度大きさが必要だ〉
脳内に流れる説明を聞きながら不条理とは思いつつも納得してしまう。
ここ最近の戦闘では疲れることが、エネルギー切れを起こしそうになっている自覚があった。
「……ごめん、桂」
小さな声で桂に謝罪。
「稲葉くん?」
「……俺の胸はまだまだ大きくなるみたい。これも着られなくなってしまうかも」
桂の肝いりで購入した下着を指しながら謝る。
「えっと……成長期だもんね。……それは仕方がないよ」
モゲタンとの会話は当然桂には聞こえないので、少々ちぐはぐな会話になってしまった。
着替えを再開。
穿きなれたプリーツスカートに脚を通しホックを止めてジッパーを上げる。それから回転させて位置を調整。
上着の袖を通す。襟の中に入ったままの髪を両手で外へとかき出す。
出しながら、
「髪も長いのはやっぱり邪魔だよな。……なあ、短くしてもいいか?」
この一年間で長い髪のデメリットも覚えた。手入れも大変だし。夏には熱がこもって暑いということも学習した。
だが自身の一存で短くしてしまうのは。桂は美月の長い髪を気に入っている。
今度もおそらく却下されるだろうと思いながらも、一応聞いてみる。
「……うーん」
意外にも桂は即座に否定せずにいた。それどころか悩んでいる様子だった。
桂が逡巡したのには理由があった。
長く黒い髪はもちろん美月に似合っている。それにアレンジを施して遊べるし。しかし、短いのも存外悪くないのでは。というよりも、むしろ短い髪型の方が合っているかもしれない。まだ大人に成りきっていない未成熟なアンバランスを醸し出している美月には少年を彷彿させるような髪型の方が良いのでは。女子高の王子様のように。先程不意に見せた少年のような笑顔には絶対に短い方が。何故、これまで固執し続けていたのか、もっと早くに短い髪にしてあげれば、ああそうか、自分のかつての憧れを無理にさせていたんだ、と思いながら桂は反省し、もし仮に、万が一似合わなかったとしても伸びるのを待てばいいだけのこと。そこまで思考した後、横道に逸れ始める。少年のような美月に襲われるプレイを、年下の男の子に求められるというシチュエーション、美月の中身はともかく身体は少女なのだが、を。そんな設定で睦みあってみたいという禁断の欲望が。
「どうした? 顔が紅くなってるけど大丈夫?」
危ない妄想にストップをかけたのは美月の心配する声だった。
「え、……ううん、何でもないから。……それよりもこの話はまた後でゆっくりね。麻実ちゃんが待っているから急いで準備しないと」
内心を見透かされないように、取り繕いながら話題を変更。
「そうだな」
無事逸れて、桂はほっと胸をなでおろした。
三人が揃って訪れたのは惨劇から復興した秋葉原。
そこに花を供える。
丁度一年前の今日、稲葉志郎という売れない役者の身体は崩壊し、伊庭美月という少女の姿になった。
劇中でも一年経過。
せっかくなので合わせてみました。




