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戦火のロートス~転生、そして異世界へ~  作者: べりや
第五章 アルト攻防戦 【前編】
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第三帝姫と第一帝子

「殿下、お、お飲み物をお持ちしました!」



 レイフルト村に駐屯して早五日。

 依然テント暮らしであるが、アルヌデンから送られてくる補給物資のおかげで特に苦労というものはしていないし、氷の魔法のおかげで冷水も飲み放題ときている。

 ――のだが。



「ヨハナ。落ち着け。手が震えておるぞ」

「は、はひッ! も、申し訳ありません、殿下……!」

「いや、力むな」



 慣れぬ手つきで氷が入れられたグラスにリンゴ酒(シードル)が注がれる。だがそれはグラスだけではなくその周辺に置かれた作戦地図にまで注がれてしまい、広大な湖が生まれてしまった。

 緊張しすぎだろう。給仕くらい戦闘より易いと思うのだが。やはりこれくらい自分でやるべきだったな。。



「もう、よい」

「も、申し訳ありません! 何卒! 何卒お許しを」

「いや、怒ってはおらぬ」



 東方辺境騎士団の中でも魔法の扱いに長ける彼女でも苦手なものはあるのだな。

 さて、この濡れた作戦地図はどうするか。放っておくと匂いにつられて虫がやってきてしまう。



「クラウス。作戦地図だが――」

「殿下。その、ディートリッヒ殿は……」



 そうだ。クラウス・ディートリッヒは役を解いて所領に送り返したのだった。

 だから後任として東方辺境騎士団の花の一人であるヨハナを選んだと言うのに。



「忘れろ」



 自分から解任しておいてなんて体たらくだ。余も落ちたな。

 重い溜息を飲み込みつつ、出されたリンゴ酒(シードル)を喉に流し込むと、柔らかな香りが一時の暑さを忘れさせてくれる冷たさが身にしみた。

 何といってもアルツアルの暑さよ。まだこの時期でこの暑さなのだから夏になったらどうなるのか。このままダラダラと戦い続けていては我が軍は暑さに敗れてしまうのではないか? よくもこんな場所に国を建てたものだ。さすが蛮族、やる事がわからん。

 あぁ早々に戦を辞して東方に帰りたい。総督府において税の管理や巨人族の討伐に、東方辺境領南部を侵す異教徒の国と戦ったり――。いや、その前に戦に疲れた諸侯に補償を出さねばならぬし、それに――。



「東方王か」



 東方地域に君臨する各氏族を統率するただ一人の王。部族社会と言う概念を国へと昇華させた絶大な地位。

 その空白の王座に余が座るだと? バカな事を。余はそんな器ではない。だが――。

 だが、と思ってしまう。精強な騎馬兵団である東方の有翼重騎兵を引き連れてサヴィオンに反旗を翻すのは非常に、非常に楽しい事なのではないか、と。



「……バカバカしい」



 帝国第二帝姫がサヴィオンに弓引いてどうする。それに今は眼前の敵に集中せねばならぬとうのに。

 だが最後の東方王ミーシャ・ゴスト・イヴァノビッチは余に東方を託してくれた。そう、このアイネ・デル・サヴィオンにだ。

 確かに母は東方王の家系に連なる女だから余が東方王を名乗るのに差し支えは無い。むしろ帝国としても余が東方王に就任する事で東方統治を円滑化できて益になるのではないか?

 いや、これほどの事を余が勝手に決めては不平がでる。まず議会での足場を固めねばならぬか。なら中央政界を良く知る者に根回しを任して――。


 くそ、それこそクラウスの役ではないか。

 クラウスを解任した手前、それを成せる者がおらんぞ。どいつもこいつも戦働きは長けるものの政界に関しては素人ばかりしかおらん。

 いや、これは余も悪い。政治に関わるのを避けるうちに爪はじき者ばかり抱え込んでしまったせいだ。それに余の部下の多くは東方人だから今から帝国中枢にそのような者達を送り込んでも仕方ないし……。



「クラウスめ……!」



 いつの間にか握りしめていたグラスが音を立てて砕ける。あの飄々とした面など二度と見たくないと言うのに!



「で、殿下! お手が――!」

「大事ない」



 く、余としかことが。また地図がひとつリンゴ酒(シードル)に没してしまった。手ぬぐいはどこだ?

