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森の追跡者

「このうつけ者! 誰がミーシャに出陣しろと言った!?」



 怒りのままに本営に置かれたテーブルを蹴飛ばす。だが筆頭従者たるクラウスはまるでそよ風が吹いたと言わんばかりに涼しい顔しているばかりで、それが余計に怒りを燃え上がらせる。



「どうなのだクラウス! 余が命令を下したのか!?」

「いえ、殿下。そのような命令は下されておりません」

「ならばなぜッ!?」



 ミーシャをはじめとした東方辺境騎士団は余の旗下の中で唯一にして最強の騎士団だ。

 そんな虎の子の騎士団をこんな所で消耗させたくないと言うのがなぜわからない。

 魔法による敵陣への制圧攻撃と傭兵による肉弾攻撃によってこそ血路が開けると言うのに。あと少しで、あと少しで血路が開くと言うのになんと言うことをしてくれたのだ。



「イヴァノビッチ殿には護衛役も付けております。問題はないかと」

「ある! ミーシャほど東方の民に慕われた者はおらん。余は所詮、帝国人なのだからな。

 だからミーシャをわざわざ東方から呼び出したのだ! ミーシャが居るからこそ我が第二鎮定軍は一丸となって部隊行動が出来ると言うのに勝手にミーシャを前線にいかせるだと!? それも余の許可無しに!」



 そもそも北アルツアルでもっとも脅威度の高い第三軍集団の撃破こそ北アルツアル一帯の平定に事欠けないものはない。

 つまりレオルアン攻略など二の次で良いのだ。あくまで強力な戦力を有する第三軍集団の撃破こそ――。



「殿下。無為に自分を下卑される事ありません。イヴァノビッチ殿が居なくても東方騎士の多くは殿下に絶大な心服を抱いております。

 東方平定後の各氏族の本領安堵に限定的ながらも自治権をお認めになり、敗軍である東方貴族の面子を守ったではありませんか。東方貴族にとって殿下は最大の仇敵でありながら恩人でもあるのですよ」

「な、なにを馬鹿な事を――」

「それに殿下こそ、なぜ丘にこだわるのです? それも正面からの攻撃など。

 先にも申しましたが確かな情報筋からの報告であの丘には敵将イザベラ・エタ・アルツアルは存在しない事がわかっております。イザベラ殿下を捕らえられれば敵もおのずと降伏の道を選ぶでしょう。

 それこそ早期に戦闘が終わり、兵への負担も少なくすみます。我ら指揮官は味方の損害を抑え、敵に大打撃を与える事が仕事ではありませんか。それを成した私の判断が間違いであると殿下はおっしゃるので?」



 そもそもの話、クラウスのもたらしたイザベラの逃避行と言う話が信じられなかった。

 今だレオルアンは敵にとって十分勢力範囲内だろうし、逃げるのならレオルアンから大河を使うべきだ。

 それなのにいたずらに森の中に王族を放り込むなんて考えられない。



「……イザベラが丘を降りたという事の裏付けはとれたのか?」

「いえ、まだにございます」

「それなのにミーシャを送り出したのか!?」

「時を考えれば余裕がありませなんだ。ここで敵将を押さえられれば陛下もまた殿下の事をお認めになられることでしょう」



 だから帝位に興味は――と言い掛けて口が止まってしまった。

 成れるのなら帝に、王になりたい。イザベラに会ってからそんな欲求が生まれつつあるのは確かだ。

 だが――。



「それでミーシャに何かあったらどうするつもりだ。また東方が荒れるぞ。東方王に実権も何も残っていないとは言え、その名を信奉する東方貴族は未だ多いのだ」



 帝国による東方支配と言う形が取られているものの、それに東方貴族が従うのは東方王あっての事だ。

 東方王が帝国に恭順すると言う姿勢を取ってくれたが故に今の東方支配がある。

 だから東方王を東方となんの縁も無い地で失えば、奴らは拠り所を失って離反していくだろう。元来、国というものに束縛されない部族のみの民なのだ。絶対に糸がほつれるように東方辺境領は瓦解してしまう。

 それに、それに余の宿敵たる――余の最大の仇敵たるミーシャが余の知らぬ所で戦っているという現状が何よりも気にくわない。



「ミーシャを呼び戻せ」

「しかし――」

「呼び戻せ! それに敵が敗勢とわかった今、総攻撃をしかけて丘を奪取する絶好の機会ではないか。イザベラなど捨てておけ。第三軍集団を持たぬイザベラなど小娘と変わらん。

