あとがき
本小説は去年の夏に書き始めました。ちょうど一ヶ月かけて書きました。
この作品を書く時、最初閃いたのは、「思想を描写する」というアイデアでした。ミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの詩学」を読んでいる時、これを思いつきました。
バフチンの言葉を僕なりに要約すると、「思想を描写する」というのはドストエフスキーが最初やりだしたという事です。普通の作家…例えば平野啓一郎などもキャラクターに思想を「喋らせる」という事はやっています。しかし、生きた思想=肉体を描写するという所までは行っていません。バフチンは「受肉」という言葉を使っていましたが、思想は生きた実体として、一人の人間に「受肉」されねばならないのです。
現代社会において、こういう人物、つまり、思想そのものが肉体を伴って生きて活動しているという事は十分にありうる事です。僕達はそれぞれに、様々な事を情報として知っています。世界と個人は情報を介して直結しており、それゆえ、個人の行動は必然的に「世界に対する営為」つまりは「思想的行動」になるというのが普通になったのだと、僕は理解しています。
ここからいわゆる「セカイ系」のアニメやマンガに共感する必然性が出て来ると僕は考えています。本小説で、思想を描写する、というアイデアがうまく実現できたかは、読者の判断に委ねられます。
最後まで読了していただいた方、ありがとうございました。まだ読了していない方は最後まで読んでくださるとありがたいです。
筆者