第11話:レオとセレネ、錬金術を開始する
「それ、ポプリ?」
なんて汚い部屋なの! と罵倒される事を危惧していたレオだったが、入口に立っているセレネは首を傾げながらそう呟いただけだった。
「ええ、そう、です。サシェ、作ります」
「さしぇ?」
「ポプリ、作ります。それ、香水の布で包んで、いい香りの袋にします」
「ほほう」
レオは困惑しつつも、それを表に出さないよう笑顔で何とか返事をした。
「内職がバレちまっちゃあ仕方ねえ! 口封じで死んでもらう!」という訳にもいかないし、昔話の鶴のように飛び去る訳にもいかない。
「ポプリ、おんなのこ、すき」
「そ、そうですね。趣味、です」
だが、レオの想定とは逆に、セレネは柔和な笑みを浮かべて室内に入ってきた。
レオは苦し紛れに「内職じゃなくて趣味でやってます」と答えただけだった。
だが、セレネには、天使のように愛らしい少女がポプリを趣味で作っているシチュエーションが、光り輝いて見えていた。
(あっぶねぇ……何とか危機を回避したっぽいけど、ここからどう切り返す?)
とりあえずサシェ作りが趣味という事に納得してくれたようだが、相変わらず部屋の中が散らかっている状況には変わりない。ここはとりあえず謝っておくしかないだろう。
「部屋、汚い、申し訳ないです」
「え、どこが?」
レオのご機嫌取りに対し、セレネは辺りをきょろきょろと見回し、平然とそう答えた。
(この状態で汚くないって……カイだったら卒倒するぞ)
レオの世話を任されているカイはとても几帳面で、埃一つ残さないくらい丹念に掃除をする。
レオからすると、貴重な素材をゴミ扱いされたら大変なので、内職が終わるとせっせと素材を机などにしまっている。多分、この部屋の惨状をカイが見たら、即座に片付けをするだろう。
だというのに、異世界の姫らしきセレネは、その事に何も言及しない。
それどころか――。
「わたし、てつだう?」
などという発言をしたので、これにはさすがのレオも仰天した。
「セレネ様、これ、割と難しい、ですよ?」
「だいじょうぶ。わたし、できる!」
レオからすると、セレネの手伝いの申し出は、正直ありがた迷惑だ。
孤児院の後輩達なら、こういった内職を任せられる連中はそれなりにいるが、八歳のお姫様にやらせたら、貴重な素材をぐちゃぐちゃにされる恐れがあり、それはなるべく避けたい。
「これは難しいからやらないほうがいいですよ」と言う意味で遠まわしに警告したのだが、セレネは何故かドヤ顔で胸を張っている。
(仕方ねぇ……多少の損失はご機嫌取りって事にしとくか)
ここで下手に断ってセレネの心証を悪くしたくない。
レオは、仕方なくセレネのお手伝いをOKする事にした。
多分、用意したポプリもサシェ用の素材もくちゃくちゃにされてしまうだろうが、先行投資という事にしよう。そう考えたのだ。
「分かり、ました。では、セレネ様、ポプリ、分けてください」
「わける? どんだけ?」
「均等に、これくらい、お願い、します」
レオは、セレネにポプリの分量を計らせる仕事を振った。
サシェは作成の方法自体は割と簡単だが、何だかんだで慣れないと難しい。
特に、商品化する場合、サイズは出来る限り均等でなければならない。
あまりポプリを詰め過ぎても不格好だし、少なすぎてもスカスカになってしまう。
「これくらい、お願い、します」
レオは、セレネを机の椅子に座らせ、自分は立ったまま、机の上にポプリを掴み、セレネの前に差し出した。セレネが椅子に座り、レオが横に立つと、レオが多少背が高いお姉さん状態になる。
「まかせて」
セレネはレオを真っ直ぐに見て、自信満々にそう言いきった。
レオも笑顔を返すが、正直全く期待していない。
「では、私、先に袋、作ります。終わったら、声、お願いします」
「あいよー」
セレネが乾燥させたムエルタの花に無造作に手を突っ込みだすと、レオは後ろのベッドを机代わりにしてサシェ用の袋を縫い出す。
(どうせ量はバラバラだろうけど、とりえずやらせて、後で隙を見て調整するしかねえな……)
レオは、セレネに聞こえないよう溜め息を吐き、とりあえずお姫様のご機嫌取りに徹する事にした。貴重なムエルタのポプリが粉々にならないよう、精霊様に祈るしかない。
「できた!」
「えっ!? もう、ですか!?」
それから十分程度すると、セレネは椅子に座ったままレオに声を掛けた。
(はえーよ! 絶対テキトーにやってんだろ! このお姫様野郎!)
