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罪悪感

 ミューロンとの一悶着をしていると家の裏手から一人の老人が出てきた。

 なるほど、猫耳の爺様だ。身なりからして農夫を連想させる麻で出来た上衣と細袴を身につけた村長はこちらを見ると恭しく頭を下げた。



「これは、これは。何かご用でしょうか」

「うん。この者――ロートス大尉がお主を探していた」

「なんと! ではこの方があのロートス様なのですね!」



 あのってなんなの? 俺が何をしたと言うんだ?

 そんな疑問が口から出掛かるが、それを制するように殿下が「しばし休みたい。その間、ゆるりと話されるが良い」と男二人を閉め出して家に入っていってしまった。

 あぁミューロンの白いうなじや背中を拭いてあげたかったのに!



「あ、あの……」

「あぁ。村長殿。俺の部隊に加わりたいとか」

「そうなのです!」



 村長は村総出で軍に入りたい事。それが難しいのなら簡単でも良いので戦う術を教えてほしいと懇願してきた。

 まぁ自分達の村を自分達で守りたいと言う気持ちは痛いほど分かる。



「その熱意、感服いたしました」

「では――!」

「ですが俺の部隊は特別な武器を使いますし、それ相応の訓練がいります。一朝一夕でどうなるものでもありませんし……」



 いくら銃は練兵が容易とは言え限度がある。そもそも彼らに渡す銃が無いし。

 まぁそこらの丈夫そうな木を削ってなんちゃって長槍(パイク)にして戦わせるという手もあるといえばあるが、まぁ無理だな。長槍(パイク)方陣にしろ、銃兵の戦列にしろ求められるのは武器の扱い方では無く集団として行動出来るかだ。

 その訓練が出来ていない集団を迎え入れる余裕なんて存在しない。



「そうですか……」

「ですがその心意気や良しです。俺の上官にも掛け合って何か、出来る事がないか聞いてみましょう」



 まぁ戦意があるだけ他の連中よりだいぶマシと言うもの。

 それに第一線で戦うのは無理でも弾運びなんかを肩代わりしてくれるのなら俺達の負担も減るだろうし。



「ありがとうございます! さすが騎士殺しのロートス様だ!」

「――? 騎士、殺し?」

「えぇ。我らとそう変わらない生まれなのに騎士様を幾人もほふってきた英雄ではありませんか!」



 そうなの?

 そりゃ騎士は殺せるだけ殺してきたけど。

 まさか誉められるほどとは。いや、そもそもそれを言うならミューロンの方が騎士を殺しているような気がするんだが……。てか、よくよく考えたら独断専行をしているミューロンに罰を下すのを忘れていたな。



「して、その、騎士を殺す心得のような物を教えていただきたく……」

「心得? そんなものありませんよ。俺はただ故郷を奪った連中を殺したいだけで、それをただ成しているにすぎません」



 そう、それだけだ。

 あの貧しくも穏やかな生活を奪った敵を、父上を殺したサヴィオンを、村を焼いたアイネを殺したいだけなんだ。

 そう、それだけ。



「なるほど。故郷を愛する力、と言うわけですか。お若いのにご立派な事です。我ら猫族もエルフには負けておられませんな」

「そんな大したものじゃ……。ちなみになんですが、戦闘の経験は?」

「ありませぬ」



 ……だよなぁ。

 こんな平和そのものの村に暮らしていて戦と言うのも無いだろうし、農夫の仕事は戦場で敵兵を殺すのではなく畑を耕す事だろうし。

 そんなんで戦場に出たらそれこそすぐに死ぬだけだろうに。



「――何か、勘違いをされているようですな」

「はい?」

「確かに村を守りたいと言うのは偽りの無い本心ですが、我らは戦わなくてはなりませぬ。

 相手はあのサヴィオンですから、奴らが村を占領したら我らは恐らく皆殺しにされるだけでしょう」



 あのサヴィオンなら虐殺もやるだろうな。なんたって俺達がそうだった。



「座して死を待つくらいなら鍬でも鎌でも取って敵兵を迎え討つ所存です」

「……その熱意、感服いたしました。俺は貴方達を見くびっていました。どうかお許しください」

「あ、頭を上げてくだされ! 私らとて生意気な事をもうして申し訳ありませぬ」

「いやそんな! なんと言いますか、貴方達と共に戦えて光栄に思います。共に侵略者共を追い返してやりましょう」



 熱い握手を交わし、頬を紅潮させた村長が去っていく。

 そうだ。アイネが相手ならあいつは絶対に先住種の事を生かしておかないだろう。ならば戦うしかない。どうせ死ぬかもしれないのなら、後悔しない死に方を選ぶしかない。彼はそう決断したのだろう。



