狙撃
若葉の萌え出す森の中。静謐な朝の空気。湿った腐葉土のにおい。そして絶叫。
「ぎゃあああ」
モリソン軍曹の体に三本目の矢が生えた。
どうすれば良い。どうすれば――。
「大尉! 私が軍曹を助けに行きます!」
「待て、伍長!」
今にも飛び出しそうなマルコム伍長に制止の声がいつまで届くのか。
彼が飛び出す前には結論を出さなくてはならない。それを急かすように肋骨に似た飾り紐をつかむイザベラ殿下の手に力が入った。
「ダメだ。引くぞ」
「しかし――!」
そう、引くべきだ。これ以上の損害を減らすためにも部隊を引かなくてはならない。
いや、でも――。
ふと、手に握る銃の重さを感じた。
「もったいないが――」
こうなったら銃撃で相手の動きを止めて――いや、ここはてつはうを使おう。あれなら広範囲を攻撃出来る。
幸運にもマルコム伍長は自身の背嚢を手にしているようだし、各自の背嚢には予備の火薬と言う意味合いでもてつはうを入れておくようにしてよかった。
「伍長。てつはうを出せ。それをあの方向に投擲しろ。その隙に軍曹を助け出す」
「ハッ!」
すると先ほどまで胸飾りをつかんでいた殿下の繊細な指が離れる。
「もう止めぬ」
「ありがとうございます。伍長、準備は?」
「……出来ました。いつでも」
「よし着火。爆発と共に軍曹を助けるぞ」
「着火します」の声がすぐ響き、陶器製のそれが弧を描いて矢が放たれたと思わしき方向に投げ飛ばされる。そして導火線伝いに火がてつはうに内蔵された火薬にたどり着き、その黒い粉が秘めた力を解放した。
閃光と爆音が頭上を駆けていく。
「今だ!」
重りとなるであろう銃をその場に置き、モリソン軍曹の元にマルコム伍長と共に走り込み、彼の肩章を掴む。
「引くぞ!」
「はいッ!」
先ほど隠れられた草むらまでだいたい五メートルほど。
そこに向けてモリソン軍曹を引っ張るが、その重いこと。すると鋭い殺気が自分に向けられている事に気がついた。
あぁ俺は今、狙撃手に狙われている。次の瞬間には矢が俺の胸板を撃ち抜いているやもしれない。
あぁかみさま!
すでにモリソン軍曹を助けるという意識は霧散し、死の恐怖から逃れるためだけに肩章にかける力を増す。だがその力を受けてブチリと言う音と共に肩章を止めていたボタン等がちぎれた。
そのとたん、重みから解放された体が傾く。
「大尉!」
俺とは反対の肩章を引っ張っていたマルコム伍長の声が間延びして聞こえる。
彼は俺をのぞき込むようにして――。彼の胸板に矢が突き刺さった。
驚愕に見開かれた瞳とがっしりと目が合う。
だが、即座に頭が動けと体に命じる。何も考える事無くモリソン軍曹の両脇を抱え直し、安全地帯である草むらに引きずり、やっと息がつけた。
つけたが――。
「マルコム伍長は!?」
「ダメです! 死んでるようです!」
部下の誰かが答えた。
草むらの陰から透かして見れば、ピクリとも動かない伍長が見て取れた。
なんて事だ。なんて事だ。
だが思考停止している暇も無く、冷たい声が俺を急かす。
「気が済んだか? 行くぞ」
いつになく凍てつく声音に黙って頷く。モリソン軍曹を引きずるようにその場を後にし、部隊の集結を命じる。
だがいつ敵の襲撃があるかわからず、どう逃げるか考えがまとまらない。
かと言って迎え撃つと言う手段をとるのは下策だ。
完全に待ちに回った狙撃手を撃退する方法なんて前世でも難しいと言うのに。
いや、その点で言えば俺は狙撃手相手に下策の中の下策を行ってしまった。
「軍曹。まず矢を折る。我慢してくれ」
モリソン軍曹の体に突き刺さる矢は全部で三本。
右腕。左肩。左足の太股。どれも致命傷で無いように思えたが、太股に突き刺さったのは太い血管を傷付けたのか止めどなく鮮血が滴っていた。
「いくぞ」
移動するに当たって邪魔な矢羽根の部分をへし折り、彼の軍衣を引き裂いて作った簡易な包帯で止血していく。
「た、大尉殿……」
「ん? なんだ? 喉が乾いたか?」
「す、捨てていってください」
くそ、前にも同じような事を聞いたぞ。あれはミューロンだったけど。てか、この台詞って流行っているのか? 俺もいつか言ってみるか、チクショウ。
「うるさい。けが人らしく大人しくしているんだ」
「かはは。まさか息子ほどの歳の貴方にそう言われるとは」
「気に障ったか?」
「いえ、大尉殿の事は尊敬しております。息子と変わらない歳なのに、果敢に戦っておられる」
ダメだ。血が止まらない。何がいけないんだ? 縛り方か?
