発端
中編小説です。全部で原稿用紙130枚ほどです。今日から更新していく予定です。
霧崎健一は深夜にふと目を覚ました。部屋は暗く、口の中はカラカラに乾いていた。霧崎は自分の中にドス黒いものがまるで蛇のように走っていくのを感じたが、彼自身、それをはっきりとは気づいてはいなかった。彼はもう以前から、精神が闇に喰われており、今更、そのような感覚に怯えるという事もなかった。
とはいえ、その感覚は、彼の深い体内を貫いていた…。彼はその感覚を後々になっても覚えていた。もし彼が、後に、自分自身を振り返る事ができたなら、深夜の、この感覚をこそ、自分のした行為の原因とみなしたに違いない。もちろん、その原因自体作り上げたのも彼自身だったのだが…。
霧崎健一は体を起こし、部屋の明かりをつけた。パチリと音がして、部屋は明るくなった。それでもまた部屋は暗いままのように思われた。
彼は立ち上がり、台所に行った。台所はひどく汚れており、部屋も様々なものが散乱していた。コンビニ弁当の食べ終わった容器や、飲みかけのペットボトルや、読みかけの本やゲームソフト、ビニール袋や、彼が一週間前に切り落とした前髪すらもが、部屋の底には散らばっていた。台所、風呂場は水垢だらけで、素手で触れるとヌルヌルとした。霧崎はそんな環境にも平気で、馴れきっていた。
霧崎は台所に行き、コップに水を注いで、一口飲んだ。まだ喉が乾いたので、コップの中の水を全て飲み干した。それで、彼はようやく落ち着いた。彼はベッドの方に戻ってきた。
彼の頭の中には様々な想念が渦巻いていた。(どうして、人類はこんなに醜く、醜悪なのだろう。まるでこの部屋のようだ。…いや、この部屋は清浄だがな) 彼はそう考えると、不気味な笑みをニヤリと浮かべた。それは自分自身に向けられた笑みで、彼はいつの日からか、自意識の虜となり、自分で自分に芝居をする事を常としていた。
彼はベッドの上に戻った。枕の置いてある辺りに文庫本が一冊、転がっていた。ドストエフスキー『悪霊』の下巻だった。彼はいつからか、その本を聖典のように扱っていた。(多分、今週にはやるだろう…。いや、やってやる…) そう考えると、彼は悪霊の下巻を取り上げ本を開いた。もう何度も、何十回も、何百回も読み返したその箇所を彼はまた読み返した。それは「キリーロフ」という無神論者が、ピョートルという人物に哲学を語った後自殺する場面だった。彼は黙読し始めた。
※
「もし神があるとすれば、すべての意志は神のもので、ぼくはその意志から脱け出せない。もしないとすれば、すべての意志はぼくのもので、ぼくは我意を主張する義務がある」
「我意? でも、どうして義務なんです?」
「なぜなら、すべての意志がぼくの意志になったから。この地上に、神を滅ぼして我意を信じ、最も完全なる点まで我意を主張する人間は一人もいないではないか。ちょうど貧乏人に遺産がころげこんだが、それを自分のものにする力はないと思いこんで、金袋に近寄る勇気が出ないのと同じで。ぼくは我意を主張したい。たとえ一人きりだろうと、ぼくはやってみせる」
「まあ、やってください」
「ぼくには自殺の義務がある、なぜなら、ぼくの我意の頂点は、自分で自分を殺すことだから」
「しかし、きみだけが自殺するわけじゃない。自殺者はたくさんいますよ」
「理由がある。ところが、なんの理由もなく、ただ我意のためのみに自殺するのは、ぼく一人なのだ」
※
「なんて素晴らしいのだろう」
霧崎は呟いた。彼は恍惚とした表情を浮かべていた。
「なんて素晴らしいのだろう。ああ…なんて素晴らしいんだ! これこそ思想だ! これこそ、哲学だ! そうだ、我意だ、我意。己の意志の頂点に死がある。それも、自死だ。他殺じゃいけない! 僕は…死んでやる。なんと、死というのは素晴らしいんだろう! ああ、フロイトの屑も言っていたっけ? タナトスとかいう自殺衝動を」
彼は恍惚としつつ、自分で自分にしゃべり始めた。
「僕は死んでやる…死んでやるぞ。しかし、この世界の誰も、この事に気付かないとはなんと愚かな事だ! 馬鹿め! どこぞの文学者面した阿呆が、実存主義を、ドストエフスキーを弄びやがって。奴らにとっちゃ、ドストエフスキーの地獄すらも商売道具でしかないんだ! クソが! 奴らこそ、殺してやる! この僕が、僕が殺してやる! なんだ、連中は? 文学的雰囲気を醸し出すために、人間があるんじゃないぞ! クソ共が。…まあいい、僕は奴らを皆殺しにしてやる。テロ…しかし、テロの連中はあまりにも甘い。彼らには目的がある。無目的、非動機、ここにこそ、キリーロフの素晴らしさがある。しかし、ドストエフスキーはどうしてあれほどのものを書きながら自殺しなかったのだろう…? 結婚して、おまけに子供まで産みやがって…」
