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檄文

 目当ての物を持って帰ると、夕方になっていた。彼は郵便受けを覗いてから、二階の自分の部屋に戻った。汚く散らかった部屋には夕日が赤々と射し込んでいた。彼は思わず目を細めた。


 霧崎は疲れていた。こんな風にまともに外出したのは実に久しぶりの事だった。だが、まだ彼にはやる事があった。それは彼の頭の中にメモされていた。

 

 一つは遺書を作り、ブログを通じて世界に発表する事であり、もう一つは首を吊る時に、ネット上で本当にうまく配信できるのか、チェックをする事。最後は本当にそれを実行する事。以上の三つの事をこれからやらなければならない。


 霧崎は疲れきっていた。袋の中身を床に放り投げると、ベッドに倒れ込んだ。ベッドは倒れた彼をしっかりと支えてくれた。彼はもう何も考えたくなかった。しかし、頭は依然として働き続けていた。


 もうある時期からお馴染みになっていた焦燥、熱情、敵対心ーーそういうものが、大学を辞めて以来、彼の中で急速に発酵して、彼をここまで引っ張ってきたのだった。世界に対する巨大な敵対心、それでいて世界に自分が認めてもらわなくては気がすまないという承認欲求、それらが一つになって、全身を駆け巡っていた。彼はそれが正しいのだと自ら信じていたし、信じなくては気が済まなかった。彼はそれが何であるかと問う前に、「それ」の中に自らを没入させ、そう生きていた。そんな彼からすれば、世界の大半の連中はいい加減な、不埒な人生を生きていた。テロを行う連中だって、天国で褒美を与えられる事を望んでいる。彼の考えからすると、それは間違った考えだった。この世に天国も神もなく、この世界はこの世界限りで、それとして真剣に生きるべき場所だった。そうして、そのように生きているのは彼一人というわけだった。


 霧崎はベッドに倒れ、そのまま二十分ほどまどろんだ。二十分が立つとふいにガバリと体を起こし、自分が非常な空腹状態にあると気づいた。今になって急にその事に気づいたのだった。霧崎は急いで冷蔵庫の中身を見たが、そこは以前と同様、ほとんど空っぽだった。霧崎は自分が元々、食料を買いに外に出た事を今更思い出した。


 彼は仕方なく、キッチンの上の戸棚を漁った。そこにもしかしたら、以前買っておいたカップラーメンがあるかもしれなかった。戸棚の上を漁ると、カップラーメンの代わりに袋入りのラーメンを二つ見つけた。彼はお湯を沸かし、麺を二つとも入れてラーメンを作った。霧崎はそれをベッドの上に持ってきて、片手で鍋を持ってそのまま食べた。霧崎は猫舌だったので、途中何度も息を吹き入れてラーメンを冷まそうとした。


 食べ終わるとほっと一息ついた気持ちになった。霧崎は鍋を台所の流しに戻すと、またベッドに寝転んだ。彼には次第に眠気がやってきた。


 彼の頭の中には、黒い渦巻きのようなものがあった。彼は自分が次第にそれに飲み込まれていくようなイメージを持っていた。それは心地よい事だったけれども、同時にひどく醜い、汚らしいものでもあった。それはいわば糞尿の上を裸足でダンスするようなーーそんな背徳的な気持ち良さ・気持ち悪さがあった。人間というの一度、坂を滑り降りてしまうともう戻ってこれないのだった。そして不思議に、滑り降りている自分が気持ちよく感じられてくるのだった。人とは反対の事、人にとって悪であるような事をしているという感覚それ自体が、こうした人物には愉快なものと感じられる。


 彼は眠った。彼は泥土に沈み込むように、寝た。



 霧崎は二時間ほど寝ていた。彼は夢の中で小さな子供になって、化物に追いかけられたり、親に怒られて、川に突き落とされそうになったりした。何かしら彼の心を抑圧するものがあって、それが夢となって彼の眼前に現れてきたのだった。


 霧崎にとって、両親の問題は大きかった。彼は両親が自分を杓子定規的な厳しさで育てようとした事に、心の深層で怒りを感じていた。しかし両親は、そうした教育がうまくいかない事を悟ると、あっさり放任主義に切り替えたのだった。それが中学生頃の事で、霧崎にとってはそれから生きるのが非常に楽になった。それでも親に対する憎しみの感情はまだ残っていた。


