王都アルト
連続更新2/2です。お間違えの無いようお願いします。
初夏と言われるように凶暴な陽光が王宮の中庭を照りつける。
頬から伝う一筋の汗を拭うと、さっぱりとした風が帽垂を揺らしてくれた。
その乾いた風がジリジリと照り付ける太陽から肌を慰撫してくれるおかげでまだ暑さを我慢できる。
もっとも隣に佇む幼なじみはそうではないようで白い肌を赤くしたミューロンが恨めしげに空を睨みつけた。
「アルツアルってこんなに暑いんだね」
鈴のなるような声音なのに、その内容のなんと憎悪の籠もった事か。
そのギャップにこみ上げてくるものを感じつつ深い碧の双眸が睨みつける青空に視線を送ると澄み渡る空に薄い雲が湧いていた。好いた人と同じものを見れるのってなんか、ステキな気がして胸が高鳴ってしまうと言うのは、いささか乙女すぎるか。
「今年は特に暑いらしいな。さっそく新しい軍衣が役だったし」
「それはありがたいけどさー」
「殿下には感謝してもしきれないな」
ウールで出来た濃紺軍衣ではやっていられないとアルツアル王国第三王姫イザベラ・エタ・アルツアル殿下に相談したところ、二つ返事で綿製の夏衣を用意してくれた。
それがこの白色の詰襟軍衣だ。袖に階級を現す刺繍が施されている点と言い、襟に兵科色が縫い付けられている点と言い、根本的なデザインは冬用のと変わらない。だが綿で出来ているおかげで風通しは良いし、洗いやすいので助かっている。ウールは洗えないから叩いて埃を落とすだけだったから丸々洗えると言うのは非常にありがたい。
「さて……」
眼前には横二列に展開した二つの銃兵小隊。膝射姿勢をとった彼らは例外なく私服であり、軍人要素と言えば申し訳程度の軍帽と燧発銃のみ。
この場で軍衣袴を着ているのは俺とミューロンだけなのだ。と、言うのも軍衣の生産が間に合わず、支給されるのも正規軍からと言う事らしいので二線級部隊には軍帽しか配られていない。
そんな彼らの中、ただ一人だけ鎧を身に着けた騎士少尉が「第八小隊整列よし」と叫ぶ。それから二分くらい遅れて「第七小隊整列よし」の報告がやってくる。
「構え!」
やっとこの命令を出せた。
先ほどまで小隊は縦列で行軍からの横隊へ陣形変更、射撃と言う流れで訓練をさせているのだが、縦隊から横隊への転換に十分以上も使っている。いや、これでも短くなった方だけど。
「狙え!」
たどたどしい銃の構えにため息がもれる直前に「撃て」と命じると、引き金が引かれ、撃鉄が当たり金を叩く音とともに「バン」と言う叫び声が響いた。
「おい、恥ずかしがるな! 腹の底から声を出せ。そんなんじゃサヴィオン人は殺せないぞ!」
そう、引き金を引いても弾は出ない。だって弾がもったいないから。
そもそも銃はなんとか行きわたっているものの弾薬は生産が間に合わず第七、第八小隊共に定数の半数ほどしか配られていない。だからおいそれと訓練で消費するわけにもいかず、仕方ないから銃撃ではなく口撃での訓練となっている。
そんな訓練のせいか彼らは俺に「こんなので戦えるのか」と疑問に満ちた視線を向けてくるが、正直にいうと俺も同じ疑問を抱いているので勘弁してほしい。
「ぼさっとしないで! 撃ち終わったら装填をして!」
ミューロンがハッパをかけるも、兵達の動きはぎこちない。
それもそのはず。だって訓練は三日おきに半日だけなのだから。そんなんでまともな兵士を育てられるだろうか?
……これは安請け合いをしてしまったな。
そう後悔していると「ロートス大尉」と冷たい声が背後からかけられた。振り向けば青い髪に鋼の瞳が俺を――いや、その背後の兵士達だろうか――見ていた。
「はい。イザベラ殿下。何でしょうか?」
アルツアル王国第三王姫イザベラ・エタ・アルツアルその人は冷ややかな視線を兵達に向け、若干だが顔を曇らせる。
イザベラ殿下の表情が動くほどだからこれは結構、やばそう。
「順調な訓練とはいかないようだな」
「ハッ。申し訳ありません」
「いや、その、責めているわけではないのだ。許せ」
口数が少ない殿下の言葉はどうも棘を感じてしまう。いや、そんな事はぜんぜんないんだろうけど。
「やはり現状では訓練に無理があったか」
「畏れながら申し上げます。さすがに八人ではなんともしがたくあります」
訓練状況が滞っているのは教官に対してその生徒が多いのだ。
この場には二個小隊がいるが、イザベラ殿下が市井から集めた人員はその数なんと千五百人弱。
ぶっちゃけキャパを越えている。で、イザベラ殿下はその人員の早期訓練終了を命令してきていて――。
「そもそもロートス支隊八人を四組に分けて四か所で二個小隊に半日の訓練をすると言うのが無茶です。ロートス支隊の兵の中にはやっと戦闘に慣れて来たような者もおりますし、訓練の進捗に大幅な差が出るのは歴然です」
「それでもやってもらわねばならん。期日はあと十八日なのだ。それまでに仕上げてくれ」
サヴィオン軍総大将ジギスムント・フォン・サヴィオンの発した停戦協定が失効する前に民衆を兵隊にしろと?
