暗き村
夕闇のせいか、それともこの村に屯する兵士達のせいか、周囲に暗い雰囲気が漂っている。村についた時から感じていたが、なんとも絶望感の漂う空気だ。まるで滅びを待っているようではないか。
それらを見渡しながら村の中心を歩いていると「ロートス!」と俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
その者はちょうど正面からやってきた。小さい体を泥と硝煙に汚した親友。
「ハミッシュ! 生きてたか!」
「それはこっちの台詞なのじゃ!」
黒ずんだ黄色い襟章。脚絆も泥まみれ。綺麗な栗毛色の髪も煤と埃で台無しになっている。
それでも彼女のヒマワリのような笑顔に心が癒される。
「死んでないんじゃな! ミューロンは?」
「大丈夫だよ。ただちょっと風邪を引いてて今は寝ている」
臨編遅滞戦闘団に編入された折にこの部隊の長であるイザベラ・エタ・アルツアル様にミューロンの体調を伝えたらなんと二、三の返事で一軒家を貸切る事が出来た。非常にありがたいと言うか、使っていいの? と言う遠慮でなんとも言えない気分になっている。
そもそも村にある家々の多くは傷病者の収容施設と貸していて一人で一軒を占領するなんてかなりの贅沢行為だ。
もっともこの村も他の宿場町と同じくアル=レオ街道の側にあると言うことでそれなりの宿泊施設なんかを備えているようだが、五千もの軍隊にとっては完全にキャパを越えている故、野ざらしの負傷者だって居ると言うのに。
「こう、特別待遇だと後が怖いんだよな」
「また、敗走かのぅ?」
不安を隠さないハミッシュの言葉に周囲を確認。うん、誰も聞いていないな。
「そんな事、言うなよ。誰もが今、不安で一杯なんだ。その不安が決壊した時こそ、本当にヤバイ。だからそんな事は口にするな」
「む、気をつけるのじゃ」
ただでさえこの村の兵士達の士気は低い。
てか、この戦闘団って兵力何人なんだ? ミューロンの事で頭が一杯で殿下に聞きそびれてしまった。
「って、ハミッシュが居ると言うことは――」
「第三小隊を含めた教導大隊は臨編の部隊に強制編入されたと聞いたのじゃ」
なるほど。
後退中の部隊を根こそぎ拾い集めているというのは本当らしい。
「でも、良かったのじゃ。あれは誤報だったのじゃな」
「誤報?」
「第二小隊の伝令役が言うには選抜猟兵全滅と」
「は?」
「いや、じゃから全滅もしくは独断撤退をしたと」
一体、どういう事だ? 俺達は全滅もしていないし、独断撤退は――したかもしれないが、それでも大隊本部より先に後退したと言うことはない。
「……第二小隊って言えばグレゴール大尉の部隊だったな」
人間至上主義者のあの貴族。まさか――。
「とりあえず俺はエンフィールド様に事の次第を報告してくる」
「うむ。あ、後でミューロンの見舞いに行きたいのじゃ。場所は?」
「村の外れ――。あの三角屋根が見えるか? あそこだよ」
「ふむ。課業が終わったらすぐ行くのじゃ」
パタパタと走り去っていく小さな背中を見送り、歩みを再会する。
そして村の外れ近くに設置された大隊本部を見つけた。そこで歩哨をしていたウサギ耳の獣人が俺を見るやパァっと顔を輝かせて「中隊長!」と叫んだ。
「今、戻った。リンクスは?」
「近くにおります! お呼びしましょうか?」
「いや、今は任務に励んでくれ」
そんなやり取りをしていると大隊本部となっている天幕が持ち上げられた。
そこから現れたのは薄闇の中でも輝いて見えるほどの美形の騎士――ジョン・ホルスタッフ・エンフィールド様だった。その整った顔を崩して驚愕に染まっている様が彼に似つかわしくなく、非常に胸のすく思いがする。
「来てくれたか……!」
「ハッ。ロートス大尉、これより原隊に復帰いたします」
「復帰を歓迎する。それにしても全滅を聞いていたが」
「サヴィオン人を殺し尽くすまで死ねませんよ」
「それもそうか。まぁ入れ」
促されるままに天幕をくぐればこれまた美形の騎士たるディルムッド・エンフィールド大尉と顔を青ざめさせたグレゴール大尉が出迎えてくれた。
本部を見渡せば彼ら以外には本部付きの中尉と曹長しか居ないようだ。
「遅くなって申し訳ありません。どうも撤退を告げる伝令が来なくて苦心しておりました」
するとあからさまにグレゴール大尉が顔を背けた。なるほど、そう言う事ね。グレゴールは絶対に殺してやる。
「現状が分かりませんので、ご説明願えますか?」
「あぁ。中尉、頼むぞ」
「ハッ。現在、我々はこのレディスの村に駐屯し、陣を構えております。
我らが戦力は昼の時点で総戦力三千、うち騎士が一千ほどです」
三千? 少なくね? 確かレオルアンを出た所で友軍は六千は居たはずだが半減してるじゃねーか。
それを察したのか、中尉は口元をゆがめて「昼時点ですので、まだ数は増える見込みです」と言った。見込みねぇ。
「とにかく、我らはこの度、大公閣下の指揮下から外れる事になった」
「ですが、エンフィールド様、連隊司令部からはなんと?」
「連隊司令部からも指揮権が及ばない状態になっている。なんと言っても戦闘団直轄部隊に割り当てられてしまったからな」
つまりイザベラ殿下が直接動かせる兵力になってしまったと言うことか。
「で、我々の任務は?」
「来る敵を倒す」
「……まさかそれだけ?」
「その通りだ」
作戦ってレベルじゃねーぞ! どうなっているんだ!
