第4話:レオ、セレネにコンタクトを試みる
「レオノーラ様! 待って下さい! その者達に近付いてはなりません!」
何の恐怖も無く得体の知れない召喚者に歩み寄る主に対し、カイは慌てて駆け寄り留める。
孤児院育ちのレオと違い、カイは職業柄、多くの貴族を認識しているが、魔法陣から現れた二人は見た事が無い人間だった。
外見上は確かに貴族のようにも見えるが、こんな事態に遭遇したのは初めてだ。君子危うきに近寄らず。まして、大切な主に何かあっては絶対にならない。
「カイ、どいて、ください。探し物、見つかりました」
「ど、どういう事ですか!?」
どうもこうも、これ以上、月光の下であるか分からない貴金属を探すより、目の前のお貴族様に媚を売った方が効率的であると判断しただけである。
「まさか……レオノーラ様は、この方々を来る事を予見していたのですか?」
「ええ、まあ」
全く想定外だったが、レオはそう答えた。別にカイに誤認されようと特に問題は無いと判断したからだ。もし利益が出ないと感じたら、その時は撤退すればいい。
そうして、レオノーラは白い少女と黒服の男に近づこうとする。主の意思を尊重し、同時に最大限の警戒をしつつ、カイはそれに付き従う。
「こんばんは、いい、夜ですね」
レオは、白い少女と黒服の男を交互に見ると、柔らかな笑みを浮かべ話しかけた。必殺、営業スマイルである。
「うぃ?」
一方、白い少女の方はどこか呆けた表情で、レオを見た。
レオノーラよりも年下に見えるが、その外見は近くで見ると精霊なんじゃないかと思うほどだ。
月光に照らされると、白い髪やドレスがうっすらと輝いているように見える。
(……すっげー美人)
孤児院で構っているガキンチョ共と大して変わらない年頃だろうが、人間とはこうも作りが違うのかと感心するほどだった。
(おっと! ここは一気に畳みかけねぇと)
少女の愛くるしい外見に見とれている場合ではない。
レオは前にアルベルトが化けた兵士にやったのと同様に、薄墨のドレスの裾を優雅に摘まみ会釈した。最敬礼の挨拶である。
「私、レオノーラ言います。あなた、お名前は?」
一応、こちらから名乗り出るのがマナーというものだろう。
同時に相手の情報収集も行っておくのがミソだ。
貴族のプライドもへったくれもないレオは、頭を下げるくらい何ともない。それよりも、銅貨一枚を奪われる方が身を切られるよりもつらい。
「わたし、セレネ、こっち、バトラー」
最敬礼が功を奏したのか、白い少女――セレネはたどたどしくそう答えた。
純白の少女――月光姫セレネ。
漆黒の少女――無欲の聖女レオノーラ。
異界の少女達の初めての会話であった。
純白の少女の中身はくたびれたおっさんであり、漆黒の少女の中身は守銭奴の少年である事を知る者は、幸か不幸か誰もいなかった。
「いや、これは驚いた。まさか、あのようなまじないが本当に成功してしまうとは……」
一方、バトラーは目の前に広がる見た事のない光景と、何より自分の姿の変化に驚いていた。
ふわふわの白黒のネズミの面影はどこにもなく、世界がいつもの何十倍も遠くまで見渡せた。
己の手の平を見た時、自分が人の身体になった事をバトラーはすぐに悟った。
一人だったらさすがのバトラーも取り乱していたかもしれないが、すぐ傍に控えるセレネが落ち着き払っていたお陰で、何とかいつものペースを取り戻す。
(落ち着けバトラーよ。まだ幼い姫がこれだけ悠然と構えているのに、執事である私が姫を守らなくてどうするのだ!)
