最悪
アイネ・デル・サヴィオンより。
朱の色をした髪が早春の風を受けて舞い上がる。それと同時に我が最大の仇敵は軽々と馬上に身を翻した。
「アイネ。行ってくる」
「待て。待て待て」
だがミーシャは余の忠告を前にフッと微笑んだ。
「敵の待ち伏せは覚悟している。だが奴らを突破しなければ前進はあり得ぬのだろう。ならばボクは行くよ」
「帝姫の話さえ聞かぬとは……。えぇい。好きにせよ。死んでも構わんが、それならそれ相応の戦果を上げてからにせよ」
「御意。我が最大の仇敵よ。期待してくれてもかまわんぞ」
「頼もしい」
ミーシャが愛馬の腹を軽く蹴るとその命令通り一角獣の血を引く馬が歩き出した。
彼女は率いるのは二百の東方辺境騎士団の重騎兵隊。
元来、東方騎兵は少数精兵を旨とする重騎士集団だ。奴らは二倍、三倍の敵をその突破力をもって粉砕してきた騎兵の仲の騎兵であり、少数で敵陣に突撃する事を厭わない。
「――蛮勇勝る東の蛮人、か」
それが帝国が下した東方の民への評価だ。
そしてその蛮族は余に平定され、新しい戦場に舞い降りた、と。
いや、いつまで感傷に浸っているつおりだ。余は余の勤めを果たさねば。
「東方辺境騎士団ミーシャ支隊に告げる。余が貴様等に望は敵を撃砕のみ! 余の期待に応えて見せよ!」
東方の民族刀である曲刀を抜き放つ。すると東方の勇士達が四メートルを越える超長槍を手に喊声を上げる。
戦意は充足し、今やそれが解き放たれるその時を待っている――。
その爆発が起こる直前にミーシャを先頭に羽根飾りを取り付けた馬達が一斉に駆けていく。
――なんと美しい光景だろうか。
白銀の鎧に赤を基調としたマント。そして風に震える羽根飾り。その壮麗な姿に心が奪われる。
だがいつまでも彼らを贔屓している訳にはいかない。
足早に村からちょうど百メートルほど離れた地点――攻撃発起点に待機したディルレバンカー傭兵団の元に行く。そこには一様に顔を青ざめさせた傭兵達五百人が屯してこちらの命令を戦々恐々とまっている。
「諸君。待たせたな。これより村への強襲作戦を発令する。
く、フハハ。なんだ諸君。緊張でもしているのか? 新兵のように怯えているのか?
なに、諸君等が成す仕事は実に容易い。何故なら諸君等の任務は三つしかないのだ。たった三つの任務を果たす事で褒章が得られるのだ。
一つ、敵を殺し尽くせ。一つ、敵を焼き尽くせ。一つ、敵から奪い尽くせ。奴らの村を塵芥に変えるだけの簡単な仕事だ。
ここで出た戦利品は余さず貴様等ディルレバンカー傭兵団に与える。献上などと上品な事はいらぬ。余さずだ。余さず貴様等のものとなる! 良心を向けるな! 相手はそれに値しない蛮族だ!
故に諸君等は一心不乱に殺し、焼き、奪え!」
その声に傭兵達が一斉に戦意を取り戻す。
彼らの給料は命を賭けるにしてはずいぶん安い。だから彼らは命に見合う対価を戦場に見出そうとする。余の仕事はそれに火を付けてやることだ。
赤々と燃え上がる戦意こそこの戦争の勝敗を分かつものだろう。そしてその機も熟した。
「では諸君! 蹂躙せよ!!」
再び剣で攻撃目標指し示すと、今度は信号ラッパが暮れゆく空に響いた。
そして割れんばかりの地響きと共に五百の集団が動き出す。
もっとも二度の攻撃に参加した傭兵の多くが死傷や逃散している現状、五百でも出陣できるギリギリの数字だ。
その後ろ姿を見守っていると左後ろに誰かが立つのを感じた。クラウスだろう。
「殿下、まだ大勢死にますぞ」
「その損害もすでに折り込み済みだ。昼の攻撃で損失した穴はどうなっている?」
「攻撃に参加した延べ千五百人の傭兵のうち、六百人が戦死無いし行方不明です。もっとも多くは逃亡でしょう。また、試算ではありますが、この攻撃でもさらに三百名ほどの傭兵が犠牲になると思われますが……」
「九百か……。フン。許容範囲内だ」
傭兵など壁役にしかすぎない。その傭兵が死んでもまだ代わりはある。
だが逆に騎士や魔法使いの代わりは居ない。無闇に戦力の投入はしたくないのだが、この村の突破にはどうしても敵の撃滅が不可避だ。街道上の安全確保のためにも、今後の洪水作戦の遂行においても敵を粉砕しておくに限る。
「やれやれ。殿下は傭兵に手厳しいですな」
「ただ奴らが余の寵愛に値しないだけだ。使い潰しても心が痛まん。なら精々、活きのいい内に酷使してやるべきだ」