 クラウスだったら即座に出してくれるのに。



「殿下。畏れながら申し上げ――」

「その前に拭く物をもて」



 あたあたと本営を走るヨハナに気づかれぬようため息を一つついてからいらないメモ用紙にグラスの破片を片づけていく。



「殿下。よろしいですか?」

「うむ。話とは?」



 ヨハナがどこからか持ってきた布切れでテーブルを拭きだすと、やっと先ほどの話を切りだしてくれた。



「どうしてディートリッヒ殿を解任されたのです?」

「………………」



 東方辺境騎士団にはミーシャが敵に討たれたとは伝えてあるが、その詳細までは伏せてあるし、あの場に居合わせた者には堅く緘口令を敷いている。

 故に多くの者は余がクラウスを解任した事に疑問を覚えてしまうようだ。もっとも真実を公表したら東方の民が知ったらどうなるか想像もつかないから、この事は墓場まで抱えていく事になるだろう。



「余の不興を買った、というところだ。ヨハナも気をつける事だな」

「ひぃ!」



 ガタガタと震える橙の髪に思わず笑みを浮かべてしまう。少しからかいすぎたか。それにしてもヨハナもだいぶ立ち直ったものだ。

 エフタルで父上殿を失ってからだいぶ気落ちしていたといいうのに。

 ミーシャを失った傷も、いつかは彼女のように癒えてくれるのだろうか……。



「なぁ、ヨハナ。話は変わるが東方王の位は今、空席だ」

「はい。卑怯なエルフにイヴァノビッチ様が討ち取られ、東方王はおりません」

「……もし、もしだ。余が東方王に即位すると言ったら、どう思う?」



 心臓がバクバクと暴れ出す。これほどの緊張など戦場でさえ味わった事もない。

 もし、王位にふさわしくないと言われたらどうしよう。そんな不安が頭をよぎってしまう。



「…………即位されないので?」



 きょとん、と言うように目を見開くヨハナ。その驚きを現すようにテーブルを拭いていた手が一枚の地図を引き裂いた。



「あッ! も、申し訳ありません殿下!」

「よい。それより、余が即位すべきと思うのか?」

「イヴァノビッチ家を殿下は降されたのです。なら、殿下こそ東方王にふさわしいと思いますが」



 強さこそが正義を地でいく東方民らしい考えだ。

 彼女にとってイヴァノビッチ家とはすでに役割を終えた家と映っていたのかもしれない。

 なんと無常な……。



「余も敗れれば王位を追われる、か」



 と、言っても勝敗は全て戦野で済む事はなく、議会の事もある。あとは予備兵力として東方辺境領に残る留守貴族の信任を得られれば……。



「余が東方王か」



 さて、する事は数多い。

 まずは眼前の戦をなんとかしよう。そう思っていると一人の騎士が本営を訪ねてきた。



「殿下! 報告します。処刑の準備、滞りなく整いました!」

「よろしい。ヨハナ、行ってくる。片づけを頼むぞ」

「はい!」



 ビリッと言う音に従者を変えようと仕事が増えた事に嘆息しつつ騎士に続いて本営を出る。

 そして破壊の限りを尽くしたレイフルトと言う村の中央に出ると、そこには簡易な舞台が作られており、五人の役者が立っていた。



「あの舞台。演目中に崩れる事はないか?」

「それはないかと。ただ梁の強度が不安のため、五人ずつでかまいませんか?」

「良い。時間をかけてやるのもまた効果的だろう」



 舞台の真ん前に立つと、よく役者達の顔色が見えた。青あざのある者、切れた額から血を流す者、虚ろな目で腫れた口を開けている者。

 一様に拷問の色が見える。もっともめぼしい情報も得られなかったが。

 だがそれでもまだ使える資源ではある。



「良い面構えになったな」



 そしてクルリと観衆に振り向く。そこには労役のためにつれてきた亜人捕虜達がおり、不安そうにこちらを見ている。



「良いか! ここに並ぶ者達はここの村人でる。この者達はサヴィオン軍の兵士に対して卑劣で狡猾な攻撃が陰湿な攻撃を行った。

 余は栄えあるサヴィオン軍に手をあげる者を決して許しはせぬ。それが例え力無き村人であろうと!

