第5話:セレネ、レオに懐柔される
セレネと名乗る少女が、速攻でレオの提案に乗ったのはレオにとっても正直意外だった。
(貴族って体裁を気にするもんだと思ってたけど、こうもあっさりオーケーするとはな)
初対面の相手のいう事をほいほい聞くのは、貴族の間では美徳とされない。
それは片方の命令に対し、あっさり従う格下扱いされているという風潮があるからだ。
だからレオも自分の方から笑顔で名乗ったのだが、「失敬な! あなたの方から来なさいよ!」と言われる可能性も考えていた。
(意外とフランクだったりすんのかな、このお嬢様)
レオの認識は大分間違っていた。セレネがレオの要望に応えたのは、目の前に黒髪の美少女がいて自分を呼んだ。それだけである。
美少女に呼ばれたら、セレネはほいほい付いていく習性を持っていた。
目の前に動くものをぶら下げられると、消しゴムにでも喰らいつくウシガエルみたいなものだった。
「姫、少々お待ち下さい。彼女らがまだ何者か分かりませんし、我々の事も彼女らは知らないのです」
無警戒にレオに歩み寄ろうとしたセレネを、バトラーが押しとどめた。
バトラーはセレネを後ろに隠すと、自分と同じような振る舞いで主を守ろうとしているカイに向き直った。
「麗しき方々よ、今、我が主であるセレネ姫よりご紹介をいただきましたが。私はバトラーと申します。大陸一のヘリファルテ王国の、偉大なるミラノ王子の寵愛を受けた姫の筆頭従者でございます」
バトラーは相手を刺激しないよう、ゆっくりと、しかし流暢な口調で挨拶をした。 バトラーがいきなり襲いかかってくる事は無いと判断したのか、カイも少しだけ警戒を緩める。
「私のような若輩者に丁寧にありがとうございます。申し遅れました。私の名はカイ・グレイスラー。レオノーラ侯爵令嬢に仕える従者でございます。バトラー様、あなたの振る舞いからするに、相当な身分の方であるというのは嘘ではないのでしょう。ですが……ヘリファルテという国を私は知らないのですが……」
カイは極力低姿勢に出つつ、相手に探りを入れる。
今度はバトラーが口元に手を当て、考え込むような動作をした。
「ヘリファルテを知らない? まさか大陸でヘリファルテを知らない国があるはずが……失礼ですが、この国の名を伺ってもよろしいですかな?」
「ヴァイツ帝国です。そして、ここはヴァイツゼッカー帝国学院。大陸中の誰もが知る、帝国最大にして最高学府でございます」
「ヴァイツ帝国……私も聞いた事がありませんな」
バトラーとカイは、お互いに首を傾げた。
両者ともその動作から、王侯貴族に相当する身分である事は容易に汲みとれる。
だが、それならばヘリファルテ王国、あるいはヴァイツ帝国を知らないはずがない。
「いせかい、てんい」
「姫、今何と? 異世界転移? 大陸の別の場所ではなく、異世界であると?」
「うん」
それまで後ろで事の成り行きを見守っていたセレネが、ぽつりとそう呟いた。
セレネはもともと日本から異世界転生してきたので大して問題ではない。
さすがに二回目になると慣れる。
それよりも、今は一刻も早く、後ろの黒髪美少女のお近づきになりたかった。
「にわかには信じがたい話ではありますが、どうも我々とあなた方は違う世界の住人である可能性がありますな」
「そんな、おとぎ話や神話じゃあるまいし……」
カイは訝しんだ。
もちろん、言い出したバトラーも半信半疑であるが、仮説をカイに述べる事にした。
「実は、我々はこの場所に来る前に転移の魔術を試したのです。おまじない程度だと思っていたのですが、気が付いたら姫とここに送られていました。何か、そういった情報はありませんか?」
「情報、あるます」
そう言って会話に割り込んだのはレオだった。
「この学院、魔力高い人、転移で呼びます。間違い、たまにあります」