チラリと中尉を見れば大変居心地の悪そうに顔をそらす。他の大尉を見れば暗い顔で地図を凝視しているし……。
絶望ムードがハンパないな。
その空気を後押しするように長槍兵中隊を率いるディルムッド大尉が「もう終わりだ」と呟く。
「王国は終わりだ……」
「言うなディル。それ以上言うのなら鎧を脱いでもらうぞ」
エンフィールド様の咎める声にディルッド大尉が重いため息をつく。
もうやだこの職場。完全に士気崩壊を起こしていやがる。
このままじゃこの村の陥落も時間の問題か。てか、河さえ凍らせて渡河してくる連中に勝てるのか?
いや、勝たなくちゃならない。
俺達の故郷を奪ったサヴィオン人を殲滅し、血祭りにあげてやらねばならないんだ。
「とにかく今夜、戦闘団司令部において今後の作戦方針の説明がある。詳しくは後ほどだな。各自、解散して良い」
一礼して本部を去るとすでにどっぷりとした闇が辺りに立ちこめていた。各所に焚かれた篝火が陰鬱な村を照らし出している。
皆、一応に来る敗戦に怯えるように見えてしまう。
そんな中、一人のワーウルフ族の男がこちらに走り寄ってきた。
「ん? リンクス臨時少尉!」
「大尉! ご無事で何よりです!」
彼の被る軍帽がピョコリと動く。彼の狼耳が軍帽を押し上げたのだろうな。
そんな事を考えながら銃兵中隊の事を聞くと、彼は顔を曇らせて報告してくれた。
「中隊の兵力は現在、八十三名です。大尉から預かった部隊ですが、落伍者が出てしまって……」
「そうか……。いや、あの激戦の中、よく撤退してくれた。ありがとう」
「いえ、そんな……。あぁ、と。実は大尉にお願いが」
願い?
「志願者がいるんです。中隊に」
「中隊に?」
「この村、猫族の村なんだとかで、連中、総出で戦闘に参加したいと」
リンクスの話を聞く限り、この村の村長が同じ獣人であるリンクスに直談判して軍に自分達を編入してくれと頼んだらしい。それも老若男女問わず。
「ちなみにエンフィールド様はなんと?」
「まだ伝えていません。むしろ伝えられませんよ」
戦闘経験の無い素人集団を取り込む余裕はないと一蹴されそうな気もするが……。
だがよく戦う事を決めた物だな。
「で、なんで志願を? それもこの時期に」
「恐らくですが、レータリの街で志願者を募集していたじゃないですか。その話が流れてこの村にたどり着いたんじゃ?」
「なるほど」
「理由に関しては明白じゃりませんか。サヴィオンが来る。これだけで十分でしょう」
ほぞを噛むリンクスの言葉は的を得ていた。
確かに獣人の村に人間至上主義を掲げるサヴィオン人が侵攻してきたらどうなるか、火を見るより明らかだ。
いや、その予想は正しい。なんたって俺の村がそうなったのだから。
「とは言え、面倒見る余裕は無いぞ」
「そう言って断りたかったんですが、連中の熱意が凄くて……。とりあえず保留にして大隊本部に行こうとした所で大尉生存の報せが」
「間の悪い時に帰って来ちまったものだな」
とは言え、サヴィオン人を殺すのを手伝ってくれるのなら邪険に扱うわけにはいかない。むしろ大歓迎だ。
「村長と話がしたいな。中隊本部か?」
「いえ、家に帰りました」
まぁこの時間だからな。
そこで中隊の事について二、三リンクスと話し合ってから彼と別れる事にした。まずは村長宅だな。
そう思ってどこにその家があるのか聞いていない事に気づく。
「ま、まぁ一番立派そうな家がそうなんだろうな」
これでも村長としての血を引くのだからなんとなく感覚でわかっちゃうもんだろうと思って村を散策するのだが……。
どこの家からもうめき声しか聞こえない。その上、負傷者が野ざらしになって倒れていたりするし、ここに運び込まれて息絶えた連中がそのままになっていやがる。
そしてなにより血の臭いが鼻につく。
こりゃ、敗戦を予感させても仕方ないか。