「話は終わったか」

「わ! お、脅かさないでくださいよ、殿下」



 急に扉が開き、冷めた目の殿下が現れるなんてある意味ホラーだぞ。

 だが殿下が出てきたと言うことはミューロンの方は終わったのだろう。そう思って家に上がればきちんと布団をかけて額に濡れた手ぬぐいを置いたミューロンが横たわっていた。



「どうだミューロン。具合は?」

「サヴィオン人を殺してないから不調気味かな」

「よし、良い感じらしいな。早く元気になってくれよ。じゃないと俺がサヴィオン人を一人残らず殺してしまうぞ」

「むぅ」



 深く澄んだ碧の瞳が不満を訴えてくる。

 うん、昼間よりだいぶ良くなってきているようだ。良かった。



「二人は、敗戦を予感しないのか?」



 心底不思議そうな声で訪ねてきたイザベラ殿下に俺達は視線を交えてから言った。



「もしアルツアルが敗戦しても、俺達は戦うしかありません」

「わたし達はサヴィオン人を許せません。ですから戦うんです」



 もちろん戦うのは怖い。戦う事によって失われるものがある事も怖い。

 だがそれでも憎しみが勝るのだ。どうしようもない怒りがそこにあるのだ。

 故に銃を取らざるを得ない。

 もちろんハミッシュが言ってくれた過去(ふくしゅう)に捕らわれていると言うことは否定出来ない。それと同じく俺は過去(ふくしゅう)を捨てることは出来ないのだ。

 なんてバカな事を考えるのか、自分で自分がおかしくなる。



「く、フハハ。そもそも俺達の事をサヴィオンが許してくれるとお思いで? アイネは本気で俺達の事を殺しに来るでしょう。ならば、戦わねばただ死ぬのみです」



 村長の悲壮な決意がありありと脳裏を過る。そう、俺達は戦わなくてはならない。

 例え恐怖に蹂躙されようと、圧倒的な敵を前にしても。

 そうしなければ生きられないし、奪われた物は取り返せないし、そしてなによりミューロンを守れない。



「……故に勝てぬと分かっている戦にも身を投じるのか?」

「勝つか負けるかでは無く、戦うことが大事なのでは?」



 ハッとイザベラ殿下が息を飲んだ――ように感じた。

 普段、顔色が全く動かない姫だから勘違いかもしれないが……。



「殺されると分かって居ても?」

「それが分かって居るからです」

「そうか……」



 そう言えば前世、出来る出来ないじゃなくてやるんだと言われた事もあったな。もっともそれを投げ出さずにやったせいで体調を崩す同僚が後を絶たなかったが。



「諦めてはなりません。それが長たる者の責任では?」



 格好つけてしまった。

 だが、自分で言っていてそれはイザベラ殿下では無く、俺に向けての言葉だったのかもしれない。

 父上、俺は父上に恥じぬエルフになっているのでしょうか?

 いや、なってないな。サヴィオン人を見てはミューロンと共にギラギラした憎しみを募らせ、独り恐怖に震えるのだから。きっと草葉の陰で泣いているかもしれない。



「これが、王に求められるものなのか」



 その言葉に今度は俺の方がハッとした。

 俺は王族になんて事を言っているんだ。これって不敬罪で首をはねられても文句は言えないぞ。

 血の気が引くのを感じているとイザベラ殿下の滅多に動かない表情筋が少しだけほほえんだ。



「顔色の忙しい奴だな」

「も、申し訳ありません。出過ぎた事を申しました。どうか、どうかお許しを」

「許そう。それにこちらには一兵も無駄に出来ぬ状況だからな。懲罰を与えるのも惜しい」

「あ、ありがたき幸せ!」



 床に頭を擦り付けるように土下座をすれば軽く肩を叩かれた。



「感謝する。このような痴態をアイネ殿下に見られたら、また予の事を王の器にあらずと詰ってくれるだろうな」



 スッと肩から手が放れる。それを追うように顔を上げれば戸口に向かう怜悧な姫の背中があった。



「すまぬな。邪魔をした。予は、ただ逃げたかった」



 今後の作戦会議から。来るべき敗戦という未来から。王族としての使命から。だから俺を案内すると言う名目で会議に遅れようとしていた。

 確かに、アイネならその姿を万の言葉をもって糾弾しただろうな。



「予はなんと弱い王族なのだろうな。許してくれ」

「それは出来ません。許す事など――」

「その通りだ。ロートス大尉の言う通り許されるものでは無い。怒ってくれて、ありがとう」



 なんと清々とした笑顔なのだろう。雪の中から現れたミスミソウのような可憐でいて青く、強い笑顔。

 その美しさに沈黙しているとイザベラ殿下は扉を開けた。最後に「ミューロン臨時少尉、邪魔して悪かった。しかっり休め」と呟いて出て行ってしまった。

 何を決意したのだろう。そう疑問に思っているとミューロンが小さく「お疲れさま」と言ってくれた。



「別に。水はいる?」

「うん」



 戸口の近くに置かれた水瓶から杓子で澄んだその中身をすくって彼女の元に向かうと桃のような頬を緩ませて「気を張っちゃって」と冗談めかした言葉を言った。だが、彼女の碧の瞳には深い憂いが浮かんでいる。