 問題は第三軍集団なのだ! これを撃砕出来れば事実上の北アルツアル占領と変わらぬのだ。これこそ義兄上の求められた事なのだ。なぜそれがわからぬ!」

「……殿下。殿下は第三軍集団に固執されておりますが、それは第三軍集団ではなく、ロートスと言うエルフに固執されている、の間違いでは?」

「なにを戯けた事を……」



 だが、クラウスは静かに余を見返すばかりで答えようとしない。

 老いたにも関わらず鋭い眼光が槍のように余に突き刺さる。そのせいか、いつの間にか彼と立場が逆転してしまっていた。



「そ、そのような事はない。ロートス? フン。ただの田舎エルフであろう。あんな者、気にかけるまでもなかろう」

「そうでしょうか? 殿下は一度、あの男に敗北を喫しておられる。それを根にもっているのでは?」



 そのような事――。そう言おうとして言葉が詰まる。

 あれはエフタルから奴らが脱出する時だった。余の精強極まりない騎士団が傭兵ですらない雑兵の集団に良いようにやられた。

 確かにあの時の事は忘れられない。

 だがそれを上塗りするように余は勝利をつかみ取ってきた。アルヌデンで、フラテス大河で。

 余は奴らに勝利してきたではないか。



「気にしてなど、おらん」

「左様でしょうか。わたくしには到底そうは思えませぬ」



 追求を深める爺の瞳から思わず目線をそらす。

 ダメだ。余の負けだ。



「……そうだ。余はロートスを高く買っている。奴は憎しみ一つで簡単に死線を潜り抜け、その狂気を伝染させる力を持っている。あれは脅威だ。田畑を耕すしか能の無かった者達を戦士に変えてしまう。

 その狂気を、余は高く買っている。奴が人間であれば幕下に加えたいくらいに」



 いや、この際エルフでも構わない。

 あれに歩兵大隊を指揮させてみたらどうなるだろうかと夢想してしまうほど奴に魅せられている。

 余の好みと言っても良い。

 だからこそ殺さねばらならない。亜人を受け入れる事の出来ない帝国にとって奴は毒だ。いずれ帝国の前に立ちふさがる障害となろう。

 そう、エフタルから奴らが逃げる際にもそう思ったものだ。あれを生かしてはおけぬ、と。

 だからこそ奴の息の根を止めるためにもあの丘を占領し、この手で殺さねば安堵して眠る事は出来ない。



「そのご執心のロートスですが、現在、イザベラ殿下と共に森の中とか」

「――! 丘にはおらんのか!? あれほど遅滞防御が上手いのだ。主力の後退を支援するために丘に残るのが道理では?」

「すでにアルツアルには全軍を王都アルトへ集結させるよう王の勅が出たそうです。これも第三鎮定軍の活躍かと」



 義兄上もようやる。

 相手の第一王子の首も取ったと言うし、いよいよ王都攻略に取りかかるのだろう。



「……クラウス。二つの命を下す。一つは丘への総攻撃の準備だ。主に傭兵を突撃させ、丘を奪取する。作戦発令は明後日にする。明日は明後日の準備期間として使わせよ。

 もう一つはミーシャの援軍だ。総攻撃に参加しない騎士を連れて街道を下り、ミーシャと合流する」

「御意に」



 敵に将軍は無く、丘には傀儡の部隊しかいない。なら攻め時は今だ。むしろロートスの居ない丘にいつまでも関わっているのも面白くない。

 そしてミーシャへの増援を送らなくては。

 くそ。やってくれおって、クラウスめ。余計な事を……。


 ◇

 森の中、ロートスより。



 街道に出るべきだろうか。

 深い森の中を当て所なくさまよい続けて導き出した答えに首を振る。

 ダメだ。うかつすぎる。だが森の中をイザベラ殿下を連れて行軍すると言うのもきついし、何より敵の狙撃手だ。

 背後に続いてきているイザベラ殿下を見やれば、顔には消耗の色が浮かんでいた。



「休みます?」

「逆に問うが、休めるのか?」

「……難しいかと」



 歩みを止めれば敵が背後から襲撃してくるだろう。モリソン軍曹やマルコム伍長達を殺したように。

 それが自分に向くかもしれないと言う恐怖に鉛のように重い足が前に出る。草を踏みつぶさないように。枝を折らないようにと。

 くそ、こっちは心が折れそうだってのに――!



