虜囚
引き金に添えていた指に力をかければ、火薬の力を一身に授かった椎の実型の弾丸が銃身を飛び出していく。
轟音、白煙、火花。
鉛のそれは絶叫と共に五十メートル離れた肉と骨を破壊しその役目を終えた。
「命中……」
満足感を覚えながら頭から被ったテントを脱ぎ捨て、蒸れる兵用軍衣の第一ボタンを外す。
確か、人と言うのは人の形に反応するらしい。だから人の形をぼかせば気づかれにくくなる。そんな話を前世で聞いた事があったからわざわざテントを被っていたが、相手は俺が潜んでいる事も気づかぬままに倒れてくれた。
お手軽に偽装効果を高めてくれるこの汚いテントに感謝だな。
「さて……」
いつまでも余韻に浸っている事も出来ない。今度は偽装用に使っていたテントを丁寧に体に巻き付け、装備を整え、父上の形見である小刀を引き抜く。
「各自、周辺警戒をしつつ獲物の所に集まれ! 油断はするな!」
その言葉に周囲に潜んだ兵達(初弾を外した時のためのバックアップ要員)をかき集め、先ほど倒れた人影の元に集まる。
もっとも集まるのは半数だけで残りの半数は歩哨として周辺警戒にあたっている。
「大尉殿! こちらです」
兵の叫びに駆け寄れば、そこには乱れた朱髪の騎士が左腕を押さえてうずくまっていた。
「女ですよ。それも生きてます。意識は無いようですが」
クロスボウを構えていた左腕は二の腕の中ほどから鎧ごと消失し、あたりに血の臭いをまき散らしている。どうやら弾丸自体は彼女の左腕を喰いちぎってどこかに飛び去ってしまったようだ。
「よし。止血しろ」
「た、大尉殿!? しかし――」
「こいつには見覚えがある。確かアイネ――敵将に直に仕えるほどの貴族だ。なにか情報を持っているはずだろうからそれを聞き出すまで殺すな」
聞きたい事はたくさんある。
何故、作戦がばれているのかとか。イザベラ殿下を追う兵は何人いるのか。
気になって仕方ない。だから渋々としている部下に止血を任せる。ついでに武器を隠されていてはまずいので鎧を脱がしたりして武装解除もさせておく。
「終わったのか?」
その声に振り向けば黒い軍衣をまとった殿下と俺の貸した士官用の軍衣を着た兵が現れた。
「た、大尉! もう済んだのでありますか?」
「苦労をかけた。だが助かったぞ」
身代わりとなってくれた兵が大きなため息をつく。それにうなずいて朱髪の騎士を止血し始めた部下を見てから服を着替え直す。
まぁ、当初の作戦では俺がイザベラ殿下の兵用軍衣を着て、代わりに殿下は別の誰かの軍衣を借り、服の無い者に俺の軍衣を着させて囮にする作戦だったのが、殿下がいつもの冷徹な表情で「直接その兵と交換すれば良かろう」と言われたので作戦に若干の修正を加える羽目になったが……。
どうせなら殿下の軍衣と交換したかった。
そんな事を思いつつ軍衣を着直し、その上から迷彩効果を高めるテントを被る。
「ロートス大尉」
「はい、殿下」
「まさか拷問の末に殺すつもりではあるまいな?」
「その通りであります――」
あ、すげー冷たい目で殿下が俺の事を見てる。故郷の冬に吹きすさぶ北風のように冷え冷えとしたそれだけで物が切れそうな視線だ。
そうこうしているうちに不満そうな部下が「止血しました」と報告してくれた。その様子を確かめると、確かに鎧を脱がした左腕の付け根が布で縛られている。どうやらついでに武器の所持もチェックしてくれているようで兵達が戦利品と言いたげにナイフなどを取り上げては腰のベルトに差していっていた。
「し、しかし殿下。この者――確かミーシャでしたか。こいつどうするんですか? 共に王都に向かうので?」
「野垂れ死にさせるのも忍びないだろう」
「俺は別に構いませんが。このまま森の肥やしになれば木々が喜びます」
「そうも行くまいて」
するとうめき声と共に周囲の兵達が殺気だった。どうやら眠り姫が目覚めたらしい。
「う……」
「気づいたな」
イザベラ殿下が「水を」と言うが、誰も動かない。そりゃ仇敵たるサヴィオン人に自分の水を分け与えたいと言う奇特な奴はいないだろう。