 彼はふと、目覚めた。霧崎はハッと目覚めた。もう部屋は暗くなっていた。彼は部屋を見た時に、その瞬間に何かを悟った。自分が死ぬのは正にこの時、この今日、この深夜であろうという事が彼には直観的にはわかった。


 部屋は暗く、じとじとしているような気がした。彼は今さっき見た夢の、気持ち悪い印象を思い起こしていた。


 彼の見た夢は切れ切れのイメージの連続だったが、最後に見た夢ははっきりとしていた。小学生の頃、彼は女子生徒にいきなり怒鳴られた事がある。それは結局、勘違いだったのだが、女子生徒は、霧崎が彼女の筆箱を盗んだと勘違いして、彼を怒鳴りつけたのだった。霧崎はその頃はまだおとなしかったので、女子生徒に全く言い返す事ができなかった。女子生徒は口が悪い事で有名で、今思い返してもその相貌に彼女の精神はにじみ出ていたのだった。


 「どうしてあんた取ったのよ!」

 「何か言いなさいよ!」

 「どうしてわかんないのよ、馬鹿じゃないの?! 死ねよ! あーーキモい」 


 罵詈雑言にあの時、霧崎は何も言えなかった。彼は夢の中でも何も言い返さなかった。夢の中の彼は小さい頃の自分に戻っていた。


 しかし、夢の中の彼は次第に彼女への憎しみを増していった。頭を下げてただ言いなりになっていた霧崎は急にプツリと怒りを開放し、机の上にあったレンガ(何故かあった)を取り上げ、女子生徒の頭を殴った。女子生徒は最初の一撃で何も言わなくなったが、霧崎は女子生徒を何度も何度もしつこく殴った。


 「てめえ、いい加減にしろ! おとなしくしてればつけあがりやがって! 殺してやる! 殺してやる! お前を絶対に殺してやる! 死ね! 死んでしまえ! お前を殺すために俺は生まれてきたんだよ! お前だけを殺す為にな! 汚い面しやがって! 一体、なんて人間だ! 殺してやる、殺してやる! ああ絶対に殺してやる!」


 霧崎は叫びつつ、延々とレンガを振りつづけた。女子生徒の頭から血がだらだらと流れ床に溜まっていったが、霧崎は叫びつつ、殴り続けた。


 霧崎はその内にふと目を覚ましたのだった。目を覚ました彼の手にあったのはレンガの感触であり、左手で掴んでいた女子生徒の生温かい首根っこの感じだった。彼は夢を非常に生々しいものとして感じた。


 彼は目を覚まし、起き上がった。もう運命を宣告された人のように機械的に起き上がり、部屋の電気をつけた。


 (遺書を書こう。いや…檄文というべきか。書かなくてはならない。僕は…どうしても書かなくてはならない。この腐った汚泥とも…サヨナラだ)


 部屋を明るくすると、霧崎はパソコンの置いてある机の前に座った。霧崎はパソコンの電源ボタンを押し、スリープ状態から目覚めさせた。机の端のキーボードを手前に持ってくる。霧崎は三分ほど思案した後、次のような文句を書き始めた。


           檄文


「私の名は霧崎健一と言う。これから君達に対して、私は私が自殺する様を見せつけようと思う。インターネット上の配信サイトを使い、君達には私の死を診てもらう。これにより、君達が長年忘却していた『死』というものが君達の前に立ち現れるはずだ。君達は私が死ぬ様を見て自らの死について思いを致す事だろう。私が望むのその事であり、私が死んだ後に、私に引き続いて死ぬ者が現れたとしたら、私は満足する。もちろん、その時には当の私はこの世にいないが。


 私が何故に、このような、世間から見れば愚行と過ぎない事を行うに至ったか。それには気高い理由がある。元々、私には自殺する理由などない。私というのは一個の健全な男子であり、ごく普通に生きており、また普通に生きる事のできる存在だ。しかし、世界は私にそれを許さなかった。どこにおいても腐った精神、肉体が蔓延しており、腐臭は止みがたい。