「急ぎましょう」



 ふと、進路を変えるべきか、迷った。

 敵はこちらの存在――むしろ目的に気づいている事だろう。つまり俺達の撤退が敵に知られていると考えるべきだ。

 だが敵は俺達の逃走ルートまで知っているだろうか?

 他の囮部隊がどうなっているのかわからないが、さらなる攪乱をして敵を巻くべきじゃないか?

 なら進路を変えて――。いや、敵はエルフが歩いた森を追ってくるような奴だ。そんな偽装工作が通じるとは思えない。

 じゃ、敵をどうやって欺く? どうやって敵から逃げる?



「……ロートス大尉。少し良いか?」

「はい、なんでしょうか。殿下」

「少し、休もう」

「しかし――」

「休む」



 梃子でも動きそうにない言葉に思考が止まる。

 殿下の言われる通り、休むか?

 いや、狙撃手の事を考えれば動き続けなければならない。また部下を失うのは嫌だ。

 てか、そんなエゴで自分を騙すな。俺はただ怖いんだ。俺が死ぬ事が。

 休んだとき敵の矢が俺に向かってくるのが怖いんだ。

 くそ、くそ! なんて怯懦! なんて、なんて――!!



「どうしたロートス大尉?」

「い、いえ」



 口の中が乾く。舌がもつれ、言葉が発せられない。



「まだ、気にしているのか?」

「モリソン軍曹の事ですか? そんな――。いえ、そうです。俺が指揮したばかりに彼は――! 父上と同じくらいの年かさの人を俺は――!」

「その責は、この場の最高階級者の責だ」



 この場の最高階級者? それは大尉である俺か? 違う。

 アルツアル王国第三王姫イザベラ・エタ・アルツアル様その人だ。



「そう予は言ったはずだ」

「それでも――」

「そう。それでも王族の責、なのだ」



 王族の責。

 王族故に王都に早期に戻らねばならず、それに俺達がつき合わされている。だからモリソン軍曹達は死んだ。俺はその被害者にすぎない。



「――ん? おかしいな」

「――?」

「もし、イザベラ殿下が目当てなら、どうして真っ先にイザベラ殿下を狙わない?」



 もしあの時、モリソン軍曹では無くイザベラ殿下の足を射抜いていたら?

 そうすりゃ殿下を見捨てられない俺達はあの場に釘付けになっていたろう。

 それにイザベラ殿下の命令を忠実に守っていたのならモリソン軍曹の救出を早々に諦めてその場を離れる事になっていた。

 あれは俺だから――。エルフだからこそモリソン軍曹の事を見捨てる事は出来なかった。だからあれほど被害が――。



「……モリソン軍曹を助けだそうとした時も、あの矢は俺を狙っていた?」



 モリソン軍曹の肩章がちぎれなければ俺は間違いなく矢が胸板を貫いていたはず。

 マルコム伍長にあたったのはたまたま射線に出てしまったから?



「敵は殿下を狙っていない?」



 なぜ?

 わからん。わからん。わからん。

 いや、これはただ自意識過剰なだけかもしれない。

 ……もう考えるのがめんどくさい。

 ミューロンならどうしたろうか。いや、考えるまでもないな。幼なじみにして嫁の彼女ならきっと『サヴィオン人なら殺そう』と言うに違いない。

 あぁ。あの甘い唇でそう言ってくれたら。言って……。



「そうか。殺してしまえば良いんだ」

「――!? ロートス大尉? どうしたのだ。先ほどから」

「いえ、殿下。様々な現状を考えた結果、迫り来る猟犬は始末せねばと思い至りました。

 端的に言えばしつこいサヴィオン人を殺してしまいましょう」



 それがただの現実逃避だと言うのはわかっている。

 俺が狙撃手を殺したとしても軍曹達は帰ってこないし、指揮官としての過ちが報われる事もない。

 ただ俺は殺戮に酔ってしまいだいだけなのだ。


 酔って喚いて、暴れる。


 ろくでなしとはこの事か。なんとも度し難いバカだ。

 もう笑うしかない。愚かな俺を笑うしかない。無理にでも口角を吊り上げ、営業スマイルを浮かべてやる。



「……普段のロートス大尉に戻ったな」

「はい?」

「ロートス大尉は血気盛んな方が似合っている」



 クスリと鉄皮面が崩れる。

 本当に微かではあったが、その笑みのなんと柔らかい事か。

 雪解けの中から現れる一輪の花を思わせるその笑みがただの田舎エルフでしかない俺に――俺だけに向けられた事に優越感が満ちていく。

 これほど高貴なるお方の笑みを俺一人が独占している事に胸が高鳴り、高揚が生まれる。

 あぁチキショウ。こうなったらやってやる。やってやるぞ!



