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一〇一高地

「……そうか。ディルが戦死したか」



 空が紫に染まる中、薄暗い教導大隊本部に燭台に明かりが灯された。

 その頼りなげな明かりが繊細な造形をした騎士の横顔を照らし出す。

 いつ見ても憎らしいほどの美形の騎士――ジョン・ホルスタッフ・エンフィールド伯爵少佐は物憂げに呟いた。



「えぇ。ですが彼の勇敢な行動により第一、第四中隊は損害無しです」



 正直に言えば彼の戦死の事をどう伝えるか、若干迷った。

 見殺しにしたのはさすがにやりすぎたと思う自分もいるが、だがあんな奴、死んだ方がマシだと思う自分もいる。

 てか、報告書的に見殺しましたとは記せないのが一番の困りどころだったが。



「援護射撃を行って第二中隊を救援したかったのですが、どうしても友軍を誤射する可能性が高く、命中率の高い螺旋式燧発銃(ライフルゲベール)でしか攻撃できませんでした。ライフルがもう少し配備されていればディルムッド大尉もお救い出来たやもしれないと思うと口惜しいです」



 ……少々あからさまな要求だっただろうか?

 まぁ死んだ者を出汁に予算拡張を願うのは不謹慎なのだろうが、その場に居ない者を出汁に使うのは世の常だから許して欲しい。

 もっともそんなろくでもない処世術を身につけさせてくれたブラック会社には感謝をしてもしたりないな。いや前世じゃ、本人に漏れる事が無いからと散々な事を言う先輩や上司には反吐が出る想いだったさ。だがそれを自分でも使う日が来るとはなぁ。

 俺も大人になったのか、それとも薄汚れたのか……。

 まぁこの世から去ったディルムッドには悪いが、せめて彼の死を無駄にしないためにもここは出汁として使ってしまおう。



「なるほど。螺旋式燧発銃(ライフルゲベール)については検討しよう。下がってくれ」

「失礼します」



 一礼して本部を出ると各所で篝火が焚かれている所だった。

 その明かりをしばらく眺めていると「おや、これは」としわがれた声が聞こえた。



「ラギア!」

「お久しゅうございます。ボーっとされて、どうしたのです?」

「なんでも無いよ。てか、輜重隊を率いているんじゃなかったのか?」



 いや、なんでも無くはない。ただディルムッド大尉を見殺しにしたのにえらく無感動な自分を責めていたのだ。

 俺が直接手を下した前任の中隊長であるハカガの時もそうだったが、罪悪感を感じていないし、今回に至っては無関係なディルムッド大尉の部下までも見殺しにしてしまっているのにただの疲労感しか感じない。後悔すらない。

 だから本当に罪悪感が無いのか探していたのだが、その事をラギアに言っても仕方ないだろう。



「あぁ。それで帰ってきたんですよ。燧発銃にカートリッジに弓矢や剣、兵糧。レオルアンから運んできたんです」



 得意げにはなすホブゴブリンのラギアを微笑ましく見ていたが、彼は急に声の調子を落として言った。



「ただ、ここまで戦況が悪いとは思いませんでした」

「あー。レオルアンの様子はどうなんだ? やっぱり混乱が起きているのか?」

「いえ、それより武器や糧秣の生産に力が入れられて勝利のために市民は一丸となるべしっとレオルアン公爵が激励しております」



 どうやら情報統制が行われているようだ。

 民が迫りくるサヴィオン軍を恐れて離散するのを防ぐために戦況をひた隠し、戦時体制を維持している。涙ぐましい努力だな。

 だが糧秣の運搬等で連れてこられた運び屋連中の口伝えですぐに戦況がレオルアンに広まるだろう。



「それじゃわたくしはエンフィールド閣下に報告がありますので」

「そうか。……ご苦労」



 少しだけ彼を呼び止めておこうかと思ったが、やめた。エンフィールド様の慟哭を邪魔してはならぬだろうが、それでも大隊長としての責を果たしてもらわねばならない(そもそもエンフィールド様が落ち込んでいるのは俺が原因を作ったせでもあるが)。


 さて、どうするかな。

 夜となって敵も野営に取りかかっている頃合いだろう。しばしの休みだ。とりあえず傷病兵の集められた所に行こう。

 彼等は臨編遅滞戦闘団司令部の南にしばし行った所に収容されていた。収容と言ってもテントに入れられて治療を受けている訳ではなく、地べたにただ並べられただけの粗雑な地だ。


 そこは戦闘が終わってなお血と死の臭いに満ちていた。彼等は死を待つかそれとも治療を待つかの人々であり、基本的に死ぬ。いくら治癒魔法が施されても内蔵をぐちゃぐちゃにされた兵は助けられないし、壊疽なんかが起こったら目も当てられない。精々、切り口の綺麗な者や手足を切断された者くらいしか生存出来ないのだ。


