表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

あとがき

 本小説は去年の夏に書き始めました。ちょうど一ヶ月かけて書きました。


 この作品を書く時、最初閃いたのは、「思想を描写する」というアイデアでした。ミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの詩学」を読んでいる時、これを思いつきました。


 バフチンの言葉を僕なりに要約すると、「思想を描写する」というのはドストエフスキーが最初やりだしたという事です。普通の作家…例えば平野啓一郎などもキャラクターに思想を「喋らせる」という事はやっています。しかし、生きた思想=肉体を描写するという所までは行っていません。バフチンは「受肉」という言葉を使っていましたが、思想は生きた実体として、一人の人間に「受肉」されねばならないのです。


 現代社会において、こういう人物、つまり、思想そのものが肉体を伴って生きて活動しているという事は十分にありうる事です。僕達はそれぞれに、様々な事を情報として知っています。世界と個人は情報を介して直結しており、それゆえ、個人の行動は必然的に「世界に対する営為」つまりは「思想的行動」になるというのが普通になったのだと、僕は理解しています。


 ここからいわゆる「セカイ系」のアニメやマンガに共感する必然性が出て来ると僕は考えています。本小説で、思想を描写する、というアイデアがうまく実現できたかは、読者の判断に委ねられます。


 最後まで読了していただいた方、ありがとうございました。まだ読了していない方は最後まで読んでくださるとありがたいです。



                                 筆者




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