霧崎は大きな声で自分に喋りかけていた。彼は自分自身にとって、かけがえのない英雄そのものだった。彼は純粋に自己陶酔していた。
「僕は…やってやる。しかし、ここまで考えると、別に自殺でなくともいいな。他殺でもいい。キリーロフの思想には反するが…。やるのなら、路上で通行人を無目的に刺し殺すという事になる。陰惨だな…陰惨さの中には美がある。どこかの街で一家が殺害された事件があったが、犯人はまだわからない。あれは間違いだ。死を、殺害を、殺される事を、断罪される事を肯定する。自首してもいい。自殺してもいい。だが、逃げる事は許されない。それは駄目だ。逃避は駄目だ。僕は…死んでやる、あるいは殺してやる」
霧崎は手元の枕を片手でドンドン殴りつけた。ベッドが揺れる。
「だが、僕の思想はキリーロフとは違う。僕はキリーロフの事を僕に先行する先輩として尊敬している。だが、奴と僕の思想は違う。さすがに無神論では古すぎるさ…。神様なんてもう二十世紀には用済みになった。僕は…死のうと思っているが、その理由はこうなんだ…。僕はこのつまらない全世界に、人間達がいかに虚偽の中にいるのかを見せつけてやりたい。そうだ…僕は自分が首を吊る事を世界にあからさまに見せつける事により、人間達が間違った場所にいる事を見せてやりたい。僕は最初は非難され、批判されるだろう。しかしそのうちに彼らも僕の思想が正しかった事を知るだろう。彼らも知らなければならない。人間には奥底に隠された衝動があり、それは絶対に外側に露見しなければならないのだ、と。どうしても、そうした実存は外に現れなきゃいけない。どんな手段でもいい。どんな手段、どんな手段でも…」
霧崎は話を続けた。
「思えば、人間達はどこもかしこも、虚偽に満ち溢れた生活を送っている。学校、仕事場、家族、遊び場…。どこでも、人間共は仮面を被って生きている。戦争が終わって何十年も経ち、人間共は皆虚偽の中に生きる事になった。こいつらは、この従僕、家畜共は自らで自らを家畜とし、家畜としての自分達を価値付けるものを崇め奉っている。なんて事だ! どいつもこいつも死を恐れている。どうしてこれほどまでに死を恐れる? 死や殺人、暴力は自分とは関係のないものだと安穏に考え、その癖いつも、この畜群共は、自分達が八つ裂きにできる対象を探し求めているのだ…。今の芸能人共のスキャンダル騒ぎを見るがいい。全てはこの畜群達が自らの愉しみの為に生み出した慰み事に過ぎない。こいつらには、死を見せつけてやる。どうすればいいか…それには僕がまずは死ぬ事だ。世界にたいして、己の死を、僕は、この僕だけは全く死を恐れておらず、むしろ、人類共に死を見せつけられる、その事を高貴な目標だと心得ている…その事を見せてやろう。僕が首を吊った姿は刑死したイエスキリストのように万人の前でまばゆく輝き渡るだろう。…畜群共め!」
霧崎は酔っ払ったようにそこまで話した。しかし、そこまで話してしまうと、彼の身にはふいに、ある不安が襲ってくるのだった。
彼はそこまで考えると急に、今自分が言った事が信じられなくなるのだった。つまり、自分の死を世界に見せるという事が思想的に正しい事なのかどうかという事。それが正しいとして、現実的にそのような事がうまくいくのかどうか、道具の調達やら、ネットの配信環境や、カメラの角度など(彼はインターネットの生放送で自殺を配信するつもりだった)…本当に自分の自殺をうまく万人に見せる事ができるのだろうか? 人間が自分の生命をかけて行った行為を、「畜群」である人々は安易な言葉、くだらない戯れ言で台無しにしないかどうかという事。いや、それ以前に、それは話題にすらならないのかもしれない。霧崎にとって一番恐れる事は、自分が人々の中で埋没するという事だった。彼は子供の頃から、自分が多くの人の目に触れるべき存在だ、そうであるべきだと信じていたが、その為の手段の洗練、手段の構築というのは真面目にした事は一度もないのだった。つまり、自殺する姿を世界に見せつけるという行為は、自分をもっとも低い所から一挙に一番高い所へ押し上げる、彼にとって、最後に残された方法だった。
懸念の材料は他にもあった。それは死への恐怖だ。霧崎は自分が死に対する恐怖から、自殺を取りやめてしまうのではないかとその事を恐れていた。自分にそんな勇気がないのではないか、突然、死ぬ事が怖くなってしまうのではないか、ガタガタと震える動物、いや畜群である、安穏に幸福を求める人間達と同様、自分は死を拒否して安楽な道を選ぶのではないか。本能的な恐怖がやってくるのではないか?