 故に前もって抵抗する者達にこのとおり警告をしておこう!」



 短く「やれ」と命じると傭兵達が舞台に上がり、梁から吊された荒縄を村人の首にかけていく。それが終わると、麻袋を被った処刑人(役の傭兵)がロープを引っ張る。するとそのロープにつられて舞台下の柱が引かれ、積み木を崩したように舞台の床が崩れた。



「良いか! これがサヴィオンに手を挙げた者の末路だ! 諸君等にはこの轍を踏んで欲しくはない。今日よりいっそうの奮励を期待する!」



 占領地政策を円滑に行う要点は力の関係を見せつけるに限る。これは東方で学んだ事だが、強者としての振舞いをせねば思い上がったバカが必ず一人は出て来るものだ。

 故に弱腰な姿勢を見せる事は出来ない。

 まぁ今後の東方政策においても同じ事か。強者であり続ければ東方は付いて来る。弱者では居られない。

 まるで茨の道だな。だが余にはそのような覇道が似合っている。



「よし。次の準備をしろ。捕虜はまだおるのだからな」

「殿下、それが……。先ほど報告があったのですが、兵のうち、数人が先走ってしまってすでに――」

「そうか。まぁよい。舞台の撤収は明日にして先に始末したものの処理を優先させてくれ。余は本営に戻る」

「御意に!」


 ◇

 第三鎮定軍副将エルヴィッヒ・ディート・フリドリヒより。



 マサダ要塞。

 それは王都アルトに向けて立ちふさがる難攻不落の城だった。

 周囲を二重の城壁と水堀によって囲まれたその城はアルツアルの重防御戦略を現すように重厚であり、堅固。特に二重の城壁を利用した城塞型魔法陣はいかなる魔法攻撃さえ跳ね返す、と思われていた。



「それも過去の栄光というものね」



 城壁から見渡す異国の風景は中々心をくすぐるものがあったが、それよりいつまでも黄昏てはいられない。



「かのフリドリヒ家の頭首も感傷に浸るのか」



 隣に立つ主――ジギスムント・フォンサヴィオン様に聞かれていたのかと思うと、即座に頬が白熱してしまう。

 気恥ずかしさと共に顔を景色から背ければ、その拍子に右手がその声の主に触れ、優しく包まれた。



「殿下……」

「二人きりだ。気にするな」

「はい、ジーク」



 殿下の愛称を唱えると、彼は優しくほほえんでくれた。まるで数年前に戻ったかのような、そんな錯覚を覚えてしまう。

 だが、そのせいで自分の声の低さがよけいに気に障る。

 病で喉を痛めてからこの方、醜い声しか出せないこの身が辛い。出来ることなら、こんな耳障りな声を殿下にはお聞かせしたくないのに。



「『たけき者もついには滅びぬ』」

「――? なんですか、それは?」

「昔の物語で、栄華を極めた者も、いずれいなくなると言う意味さ」



 そのような昔語りがあっただろうか? 自分が読んだ中には無かったように思う。

 そう言えば殿下は昔から自分には知らない物語を多く知っているようだった。もしかしてご自身で作られているのだろうか?