だが、殿下の命でもあるし……。
「どうぞ」
陶器製の水筒を腰から取り外し、殿下に渡す。
「予へではない。捕虜へ、だ」
渋々と水筒をミーシャに近づけるも、彼女は小さく首を横に振って応えた。
「喋れるな。予の事を覚えているな?」
「……アルツアル王国第三王姫殿下」
「なぜ予を――。いや、狙いはロートス大尉か? どうしてここに我々を狙った? どうやって我らの作戦を知った?」
「敵に利する事は何も言いません」
よし殺そう。
着替える際に鞘に戻していた小刀の柄を掴む。
「ロートス大尉」
「……何でもありません」
舌打ちをしたくなるのを我慢しつつ柄から手を離す。
「では質問を変える。そちの名は――」
「ミーシャ。ミーシャ・デル・イヴァノビッチ」
「ミーシャ殿だな」
……質問って名前を聞くことだったのか。
なんとなく力が抜けてくる。
「ではミーシャ殿。貴官はどうやら我々の作戦を知っているようだ。故に我らに付いてきてもらう。もちろん捕虜としての待遇も我が名に賭けて保証しよう」
そんな事までしなくても……。
その不満をミーシャも感じたのか「殺せ。ボクはアイネを売らない」と小さく言い放つ。自分から死を望むとは人間族にしてはよく出来ているな。
「ロートス大尉。自重せよ」
「しかし主君のために死にたいと言っているのですよ」
「予の名において捕虜の待遇をすると誓ったのだ。王族の顔に泥を塗るつもりか? それとこの場に居続けるのは得策ではないと思うが、どうか?」
「……はい、その通りです。出発準備を整えます」
確かにいつまでもここに留まるのはよろしくない。もしミーシャに仲間が居たら事だ。今にも俺達を包囲してくると思うと背筋が震える。
だから話をそらしてくれたこの機会に荷物をまとめさせ、準備を進めさせる。
「大尉殿! 出発準備完了であります」
「よろしい。それでは殿下、出発いたします」
「うむ」
かと言って進むべき方角が定まったわけではない。ミーシャの部下による追撃の危険を勘案するにどう動くべきか……。
まず森の中をさまようという案。
だがこれはイザベラ殿下がそろそろ限界っぽいんで早々に街道に出たいところ。
次にアル=レオ街道に出てそのまま副街道に進む案。
しかし街道にも絶対にサヴィオンは警戒網を敷いているだろう。
そして作戦を中止する案。
いや、これこそ愚策中の愚策であるのはわかっているのだが……。
「殿下、作戦の継続に関してですが――」
「続行だ。それに併せて予の囮が放たれているのだからな」
困ったなぁ。
ただ無闇に前進すると言うのはやりたくない。それが間違っていた時の徒労感も半端ないだろうが、それ以上に方策の失敗と死が直結している分、慎重に行動せねば――。
いや、面倒だな。こちらはエルフ主体の部隊だし、森林間での戦闘なら倍以上の敵とやりあえるだろう。
「では殿下。一度、街道の方に出ようと思います。そこでサヴィオン軍の展開を見極めてから行動したいのですが」
「許可する」
どう結論を出すにもまだ情報が足りない。
そう言う事で兵達の装具をまとめさせ、そして文字通りお荷物状態のミーシャを兵の一人に背負わせて行軍を再会させる。
一応、各自を散会させ、森に痕跡が残らないよう細心の注意を払っての行軍だ。そのためどうしても歩みは遅くなる。もう当初の作戦計画からみれば致命的と言えるほどの遅延を発生させているのだが……。
前世なら指揮官が失踪していても仕方ない行程になっているが、気にしない。気にしない。
そう自己暗示をかけながら森を進み、やっと街道に出た。出たと言っても森の際に身を隠し、街道からこちらが見えないよう十分注意している。
「……静かだな」
思った以上に静かだ。人の気配は無い。
とりあえず部隊を残して街道に出てみれば人っ子一人居ない。サヴィオン軍の陰はおろかアルツアルの商人でさえ。
運良くサヴィオン軍の目をかいくぐっているのだろうか?