土煙を上げて村に突入する傭兵達。彼らが村に進入して幾ばくか。あの魔王の叫びのような雷音が響いた。
そして数瞬、空中に黒い物が高速で現れたかと思うとそれが村に突き刺さってさらなる爆音を上げる。
すでに村には幾時間も法撃が加えられ、その上で敵の攻撃が突き刺さった大地にはもう面影もないだろうに。
「イザベラめ。思い切った手を」
「会戦でも無く、攻城戦でも無い……。不可思議な戦いですな」
「いや、これは攻城戦だ。城壁の無い、な」
あの後、さらなる傭兵の調書を取ったところ、敵は丘上に布陣して迫り来る友軍を村の中で殲滅しつつ、接近してくる者を排除して丘を守っていると言う。
その丘めがけて法撃を加えもしたが、どうやら効果は全くなかったらしい。
「やはり早急な丘の奪取が必要か」
「二百の重騎士だけで良かったので?」
「仕方あるまい。斥候の話では側道の幅は馬が四列も並べば一杯になると言うではないか。これ以上の兵を動員しても混雑が増して機動力が落ちるだけだ」
敵の追撃を辛くも逃れた斥候の報告では銃を使う遅滞部隊が森の中に潜伏しているとの事だった。
恐らくロータスだろう。エフタルの時も、そしてアルデンでの時も奴らは森に潜んで奇襲を仕掛けてくる戦いを十八番としていた。
「だが勝機はある。あの銃を使う部隊はそう多くはない。それに一回、一回の攻撃に時間がかかる。東方馬ならその間に距離をつけて雌雄を決する事ができよう」
「森の中に潜伏されていては攻撃も難しいのでは?」
「魔法使いを四人もつけてある。それも隊の中央に。初撃さえ避けられれば森を焼くなりなんなりして攻撃の手を止める事もできよう」
実際、エフタルでの戦いで奴らを火攻めした事があるが、奴らは成す統べなく別の森に逃げ込んでいた。
いくら火を御する黒粉を持っていても火を克服できる訳ではないのだ。
「それに恐れる事はあるまい。装填時間なら弓の方が遙かに驚異だ。森の中となれば見通しも悪いから射程も短くなろう」
それに隊を率いるのは東方王の血を引くミーシャだ。あいつが簡単に死ぬ訳がない。
それより心配すべきは村に突入した傭兵だ。
「芳しくないようですな」
断続的な轟音と共に風が阿鼻叫喚をこちらまで届けてくれる。
鼻につくのは濃厚な鉄の臭いのみ。忌々しい。
「もう少し粘らせろ」
「ですが――」
「くどい」
村を奪取するまで後退を禁じても良いのだが、それだと傭兵共が反乱を起こしかねない。さすがにそれは避けたいものだ。
「……殿下、レオルアンへの迂回攻撃に関してなのですが」
「それはすでに決を出した。検討するに値しない、と」
「ですが、僭越ながら幕僚と検討会を行いました。殿下がお留守のあいだに」
その言葉に振り向けば悪びれもしない筆頭従者がにこやかに言った。
「村に執着されるものでもありますまい。幕僚団の結論としては迂回攻撃は可能、との事です」
「ダメだ。背後を突かれて包囲される可能性が――」
「敵はすでに死に体です。追撃する余力もそう無いかと」
「……攻撃したとして、レオルアン占領は難しいぞ」
いくら城壁を軽々と打ち壊せる魔法を得ていてもその占領にはそれ相応の戦力が居る。
特にレオルアンのような大都市とあれば占領地の治安維持のためにも相当数の兵を必要とするだろう。その必要最低として余に渡された兵力は六千だった。
そにれいよいよレオルアン攻略となればさらなる増援がこちらに合流する手はずになっている。それなのに早期攻撃を騎士団だけで行っては占領まで手が出せないはず。
「攻撃するだけで良いのです。要は相手に危機感を抱かせる事が大事では?」
「……なるほど」
義兄上の望みは余に南アルツアルの兵力が北上してくるのを阻止する事にある。ならば交通の要衝であるレオルアンにいつでも攻撃できると言う姿勢を取るだけでも十分では無いか、と言うことか。
「ならん」
「しかし――」
「南アルツアルでもっとも驚異のある部隊はイザベラの率いる部隊とロートスの率いる亜人部隊だ。これさえ叩いてしまえれば実質的に敵戦力は瓦解すると言っても過言では無い」
「……殿下、どうしてそのロートスと言う男に執着なされます? 話を聞けばたかが一下級騎士ではありませんか。それも人間では無く亜人の騎士ですぞ。殿下がお気に欠ける事もないのでは?」
そのロートスを低く評価するような言葉に言いようのない怒りのようなものが湧いてきた。
どうしてなのだろう? どうして余はあの男の事に熱くなる?
