痛手
イザベラ殿下の護衛についてエンフィールド様から話を聞いた後、必要な物資をどこからかき集めるべきか話し合っていると隣から強い殺気を感じ、ぶるりと背筋が震える。
その元となる方向を見ればグレゴール大尉が血走った目でこちらを睨んできていた。が、彼は目が合うや即座に目を伏せた。
あー。あれか? 人間至上主義者にとってエルフが殿下の護衛役に回るのがたまらなくいやなのか? まぁ嫌っている人物から嫌われても痛くも痒くも無いが。
「では二人とも。この話は他言無用だ。兵達に気取られるな。護衛部隊の抽出にあたっては支隊の再編だと言っておくように。
それとロートス大尉はラギアとよく補給――特に弾薬について話しておいてくれ。グレゴール大尉にはロートス大尉が抜けた穴を補うよう戦ってもらいたいのだが……。攻撃に参加した小隊が全滅であったな」
全滅? 全滅したのか? あの夜襲で?
てか、よくよく考えると夜襲に関してどうなったのか聞いていない。ん? そう言えば帰って来た際にロートス支隊の報告は済ましたが、他の部隊については何も聞いてない。いや、聞いていたとしても疲労と眠気のせいで頭に残っていないのかも……。
「あの、失礼ながら夜襲の戦果は?」
「……芳しい勝利は君の支隊だけだ。そうだな。グレゴール大尉」
グレゴール大尉は顔を伏せるや、「えぇ」と内心を悟らせないよう最低限の返事で応えた。
「実は夜襲を指揮していた近衛第三騎士団団長のリシュモン大佐も戦死され、非常に大きな損失を喫してしまった。
特に近衛第三騎士団から抽出された百名の騎兵の大半を失ったのは痛手だった。リシュモン大佐もおそらくそこまで損害が出るとは思っていなかったのだろうな」
……つまりアルツアル側は本村に居る傭兵を撃退こそ出来たものの、それ以上の戦果拡張に失敗して攻撃に参加した多くの兵を失ったと言うことか?
いや、損害で言えばロートス支隊だって無視出来ない兵力を失っている。てか半数が戦死しているぞ。
「……敵は? 敵はどうなのです!? 我らが敵に与えた苦痛は、我らの損害を上回るものなんですよね!?」
「ロートス大尉……」
その一言で、悟ってしまった。
我らの一撃は敵を怯ませる事こそ出来ただろうが、それ以上では無いと。
なんのための攻撃だったのか……。なんのための夜襲だったのか……。
「ロートス大尉。君は少し休みなさい。だが中隊はすぐに動けるように。グレゴール大尉には臨編遅滞戦闘団であぶれている者達を再編した臨編中隊をあてがう。それまで待機するように。以上だ。別れ」
「別れます」
いつも通りの別れの言葉。教範通りの敬礼。
だがその全てが色あせて見えた。
◇
篝火がパチパチとはぜる。そこに横たわる人影も傷病者から死体の方が多くなりつつある夜戦病院――と言う名の死体安置所。
そこに足を踏み込むと肉の腐る甘い臭いが鼻についた。その臭気が身に着けた泥まみれのテントに染み込んでしまうのではないかと思いながら急ぎ足で目的地に向かう。もっと早くに訪れる予定だったが、荷造りを進めていたらもう作戦発起時間になってしまった。
「急がなくては」
だが士官が走っては周囲の兵にいらぬ心配を与えてしまう。
なんと言っても偉い人が逼迫する戦況の中、走ってしまえば何か悪いことでもあったのでは? と思われ、士気を下げてしまうかもしれないのだから。
だから焦る心が足をもどかしく思っている。
それでも脚絆を巻いた足も駆けだしたそうに動くのだが、それを意志の力でねじ伏せて――。ダメだ。走りたい。
悶々と一人競歩のような状態で歩み、やっと目的地についた。
「ミューロン。起きてるか?」
だが返事はない。眠っているようだ。
ミューロンの体調は一向によくなる事はなく、未だ寝込んでいる。
そりゃ医者は皆、負傷兵の治療にあたるだけで手一杯でミューロンに薬を処方してくれる者なんていない。
それに水も食料も優先的に配布されるのは負傷者ではなく前線の兵士ばかりだし、基本野ざらし状態なのだから癒える病気も癒えないという状態だ。
「……悪いが、俺達は一足先にこの丘を出る。だけど、エンフィールド様がミューロンの後送を認めてくれた。すぐにレオルアンに戻れるぞ、まぁだからこの任務に志願したんだけどな」
すでに総退却の命を受けて二日。エフタル義勇旅団司令部や連隊司令部からも教導大隊への後退と原隊復帰の命令が出た。そのため教導大隊も本格的な撤退を行う事になったのだが、負傷者の後送はまだ目処がたっていなかった。
だからイザベラ殿下の脱出作戦に参加する代わりにミューロンの後送だけは取り付ける事が出来た。あと夜襲の日に保護したドラゴンについてもだ。彼女は腹部に矢傷があり、手当こそしたが血を失いすぎて意識が回復していないと言う。
