新年
クリスマスの日の朝からずっと淫靡な、背徳的な、淫猥な日々を二人は送っていた……わけではない。
桂にはまだ仕事があり、翌日からいつも通りに出勤。
美月は冬休みに入っているから、日中部屋で新しく体験し、目覚めた感覚を一人で満喫するということはなく、年末の大掃除に、時折麻実に手伝ってもらいながら、奮闘していた。
それでも二十八日までに全て完了。
残り三日をゆっくりと過ごして……ではなく二十九、三十日と大晦日は冬コミに。
買いたいものが在るわけではないのだが、知恵や文が行き、それに麻実が付いて行き、だったら同人誌の買い出しを手伝って欲しいとお願いされて承諾、付き添うことに。
先週の表参道のイルミネーション以上の人ごみの中をかき分けて頼まれている本を買うためにあっちに行ったりこっちに行ったり右往左往。
BL本を買うというのもあって、美月は少々困惑し躊躇しかけたのだが、それでも頼まれたものだからと自分に言い聞かせ、なんとか購入。
ついでに桂へのお土産に、喜びそうな百合本を。
人生初のコミケはまあまあ楽しいものだった。
帰宅後は夕食を、それから年越し蕎麦を。
紅白を観ながら、桂と、それから麻実も一緒に食べ、三人で一緒に年を越した。
元日はそのまま昼までゆっくり、のんびり、だらだら過ごし、それから近所の神社に初詣へと。
二日は朝から新幹線に乗って、三人で帰省。
名古屋駅で麻実と別れ、美月と桂は隣県にある桑名市へと。ここは桂の実家のある街。
夏以来の二度目の来訪。桂の家族は美月を温かく迎えてくれた。
お節をよばれ、いつもの生活とは違う上げ膳据え膳。これには申し訳なく思ってしまうが、桂の母親に「いいから、美月ちゃんはゆっくりと座って待っていて」と言われ、ついついその言葉に甘えてしまう。
翌三日は、例のショッピングセンターへと。いつもは日曜日だけの開催である紙芝居が、お正月の特別上演ということで催されていた。
それを事前に美人から聞いており、絶対に観に行くと約束していた。
当初は一人で行くつもりだったのだが、桂はもちろんのこと、兄の文尚も、そして麻実までも一緒に。
久し振りに見る美人は確実に成長していた。
成長期であるから身体はもちろんのこと、演技、紙芝居の上演の仕方も。
ついでに姿勢も良くなっている。
夏に一緒にした時にはオドオドしていて声なんか全然出ていなかったのに、それが観ている側にまでちゃんと明瞭に届く声を。
さらにいえば、一人で堂々と上演をしている。
紙芝居のお兄さんの上演に比べれば、まだまだ足元にも及ばない出来ではあったが、それでも美人の確実な成長を目の当りにして、美月は思わず涙ぐみそうになった。
その後、再会を喜び合ったり、互いの近況を報告したり。
その会話の全てを余すことなく仔細に表記することは不可能なので、その一部を抜粋することに。
「美月ちゃん、私の上演どうだったかな?」「うん、良かったよ」「本当に?」「……うーん、細かいところを言えばまだまだかなとも思うけど、それでも凄く成長したのが分かる」
「ありがとう……じゃあ、もっと師匠に鍛えてもらって、今度観に来た時には合格点をもらえるような上演をするから」「楽しみにしてるよ。でも、それより師匠って?」「そう呼べって言われたから」「紙芝居ってこんなに面白かったんだ。知らなかった」「俺は偶に観に来てるかならな」「お兄ちゃん来ているの?」「ああ。夏に美月ちゃんに教えてもらって一度観に来て、それから偶に。それから一緒に走りに行く仲になったし」「知らなかった」と、いう会話があり、
それから場所をショッピングセンター内の喫茶店に移し、しばし歓談、その中で明日一緒に初詣に行くことが決定。
「場所はどこにするの? あたしは行ったことないから伊勢神宮に行ってみたいな」「ああ、明日は四日だから行くのはちょっと大変かも」「ああ、そういえば」「うん、そうだね」「どういうことなの? 何か分かっていないのはあたしと美人みたいなんだけど」「毎年正月の四日は総理大臣が年始の参拝に訪れて規制があったり、警備が大変だったりするんだ」「……そうなんだ、知らなかった」「じゃあ、どっかいいとこないの?」「近所だったら椿さんとか……ああでも、明日は多分建設関係で混むかもしれないな」「車以外じゃダメなの?」「あそこは車以外は行きにくいから。俺と成瀬さんだけならロードで行くことも可能だけど」「じゃあ、熱田さんは。車でも電車でも行けるはずだし、お参りした後で栄に出ることもできるし」「それ、いいかも」「別に反対するような理由はないな」「ああでも、電車で行くのが得策かな。駐車場はおそらく埋まっているはずだから」「まあ、電車の方が気が楽だし。それに呑めるし」「じゃあ、それで決定」「いい?」「うん、美月ちゃんが行くなら一緒に行きたい」
というわけで、熱田神宮へと詣でることが決定。
桑名駅から美月達が乗り込み、八田駅で美人と合流。名古屋駅で下車。一同駅の外へ。そこで麻実と待ち合わせの手筈に。
実をいえば、麻実は直接熱田神宮に行った方が距離的に近いし、美月達も外に出ずに地下鉄、もしくは名鉄に乗り換えて行く方が楽である。にもかかわらず、麻実が名古屋駅の外で集合することを希望したのは、
「名古屋で待ち合わせといえば、やっぱりナナちゃん人形でしょ。あたし、昔からあの下に集合するのが夢だったの。健康になったら絶対にしたいって」