 その外れ。欠損もそう無い人々が横たわるそこにミューロンは居た。

 一応、背には彼女を移送するために使った戸板が敷かれ、その上に猟兵の個人装備である毛布と汚れたテントの油布がかけられていた。



「ん。ろーとす……?」

「おう」

「おとーさんとおかーさんは?」



 その言葉に思わず息が詰まる。

 きっと熱に浮かされたせいで三年前の流行病の事を思い出しているに違いない。

 村の仲間を奪ったあの病の年。ミューロンと共に暮らすようになったあの年。素直に喜べないな。



「たく、寝ぼけてるのか?」

「――?」



 彼女の負担にならないように頭をなでてやると、やっと碧の瞳の焦点があった。



「ご、ごめん。変なこと言っちゃった」

「気にすんな」

「――ロートスが無事でよかった」

「ま、生き残れたよ」

「風と木の神様に感謝しなくっちゃ」



 小さく呟かれる祝詞の愛おしいこと。思わず涙が出そうになるほどの安らぎを与えてくれる彼女の存在を抱きしめたくなる。



「体調はどうだ?」

「まだ熱があるって」

「療兵が来てくれたのか?」

「……うん」



 ――嘘だな。

 長年の感とも言えるものがそれを看破する。



「薬は?」

「手に入らないって。忙しいし、仕方ないよ。それにもう少し休んでいればすぐよくなるだろうし」

「お前な……。ま、休んでいてくれるだけありがたいか」



 熱があるのに前線に行かれるよりマシだ。



「でも、ちょっと今日は怖かった」



 薄ピンクに染まる彼女の頬に強引な笑みが浮かぶ。

 どうもサヴィオン軍は丘がある方面に向かって魔法を打ち込んできたらしい。それもやたらめったらに。どうも本村を攻撃する砲兵陣地を沈黙させるための攻撃だったようだが、着弾観測が出来ないせいか、こちらには微々たる被害しか出なかったと言う。



「……ただ寝ているしか出来なくて、怖かった」

「………………」



 その吐露される言葉が胸に突き刺さる。

 彼女を危険な目に会わせてはならぬと寝ているよう言ったのが、逆効果だったろうか?

 確かになす術なく敵に殺されるかもしれないと言う恐怖に苛まれるのは辛い。

 だが――。



「うん。わかってるよ。今のわたしじゃ、足手まといだもん」

「ミューロン……」

「心配しないで。大人しくしてるよ。それに、ロートスならサヴィオンも魔法使いも騎士もみんな殺してくれるんでしょ? ならすぐにあの魔法も止むよ」

「たく――。あぁそうだよ。全くその通りだ」



 冗談とは分かっている。だがそれでも彼女はなんと気高く、強いのだろう。

 それに比べて俺は……。

 やっと嫌悪感が宿る。

 ディルムッド大尉にはまったく浮かべられなかった感情に己が戸惑う。

 あれだけの兵員を見殺しにしたと言うのに一人の少女の言葉に心が揺れ動くなんて。

 それが不思議で仕方ない。



「ロートス大尉! 大尉! 伝令 伝令です!」



 その言葉に振り向けば一人のエルフがこちらに走り寄ってきた。どうやら俺を探すにあたって真っ先にミューロンの所に来たようだ。

 伝令のエルフの一等兵はミューロンと俺の前で敬礼をすると「エンフィールド少佐殿より大隊本部への集合命令せよとの事です」と用件を伝えてくれた。



「分かった。任務ご苦労」



 彼女に答礼し、それからミューロンに「行かなくちゃ」と言えば、彼女はうんと頷いた。



「行ってらっしゃい」

「行ってきます」



 と、その前に彼女の水筒に水魔法を使って中身を満たしておく。

 若干の気だるさを感じつつ大隊本部に顔を出すと見知らぬ騎士とエンフィールド様、そして暗い顔のグレゴール大尉が詰めていた。



「……グレゴール大尉。顔色がお悪いようですが――」

「う、うるさい!」



 思わず声をかけると、彼はヒステリーを起こすように叫んだ。それに面食らっていると、咳払いが大隊本部に響いた。



「ロートス大尉。この方は――」

「近衛第三騎士団団長のリシュモンだ。子爵大佐をさせてもらっている」



 思い出した。イザベラ殿下と共に行動されていた騎士だ。

 彼の甲冑はサヴィオンのそれに似た白銀に輝くそれであったが、よく見ると無数の傷が刻まれていた。おそらく大佐と言う階級も戦場に出て勝ち取ったものなのだろう。



「ちょうど良い。真夜中、我々はサヴィオン軍に対し、逆襲を行う」



 リシュモン大佐の話によると敵は夕刻の第三次攻勢において一部の傭兵が村に留まる事に成功したのだと言う。

 それらの戦力は明朝、一〇一高地への攻撃を企図する公算が高く、そのまえに敵を叩く必要がある。そのため深夜、夜襲を行ってこれを撃退し、防御における物理的な距離を稼ぎたいとの事だった。