そう思いつつ当たりをつけた家に向かうとそこには華美な装飾のついた騎士が歩哨をしていた。
「あの、この村の村長宅はここか?」
「ん? これは大尉。その通りです。ですが今は第三王姫殿下が接収して臨編遅滞戦闘団の司令部となっております」
そりゃそうか。一番立派な屋敷を王族に割り当てるのは少し考えれば出てきそうなものだが。
「村長と会談したいのだが」
「ですが……」
苦渋の色を浮かべる騎士。そりゃそうだよね。彼の仕事は何人も屋敷に通さない事であって、案内係りでは無いのだから。だけどもう少し融通が聞いても良いんじゃなかろうか。
「何かようか?」
その声に振り向けばアルツアル王国第三王姫イザベラ・エタ・アルツアル様の怜悧な瞳と目があった。
慌てて敬礼をすれば、彼女はミューロンよりも白い手で答礼を返しつつ、こちらを伺ってくる。
白を基調とした鎧姿の凛々しさを青いマントのコントラストがよく似合っているなぁと不躾な感想を抱きつつ「村長と面会したく」と言う。
「なら案内しよう」
「で、ですが殿下のお手を煩わせる訳には――」
「いや、構わぬ。良いであろう?」
殿下が背後に声をかければ闇の中から数人の騎士達が姿を表した。護衛役って訳ね。
きっと第三近衛騎士団の連中だろう。
「ですがこの後、各長と作戦会議が――」
「少し遅れるかもしれぬが、なに、今更言うこともそう多くはない」
その鋼色の瞳に宿るのは諦観か。
だが少なくともその一言で騎士が引き下がった。
「かしこまりました」
「供はいらぬ。いや、ロートス大尉にさせるでな」
「御意に」
良いの? 俺なんかで良いの? てか、これって騎士から信頼されているって事なのか? むしろそうだとしたらなんで信頼されてるんだ?
分からん。まったく分からん。
「では行くぞ」
「は、はい」
クルリと背を向けた姫の後を追って村を歩き出す。
青い髪が柔らかい風を受けてなびくのを見ながら黙々と歩く。何か言った方が良いのだろうか?
でも何を言えば良いんだろう。住む世界が違いすぎてどんな事を喋って良いか分からないし、そもそも王族に話しかけるなんて不敬じゃない?
あーもー。この際、どうにでもなーれ。
「ところでどうして村長と会いたいのだ?」
「そ、それが村長が我が隊に志願したいと」
突然話題を振られて緊張で口内が一瞬で乾く。
だが「そうか」と殿下が言うや、再び沈黙が降り注ぐ。非常に居心地が悪いぞ。
そう思っていると見覚えのある家に近づいてきた。この家って――。
「あの、ここですか? 確か殿下がミューロンのために貸してくださった家、ですよね?」
「そうだが。村長一家に、彼女の看病を頼んだのだ。恐らくここだろう」
まじですか。
てか、本当に悪いな。ミューロンのためにそこまでしてくれるなんて。
「この家だったか」
「そうです」
茅葺き屋根の平屋。非常に簡素なその家に殿下と共に入ろうと言うのだから世の中、何が起こるか分からないなぁ。
そんな事を思いつつ扉をノックして「ロートスだけど」と声をかければ「入って」と鈴のような声が返ってきた。少し弱々しいが、それでも元気が垣間見えそうな、そんな声。
それに安堵を覚えつつ扉を開ければ布団から上半身を起こして身を清めるミューロンがそこに居た。
白磁のような肌。丸みを帯びた肩。ふっくらとした胸元からお臍への緩やかなライン。美しい。まさに完成された美しさ。
「お帰――。ででで、殿下!?」
掛け布団をひっつかんで胸元を隠すその姿が微笑ましい。
だが、それに和むよりも熱と羞恥で赤みを増すその姿のかわいらしいこと。
「さすがミューロンだな」
「その前にロートス大尉は目を瞑れ」
はい、その通りですね。と、思いつつも俺は殿下の命に従う事は出来なかった……。
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