くそ、俺に治癒の魔法が使えれば。とにかくここでモリソン軍曹の意識が途切れれば本格的にやばいかもしれん。とにかく話しかけよう。
「息子は? 入隊しているのか?」
「死にました。村にサヴィオンのくそったれがやってきて。殺されました。マルコムの娘も……」
二人は同郷だったのか。
それで、復讐のために部隊に志願した。
「大尉殿。もう良いです」
「俺が良くない。まだ作戦は始まったばかりなんだ。こんなところで支隊の先任下士官が死んでしまってどうする。王都に行くぞ」
だが、仮に血が止まったとして彼の足では王都に行くのは無理だ。絶対に腐ってしまう。
どこかの町で医者に見せて切断してもらわなくては――。
「なるほど。わかりました。では、後から追いかけます」
「追いかけるって――」
「少しばかり血を失いすぎて動けません。なに、少し休めばなんとでもなります。まぁサヴィオンの奴を殺さずにやり過ごしてからですから、合流は遅くなりそうですが」
その言葉にどう答えればよいのかわからず、押し黙っているとイザベラ殿下が隣から「許そう」と言われた。
「軍曹。許可する」
「あ、ありがたき、幸せ。……あぁ大尉殿。どうかお願いがあります。もし、サヴィオンの奴に見つかったら事です。螺旋式燧発銃を。出来れば装填したものをお与えください」
彼は自身の銃を持っていなかった。おそらく狙撃された時に取り落としてしまったのだろう。
すると合流してきた一人の兵が一丁の螺旋式燧発銃を差し出してきた。
「伍長殿の燧発銃です」
「ありがとう……」
ポーチからカートリッジを取り出し、丁寧に装填する。そして最後に撃鉄を半分だけ起こした状態でモリソン軍曹に手渡すと、彼は「撃鉄をあげるのも億劫で」と苦笑した。
仕方なく撃鉄を完全に引き起こしてやると、今度は「足がかゆいです。軍靴を脱がしてください」と言った。
「どっちだ? 両方?」
「左で結構です。左足は、何も感じません。それと、水を一口。あぁ私のカートリッジは、残りは大尉殿に」
「……わかった」
彼の望みを全て叶えてやると、モリソン軍曹はやっと満足げに、だが悔しそうに笑ってくれた。
「ありがとうございます。では後ほど」
「あぁ。後ほど」
いや、そんな言葉ではだめだ。このままではいけない。
そんな警告が頭を流れるが、すでにモリソン軍曹がダメである事は明白だった。
どうやってかは知らないが、森に居るエルフを追跡してくるような相手を煙に巻くなど、負傷しているモリソン軍曹が出来るはずもない。
それにあの傷で王都まで追いかけてこられる訳がない――いや、森から出られるかも怪しいところだ。てか、不可能だ。
それをわかった上で、俺は彼の行動を認めてしまった。
イザベラ殿下の「許す」と言う言葉で。
いや、違う。イザベラ殿下のせいにするべきじゃない。俺は、俺は暗に認めてしまったのだ。
クルリと背を向けようとするも、それをイザベラ殿下に止められた。
「行こう」
「しかし――」
「行くぞ」
力のこもったその声に、俺は前へ向けて歩み続けた。
一歩、一歩と軍曹に背を向けて。そして背後から一発の銃声が……。
あぁ、あぁくそ! くそったれのロートス!
お前のせいで何人死んだ? 助かるはずのないモリソン軍曹を助けるためにマルコム伍長は犠牲になったんだぞ。
俺が殺したようなもんだ。
駆け出したい。この場から駆けだしてどこの誰にも知られずに死にたい。
俺のせいで死んだ人が居ると言う事実に耐えきれない。いや、それを言うのなら俺が殺したハカガ中尉やディルムッド大尉だってそうだ。
それに廃砦で盗賊と戦って戦死したモーネイ伍長達だって――。
今更ながらにその重みに押しつぶされそうになる。吐き気がこみ上げてきて、完全にこの世から存在そのものを消し去りたくなる。
あぁ! かみさま!