霧崎にとってその事は未知の事だった。彼は二度、手首を切ろうとした事があったが、それは本気で死のうとしたものではなかった。だが今回は本気なのだ。彼にとってそうした事は、彼の漠然とした不安を成すのに十分だった。
「信念だ!」
彼は不安をかき消すように叫んだ。不安が訪れる時には彼はいつもこの言葉を放った。
「信念だ! 信念でやり遂げよう! 僕は…やり遂げる。僕は僕にとってもっとも恐ろしい事を、人間達が最も忌み嫌っている事を、僕は単に自分の意志だけでやり遂げる。死ぬ事…それも、特に死にたくもないのに死ぬ事。これが大事だ。動機が存在しない事、生きているだけで満ち足りている事、なのに、自分で自分の命を絶つ事。これこそが重要な事だ。あらゆる障害を踏み越えなければならない。世の連中は馬鹿げた幸福の為に様々な対価を払っているが、これほど馬鹿な事はない。自分の命だけはいつも後ろの方に大事に取っておいて、その癖、金やら女やら男やらを欲しがる。そんな事は無理な相談だ。人間はいずれ死ななければならない。年老い、死に、死体は腐って悪臭を放つ。人間共の明るさ、放埒さに僕は心底、うんざりしている。彼らには死を見せつけてやるさ。どうしようか、路上で人を殺そうか…。ククク……いや、それは駄目だ。それは自分の責任からの逃避だ。逃げたくはない。他殺は、自分の死ではない。責任感が伴わない。自分の恐怖に打ち勝つんだ! 神になるのだ! 現代の!」
霧崎健一はそれだけ叫ぶとベッドに横になった。彼の頭にはもう何ヶ月も、こんな思念がまとわりついていた。そこにはキリーロフの言葉が響いていた。
「ぼくは一生涯、これが言葉だけであってはならないと思ってきた。そうあってはならないと思うから、生きてきた。ぼくいまでも毎日、言葉だけに終わらせまいと念じている」
霧崎はキリーロフの言葉を驚くほどの誠実さ、熱心さで受け入れようとしていた。彼は毎日、死の事を考えていた。彼が死の事を考え始めたのは、中学生の頃からだった。彼はその時の事もはっきりと覚えている。放課後、誰もいない教室に強烈な夕日があたっているのを目撃した時(それは何気ない光景だったが)、彼の頭にはふいに「死」の事がまざまざと思い浮かんだのだった。それは人が想像するような抽象的な観念ではなく、もっとはっきりとした、現実的なイメージだった。それは彼にとっては黒々とした蛇のようなイメージだった。彼はそのイメージが、人を殺せと意味しているのか、それとも自分を殺せと意味しているのか、その事を長い間吟味していたのだったが、それが今年に入ってから、自殺である事が明瞭になったのだった。
人間に「死」を見せつけるという行為に関しては、他殺でも自殺でもあまり変わりない、という事は彼も承知していた。その場合、彼は最初から、ネットの配信を使って、殺人行為や自殺行為を人々に見せつけてやろうと考えていた。
自分の行う行為は自殺であるべきだ、と今年始めに理解したのには、彼の考える「責任」という概念が大きかった。世の、いい気な無差別的犯罪者達は、自分の死に対する恐れを克服しておらず、それを他人の死とすり替えるという事に問題があるように彼には見えた。彼らは他人を殺しはするが、自分を殺しはしない。簡単に言うと、彼らは自殺したいのだが、それを他人の死と取り違え、勘違いしてしまう。そこには「責任」の欠如があった。霧崎はまた、他人を殺した後自殺するという方法についても考えたが、それでは、自分が捕まる事を恐れて自殺したのだと、人々にそうとられる可能性もあった。
彼はそんな思考の迷路を孤独にたどり、ようやく、彼自身の自殺を世界に見せつけるという行為を自分の目的とした。この目的は彼にとっては崇高なものであって、考えぬかれたもののはずだった。
深夜にベッドの上で、怒鳴り続けていた彼はやがておとなしくなり、ベッドに横になった。彼は目をつむり、次第に眠り始めた。
霧崎が大学を中退してから三ヶ月が経っていた。彼は二十一歳の青年であり、自分のあまりの閉塞感から、独特な危険思想にはまりこんでいたのだった。