第9話:レオ、セレネの保護を買って出る
「私、この子、お話したいです。たくさん、たくさん、色々な事」
レオはアルベルトを始めとする人々に懇願した。
ここで学院外にセレネを連れ出されてしまうと、接触する機会がなくなってしまうので必死だった。
(学院を抜け出すのにこんだけ苦労してんのに、儲け話を抱えてそうなカモを逃がすなんて、金の精霊様に愛想を尽かされちまう!)
「わたし、レオノーラ、おはなし、したい」
一方、セレネもレオとは別の意味で必死だった。
博士が「ここに三匹の美少女がいるじゃろ? さあ、選べ」という選択肢をくれると思っていたのに、あろうことか「学院外に住居を用意する」などと言い出した。
話が違うではないか。いや、そんな話はしていないが。
「レオノーラ、確かにセレネ姫とバトラー殿は信頼に足る人物かもしれない、けれど、現段階で百パーセント信じられる証拠が無い。僕としては、君の近くにあまり危険になりそうな存在を置いておきたくないのだが……」
「危険、ありません! 危険、あなたです!」
「僕が……危険?」
そう、レオにとってこの学院……いや、この世界で最も警戒しなければならないのはアルベルトだ。知らなかったとはいえ下町にお忍びで来ていた皇子を張り倒し、金貨を奪い去った過去がある。
アルベルト自身は少年のレオにも、レオノーラ状態のレオにも好意を持っているのだが、生憎レオ自身がそれを知らないので、極力接触を避けている危険人物扱いである。
そんな事を知らないアルベルトは、レオの言葉を別の意味で取っていた。
(危険なのは僕自身……確かに、そうなのかもしれない。僕は保身に走るあまり、大事な物を見落としてしまう事が多い)
アルベルトは、レオの苦し紛れの引き留めを超真剣に解釈していた。
今でこそべったりだが、妹のビアンカがレオノーラを呼びつけて嫌がらせをした事も、学院内で平民派閥のリーダーであるオスカーという男が、妹とレオノーラを『お茶会』に呼び出した時も、カイの報せが無かったら気付かなかった。
「アルベルト皇子殿下、発言をお許しいただけますか?」
それまでずっと黙ってレオノーラの傍に侍っていたカイが、この部屋に来て初めて口を開いた。
アルベルトは首を縦に振る。
「ハーケンベルグの紫の瞳は全てを見通す。と言う事は皆がご存知でしょう。レオノーラ様はまさにそれを体現されたお方」
そこで一度切ると、カイは言葉を探るように再び喋り出す。
「先ほどバトラー様と会話をさせていただきましたが、驚くほど洗練されたお方です。私も執事の端くれ。レオノーラ様が望むのであれば、可能な限り意志を尊重したいと思います」
自分の事を言われているのに、レオはカイに対し、「何言ってんだコイツ」という感想しか抱かなかった。孤児であるレオは、ハーケンベルグの何たらなど、細かい事はまるで知らない。
「ふむ……どうしたものか」
アルベルトとしては、レオノーラからはなるべく危険を排除したい。
しかし、レオノーラの気持ちを汲んでやりたいというのもあるし、カイの言葉に説得力もある。
(皇子の奴、何だかんだ理由付けて、俺の首を真綿で締めようとしてるんじゃねえだろうな)
レオは、もしかしたら皇子が既にレオの正体に気付いていて、レオの大好きな物、すなわち金、および金を稼ぐ手段を少しずつ奪い取る事に快楽を感じているのでは、などと邪推していた。
無論、そんな事は無いのだが、レオからすると最大の障壁であるアルベルトを何とかしなければならない。
(カイが援護射撃してくれたのは助かったが、もうひと押し……そうだ!)
「皇子、私、この子、世話します」
「レオノーラ!? 何を言ってるの!?」
アルベルトより先に反応したのはビアンカだ。
ビアンカは普段は絶対出さないような大声で叫び、レオの方を見た。
レオは平静を装いつつ、言葉を紡ぐ。
「セレネ様、困ってます。私、助けたい、です」
レオは必殺、「可哀想な子を保護する大義名分」を繰り出した。
このセリフはなかなか効果があったようで、アルベルトはもちろん、ナターリアやビアンカ、それにバトラーまでも驚いていた。セレネだけが満面の笑みだ。
「レオノーラ、君は……」
アルベルトの心は感心を通り越し、畏敬の念にまで達していた。
レオノーラが虐待されて育ってきた(と思いこんでいる)面々にとって、救われるべきはレオノーラ自身だ。誰だって自分自身が一番可愛いものだ。
だが、そんな状態だというのに、彼女はセレネを救いたいと進言しているのだ。
その穢れ無き純粋さに、皆が沈黙した。
(よし! 今のジャブは割と効果があったみたいだな。ここは一気に畳みかけるぜ!)
