バクトリア連邦王国 【ブルドラ・バクトリア】
この話は以前、『ルゥルバクトリア』として上げたものの改稿になります。
お話の都合上、こちらに置き換えます。
ご迷惑おかけして申し訳ありません。
尖塔の最上階――私の私室の窓がガタガタと風に震えた。
春の匂いを含んだ甘い風。それがバクトリア連合王国の中心地であるフォード城を揺らしていく。
人間風文化を取り入れ、人間の技師によって設計された城のなんと壮観な事か。
複雑に石を組み合わせて築き上げられた城壁。堅牢を体に表す支塔。そそり立つ尖塔を組み合わせた本城。なんと雅な作りだろうと嘆息してしまう。
もっともそれを良しとしないドラゴンも居る。それらは人の身に変化出来ない亜龍の連中であり、真の龍種である貴族達からすればただの戯れ言でしかない。
「……そろそろ行かなくては」
自室で飽きもせずに居城に見とれている訳にはいかない。
私室の壁に下がった絹の上着を羽織り、エフタル大公国から輸入された姿見の前に立つ。
袴がよれてないか。上衣に皺はないか。そして顔。我らなら色白の肌に「女々しい」と悪態をついて頬についた鱗をひっかく。薄ピンクの硬質な鱗。最近、こっちの色も落ちてないだろうか。赤みが薄れたような……。
やはり最近の政務のせいだ。増えゆく書類を裁くために久しく人の身から本来の姿に戻っていない。
「叔父上のお小言は嫌だな」
ドラグランド保守派を束ねる老龍の石のような顔を思い出しただけで気分が重くなる。
そう言えば今日の御前会議に叔父上は出席されるのだろうか? あの龍も今年で五百歳のはずだし、この強風だ。もしかして根城であるエジンバルに引きこもっていてくれるかもしれない。
そうだ。きっとそうだ。古ドラゴン主義も唱えるあの人だから他のドラゴンとも交友が少ないと聞くし、わざわざ会議にやってこまい。
「さて、となると後はリザルランドの連中をなんとか出来れば会議は荒れないだろう」
さて、身だしなみも整った。
そう言えばアルツアルの公使から「何故、王族なのに従者を付けないのか?」と問われた事があった。
なんと言うか、同じ人の身であったからこそ公使殿はそうおっしゃられたのだろう。
元々、ドラゴン族自体が集団での生活を営むと言う風習を持っていない。そもそも人の身を捨てれば我らは風と共に空を舞う事が出来るし、その体も人間の比では無いのだからあまり近々に暮らしあっていては食料に関して問題が頻発してしまう。
そのため王族であっても自分の事は自分ですると言うのが基本にある。
だが、時代は変わりつつある。もうドラゴン一人でやっていける世の中ではないのだ。
合議を取り入れた王をいただき、その王を中心に国を成さねば生き残れない世の中になりつつある。それを示したのがエフタルだ。
あの国はエルフやドワーフ、ケンタウロスにゴブリン、オークと雑多な種族が集まった土地であったが、それらは非力な人間の集団に蹂躙され、新たな国が置かれる羽目になった。
もはや各個で敵と相対する時代は終わったのだ。故に新たな国が、新たな法が要る。それらをもって国としなければ滅び行くしか無いのだ。
それが何故、理解できないのか。
ふつふつとわき起こる怒り。それに対してパチンと両手で頬を叩いて気分を入れ替える。
「さて、行くか」
部屋を出て大理石の廊下を踏み進む。
そして城の裏手にあたるこれまた人間風の庭園に赴く。アルツアルから雇ってきたハーフリングの庭師によって手入れされた植木達がずらりと道を作っている。その間を抜け、短く刈り込まれた芝生に足を踏み込む。
広大なそこには円上に椅子が置かれ、氏族の代表者達が集っていた。
その中にはもちろん今回の会議で障害となりうるトカゲ頭のリザードマン達が数人ひそひそと何か喋っていた。
身長は人の身である私より幾分も大きく、二メートル弱。筋骨隆々の戦士の一族である彼らが私に気づく。それでも私を無視するかのようにひそひそ話をしていた。
やはり妹でなければ無理か。
リザードマンとは彼らの居留地であるリザルランドの支配権を巡ってここ二、三十年ほど泥沼の戦争をしていた仲だ。その戦争の停戦交渉を成功させた妹であればリザードマン共の意見をまとめられるのだろうが……。いや、兄の威厳としてそれはダメだ。
それに妹は亜龍どもから好かれすぎている気がある。故にドラゴンの中でも妹の政敵は多い。それから妹を守るのも兄の勤めか。
「皆、ご苦労。まもなく父上が来臨されるだろう。しばしゆるりと歓談をされよ」
その言葉にドラグランド貴族達が次々に頭を下げていく。
ドラグランドからは貴族が三人。リザルランドからトカゲ頭が三匹。そしてバクトリア島のすぐ隣島であるリヴァルランドの代表者である一匹の蛇のような龍が椅子ではなく地面にとぐろを巻いて空を仰いでいた。
リヴァルランド王の娘タンニンと言う亜龍だ。海を統べる一族の出で、その細長い胴で空を泳ぐように海を泳ぐと聞いた。