「柄じゃなかったか?」



 今になって口の中に苦いものが広がって来る。

 王族相手にして良い話では無かったし、なにより一家言あるようなそぶりで話してしまった。別にそんな事はないのに。

 俺はイザベラ殿下の戦意を焚き付けただけなのだ。イザベラ殿下に王というもっともらしい理由をつけて戦う事を強制してしまった。やばい。罪悪感で押しつぶされそう。



「よく頑張ったね」



 鈴のなるような、優しく、心地の良い声。心を優しく包む春風のようなその声に濁り固まる様な思いが溶けだそうとする。

 だがミューロンに頼ってそれを押し流そうとしている自分が居る事に気づいてより嫌悪感が増した。その意識を振り払うように彼女の傍に歩み寄る。



「起きられる?」



 片手でミューロンにかかった布団をまくれば襦袢姿の彼女がゆっくりと起きあがろうとしていた。それを助けるように背中に手を回してゆっくりと起こしてやれば嬉しそうに彼女は瞼を細めた。それだけの行為が無性に嬉しく感じる。

 ゆっくりと杓子をぷっくりとした口元に運んでやるとちびり、ちびりとなめるように水を飲んでいく。



「ありがと」

「もう良いのか? 熱があるときは水をよく飲むんだぞ」

「……ごめんね。心配かけちゃって」

「気にするなよ」

「……わたしの事、置いてきぼりにしないで居てくれてありがとう」

「良いって」



 襦袢越しに伝わる彼女の暖かさと汗による湿り気が色っぽい。

 そして何よりその暖かさが崩れ落ちてしまわないか、それだけが心配だった。



「ごめんね」

「どうしたんだよ。いつになく気弱じゃないか」



 熱のせいだろう。

 そう思って起した時と同じようにゆっくり彼女を寝かせて布団をかけてやる。



「わたし全然役にたってないね。ロートスにばかり無茶させちゃって」

「別にいいさ。だけど、笑ってくれ。笑ってくれたら俺はまた戦える」



 滴を湛えた碧の瞳が震える。だが、それでも彼女は微笑んでくれた。

 あぁ、ありがとう。

 これで俺は戦える。俺はこの笑顔だけで戦える。

 村長の熱意を、イザベラ殿下の決意を躊躇なく使い潰せる。

 例えその熱意と決意を欺いてでも、どんなに絶望的な戦局でも俺は戦えるだろう。


 あぁかみさま……!


 それでもやはり怖い。カタカタと指先が震える。情けない奴だ。本当に情けない奴だ! 出来る事なら逃げ出してしまいたい。闘志を燃やす村の人々も、絶望に打ちひしがれる教導大隊も、決意を新たにした姫からも逃げてしまいたい。

 やはり死ぬのは怖い。



「ありがとう。俺は大隊本部に行くけど、その代わりだれかここに人を寄越すよ」



 それでも心は決した。ミューロンのために、そして憎しみのために俺は戦うと。

 そう、戦うしかない。

 なら精々楽しくやらせてもらおう。心意気くらいそうでなくてはやっていられない。なに、前世に比べて今の職場の雰囲気は良い。さぁ行こう。悪相(えがお)溢れる職場に。

 だが立ち上がる寸前に「待って」と小さい声が響いた。



「どうした?」



 座り直してミューロンの顔をのぞき込めば小さく唇が動いた。「すまん、聞き取れなかった」と言えばまた柔らかい唇が微動する。やっぱり聞き取れなかったので顔を近づけると、急にミューロンが起きあがって俺の唇を奪い取った。

 それはまさに一瞬だったが、俺にとっては永劫に感じた。それほど浅くて、濃厚な接吻。



「無理はしないで」

「……あぁ」



 唇に残った彼女の残り香を確かめるように舌が動く。あぁなんと甘美なのだろう。

 故に、今度は俺から彼女の唇を求めた。ただ、彼女の柔らかさと暖かさを唇で交換したいがために――。



「邪魔するのじゃ――」



 と、その時、勢いよく扉が開いた。振り向かなくても分かる。分かるぞぉ。



「じゃ、邪魔したのじゃ」

「待てハミッシュ! おい! おい!」



 するとくすくすと笑いが漏れた。やれやれ。だが、おかげで今は恐怖は無い。ただ、胸の内には静かにドロドロとした愛おしさと憎しみだけが渦巻いていた。


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