いくら前世がブラック企業で無茶な納期に泣く泣く対応していたが、こればかりは無理だ。
まぁ銃の撃ち方は教えたし、士官に戦術講義もした。
だが各小隊の連携はおろか未熟な士官のせいで中隊での行動も難しいときている。
「いくらなんでも性急すぎます。訓練の完了は出来ません」
「無理を言っているのは分かっている。だが、そうでもしなければ和平派貴族がまた息を吹き返してしまう」
「はぁ……」
思えばレオルアンからドラゴンに乗って王都に来て十日。その日の事を思いだすと、イザベラ殿下が焦っている理由も分かると言う物だ。
「その、北アルツアルに戦力が無いから降伏を選ぶ、でしたっけ?」
「無用な戦闘を避け、民を守ると息巻いている。特に人間種の貴族がな」
人間至上主義を掲げるサヴィオン帝国に降ると言うことは奴らが亜人と侮蔑する諸族を切り捨てると言うことでもある。
だが逆に言えば人間族に関してはある程度の保証が見込めるのだ。だから人間族貴族を中心とした和平派貴族と諸族貴族を中心とした主戦派貴族とが議会で熾烈な舌戦をしていると言うが……。
「彼らがそれを知ったらなんと思うか……」
「下手をすれば蜂起だな」
そんな大げさな――。とは言えない。特に諸族の連中はサヴィオンに負ければ後がないのだからすでに死に物狂いで戦う事を決めている者さえいる。
そんな者達が訓練をしているというのに御上は和平云々と話し合っているとあっては怒りを覚える者さえいよう。
そう言えばイザベラ殿下は王都入りする直前に「王国を滅ぼすやもしれん」と言っていた。
それがこの事だろうか。サヴィオンに軟弱な姿勢を見せる和平派貴族を諸族に粛正し、王都での決戦に備えると言う。
確かに内輪の引き締めを行うのは大事だけど、そんなクーデターのようなまねをしたらサヴィオンと戦う前に国が二分になって滅んでしまうだろう。
って、それまずくない!?
「今はとにかく目に見える戦力が欲しい。どれほど高貴な理想を説いてもやはり力無き理想は無力だ」
そもそも和平派貴族はサヴィオンに対抗できる戦力が北アルツアルに存在しない事から戦っても無意味と言っている。
だからこそ目に見える戦力を整える事で和平派を潰す――そういう訳ね。
「まずは国内の意識統一を成さねばならん。特に兄上が帰ってくる前に」
「兄?」
「第二王子マクシミリアン・ノルン・アルツアル」
あぁそんな名前だったんだ。あれ? イザベラ殿下の兄君はすでに戦死したと聞いていたが、あれは別の方なのかな? 王族事情ってよくわからん。
「予の敵は多い」
「あー。なるほど」
「なにを納得した」
そりゃ口数の少なさから誤解とかされそうだし。
それに己の身を省みずに行動してしまうあたりとか、イザベラ殿下には政敵が多そうなイメージがある。
「それで、兄殿下が帰られるとまずいので?」
「まずいもなにも話がより複雑になろう。相手は予よりも王位継承権が上なのだ。口を挟まれるだけで時を取られる事を予は望まぬ」
ふーん。
まぁ御上の事情はどうあれ、邪魔が入る前に部隊の練兵を済まさねばならないと。
「事情は理解しました。しかし――」
その時、隣から「あー!」と鈴が転げ落ちるような悲鳴が飛び出た。
「こら! そこ! 勝手に隊列を離れない!」
「うるさい! 臨時少尉風情に指示されるいわれはない! それよりおい、従兵! 水をもて。喉が乾いた」
第八小隊長である若い騎士少尉が兜を脱ぎ、そばに控えていたコヒョウに手招きする。
それを見た兵達から緊張の糸が解けていく。くそ、なにやってんだ。
「少尉! 休息は定められた時のみ許可すると始めに言ったはずだ! 持ち場に戻れ!」
「騎士大尉の分際で! 僕の家は伯爵家だぞ。父上にお前の事を言ったらどうなるか――」
やっとイザベラ殿下の御前にいると言うことを知った少尉の顔色が悪くなっていく。
まぁ彼がお父上になんと言おうと俺の首が飛ぶことはないらしい。
「少尉。もう一度言うぞ。持ち場に戻れ」
「くッ……!」
そんな親の仇を見るような目で見ないでおくれ。