人の身体、見慣れぬ景色、次から次へと襲い掛かってくる情報の洪水の中、バトラーは何とか冷静に対処を試みる。それにしても、主のこの落ち着きっぷりはどうだろう。
執事として様々な経験をしてきた自分に対し、まだ八歳の少女である主の胆力に、バトラーは改めて感服した。
だが、主であるセレネ当人は、悠然ではなく呆然としていただけだった。
バトラーですら状況が分からず困惑しているのに、セレネが冷静に対処出来る訳がない。
ただ、あまりにも情報量が多すぎて、セレネの脳内メモリがフリーズしているだけだった。
困惑している二人に対し、先ほどの少女――レオノーラが歩み寄る。
バトラーは咄嗟にセレネを守るように前に出るが、黒髪の美少女は穏やかな表情のままだ。
艶やかな色のドレスではなく、まるで喪服のような、けれど上質な仕立ての薄墨のドレスを身に纏ったその少女は、セレネとバトラーに優しく笑いかけ、上品に挨拶をした。
(見た所、とても身分の高そうな少女に見えるが……)
その気品に満ちた対応で、バトラーは幾分警戒を緩めたが、ここがどこか分からない以上、油断は禁物だ。何より、バトラーには彼女より気になる存在がいる事に気付いていた。
(あの少女の傍らにいる少年、恐らく彼女の従者だろうが……出来るな)
バトラーは少女よりも、そちらの方に意識を向けていた。
黒の少女の邪魔をしないよう、それでいて、いつでも守れる絶妙な立ち位置にいる少年。恐らくは彼女の従者であろうが、向こうも自分達を警戒しているのが見てとれる。
少年は決して体格がいい方ではないし、まだ幼い。
下手をすると少女と見間違えてしまうような甘い顔立ちである。だが、眼光は極めて鋭い。
バトラーは少年――カイを見て、優れた猟犬を思い浮かべた。体格こそ他の野獣に劣るものの、主に対する忠誠心は他の追随を許さない。
主のために己の命を賭けて使命を全うし、自分よりも遥かに強大な狼や熊すら怯ませる勇気を持っている。
バトラーは人の身体の扱いに慣れていない。もし彼がセレネに危害を加える存在であれば、大いなる脅威となるだろう。
(この男、見た目は温和だけど、只者じゃない)
一方、カイの方もバトラーを見て警戒レベルを最大まで上げていた。
上質な黒のスーツに白いシャツ、そして、深紅のネクタイを結んだ姿は社交界の一流貴族も顔負けの出で立ちだ。すらりとした長身は、全身が無駄なく鍛えられている。
カイは目の前の男を見て、黒豹を思い浮かべた。密林に潜み、しなやかな動きと、一撃で獲物を仕留める牙を持つ恐るべき猛獣。
レオノーラに仕えるまで、外見で猫かわいがりばかりされてきたカイにとって、この黒い男は理想の男性像に近かった。
だが、それが偉大なる主に仇なす存在であれば、敵としては最も恐ろしい。
カイは自分を盾にするように、レオの前に立ちはだかる。
バトラーもまた、セレネを守るため、彼女を後ろに隠した。
(カイ、仕事なのは分かるんだけど、どいてくれねえかなあ)
従者の心主知らず。レオは、カイの警戒モードを解除して欲しいと心底願っていた。
従者であるカイが自分を守ろうとしてくれているのは分かるのだが、今はちょっと、いや、かなり邪魔である。
レオからしてみれば目の前の少女はどこかのお貴族様という認識しか無いので、お近づきになりたいのだが、カイの妨害によりままならない。
しかし、声は届いているらしく、白い少女は背の高い黒い男――バトラーという従者の後ろから、顔だけ出している。先ほどの会話からすると、少女の名はセレネというらしい。
「セレネ、姿見たいです。出てきて、くれますか?」
レオは極力優しくセレネに話しかけた。といっても、少女本体を見たいわけではない。彼女の着ているドレスに興味があるだけだ。
(ちらっとしか見えなかったけど、あのドレス、この学院の貴族が着てるのと作りが違うんだよな。ひょっとしたら、レア物かもしれねぇ)
レオ自身はドレスなんざこれっぽっちも興味は無いが、その先にある「金」の輝きには命を賭けている。
学院で上流貴族の衣裳を山ほど見てきたレオは、セレネのドレスが、今までに見た事のないタイプである事に瞬時に気付いた。
自分が来ている墨色のドレスも、どうも特注品であるらしい事もなんとなく知っている。
もし、この少女が着ているドレスが特別製だったのなら、その作りや素材を知っておくのは損ではないだろう。
何せ、お貴族様は自分を他者より秀でたように見せるのが大好きな人種だ。金になりそうな知識は、聞けるうちに頭に叩きこんでおきたい。
「いいよ」
レオの方は多少警戒されるかと思っていたが、セレネはあっさりと許可した。
何故なら、美少女がセレネを呼んだからであった。