「ジークの話はいつも為になります」

「そうか?」

「えぇ。ですが、先ほどのお言葉ですが、それには間違いがあります」



 殿下の目に「それはなに?」と疑問の色が浮かぶ。



「殿下の作られる国に滅びなどあるはずがありません」

「嬉しいな。そんな事を言ってくれるなんて」

「本当の事です。殿下の発明された農法で飢饉も減るでしょう。我が所領だけではなく、帝国全土で普及されるべきものであると思います」



 殿下の推奨するジャガイモを取り入れたおかげで麦などに比べ食料の収穫率が拡大したし、肥料と呼ばれる魔法の土の導入でそれがさらに加速した。

 そのおかげで父から受け継いだフリドリヒ領では餓死者が大いに減った。

 そんな聡明な方が作る国が滅びるわけがない。おそらく帝国はこれから繁栄期を迎えるのだろう。その一端を担える者としてこれほど誇らしいものはない。



「エル。その、(われ)――いや、おれの隣でそれを見守ってくれるか?」

「もちろんです」



 何度殿下に体を預けた事だろうか。そのたびにこの人と出会えた事を星神様に感謝しない事はない。

 それが、今。



「殿下……」

「エル」



 甘美な声が己が名を呼んでくれる。その嬉しさと共に身を寄せてきた殿下の意図を察し、顔を上げ――。



「ジギスムント閣下! よろしい――。あ、いえ、おじゃましました」



 だがその直前。無粋な従卒の声にピタリと動きが止まってしまった。  そして重いため息と共にジークの顔が皇太子のものへと変わる。



「なにようだ」

「ハッ。準備が整いました。一応、ご報告に」

「うむ。後は任せる」



 それに一礼して去る従卒だったが、急ぎ足なのは命令を迅速に伝達するためだけではないだろう。

 なんとも空気がシラケてしまった……。そんな気まずい沈黙の中にいるとガシャガシャとうるさい音が迫ってきた。

 顔を見ずともわかる。第三鎮定軍きっての大男にして殿下に仕えるサヴィオン公爵家の一人。



「殿下! 探しましたぞ!」

「ラーガルランドか。どうした」

「どうしてもありません! 処刑の取りやめの嘆願をしにきました!」



 処刑――そう言えば罪人はラーガルランド騎士団所属の者だったか。

 だがすでに沙汰は下っている。もう覆ることはないだろう。

 それよりただでさえ暑いアルツアルなのだからこの男だけは今、一番会いたくない者だった。早くどこかに行ってくれないかしら。



「部下の助命とは中々殊勝な事だな。だが禁を破ったものを罰しなければならぬだろう」

「されど処刑はやりすぎです! このアドルフに免じてどうか! どうか!」

「くどい! 吾はすでに沙汰を決めたのだ! それを蒸し返すとは貴様の責任を問わねばならんぞ」



 すでに帝子が取り決めた事に異を唱えるなど、時が時なら反逆罪ものだ。

 それをわかってこの男はしているから性質が悪い。



「たかが略奪ではありませんか。それは兵への正当な報償です」

「正当な報償だと!? ふざけるな! それのどこが正当なのだ!? 兵にはすでに約定通りの賃金を払っているではないか」

「それでは命をかけるには安すぎます! それを補うためにも略奪をお認めくだされ。

 そもそも兵達は殺されるかもしれないという不安とも戦っているのです。その鬱憤をはらし、次の戦に備え――」

「次の戦いに備えるために民を虐げると言うのか!? ふざけるな! 円滑な占領地政策あってこそ次の戦に進めるというものではないか!?

 だからこそ略奪と強姦を禁じたのではないか! そしてそれを破ったものを極刑に処すとも!」



 するとラーガルランドは肉厚な唇をかみしめ、何かを悟ったように頭を垂れた。

 だがそれは改心したと言うより説得を諦めたというものに近かった。



「……申し訳ございませぬ。このアドルフ。殿下のご意志に反する事をもうしました」

「以後気をつけよ。次は責任問題で貴様を解任しなければならない」

「肝に銘じます。それと、部下の失態は将の責でもあります故、自室にて謹慎しております。これにて失礼」



 暑苦しい男から血の気が引くというのもまた珍しい。

 だがラーガルランド公爵の言うこともわからなくはない。兵の鬱憤を晴らし、万全の状態で次の戦に望むのは将として当然の事ともいえる。

 だがそれはジギスムント殿下の前ではもはや旧態とした価値観だろう。



「なぁ、エル。吾は、間違っているのだろうか?」



 時々、殿下――ジークの顔から皇太子としての仮面が剥がれる時がある。

 あぁこの方はお優しいのだ。そんな殿下をお支えしたい。それは家臣として、そして彼の隣に立つ伴侶としても。



「いえ、そんな事はありません! 殿下の考えは聡明であらせられます。占領地政策ほど難しいものはありませぬ。

 それを慈悲を持って統治されるのもまた難しい事です。どうか、お心を乱されぬよう」

「そうか。おれは正しいか」

「えぇ。なんと言ってもアルツアルの民を戦に巻き込まぬよう、無血開城のためのお時間をお与えになったではありませんか。

 これでアルツアルも殿下の慈悲の心に触れ、折れる事に間違いありません」



 そしてその手が頭に延び、優しく髪を梳いてくれた。


なお、イザベラ殿下は国民を徴兵して徹底抗戦の構えの模様。



それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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