そんなことを言われては流石に現地集合とは言えない。
ということで、麻実の希望を叶えるべくナナちゃん人形の下に。
美月に桂、兄の文尚、紙芝居のお兄さんと知り合いの女性、美人に、それから麻実。総勢七名で熱田神宮へと。
地下鉄の車内で、どうして紙芝居のお兄さんのことを師匠と呼ぶようになったのかという疑問を尋ねたり、東京にいる時にはあまり着ていなかったパンツルックを似合っていると褒めたりしているうちに熱田神宮近くの駅に到着。
三種の神器の一つ天叢雲剣、別名草薙剣を祀る社に参拝。
参拝を終えた後で立ち並ぶ屋台で買い食い。
大人組は電車で来ていることもあり、ビールを購入して串カツやたこ焼きと一緒に。それを少し羨ましいとは思うものの、この容姿では流石に呑めない。誘惑に駆られて呑んだりしたら迷惑をかけてしまう。
自重している美月の脳内にデータ出現を知らせる警告音が。
「「ウナギ?」」
変身した美月と麻実は、上空を見上げて同時に同じ音を発した。
今回のデータは大きな鰻で、しかも身をくねらせながら空を泳いでいる。
少々驚きはしたものの、すべきことを理解している。
素早くデータを回収しないと、周辺がどうなるか分からない。先程までいた熱田神宮には近いし、真下には国道一号線が東西に走っており、交通量も多い。
「麻実さん、俺を連れてアイツの傍まで飛んでくれる」
跳ぶ能力はあっても、自由に空を飛ぶことはできない。
麻実に手伝いを乞う。
「ええー。シロの盾を飛ばしてアイツを八つ裂きにしたらいいんじゃないの。動き遅そうだし、簡単に終わると思うけどな」
「駄目だ」
「どうして?」
美月の強い語気に少しだけ驚きながら麻実は訊く。
「鰻の血には毒があるんだ。万が一にも下を通る通行人の目に入ったりしたら失明する危険性がある。アイツが鰻その物かどうか分からないけど、用心に越したことはないはず」
鰻を捌いた経験こそないものの、鰻に関する知識を美月は持ち得ていた。というのも、美月、というか稲葉志郎の生まれ育った三重県津市は昔から鰻がよく食べられた地で、志郎は大叔父から、若い時分には自分で捕まえてきて、さらには自分で捌いて食べた、という話を聞かされていた。
その時、鰻の血には毒があることも教わっていた。
「へー、そうなんだ。そんじゃ、シロをウナギのところにまで運べばいいのね」
「うん、後はなんとかするから」
「了解、任されたー」
麻実は美月の小さな身体を後ろから抱きかかえるようにして、空へと舞い上がった。
緩慢な動きの鰻の背後を簡単にとることが。
美月は鰻を両手では無理なので、腕全体を使って鰻を抱きかかえ、捕まえようとした。
しかし、しっかりと抱きかかえ捕らえたはずなのに、スルリと逃げられてしまう。
「何しているのよ、シロ?」
知識としては知っていても経験がないことは先に述べた通り、美月はこれまでの人生で鰻を掴んだことがない。ヌルヌルした身体にてこずってしまう。
鰻は美月達から逃れようと下へと。そこには堀川が。
人口の運河を、鰻は北へと。名古屋城方面とバシャバシャと泳ぐ。
それを追って美月も寒空の中堀川をバシャバシャと。
周辺にはデータの出現に驚きはしたものの、逃げることとなく野次馬とかした人だかり。
「ちょっとシロ、何処まで行くのよー」
「分かんないよ、鰻に聞いてー」
早く捕まえないと、そればかりが気になって、ぞんざいな返しに。
〈水の中ならば、血が出ても周囲の人間に危害を及ぼす危険性は皆無なのでないのか〉
左手のクロノグラフ、モゲタンからのアドバイス。
その言葉で躍起になっていた美月の頭の中が少しだけ冷静に。
「……あ、そうか」
水中で何枚か盾を構築して、それを鰻目指して放つ。
美月の思い描いた通りの軌道を通り、盾が鰻型のデータを腹から切り割く。
こうして、ようやく一件落着。
変身を解いて、再び合流。
一行は熱田神宮を後にして大須へと向かう。
ここには日本三大観音の一つであり、また古事記の最古写本を所蔵していることで有名な大須観音がある。
そこへとお参りに向かう、というのが赴く理由ではなく、美月や紙芝居のお兄さんが美人に七つ寺の共同スタジオという小さな劇場を見せるためであった。
もしかしたら将来ここの舞台に立つことあるかもしれない、外見だけとはいえ見せておくのも悪くはないだろうというのが、来た理由だった。
せっかく大須に来たのだからということで、その後は古着を観たり、フィギュアを見たり、同人誌を見たり。
この地は名古屋におけるサブカルチャーのランドマーク的な存在だった。
その後、台湾ラーメンを食べていこうかという話になるが、辛いのが苦手、ニンニクが嫌という意見が女性陣から出て、諦め、代わりに栄にあるイワシ料理の専門店へ。
イワシ料理に舌鼓を打ちながら、成瀬兄妹及び麻実、そしてちょっとだけ美人を放っておいて、紙芝居のお兄さんとその連れの女性、美月の三人で「聞く」という芝居、演技論について熱く語ったりしながら楽しく過ごした。
美月のとってすごく有意義、かつ濃厚な時間であった。
別れ際にまた絶対に紙芝居を観に行くと美人と固く約束を。
そして、翌五日。
行きと同じように、三人そろって新幹線に乗車し東京へと帰っていった。
追加情報。
十数年ぶりに美月はお年玉を頂戴しました。
桂の両親だけではなく、兄の文尚からも。