レオは超高速で次の作戦を開始する。
相手はノックダウン寸前だ。もうワンパン入れれば勝利――セレネを自分の手元に置く事が出来るかもしれない。
「私、はじめての召喚。とても、とても、不安でした。彼女、同じ状況です」
一応、これはレオの本心である。
最初に召喚された時、周りは貴族だらけで訳が分からないままハーケンベルグ侯爵夫人に拉致されたのだ。まだ八歳のセレネは、さぞや不安だろう。
(お姫様だと勝手は違うかもしれねぇけど、いくら従者が居ようと、八歳の子供が異世界なんかに来たら不安だろうしな。そんでまあ、俺は子守り代として金に関する情報を貰えば両方得って訳だ)
さっきまでの話だと、セレネ達が滞在しているのは一週間程度らしい。
その間、セレネの面倒を見る。対価として異世界の知識を手に入れるという計画だった。
「レオノーラ……分かった。君の意見を尊重しよう」
かなり悩んだようだったが、アルベルトはレオノーラの意見を採用した。
レオは「やったぜ!」とガッツポーズを取りたい衝動を必死に抑えていた。
「ナターリア、早速だが、セレネ姫、それにバトラー殿の部屋を手配して貰いたい。下級生の部屋に、まだいくつか空き部屋があったはずだろう」
「それは簡単ですけど、アルベルト様はそれでいいのですか?」
「カイの言うとおり、レオノーラの行動でこれまで間違った事は無い。もちろん、セレネ姫とバトラー殿には監視を付けるが……カイ」
「は、はい!」
突如アルベルトに名指しされ、カイは背筋をぴんと伸ばす。
「今回は特例中の特例だ。この二人には学院内に常駐している警備兵をあてがうが、レオノーラと一番接触しているのは君だ。兵士たちが見落とすような、どんな些細な事でも構わない。何かあればすぐに僕かナターリア、もしくはビアンカに伝えてほしい。出来るかな?」
「は、はい! 大任ですが、全うさせて頂きます!」
カイは、突如降って湧いた、ヴァイツ帝国第一皇子からの勅命に身が引き締まる思いだった。責任は重大だが、皇子直々に任務を任されるなど、執事冥利に尽きるというものだ。
(もしかして、レオノーラ様は、僕の事も考えてくれていたのでは)
レオノーラがセレネを預かるといえば、アルベルト、ナターリア、ビアンカの誰もが黙っていないだろう。
となると、必然的にセレネの監視役が必要になるが、学院は実社会とほぼ変わりない自治権を持つ程の組織でもある。
つまり、必然的に従者である自分にも責任が回ってくる事を、レオノーラは予想していたのではないか。皇子から直々に指名され、その命令を無事にこなす事が出来れば、執事としての箔が付く。
(思えば、レオノーラ様は、月光の姫――セレネ様が来る事を最初から予見しているような口ぶりだった。『今日は月が綺麗だから素敵な物が見つかる』と)
ハーケンベルグの紫の瞳は全てを見通す。
実際にそれを見るまで、カイは「そんな事はある訳が無い」と思っていた。
だが、現実はどうだろう。
精霊に愛されたような美しいこの少女は、異世界からやってくる高貴なる姫の事までも悟っていた。
さらに、それに加え、従者として尽くしている自分にも恩恵を被れるように振る舞う。一体、主レオノーラには、何が見えているのだろう。
ちなみにレオには光り輝く金以外、ほとんど何も見えていない。
「カイ、では、行きましょう。セレネ様、それで、いいですか?」
「おっけー」
レオがセレネに近づき手を伸ばすと、セレネは餌を見つけたダボハゼみたいに超高速で柔らかい手を握り返した。
「ふへへ」
その柔らかな感触に、セレネは大満足である。
他の皆が真面目に考察を進めている間、セレネは全部人任せにして、三人の美少女から誰を選ぶか頭を抱えていた。
その結果、セレネはレオノーラを第一候補として決めていた。
黒髪の少女というのはアークイラやヘリファルテではレアだったし、何より、美少女の中でも、やはり容姿の面では他二名に頭一つ抜きんでている。レオノーラ、君に決めた。
……と思っていた矢先、アルベルト博士が「やっぱりモンスターは無しじゃ」みたいな事を言い出したので、慌てて待ったを掛けたのだが、レオの方からご指名があって助かった。
その時、セレネにある考えが浮かび、手を繋いでくれたレオを深紅の瞳で見上げながら問いかけた。
「レオノーラさま、ゆり、すき?」
「ゆり? 好き、ですよ?」
ユリとやらが何の事だか分からんが、レオは適当に相槌を打った。
その瞬間、セレネはとろけるような笑みを浮かべる。
「よかった」
「仲良く、しましょう」
お互いたどたどしいながらも、和やかに微笑みあう少女達を前にして、アルベルトも、ビアンカも、ナターリアも、そしてバトラーも自然と頬が緩む。
セレネは、ビアンカがやたらレオノーラに固執するのを見て、「もしかしてこいつは百合属性なんじゃ」という仮説を立てた。そして、その予想は見事的中した。セレネには悪いが、大ハズレである。
こうして、カイを除き、中身おっさんの幼女姫と、中身が守銭奴の少年の美少女と、元々ネズミで現在は美青年という超カオス軍団は、一時的にだが学院内で生活を共にする事になった。
外見上は麗しい光景だが、レオの紫水晶のような美しい瞳も、セレネのルビーを嵌めこんだような輝く深紅の双眸も、真実を何一つ見通してはいなかった。