 人間共…いや、畜群共が何故このような惨憺たる有様に至ったか。私は歴史を紐解く事はできない。ただ、我が国において流れた長年の平和が畜群共から『死』を忘れさせ、自分一個の幸福を追い求めて他者を利用とする、私利そのものと化した事は指摘できるだろう。


 世の中を見渡してみれば、そんな事共に溢れかえっている。見てみよ。ノウハウ本や、スピリチュアル本、いかにして他者の視線を獲得するか、いかにして幸福を得るのか、いかにして安楽な人生を得るのか、いかにして金を、性的逸楽を得るのか、その方法論ばかりが詮議され、溢れかえっている。どれこれもゴミのようなものであり、これに関しては科学者であろうと占い師であろうと、みな同じ事だ。誰も彼もが、自分の幸福を追い求め、願い、死を忘れ、自分一個をかけて戦うべき事柄など見もせずに、ほとんど動物同然に生きている。彼ら畜群にはもはや救いなどないといっていいだろう。


 しかし……だからこそ、と言えばいいだろうか。私は今、立ち上がり、世界に対して私の死を見せつけようとしている。私は死ぬ。私は縊れて死ぬ。この悲愴なる有様を見て君達は自分達が何を忘れ、いつ自分達が畜群になったのかと、気付くが良い。私は君達の為にこの身を犠牲にするのであり、自分の利害の為に死ぬのではない。


 私はその気になれば、あらゆるものを手に入れる事ができただろう。これは冗談で言っているのではない。私は自分の中に大いなる熱情を感じており、それが何かに対して実行されなければならないという事を、生涯の全瞬間においてひしひしと感じていた。例えば、画家のヴァン・ゴッホもそのような人物であった。彼は自分の人生において絶えず何かを求め、何をすればいいのかわからなかったのだが、最後に彼が行き着いた先は物言わぬ画布であった。世界は、熱情に囚われた大いなる精神を、彼が狂人だという理由によって放逐した。彼の中にあったものは本当は、世界を愛したいと願っていた純真な心だったにも関わらず。それでも人は偉大な人物を気が狂っているという見かけの理由で、人間界から放逐した。だからこそ、ゴッホは沈黙の内に絵筆を取らなければならなかったのだ。失われたものを取り戻す為に。ここには、畜群が群れて自分達の権力を好き勝手に行使する弊害が現れている。天才と呼ばれる人間は皆、畜群から身を守る為に、骨身を削り、魂を削り、あるいは死に、あるいは衰弱し、あるいは発狂する事を余儀なくされたのだった。


 私の中にも大いなる熱情というものは存在した。私は、ある種の期待と興奮を持って大学に進学した。しかしそこで行われていたのは単なる乱痴気騒ぎであり、飲み会だの何だのに騒ぐ低脳な小児の群れだった。教授らも同様、阿呆になっており、単に自分のポストを守る為に学問らしきものをいじくっているに過ぎなかった。私は絶望して、大学を辞めた。しかし私は、この経験によって世間というものが何であるのかをよく理解した。


 世間では就職活動や受験勉強や、資格試験やらが真剣なものとして受け入れられている。しかし、これらの事こそが私の熱情にもっとも響かなかったものであり、全般的に馬鹿馬鹿しい代物である。ここでは、そこで述べられている事、求められているものに対して疑いを抱く事は一切許されず、一元的にある論理を敷かれ、成員はその中で競争する事を強制される。この競争で一等になる事が世の目標という奴なのだろうが、無論、ここに敷かれた論理は人々の畜群意識が結晶化されたものであり、こんなものはまともな人間が見れば一蹴して終わりとなるような産物に過ぎないのである。ここにも畜群意識があり、彼らは自分達を正当化するシステムを作り、システムに隷従する人間を自分達の仲間として受け入れるのである。つまり、奴隷達は互いが奴隷である事を相互に確認する事により、それぞれが『仲間』でいられるのだ。畜群意識を脱した人間は、こんなシステムなど一顧だにしない。