「それで、どう迎え撃つ?」

「そうですね……」



 汗と泥でバサバサになった髪をかきながら思案する。ふと、イザベラ殿下に視線を向けると、見事に汚れだした兵用の黒色軍衣が目に入った。



「まずその軍衣を脱いでください」


 ◇

 森の中、ミーシャ・ゴスト・イヴァノビッチより。



 慣れぬ森だったが、それでも森に残るわずかな痕跡を辿る事は出来た。

 手に馴染んだクロスボウを胸元に構えつつ周囲の気配を探り、足跡を探す。

 それこそエルフ――森の民と言われる連中の足取りを掴むのはさすがに無理だったが、それでも一つだけ、おそらくアルツアル王国第三王姫と思わしき痕跡だけは掴む事が出来ていた。

 やはり森歩きに精通していないからだろう。

 そう思うと、思わず自嘲してしまった。



「アイネの事を見たとき、本当に帝姫なのかと疑ったが、ボクも相当、姫様をしていなかったな」



 最初の記憶は父上に乗馬の稽古を付けられている事だった。まだ小さい子馬に、さらに小さいボクが跨がり、懸命に馬を御しようとする姿。

 まぁその直後に落馬して大泣きするのだが……。

 父上は乗馬以外にも森の歩き方や剣術に弓術などもよく教えてくれた。

 今思うと父上は東方王でありながらもよくボクの面倒を見てくれたものだ。それも国と言う概念の無い東方の諸侯をとりまとめる苦労がありながらもそれをしてくれた。

 感謝してもしたりないほど大きな人だった。だからこそ父上の持つ東方王と言う称号に恋い焦がれた。もっともその呼び名さえサヴィオンの属国になった時点で消えたようなものだが。



「それが、手に入る」



 クラウス・ディートリッヒの言によれば、だが。

 あの男はどうも胡散臭い。だがアイネへの忠誠が群を抜いて高いのは認めるし、約束を反故にされる事もないと思う。

 故にこうしてエルフ狩りをしている。



「さて……」



 追いかける途中。そこに複数人がそこに留まったような、複数の足跡を見つけた。結構な時間をそこで過ごしたのか、足場の苔が削られたり、幹にも何か、硬質なものがこすりつけられたような跡がついている。



「休止でもしたのか?」



 こちらはほぼ休み無く追っているし、相手には森歩きに精通していない姫殿下もいる。

 奴らがもしエルフだけだったら追いつくのは不可能だったろうが、これは行幸だ。

 天の主もボクに東方の王となるよう言われているに違いない。

 父上の残した東方をボクが受け継げと。


 ――だが、その称号は父上の時の称号とはまったく違うものだ。

 祖父上が、父上が手にしていた野馬のように何者にも束縛される事のない存在。それこそ東方王だと言うのに。

 そんな名前だけの称号になんの意味がある? だがそれでも東方王を求めてやまないなんて。



「愚かしい事はわかっている。でも、それがボクが求めてやまないものなんだ」



 だからこそ恨みは無いが、ロートスを殺そう。アイネが執心するあのエルフを。

 もっともエルフは皆、同じような顔に見える。狙いは奴の戦装束だ。廃砦でみたが、奴は他のエルフと違って上物の服を着ている。指揮官だからだろう。

 上に立つ者は身を飾らなくてはならない。それは東方であれ王国であれ同じ。意味の無い装飾を付け、称号で自分を飾る。

 思わず苦笑が浮かぶ。

 そのまま奴らの進行方向に向け、歩み続ける。

 静かに、確実に。


 そしていよいよ見つけた。追いついたと言うべきか?

 間違いない。あの飾りをつけたエルフだ。

 木々を縫い、奴に迫る。距離にして三十メートルくらいか。相手はまだ気づいていない。その幸運を噛みしめながらクロスボウの弦をつがえ、矢を装填する。

 そしてピタリと狙いを定め――。



「ボクはそれでも、父上が守った東方王に、成りたいんだ」



 引き金に指を添える。


お久しぶりなので初投降です。


それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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