上司なんて嫌われてなんぼってのはあるけど、出きれば互いに良好な関係を築けるに越したことはない。だって嫌いな部下ができたらなにが何でも切りたくなるし、俺としてはそんな事をするのは不本意だからね。だから自分の身を守るためにも仲良くしてほしいんだけど……。
「訓練を続けろ! 貴様等はこの国難に立ち向かう先兵なのだ。諸君等の背後に居るのは誰だ? 王家か? 貴族か? それもそうだが、諸君等の真後ろには家族がいる。
サヴィオンの魔の手から家族を守れる栄誉を諸君等は授けられたのだ。その機会を無駄にするな!」
こう、怒鳴り散らすと心がスカッと晴れる。こりゃ上司達が俺の事を怒鳴っていた理由が分かるというものだ。
やはり因習とは引き継がれるんだな。
「練兵はまだまだのようだな」
「一応、人間族以外の兵は士気も高く、意欲的なんですが……」
問題は人間族だ。彼らは諸族と違って奪われる危険が少ない事から徴兵されたのも新しい金稼ぎと思っている節がある。
だから士気は低いし、団体行動は出来ないしではたはた困っている。特に少尉どもが。
「あの少尉、嫌い」
ミューロンさんや。殿下の前でそんな事を言ってはならんよ。
「苦労をかけるな。ミューロン臨時少尉」
「い、いえ。そんな」
「やはり問題のある人員しか配られなかったか。いや、王国の帰趨を決めるアルヌデン平野での戦に参加させられなかった者であると聞いた時点で察するべきだったな」
苦虫を噛み潰したように顔をしかめる(と、言っても平素と間違い探し状態だが)イザベラ殿下。
「殿下、申し上げます。王都において士官育成は急務です。しかし――」
「皆まで言うな。だが、騎士達も下馬して民を率いろと言ったところで納得する者はそうおらん」
ですよねー。
騎士と言うのは権力の証だし、それが下馬して民と戦うなんて納得するはずがない。そもそも貴族と民の命の重さは天と地ほど違うのだから民と混じって戦うなんて貴族の恥と考える奴も多いだろう。
いや、そんな意識のままじゃこの部隊運用はうまく行かんぞ。せめて大隊として行動させられるレベルまで練度をあげなくてはいけないが、期日まで二十日を切っている。
「やはり――」
「泣き言は聞き飽きた。ロートス大尉。予は期待している」
あぁかみさま!
せめてエンフィールド様の支援があればなぁ。地位的にも助かるし、それに銃の扱いに長けた第一中隊が来ればそこから軍事顧問を抽出して訓練に当てる人員も増やせると言うのに……!
「あ、殿下。よろしいですか。第三軍集団も王都を目指しているのですよね。いつ頃王都に来るのでしょうか」
「河船で移動すると言っていたはずだから、来週には王都入りするだろう」
遅い。
せめてザルシュさんを始めとしたベテランの下士官が居れば練兵は行える。
どうしたものか。
「おや? 皆様おろろいで」
溌剌としたその声に視線を向けると流れるような黒髪に黒い瞳の女性がはにかみながら手を振ってきた。
その見た目こそ、ガチで日本人っぽい。そのせいでイザベラ殿下が貸し与えたという緑を基調としたドレスがまるで似合っていない。浮いているというか、身の丈にあっていないというか。
「これはリュウニョ殿下。御加減はいかがでしょうか」
「あーもう心配してくれてありがとうイザベラ!」
アッハハと快活な笑みを浮かべると頬についた薄赤い鱗が陽光を受けてキラリと光るその人――龍こそバクトリア王国第二王姫リュウニョ・バクトリアだ。
王姫様――と言われてもその人なり(龍なり?)はどこか近所のお姉さんを思わせるものであり、王族として敬意を払った対応をすると「むず痒い」と言われる有様だ(ただ王族同士の外交儀礼は尊寿しているらしくイザベラ殿下からは『殿下』と呼ばれている)。
そんな豪放さを見せつけるようにイザベラ殿下の肩をバシバシ叩くリュウニョ殿下を見ていたミューロンが小声で「まさかバクトリアの王女様だったなんて」と顔を青くしてささやいた。
そう言えば彼女とイザベラ殿下が初めて会ったときも誤解をしていたし、彼女には女難の相がでているのだろうか。ん? この使い方であってるのか?