「――大尉、ロートス大尉」
その声に振り向けばイザベラ殿下が冷静な目で俺を見つめていた。
それにやっと周囲の状況が頭の中に流れ込んでくる。
「なんでしょうか」
「事後はどうする?」
「……森の中を進みます」
「先の襲撃者もおろう。より危険ではないか?」
「俺達を知って攻撃してきたって事はサヴィオン軍でしょう。なぜかは知りませんが、俺達の存在は奴らに露見してます。街道に出てもすでに監視網が敷かれているやもしれません」
考え出すと先ほどまでの罪悪感が流れ出て心が落ち着いてくる。
だからまず考えねば。罪悪感につぶされる前に。
「敵の偵察隊との不期遭遇と言う可能性は?」
「わかりません。ただ偵察にしろ、こんな街道をはずれた森の中に来る理由はないと思います。おそらく、作戦が露見したのかと」
そうとしか考えられない。
そうでなければこんな所で襲撃される理由が無いのだ。
「……内通者が? もしくは他の隊が捕まった? いや、それにしては襲撃者が来るのが早すぎる」
わからん。疑問が煮詰まり、そして停滞する。
「……とにかく動きましょう。出発するぞ」
各自が散会し、周囲を警戒しながら動き出す。今度は痕跡が残りにくいように気を付けて、である。
だが森歩きに慣れていないイザベラ殿下にはそれが難しいらしく、時折、枝を折る音が聞こえてくる。
しばらくはその音に意識がとられて居てたが、次第に考えは先のモリソン軍曹の顔が浮かんだり、モーネイ伍長が最後に言った「家に帰りたい」と言う言葉や、ハカガ中尉の信じられないと見開かれた瞳が出てきたりと絶え間なく俺の精神を蝕む光景が脳裏に出てくる。
俺は、指揮官として失格だ。
アルヌデン会戦でそれなりに戦えたし、アルヌデンからの撤退でも敵の追撃をくい止めて友軍の脱出にだいぶ貢献したと言う自負もあった。
だが、そんな事は無かった。俺はただの田舎エルフのロートスでしかなかった……。
「ロートス大尉。ちょっといいか」
「なんでしょうか」
「……そう思い詰めるな」
「しかし――」
「全て、予の責任だ」
それは、それは非常に甘美な言葉だった。
この姫が俺の部隊に来たからモリソン軍曹は追っ手に狙われた。この人がモリソン軍曹を見捨てる決断をした。
そう思えればなんと楽な事か!
俺の責ではないと思えれば、なんと幸いな事か!
禁断の果実に似た甘さのある言葉に心が大きく揺れる。そうしろと蛇のようにささやく俺が居る。
「そんな。殿下のせいではありません。俺の、判断ミスです」
自分で自分の心を抉る事で俺は反省していると言うような、そんな自己陶酔に似た言葉になってしまったが、それでも殿下の責任して良いはずがない。
だって彼らは俺の命令で、俺の意志で戦死させてしまったのだから。
「思い詰める事はない。他者のせいにしても構わん」
「しかし――」
「それでロートス大尉が救われるのなら、な」
イザベラ殿下は迷うように、それでもしっかりと言ってくれた。
「王国にはその武器が必要だ。予の考えが正しければ、それはまさに戦局を回天させる力を持っている。それを扱えるロートス大尉なしに王国の勝利はない」
俺が? 俺が!?
そんな訳ない。こんな独りよがりのエルフに何が出来るというのだ。
「だからロートス大尉が気に病むことはない。全ては予の責任だ。あの者達の事なら予を恨んでくれていい」
「……畏れおおい事です」
「それでもだ。恨まれるのもまた、王族の勤めだ。もっとも、予は王国を滅ぼすやもしれぬ事をするのだが」
イザベラ殿下が何を思い描いているのかは、わからなかった。
だがそれでも彼女は自身への呪詛も甘んじ出受けると言うようにいわれたのだ。これは王たる人のなせる事なのだろうか。
「殿下は、お強い」
「予からするとロートス大尉も大概ではあるがな。お主が言ったのだぞ。『諦めてはなりません、それが長たるものの責任では?』とな」
そんな事、言ったっけ? 最近、日々がめまぐるしくてまったく覚えていない。
だが、その通りだ。長たるものが諦めてはならない。
「殿下はやはりお強いです。それを実践されるのですから」
「ロートス大尉とて、な」
その言葉のなんとうれしいことか。
やるしかない。そう、やるしかないのだ。
何故ならやらねばサヴィオンに殺されるだけなのだから。
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