「病気が治ったら、王都に来るよう命令が来るだろうけど、その前に迎えに行きたいな。いや、サヴィオン軍を王都から撃退するまでは無理かな? でも必ず迎えにいく。これは約束だ。――で、戦争が終わったら式をあげよう。うん」
乾き、泥のこびりついた彼女の髪を梳いてやる。風呂も無く、水も魔法で作れるとはいえ、身を清めるほどの量が作れない現状、彼女には不便をかけてしまって恥ずかしかった。
俺がミューロンのためにしてやれる事のなんと少ない事か。願わくはレオルアンで医者に見てもらって手厚い看護を受けてもらえれば……。
「それじゃ、行ってくる」
返事は無い。
それで良いと思う。もし引き留められるような事を言われては絶対に今の任務を蹴ってしまうだろうから。
踵を返し、暗闇の中に足を向ける。
そして中隊の集結地に行くと闇にとけ込むような黒い軍衣の集団がそこにいた。
その中にいる青い髪の兵の姿を見咎め、大きく深呼吸をしてから彼女に近づく。
「殿下。準備よろしいですか?」
「あぁ。よろしく頼む」
案の定と言うべきだろうか。いや、逆に想定内だな。
と、言うわけで今夜、俺の率いる銃兵中隊から再編された十名の選抜猟兵を伴って王都アルトへ向けた撤退作戦が発令される。
俺達以外にも近衛第三騎士団からも数部隊が出発し、サヴィオン軍を攪乱しつつ王都を目指すと言う。事実上の一〇一高地の放棄とも言える。
それに併せて臨編遅滞戦闘団は解散となり、順次レオルアンに後退し、王都を目指すと言う。
「では出発しましょう」
「いや、その前に行程の確認をしたい」
兵用の軍衣に身を包んだイザベラ殿下が青い髪をかきあげ、静かにこちらを見返した。
彼女とて近衛第三騎士団から作戦について色々と聞いているはずだが……。
いや、ここは他の兵達の意識を集させるためにも再度、作戦を説明しておこう。
「ではこちらへ。車座になりましょう」
マップケースから手書きの地図を引っ張り出し、広げる。
それはこの作戦にあたって戦闘団司令部が提示した地図を大ざっぱに書き写したものだ。
「我らはまず街道沿いに撤退し、途中でこの副街道に入ります」
レオルアンの手前にあるセヌ大河と並進する街道をすすみ、途中の港町で船を調達して王都へ。そんな日程だ。一応、これで王都まで何事もなければ十日程度でいけるらしい。
「質問は?」
「では失礼します」
「モリソン軍曹。どうした?」
「敵と遭遇した場合はどうするのです?」
「作戦の都合上、交戦は避けるべきだな。こちらは殿下を無事に王都へお連れできれば作戦成功なんだ。下手に戦ってリスクを増やしたくない」
それに弾薬の補充も問題がある。
この王都への作戦はルートこそ決められているが、時と場合によってはそれを変更しても良いということになっているので一〇一高地を離れるとどの部隊がどこにいるのかさえ分からなくなってしまう。
だから補給は困難を通り越して不可能。
弾薬は手持ちの分――百五十発しかないから交戦は出来るだけ避けなければならない。
「他は? 無いな? では出発」
一応、この場で最も階級が高いのはイザベラ殿下なのは言うまでもないが、部隊の指揮は俺に一任されている。
まぁ特殊な兵科だからイザベラ殿下が指揮を取るわけにもいかないよねと言う事だ。
そうした訳で俺を先頭に闇の中に俺達は踏み出していった。
◇
サヴィオン帝国第二鎮定軍本営。グレゴール・スターリングより。
「なるほど、なるほど」
サヴィオン軍の本営に初老の騎士の言葉が響いた。
周囲はその騎士以外誰もおらず、非常に静かだった。
「あ、あの、畏れながらアイネ殿下は……」
「殿下はお休みになられている。気にする事はない。だが、アルツアルの総退却、よく知らせてくれた。大変であったろう」
確かに総退却が全軍に布告され、臨編遅滞戦闘団の解散とあって軍としての秩序に乱れが生じたためか、いつも以上に憲兵の巡回があった。
それをかいくぐってサヴィオン軍の本営までやってきたのだ。苦労は労われて当然だろう。
「ふむ……。それでそちらの姫君はどの部隊と共にあの丘を脱出したのだね?」
「ハッ。奴らはレオルアンの手前で副街道に入り、セヌ大河から王都を目指すと」
「船か。厄介だな。それでその部隊は? 近衛の騎士か? それとも傭兵か?」
「いえ、亜人の部隊にございます」
亜人……。初老の騎士はおもしろそうにそれを何度か口の中で唱えると、「もしやロートスと言うエルフの部隊か?」と訪ねてきた。
「え、えぇ。その通りです。なに、十人ほどの雑兵です。気にするほどの戦力ではありません」
「雑兵……!? 雑兵か! それは殿下の前では言わぬ方が賢明だぞ」
芝居のように大きな身振りをする騎士に言いしれぬ不安を覚える。こいつ、オレをおちょくっているのか?