こんなに手際よく作業出来る人間など、孤児院にも中々いない。
まして、お姫様がそんな事が出来るはずが無い。仕方なく机の上を確認すると、レオは瞳がこぼれ落ちるのではないかという程に目を見開く。
「すごい! 全部、全部、同じ量です!」
「ふはは」
セレネは得意げに笑うが、レオは純粋に驚いていた。
何せ、まるで計量機でも使ったかのように、最初のサンプルと同じ量のポプリの束が連なっていたのだ。
「セレネ様、一体、どうして?」
「むかし、やってた」
「昔、ですか?」
「うん。ごねん、くらい」
「五年、ですか!?」
セレネは平然とした表情で頷くが、レオはその様子に首を傾げ、すぐにある記憶に辿り着く。
(そう言えば、中庭であの黒い兄さんが、セレネ姫は監禁されてたとか言ってたな……)
中庭でバトラーが言っていたのは、
『姫は、優れた才覚により幼少期より異端児扱いされ、暗い部屋に長い間監禁されていたのです。それゆえに言葉が不自由でありますが、その叡智は我が大陸に轟き渡っております。証明する術はありませぬが、なにとぞ温情を』
確かにそう言っていたのをレオは聞いている。
どこかの誰かと違い、レオは記憶力がいい。
(って事は、もしかしたら、こういう細かい作業を、三歳位からやらされてたのかもな。ひでぇ事しやがる)
八歳の少女が「昔やっていた」と言うからには、本当に物心付く前からやらされていたのだろう。
レオも孤児院育ちで、内職は幼いころから叩きこまれているが、そこまでひどい思いをした事は無い。
ちなみに、レオノーラも監禁され、虐待されていた設定が盛り込まれているのだが、当のレオはそれに気付いていない。
(まあ、なんだ。今は色々優遇されてるみたいだし、幸せになれてよかったな)
自分も周りから同じ感想を抱かれているとは知らず、レオは、悲惨な境遇から成り上がったセレネに、純粋な祝福の感情を抱いた。
なお、セレネが「昔やったことがある」というのは、当然、おっさん時代の話である。
セレネが日本に住んでいた頃、ライン工として働いた事が何度かある。
その請け負い業務の一つに、あるアダルト雑誌の付録として「脱ぎたて幼女のいちご縞パンツ」を製造するという、人間の業を凝縮したような狂気じみた作業があった。
無論、現実の幼女の脱ぎたてパンツを売るなどは出来ないので、工場で生産をする事になる。
化学薬品を使い、幼女サイズの縞パンにいちごミルクの香りを拭きつけていくのだ。
薬品で肌が被れたり、鼻が利かなくならないよう、真夏でも全身にカッパを着こみ、ガスマスクを付けて作業させられた。
おっさん時代のセレネは、ダースベイダーのように「シュコー、シュコー」と呼吸しながら、一日中イチゴの香料を拭きつけていったのだ。まさに地獄絵図である。
それに比べれば、ほんのりといい香りのするポプリを均等に分ける作業など天国だ。
作業量も戦略シミュレーションの雑魚のように大量に流れてくるパンツに比べたら、鼻で笑うレベルである。
「セレネ様、とても上手、感心しました」
「えっへん」
セレネは、ポプリを分けるだけの簡単な作業でレオノーラのご機嫌取りを試みたのだが、見事目論見は成功したようで、レオノーラは驚いたようにセレネを褒めている。
「サシェ、つくる、わたし、てつだう」
「分かりました。では、お願い、します」
意外に使えるセレネに驚きつつ、せっかくなので、レオはこのままセレネとサシェを作る事にした。
レオにとっては嬉しい誤算だ。
(想定より作業が大分楽になったな。セレネ姫もまんざらでも無いみたいだし……こりゃ、今日はツイてるな)
こうして、レオとセレネは、お互いに背中合わせになり、ベッドの上で分けたポプリを使ってお互いにサシェを作っていく。
レオは、セレネに見られないのをいい事に、邪悪な笑みを浮かべた。
セレネはセレネで、レオノーラのご機嫌取りが成功した事に、同じような笑みを浮かべていた。
こうして、穏やかな夜更けの中、二人の令嬢は金を生み出す錬金術に励んでいった。