 更に指摘すべき事がある。それは、畜群共が結局は自分達の多数性を頼みにして非反省的であり、己のわがまま、勝手な欲望、勝手な言動をそれ相応のものとして正当化し、権力化しているという事実である。これほどに嘆かわしく、愚かな事はほかにはあるまい。古代において、人間は卑小さから、神が与えた運命と戦う事に非常な苦痛と哀しみを感じた。しかし、神なきこの現代においては大衆が神となってしまった。彼らはもはや、自分達を集団の中で埋没させる事で神に似た万能が得られる方法を知っており、それを自由自在に行使する。そうして、この万能の多数性から排除されたものはただ孤独に、自分の足先でも眺めながら無為に死ぬしかない。つまりは畜群共は、戦後何十年とかけて己の絶対性に磨きをかけてきたというわけだ。政治・歴史・社会の工程についてくどくど話すには及ばない。


 こうして丸々と肥え太った畜群共はシステムという形式的な肉体によって存在を構築し、ネット上の無数の声、芸能人と呼ばれる存在を叩き潰して、能力を自分達に証拠付けようとする。畜群共は今や絶対の傍観者でもあり、クリエイターと呼ばれる者共はみな、畜群共に見世物を提供している劣等者に過ぎない。このようにして世界は集塊と化し、死を忘れ、己の勝手な欲望を様々な美名の下に正当化した、非常に愚劣かつ醜悪な一形態となってしまった。もはやこの世界に救いの手はあるまい。人々は己の幸福の為に他人を利用し、自分だけは沈みゆく船のうえで一番先頭に立とうとするが、ところがどっこい、誰も彼もが同じ事を目指している為に、勢い人々は互いに掴みかかって、お互いを海面に突き落とそうとする。こうして混乱と闘争が始まるわけだが、最期の結末は全ての人間の死しかないであろう。なにせ、最期の一人がこの闘争に勝ったとしても、今や彼は孤独であり、自分を幸福にしてくれるはずだった他者が欠けている。だからこそこの人物は最後には自死しなければならない。


 こうして考えていくと、このような腐りきった人間共に自分の死を見せつけたところで、人々はきっと目を覚まさないに違いない。私は人々に目を覚ましてほしいのではなく、単に私自身、一個の『正しき主張』として死にたいだけなのかもしれない。


 しかし、それでも構わない。私は高貴な存在として死にたい。私の行為は、現在では薄暗いが、未来では明るい照明となるだろう。キリーロフの自死のように。


 最後に、はっきりと述べておこう。我々人間が存在し、生きていく事は単に、ぼんやりとした倦怠と平和の中に安住し、快楽と安楽を追い求めるというようなふざけたものではない。我々はハイデガーの言うごとく、自身の死を先取し、その事を胸に秘め、そうしていついかなる時においても死ぬ覚悟ができている状態で自分のすべき事をする事…これこそが人間の生というべき状態である。例えば学問において、学問をただ社会的地位保全とエゴの主張の為にこねくり回しているような人物は学者でもなんでもなく、高級そうな見かけに隠れて、立派そうな髭を生やした低級動物に過ぎない。学者と言われるような存在あれば、例えばウィトゲンシュタインの如く、常に死ぬ覚悟を持って自身の学問に当たらなければならない。一般的知識を身につけ、それでもって生徒に講義をするだけで、自分の死についても生についてもまともに考えられないものは学者でもなんでもない。


 私はこうした現代の状況を乗り越える為に、檄文を書き、そして死ぬ。私一個の死が、未来の人々には光となる事を私は願う。死ぬのは私一人で良い。(先の文と矛盾するが、まあいいだろう) 私一人が死に、人々はそれにより、自身に死があるという事を思い起こしていただきたい。現代のぬるま湯につかった状況を打破し、集団となって自分達を正当化する事を辞め、己の道を死を賭して進むべきである。その為の礎となって私は死ぬ。今は嘲弄に包まれるだろう私の死も、いずれは未来のキリストともなるだろう。


                      霧崎健一」


 霧崎は一時間半かけて上記の草稿を作り、ネット上にアップロードした。彼のブログにそれはすぐさま掲示された。タイトルは「檄文……一時間後に自殺配信を行う」で、ブログがアップされた一時間後に、配信サイトで自殺を見せつける事も合わせて予告しておいた。彼は自分が使う予定のURLも掲載した。これで準備はできた。後は死ぬばかりだった。


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