「それ故、教導大隊にも夜襲に参加してほしいい」

「ですが我が大隊では夜襲に関する訓練をつんでいません。それに本村――一〇一高地東部は急勾配で、昼間ならともかく夜間の行軍は危険を伴います。それに接近戦を旨とする第二中隊は本日の戦闘で全滅の憂き目にあっていますし……」



 最後の言葉にグレゴール大尉がビクリと震えた。何を怯えているのだろう。

 だがそれを無視するようにリシュモン大佐が笑った。



「そちらにはエルフが居るだろう。エルフは夜目が利くと言う。そうなのか?」



 その疑問が一介の騎士大尉に向けられている事に気づかず、ポカンとしていたが、脳がそれを理解すると共に「その通りであります」と叫んでしまった。



「なるほど。なに、戦闘団が消耗するほどの戦力抽出は行わないから心配いらん。大隊からは五十人ほどでいいから人を出せ」

「……分かりました」



 強引な命令に渋々と納得する上司の情けない姿を見ていたが、ふとこのままじゃ俺は夜戦参加確定になってしまう事に気がついた。

 いや、かまわないけど。――いや、かまうな。さっきまで囮になりかけていたのに今度は夜襲かよ。

 ドロドロとした思いが心の底に沈殿していくのを感じつつ夜襲に関しての作戦概略を伝えるとリシュモン大佐は戦闘団司令部へ帰って行ってしまった。



「ロートス大尉――」

「高く付きますよ」

「まいったな。請求はアルツアルにしてもらえるか?」

「それより連隊長殿に相談されては? そもそも生きておられるので?」

「キャンベラ大佐を殺すな。レオルアンに連隊主力と共に脱出されて防備を固めているはずだ。だが、そうだな。キャンベラ大佐に相談するのも良いだろう。生きて帰れたらだが」



 まぁ確かに。生きて帰れたらか。

 ますます死ねなくなったな。



「ですが我が中隊のエルフを夜襲に使うのはちょっと。皆、他の種族に比べ射撃の技能が高いので成功率の分からない作戦に投入するのはどうかと。

 それに銃剣と取り入れたといってもその扱いは素人に毛が生えた程度ですよ。本職の傭兵相手にどれだけ戦えるか」

「なら代わりにオークはどうだ? 奴らの力なら人間相手に十分だろ」

「線の細いエルフより近接戦闘はやれるでしょうけど、オークは夜目が利きません」



 困ったな、と呟かれるがどうしようもない。

 ん? エルフがダメでオークもダメで――。



「獣人はどうでしょうか。ワーウルフ族やウサギ族などは五感が発達しているようですし、お役に立てるのでは?」

「なるほど。だが、数がたらないだろう」



 確かに。

 すでに銃兵中隊の戦力は通常編成時の七割になりつつある。そもそもそこから五十人も捻出したら中隊が終わりを迎えるだろう。



「だが、夜目のエルフも捨てがたいな。あぁ、選抜猟兵(スナイプイェーガー)と獣人を混ぜた混成部隊を作ってくれ。数は二十でいい」

「残りは?」

「我が大隊の優れた騎士は君の部隊だけではない。そうだろ、グレゴール大尉」



 先ほどまで空気と貸していたグレゴールがビクリと跳ねた。

 何をそんなに驚く事があるのだろう。もしかして案外小心者なのかもしれない。



「残りの三十人を君の部隊から捻出しろ」

「し、しかし――」

「別に下馬して戦えとは言わん。乗馬による夜間奇襲を行うのならカンテラの準備もいるだろう。早く行け。ロートス大尉もすぐに準備に取りかかれ」



 敬礼をして去ろうとするが、グレゴール大尉は口うるさくこの作戦について否を唱えていた。

 これ、一緒に戦って大丈夫なのか? まぁそもそもの話、彼の部隊を信用してはならないだろう。なんたって指揮官がアレだし。

 なら今回の奇襲は俺の部隊だけによる独力攻勢と考えて行動しよう。



「少佐! あのエルフは信用なりません! い、いずれ我々に牙を向けます! そのせいでディルムッドは――」

「グレゴール大尉。まだ居たのか? 私はすでに命令を下した。それに、ディルの事は放っておいてくれ。

 今は静かに喪に服したい」



 沈痛な言葉に聞き流しそうになったが、グレゴール大尉殿。俺が信用できないって――。

 やはり独力で攻勢をしかけると言う方面で作戦を検討しよう。


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