チョコレート・デイ 結
「私も一緒にしたかったなー」
盛況のうちに幕を閉じたチョコレートフォンデュのプチパーティを仕事から帰宅した桂に報告したところで出たのが、今の一言。
「まあ一緒にできたらそれでも良かったんだけど。桂には別のを作るから。ご飯を食べ終わってからね」
現在、夕食の真っ最中。
「桂のはどんなチョコなの?」
いつものように一緒にご飯を食べている麻実が訊く。
「それはできてからのお楽しみということで」
一緒のものにすれば手間はなかったのだが、最愛の、そしていつも世話になり、支えてくれている桂には、別のもっと喜んでくれるものを贈りたいと思っていた。
「ふーん、どんなのを贈るのかちょっと興味あるな」
テーブルに身を乗り出して麻実が言う。
「まだ材料だけど見る?」
準備に少し時間が必要だが、材料を見せることは可能。
「ううん、いい。だってさ、恋人同士の大切な時間に割って入っていくのは野暮ってもんじゃない。独り身のあたしはご飯を食べ終えたらそそくさと退散します」
「別にいいわよ、そんなに気を使わなくても。麻実ちゃんはもう家族みたいなもんだから」
桂が言うと、
「いやー、だってチョコレート食べていい雰囲気にでもなったら居場所がないし。興奮した桂が美月を襲ったりなんかしたら、それこそ目の毒になっちゃうし」
「……そんなことしないって」
桂の言葉が少し遅れたのは、絶対そんなことはありえないと言いきれなかったからだった。
あの日以降もう何度も肌を重ねて、愛を確かめ合っていた。
「はいはい、ごちそうさま。……って、これは桂に言ったんであってまだ食べるから。だからシロもあたしの食器を片そうとしないでよ。やっぱり早く二人きりになりたいんだー、エッチだなー」
美月よって片付けられそうになっているお皿を庇いつつ、麻実はちょっとだけ嫌味を。
その後いつもよりもご飯を一膳多く食べた麻実が自分の部屋へと戻り、待望の時間が。
美月は一人キッチンで準備を。
事前に準備していた材料は、生クリームにジン、カカオリキュール。そしてシェーカー。
桂へのバレンタインの贈り物はカクテル。
シェーカーもこのために、内緒で購入し、それから練習した。
生クリームをよく混ぜるために、普通のカクテルよりも強めにシェークするのだが、常人以上の力を有する美月には至極簡単なことだった。
もう何度か振っているシェーカーで作るカクテルの名は、プリンセスメアリー。
色々と調べ、実際に作って試飲を繰り返した結果。このカクテルに。
美月の好みとは異なるが、甘いこのカクテルを桂は気に入ってくれるはず。
シェーカーと一緒に購入しておいたカクテルグラスに注ぎ入れる。
やや白の強い琥珀色のカクテルから甘い香りが。
カクテルを桂のところへと運ぶ。
「はい、これが俺からのバレンタインチョコ」
「嬉しいー、ありがとー、チョコレート系のカクテルなんだ」
嬉しそうな表情でそう言いながらグラスを口にしようとした瞬間、桂の動きが止まった。
「どうした? なんか変なところがあったか? それとも別のが良かったとか?」
桂の動きが止まった原因を色々と推察するが、分からない。
その分からないということが不安になって声に。
「……ううん……これは稲葉くんの初めてじゃないんだなって急に思って」
「初めて?」
「だって、麻実ちゃん達にもうチョコを贈ったんでしょ。こんなことを言うのは大人気ないって分かっているけど、初めてのバレンタインチョコを貰いたかったなと思って」
桂は素直に心情を吐露する。
「いや、贈ったといってもあれは友チョコだし。……それにこれはまあ一応本命チョコだし」
本命という部分は早口に、照れて小声になってしまう。
「えへへ、嬉しいな。本命か」
さっきまでの表情はあっという間に消え去って、桂は破顔する。
「それはいいからさ、まあ呑んでみてよ」
「うん」
返事と共にカクテルを口に。
はたして評価は。
「あっ、美味しい」
長年の付き合いだから分かる。この声には嘘はない。
どうやらお気に召したようで美月は安堵を。
「良かったー。一応何回も練習して呑んだけど桂好みにできているか、ちょっと不安だったんだよな」
「えー、稲葉くん呑んだの? その身体で呑んで大丈夫だったの?」
桂が驚きと心配の声を。
中身はともかく肉体年齢はローティーン。幼い身体でアルコールを接種するのは非常に危険。
「その辺は詳しいことはよく分からないけど、モゲタンの力で俺の体内に入ったアルコールは即座に分解できるんだって」
血液中のアルコール成分を即座に分解し、幼い身体に悪影響が出ないようになっていた。
つまり、全く酔わない。
「そうなんだ。……けど、未成年の飲酒にはかわりないよね」
道徳的観念からの発言。
「その辺はどうなんだろう? まあ戸籍上は一応未成年だし、肉体年齢もそうだけど、中身はとっくの昔に成人しているし」
「中学校に通っているんだから、やっぱり未成年じゃないかしら」
「……そうか。……ということは、アレも自重したほうがいいな」
少しだけ意地悪く言う。
というのも、あの初体験の日以来、美月ではなく桂の方が求める回数が多かった。