「……頃合いか」
夕日を浴びた土煙が村を覆い尽くしている。
これ以上の進撃は不可能。先のクラウスの話を無視するように一度だけ息を吐く。
「はぁ。よし、傭兵に通達。現在地を固守し、別名あるまで待機」
「村から兵を引かないので?」
「引くに引けぬぞ」
村のディルレバンカー傭兵団はもう進むも下がるも出来なくなっているだろう。
ならば現在地を守備させるほかない。
「奴らも夜となれば攻撃できまい。その間に増援を送ってやれ。夜明けと共に丘へと強攻を行う」
「……御意に」
そして長年余に付き添ってくれている爺が背を向けた。
◇
ロートスより。
サヴィオンの攻撃が差し迫っているが、側道方面への砲撃支援は無い。
それはある意味、死刑宣告なのではないだろうか。
だがそれを口にした美麗の騎士はそれを気にした素振りなくパンと手を打ちならした。
「よし、作戦を説明しよう」
快活な口調と裏腹にエンフィールド様は膝が汚れるのも厭わずその場にしゃがみ込むや、地面に簡単な周辺図を描き始めた。
その姿が気になったのかディルムッド大尉やいつの間にか下馬していたグレゴール大尉がその絵を覗きこむ。
「まず奴らはロートス大尉の攻撃を一番恐れているだろう」
「斥候が逃げ延びてしまったがためですか?」
「そうなのか? だがそれ以前に敵将は帝国第二帝子アイネ・デル・サヴィオンその人だ。森に囲まれた細道と言う条件から君の待ち伏せを警戒しないはずがないだろう」
確かにアイネならそれくらい考えつくか。いや、それを確かめるために斥候を送ったに違いない。きっと彼女は二十人の斥候を選んだ時点でそれを損害二十としていたはずだ。
「だから奴らは警戒しながら側道をやってくる。そこで奇襲しても効果は薄いだろう。だから餌を蒔く」
地面描かれた一本の線の前に横線が引かれる。
「ディル。君にはこの副村にて横隊を組んでもらう。出来れば村の奥が良いだろう」
「囮と言うことですか?」
「そうだ。敵は早く森を抜けたいと考えている。だから奴らは副村の安全をすぐに確保して臨編遅滞戦闘団の側面へ攻撃をしかけたいはず。そこにディルの長槍兵が居ればすぐに食いつく」
地面に引かれた横隊の前に小石が置かれ、その背後に新たな線が走った。
「敵が村に進入したらロートス大尉。君は着剣した君の部隊が背後をって敵を挟撃するんだ。そうすれば敵は身動きが取れずにその突破力も失われる。後は――」
小石の側面に新たな線が引かれる。そしてエンフィールド様がグレゴール大尉を見た。
「君の騎兵中隊を使って敵側面を強襲し、これを殲滅する。質問は?」
なんと単純な策だ……。
だがその単純すぎるが故に疑問もある。
「じゃ、良いですかエンフィールド様」
「許可しよう」
「敵にもよりましょうが、もし魔法使いが存在する部隊だったら?」
そもそもこの作戦には穴がある。挟撃するのは良いが、その片方が敵に食い破られたら?
こちらが波状攻撃で敵を翻弄するはずが各個撃破されるのでは話にならない。
「それが重要だ。敵の魔法使いは魔具を装備している」
「……杖ですね」
短槍ほどの長さのある魔法杖。冬の砦での攻防戦でアイネもそれを持っていた。
なるほど、それを持つ者を狙撃すればいいんだな。もっとも長い箸ほどの大きさの短杖もあるようだが。
「もし敵が杖を槍に偽装していたら?」
「お手上げだな。そうだな。なら、ディルが攻撃を受けそうだったら急いで部隊を展開し、敵の魔法を阻止してくれ」
脳筋にもほどがあるな。
だが杖の偽装を考え出したらきりがない。
「他に質問は? ――無いな。では各自の奮闘を期待する」
エンフィールド様の敬礼にそれを返しつつ、作戦を反復する。
ディルムッド大尉が囮になるから、その間に隠れていた俺が飛び出し敵を包囲。最後に騎兵を率いるグレゴール大尉が殲滅。
「では私は戦闘団司令部に戻る。殿下に増援を要請してくる。戦闘指揮はディル、君に任せた」
「ハッ! 指揮権頂きました!」
エンフィールド様が飄々としている風を装っているが、この側道が抜かれる事こそ臨編遅滞戦闘団の終わりを意味する。
故に増援の奏上をしに行くのだろう。
ある意味、俺達は捨て駒か。増援が来るまでの。
とは言え、それを口に出しては士気にかかわ――。
「……終わりだ。ジョンに見捨てられたんだ。くそ、あいつ! たかが曹長だったくせいに! 騎士大尉に何を偉そうに! くそ、最悪だ」
最悪なのは俺だよ。
てかそんな叫ぶなよ。
不安に狩られて振り返れば周囲の兵に暗い雰囲気が色濃く漂っていた。最悪だよ!
補足するとディルさんは元来のエンフィールド騎士団の士官で、対してイケメン騎士であるエンフィールド様は次男のためずっと下士官でした。
それが兄がサヴィオンとの開戦劈頭に戦死して爵位なんかを急に譲られたので一気に少佐に出身してしまったがためにディルさんは内心元下士官に指揮されるのをよく思っていなかったりします。
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