地面に頭を付けて音を聞くも馬脚らしい音は聞こえない。
「周囲に敵影無し! 支隊集合!」
森に同化していた兵達が銃を手に街道に躍り出て安全を確保するや、最後に殿下が姿を見せた。
「とにかく街道を南に下りましょう」
「危険は?」
「現状ありません。馬脚の音が迫り次第、森に隠れます」
その方針を決めるや、遅れを取り戻すように街道を進み出す。と、言っても待ち伏せやらなんやらで時間を食ってしまってもう夕方だ。
一応、街道を外れ、森の中で野営準備を整える。その間、痛みがぶり返したのかミーシャの口から小さなうめき声が聞こえてきた。
その度に静かにさせてしまおうかと魅惑的な思想が去来する。
そしてふと、俺ってこんなに野蛮だったっけ? と思った。
前世の俺は殺しを楽しんだり、手段にするようなイカレタ人格では無かったはずだし(狩猟を除く)。
もしかしてエルフになったから? いや、まさかー。
「殿下、お食事の準備が整いました」
「うむ。――パンと干し肉か」
このメニューに辟易し始めた殿下に夕食を渡し、自分も同じメニューを口にする。本来なら火を入れて干し肉を煮出して食べたいのだが、火を使ったばかりに敵に気取られる可能性もあから堅いままの肉をほうば――堅くて食えねーぞ。
「ミーシャの分はあるか?」
「……残念ながら余裕はありません。各自、今回の行軍のための物資しか持っていないのですから」
「左様か」
すると殿下はミーシャの見張りをしている兵を押しのけ、自分の食料を彼女に差し出した。
とは言え、腕を喪失した痛みに浮かされるミーシャの方は暗闇でもわかる青白い顔を横にふるばかりだった。
「心遣い、感謝する。されど、物を口にする余裕が――」
「それでも何か口にした方がよい」
ミーシャは多少、逡巡してから残された右手でイザベラ殿下からパンを受け取り、口にする。
それに妙ないらだちを覚え、思わず顔を背けてしまう。
「……サヴィオン軍は街道に展開していないようだな」
「………………飯を種に口を割らせるつもりですか?」
「そのような事はない。ただ世間話がしたいだけだ。そうだな。アイネ殿下とはどのような間柄なのだ? 臣従を誓っているようだが」
いつになく饒舌なイザベラ殿下の言葉に耳を傾けていると、ミーシャが元はアイネの仇敵であり、何度も殺し合いをしたと言う話やその果てに降伏したにも関わらず家臣として迎え入れてくれた事などと言う話を聞けた。
こいつもミーシャと戦っていたのか。
「殿下は、懐の大きなお方です。父もボクもそのおかげで生きながらえた。このご恩に報いるためにも、ボクは――」
「何にせよ、侵略者の戯言だ。お前にどんな理由があってもやってるのは俺達の暮らしを奪う手助けをしているにすぎないんだ」
そう、思わずだった。思わず口を挟んでしまった。やんごとなき血の流れる方々の会話になんと無粋な横槍を入れてしまったのだろうか。
後悔と共にゴムのような干し肉を飲み込み、水筒をあおる。
「……それがどうした?」
ピクリと水筒を持つ手が震えた。
「弱い獣は狩られてしまう。世の通りではないか」
「貴様――!」
「ボクはアイネに狩られた。狩られ、手懐けられてしまった」
哀愁を漂わせる朱い姫は大きなため息をつき、失われた左腕を握りしめる。その所作のいちいちが気に障ってしまう。
「この作戦の見返りは、東方王の王位でした。
もう平原を自ままに駆ける野馬では居られないと分かっているのに、轡をつけられ、鞍を乗せられた飼い馬であっても、それでも野を駆けられるのなら、それでも良いと思ってしまいました。
ボクは、祖父上様の起こした国を汚そうとしたのです。それほど王位を、自由を渇望してしまいました。
それが、この様です。何も得られず、腕を失ってしまいました」
聞いてもいない事だったが、こいつもサヴィオンに故郷を犯されたのか。
そしてそれを取り戻すためにこんな森の中までやってきた……。
いや、同情はしない。こいつは俺達を殺そうとしたんだ。そんな奴を易々と許すことは、出来ない。
「殿下、どうか殺してください」
「ならぬ。予はそちに捕虜としての待遇を認めた。それに、生きてこそ意味のあるものもあろう」
「作戦に失敗したのです。なんらかの処分をボクは受けるでしょう。それより東方貴族として潔く戦死を選びたい」
「しかし、民はどうするのだ? ミーシャ殿が死んだ後の民は」
「我らはサヴィオンの支配を甘んじる身故、ボクが死んでもすぐに代わりが派遣されるでしょう。それが、狩られた者の末路」
それを言うとプイと顔を背け、口を閉ざしてしまった。
すいません。感想返信は所用のため明日行います。
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