俗に女性は年を重ねると性欲が強くなるといわれている。それが桂にも合致するかどうかは分からないが、とにかく少々積極的であるのは紛れもない事実であった。
「二人きりの時はいいの。稲葉くんは大人なんだから」
自分勝手な都合のいい理屈をこねる。
「勝手だな」
「いいの、大人は身勝手な存在なの。稲葉くんだって十分に理解してるでしょ」
「まあな、こんな姿でも一応大人だから。それよりさ、お代わりいる?」
いつの間にかカクテルグラスは空になっていた。
「うーん、どうしようかな。……あ、そうだ。あのね、まだチョコレートフォンデュの材料は残ってる?」
「チョコはあるけど、具材はあったかな」
冷蔵庫の中身を脳内で確認しながら美月が言う。
昼間に食べ盛りの女子中学生達が、美月の予想以上の食欲を発揮して見事に、綺麗に平らげていた。
「うん、具材はいいから。少量でいいからチョコだけでも」
「まあそれなら用意できるけど。けど、準備に時間がかかるぞ」
チョコレートを湯煎するには少々の時間が必要。
「うーん……じゃあ待っている間にもう一杯」
「了解」
お代わりのカクテルを作ってからチョコレートフォンデュに取り掛かる。
出来上がったものを桂の前へ。
「本当にこれでいいのか?」
用意はしたものの再度訊く。
チョコはあれど、付ける具材は一切なし。
「うん、これでいいんだけど……一つお願いがあるんだけど……いいかな?」
上目遣いのお願い。
好きな相手にこんなことをされて嫌といえるような人間はそういない。
もちろん、美月も。
「別にいいいけど」
「……あのね……チョコを美月ちゃんに付けて、それを舐めたいなー、と思って」
「はああああ」
突然の突拍子もないお願いに思わず変な声が出てしまう。
「お願い」
手を合わされ、力強くお願いされてしまう。
「もしかして酔ってる?」
カクテル二杯目。アルコール度数は少々高いけど、普段はこれくらいでは酔わないはずなのに。
「酔ってないよ……あ、やっぱり酔ってるかな。可愛い美月ちゃんにチョコを付けて食べたいなと思うくらいには」
いつもの二人きりの時の呼び方ではない。
桂の口から、美月という名前が自然に出たのは、それが可愛いものを愛でて愛したいという想いからだった。
元男としては、この意見を無下に否定できない。
チョコが嫌いでも、ある種憧れのシチュエーション。
しばし、美月は逡巡した。
「……いいよ」
「ほんと?」
「ああ、ただし全身に塗るのは駄目だから。……指先だけな」
「うん、それでもいい。だってこんなこともう二度とないかもしれないから」
「そうなればいいんだけどな」
何気ない言葉のやり取りだったが、この中には二人とも来年にバレンタインにはもう美月の姿がないことを、元の姿に戻っていることを願ってのことだった。
美月はチョコレートフォンデュの中に右手の人差し指を浸す。
溶けたチョコは熱いけど、火傷をするような高温ではなかった。
美月の小さく細い指に絡まったチョコを、桂の舌が艶めかしく動きながら舐めていく。
突如、背筋にゾクゾクとしたこれまで経験のしたことのないような感覚が走ったような気がした。
嫌悪ではない、それとは反対の感覚。
桂の触れた指先よりも顔が急速に熱くなっていく。
これまでにも行為の度に幼い身体に桂の愛撫を受けていた。それも十分に気持ち良いと思えるものであったが、これはそれを上回っていた。
性感帯に触れたわけではない、ただの指先のはずなのに。
「……美味しい?」
「うん、美味しいよ。チョコも指も」
「……それじゃさ……もう一回舐める?」
熱が頭をおかしくしてしまったのだろうか、少しだけ掠れた声で美月は拒んだはずの行為を自ら桂に勧める。
「いいの?」
「……嫌だったらこれで終わりにするけど」
「する。したいです」
桂の声が終わる前に美月はチョコの中に自分の指を。
今度は人差し指だけではなく、中指も。
さっきよりも長い時間チョコに指を浸す。その分付着する量も多くなる。
「……はい」
「じゃあ、いただきまーす」
もしかしたらさっきのは気のせいだったのかもしれない。それを確認するつもりでいたのだが、再び桂の舌先が美月の指に触れた時、同じような、いやより強いものが。
今度は腰が砕けたような感覚に。
「どうしたの?」
「……わかんないけど、なんか変な気分になるんだ。桂に舐められると」
「嫌なの?」
「ううん、むしろその反対」
「それじゃ稲葉くんをもっと気持ち良くしようか」
カクテルでちょっと酔っている桂が悪戯心を出す。
固まりつつあるチョコを鍋から指ですくい、美月の左頬に。そしてそれを綺麗に舐めとる。
「どう? もっと変な気分になった?」
「……うん」
「じゃあ、今度はこれで」
そう言ってまだ指先に残っていたチョコを自分の唇に。
「舐めてくれるかな」
「……ああ」
あまり好きじゃないチョコレートの味なのだが、甘美な味が。
行為はエスカレートしていく。
互いの身体の至る箇所にチョコを塗りたくり、舐めあった。
身も心も高ぶり、どんどんと気持ち良くなっていく。
二人だけの甘い夜が更けていった。