「うぅ。わたし不敬罪で罰せられないかな」
「それ以前にお前は軍規違反を咎められるのが先だと思うな」
命令無視。独断専行。そうした行為を罰しようと思うもののそれなりの戦果をあげているし、この間のイザベラ殿下を王都にお連れするのだって彼女が居なければ俺達は全滅していた(だからイザベラ殿下の王都帰還と共に勲章を授与されている)。
「うへぇ」
「そうイヤな顔をしない。まぁ助けてくれた事に関してはありがたいと思っているし、俺を助けてくれたのがミューロンで良かったとさえ思っているけど、部隊の規律を守るためには必要だからな」
そう、俺の中隊はサークルや部活ではない。だからこそ罰が必要になってくるのだが……。
「でも勲章を与えられちゃったからなぁ」
「な、なんかごめんね。ロートス……」
シュンっと肩を落とす幼なじみだが、その左胸の星を模した第一級戦功勲章が「そんな事を言われてもする事してるからさ」と言うように輝く。
まぁ純粋に嫁の活躍が認められた事は非常に嬉しい。嬉しいおかげで授賞式の最中に飛び上がってしまうほどには。
「ん? そうだ。リュウニョ殿下の力を借りてレイフルトからの撤退途上のエンフィールド大隊から下士官を空輸してもらえれば問題解決じゃん」
「あ、それいい考えだね」
「いや、でもなぁ。ドラゴンの王様だから頼むのも――」
「じゃ、わたしが頼もうか?」
そう言うやミューロンが「リューニョ!」と駆け寄っていく。おい、不敬罪!
と、彼女の罪を数える前に待ってくれと言いそびれ、ミューロンがリュウニョ殿下とイザベラ殿下の会話に飛び込む。これこそ不敬罪だろ。
だが女の子達がわいわいやっているのは目の保養になるな。
「なるほど。我が友であるミューロンの頼みでもあるし、主殿がそう望むのなら願ってもない事だ」
「本当!? ありがとう!」
そして任せてくれと言わんばかりにリュウニョ殿下がその豊満な胸を張る。サイズとしてイザベラ殿下には劣るが、それでも随分とした物を持って――。だがその思考を続ける前に瞳に輝く蛇のように細長く、鋭い光彩が俺を捕らえた。
「ソレガシ、主殿の命に従おう」
「あの、リュウニョ殿下。俺の事を主殿と言うのはやめていただけませんか?」
「いや、この命を救ってくれたのだから貴方を主と仰ぎ、恩を返したい。もっともこの身はすでに相手が決まっている故、好きにはできぬが、飛ぶ事くらいお安いご用だ。ソレガシに任せてくれ」
王族にお願いしているという時点で俺の精神的なゲージがだだ下がりなのだが……。
ま、まぁ快く許可してくれたのだからその心意気を無駄にするのは却って失礼か。これでとりあえず下士官の宛はついた。
「さて……。予はこれにて失礼する」
「また軍議ですか」
「いや、違う。王都の法衣貴族を集めた政治工作だ。主戦派貴族の足並みを整え、アルヌデン平野会戦で討ち死にされたシャルル兄上派貴族の吸収しなくてはならん。
もっともこの時期に園遊会を催している場合ではないと言うのはわかっているが……」
接待か。
懐かしいな。俺も取引先の機嫌を取るために接待ゴルフとか行かされたっけ? 今思うと無駄な投資をしてしまったな。玉は打つものじゃなくて弾は撃つものなんだ。
「暢気に食事をしている暇も惜しいのにこれをしなければまともな会話も出来ないとは」
「いいじゃない。楽しめる時に楽しむべきだと思うが?」
「リュウニョ殿下。お戯れを。予は音楽と食事には関心が無いのです。宮廷楽団など税の無駄です」
なんか会話が上流階級の話し合いになっててついていけない。
それにしても楽団ね。そう言うもの王家は持っているのか。すごい――。
「そうか、楽団か」
「――? どうしたロートス大尉」
「その楽団、戦の役に立つかもしれません」
すると鉄皮面のようなイザベラ殿下の顔が「お前なに言っているの?」と言いたげにゆがんだ。
夏衣の元はやはり明治19年式から。それと明治陸軍の帽垂がおしゃれだと思う今日この頃。
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