それともわざと滑稽な様を演じてオレを試している?
いや、これは考えても詮無きことか。
「口は慎みます。ですが、相手は少数。騎士による急襲で一撃でしょう。なんなら捕虜となっている我が配下をお返しくださればサヴィオンに亜人の首とイザベラ殿下をお引き渡しする事も可能ですが」
「生憎、そこまで君達を信用しているわけではないのだよ。追跡はこちらが行う。
そうだな。今は休むと良い。後ほど君を使う事もあろう。その時は頼むよ」
楽しげに笑う口元。感情を見せない瞳。
その作り笑いに寒気を感じつつ、頷く。ここで楯突く事もあるまい。
「おい、伝令。すぐにイヴァノビッチ殿をお呼びするのだ。あぁくれぐれも静かに。殿下に気づかれては事だからな」
「……イヴァノビッチ?」
その一言に初老の騎士は「知らぬか?」と本営の一角に置かれたワインの瓶を取りに行った。
「東方王と言う言葉は?」
「聞いた事はありますが」
「その末裔だよ。あれは悲しき一族だ。三代で作り上げた王国の落日の姫。それがミーシャ・デル・イヴァノビッチだよ」
東方王――その言葉自体は聞いた事がある。東の平原を割拠する王だとか。
だがその実体は勝手に王を名乗る不届き者の集団であり、国の体も無いに等しいと聞いていた。
「あの地――東方辺境は国を持たぬ騎馬の民の土地であった。だがある軍才に長けた男が周辺部族を併呑しはじめ国を自称し、王を名乗った。それが辺境王であり、帝国の脅威だ」
サヴィオン帝国にとって東方辺境は同じ人間族の土地なれど亜人の脅威の元に団結を拒んだ卑怯者が住む土地であると認識していた。その上、国として強固にまとまった帝国の脅威ではないと言う事もあり、長らく放置されていたのだが、此度、国としてまとまりを見せ始めた東方に危機感を募らせたのだ。
それが東方平定。
「騎馬の民は強かった。我らが亜人の脅威から人間族を守る防波堤となっている間にぬくぬくと力を蓄えていたのだからな。
その上、連中は単独で北方巨人族と戦を繰り広げるほどの猛者揃いだったと言うのもあって、べらぼうに強かったものだ。
だが奴らは巨人相手の戦は知っていても幾多の戦を乗り越えてきた帝国の敵では無かった」
各部族間の軋轢やサヴィオンからの政治工作によって東方は弱体化を余儀なくされた。だがそれでも強固に抵抗の姿勢を見せた辺境王率いる有翼重騎士団によって苦戦を強いられたサヴィオンだが、最終的にアイネ・デル・サヴィオンによって平定が行われた。
「さて、昔話も終わりだ」
その言葉と共に「ミーシャだ」と簡素な名乗りと共に一人の少女が入ってきたあ。
朱髪に白銀の鎧――ミスリルのそれを着込んだ少女。いや、ただ童顔なだけかもしれないが。
「イヴァノビッチ殿。お呼び立てして申し訳ありません。少し秘密の任務に出ていただきたい」
「秘密?」
「殿下はあくまであの村の奪取無く軍を進める事を潔しとしません。良いですね?」
「確かにアイネなら、そうだろう。なにやら丘に執着しているようだし」
「原因はエルフです。イヴァノビッチ殿もご存じのはず」
するとイヴァノビッチ――辺境王を名乗る彼女は朱髪をかきあげながら頷いた。
一体何があったと言うのだ? あのロートスとはこれほど名の知れた者なのか?
「とある情報が入りました。そのエルフがアルツアルの第三王女を連れて王都に向かっているとの事です」
「ほー。確証は?」
「確証は取れておりませぬが、わたくしの言葉として受け取って頂きたい」
「信用しろと?」
「まさに。どうかエルフ狩りをして頂きたい。さすれば、帝国に正式に辺境王を認めさせる事にご助力いたします」
「帝国に? おもしろい話だ。アイネは知っているのか?」
「もちろん。殿下、自らのお言葉です」
イヴァノビッチは「信じ難いな」と冗談のように笑う。だが、その目は真剣だった。
「それでは作戦についてですが――」
初老の騎士の言葉にコクコクと動く朱髪。だがオレが先ほどもたらした情報はまだアイネ・デル・サヴィオン殿下に伝わっていない。
それなのにこの初老の騎士はその殿下が許可したものだと言い張る。
それがなんとも、不気味に思えた。
遅れてすいません!
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