細かい事は分からないが、自分は転移でこの学院に強制的に呼び出され、こんな面倒な自体に巻き込まれたのだ。
肉体がレオノーラでも、中身がレオなんだからそのくらい判別してくれよとレオは内心で悪態を吐いた事が何度もある。
「間違い……そうか、確かにそうかもしれません」
「えっ」
レオは何が何だか分からなかったが、カイは少し黙考した後、レオとセレネ、そしてバトラーを見回した後、説明を開始した。
「今でこそ学院は十二歳になると入学のため呼び出される、というシステムになっています。ですが、絶対にそうと決まっている訳ではないと聞いた事もあります。魔力を集めれば召喚自体はいつでも可能ですし、過去はもっとバラつきがあったと」
「つまり、その召喚の暴発により、我々が呼び出されてしまった、という事ですかな?」
「その通りです」
カイはバトラーの対応力の早さに舌を巻き、バトラーはカイの少年らしからぬ頭の回転の速さに舌を巻いていた。
「しかし、異界から召喚されるというのは私も聞いた事がありません、申し訳ありませんが、魔力に関してはさほど知識が無いもので……」
「いえ、充分です。しかし困りましたな。私は構いませぬが、姫を野晒しにしておくなど……」
カイのお陰で重大な情報を得られた事は幸いだったが、ここからどうするか悩みどころだ。
自分は元々野ネズミであるが、まだ幼く、日差しに弱いセレネを宿無しにしておくなど、天が許してもバトラーが許さない。
天が許さなくてもセレネ自身は許していたというか、セレネは日差しさえ避けられれば大体どこででも寝られるのだが、バトラーからするとやんごとなき姫にそんな不敬は許されない。
「セレネ様、バトラー様、学院、来ますか?」
「れ、レオノーラ様!?」
どうしたものかと悩んでいたバトラーに対し、レオはあっさりとそんな提案を言ってのけた。
これにはカイはもちろん、提案されたバトラーも仰天した。
(話の流れからするに、どうもこの人ら超レアっぽいしな。恩を売っておけば、もしかしたらこの世界の誰も知らない儲け話とかが転がり込むかもしれねえ)
孤児院育ちのレオとしては、困っている人に施しをしてやりたいというのが二割で、残りの八割は異世界の知識が金儲けになるのではという考えだった。
学院の部屋代は自分が払ってないというのもポイントである。
「レオノーラ様、この方々が困っているというのは分かりますが、ですが、それはあまりに……」
「カイ殿の言う通りです。我らはまだ出会ったばかり。お気持ちはありがたいですが、お互いの素性も知らぬうちでは……」
カイは、困っている人を助ける主の博愛精神に心を打たれたが、だからこそ、そうやすやすとレオノーラに危険が迫る事をさせたくなかった。
バトラーも、レオノーラという少女の懐の深さに嘆息したが、だからといって、その誘いに易々と乗る訳にはいかない。
カイとレオノーラが善意で誘ってくれたとしても、周りの人間がそうだとは限らない。
偉大なる主を危険に晒したくないのは、両従者とも同様である。
「危険、ありません! 彼女たち、困ってます!」
「で、ですが……」
レオはなおも食い下がる。折角の超レアな儲け話をみすみす逃してなるものかと必死だった。
(駄目だ。カイはいい奴だけど頭が固くてな。あっちの兄さんもあんまり乗り気じゃねぇみたいだし……よし!)
こうなったら主に直談判だ。レオはセレネのほうに歩み寄ると、「ほーら、怖くないよー」という感じで柔和に笑いかける。
「セレネ様、あなた、来たくないですか?」
「いく!」
即答だった。セレネもすっごい笑顔だ。
「レオノーラ! 何をしてるの!」
「うぇっ!?」
その時、甲高い女性の声が響き、レオは素っ頓狂な声を上げた。
そちらに振り向くと、物々しい全身鎧に身を包んだ兵士を引き連れた金髪の少女が駆け寄ってくるのが見えた。
「ビアンカ、様」
慌てた様子で駆け寄って来た少女の名を、レオは呟いた。