細く白いその肢体の美しい事。青みがかったたてがみが陽光に輝き、一層の華やかさを放っている。
「……ブルドラ殿下、失礼を承知で申し上げます。妾の顔になにか?」
「い、いえ。なんでもない。そ、それよりリヴァルランドの代表者はそちだけか? 父上殿はどうした?」
「父は生憎、クラーケン退治とサヴィオンの高海艦隊を警戒していて会議に赴けませんでした。よって名代として妾が」
「なるほどな。しかと励めよ」
チラリとドラグランド貴族を見やれば嫌悪感を表した瞳でこちらを見ていた。人の身が長いとこんな事も分かるとはな。
まったく……! 王族の婚儀に亜龍が認められないだと? 私が即位した暁にはそんな因習破棄してやる。
いや、でも実力主義の父上だからなぁ。リザードマンと停戦を合意させた妹に王位が――! これは困った。困ったぞ。
いや、むしろ妹が即位してしまえば私は自由の身になれるのでは? リヴァルランド総督とか名うってタンニンと結ばれ――。いかん! そんな志が低くてどうする。ここは王としてタンニンを后に迎え入れて――。
「バクトリア王来臨! バクトリア王来臨!」
父の側付きをしているハーフリングの声が背後から響いた。
王であろうと従者はつかないのだが、庭師として招いたハーフリングと父が意気投合してしまって今では主従関係が出来てしまってる。
その言葉にドラグランド貴族が立ち上がる。それに続いてタンニンがゆるりと顔を起こすように立つ。もっとも父上の事をバクトリア王と認めていないリザルランドの連中は椅子に座ったままだ。
それに不快感を覚えるが、顔に出さないようにしつつ頭を下げる。すると「面をあげよ」と形式ばった声が響く。
このやりとりも人間式のそれだ。やはり人間好きだった祖父上様が取り入れた儀礼なのだが、正直、不要なのではと思わなくもない。
「皆、良い風が吹く中、よく集まってくれた」
人間で言えば外見年齢六十歳ほど。白髪に白い眉。温厚そうな皺の刻まれた表情。我が父にしてバクトリア王――龍王バクトリアその人が優雅に笑う。
そして円上の椅子の一つに腰掛けると各々が席に着く。そこで気づいたが、椅子が一個余っている。それはタンニンが椅子に座っていないからではなく、ドラグランド貴族の座るスペースの一つが空いているのだ。
まさか叔父上の席か? それとも妹?
その時、頭上に陰が差した。反射的に見上げれば人間の小さい民家一つ分はありそうな巨体が空を舞っていた。岩のようにゴツゴツした赤茶色の鱗。大木を横に切り倒したかのような大きさを誇る両翼。
間違いない。叔父上だ。
「おやおや。老公がやってきたか」
「父上、叔父上はご欠席では?」
「そんな訳あるまい。兄上が御前会議に出ない訳が無かろう」
父上の兄――エジンバル老公と呼ばれるドラゴンは庭園を通り過ぎ、ゆるくターン。ゆるくロールしつつ足を突き出し、翼を一杯に広げて着陸態勢に入る。
大風を巻き起こしながら翼が打たれ、そのたびに椅子が倒れそうになる。もっとも座られていない椅子が無惨にも庭園を飛んでいき、丁寧に刈り上げられた植木に直撃した。それと同時に側付きのハーフリングが悲鳴をあげる。
「やれやれ。老公は大ざっぱだからな。あぁそうだ。悪いがリュウニョに部屋から出ないよう伝えてくれ。保守派の老公とは水と油だからな」
「か、かしこまりました」
涙目になっていたハーフリングが一礼して去っていく。
それに視線を奪われているといつの間にか巨龍の姿が消え、父上よりも老齢の紳士が姿を表した。
拳大のダイヤモンドのが取り付けられた杖を付いるも、その背筋はピンと延び、色濃く日焼けした顔には深々とキツイ皺が刻まれている。
あぁ来てしまった。そんな悲観をよそに父上は「兄上!」と朗らかに声をかけた。
「陛下、お久しゅう。ブルドラも元気そうだな」
「叔父上におかれましてもご健勝のほど、お喜び申し上げます。この度はフォード城までご足労いただき、恐悦至極」
「人間のような世辞だな」
……これである。
叔父上は何かと人間らしい振る舞いを嫌う。それ故に人間のしきたりである王などこの国には不要、と即位を拒んだという伝説を聞いた事がある。
「それにしても庭が臭い。人の身になると地面が近くて臭くていかん。いや、これはリザードマンの臭いか」
その言葉にリザードマンの一人が立ち上がるも、仲間に押さえられ、無理矢理席に押しつけられる。
まぁ王家から半ば出奔したような叔父上が住むエジンバルの地はリザルランドとの国境に位置し、何十年と争ってきたのだから無理からぬ事だが……。
「兄上。まずは席に。会議の宣誓を行うので」
「御意に、陛下」
父上は叔父上から陛下と呼ばれる度にどこか痒いのか、身を揺らす。
その姿に嘆息していると側付きとは違うハーフリングがどこからか現れ、椅子を一つ置いてこそこそと立ち去っていった。その椅子に座った叔父上を見届けた父上が立ち上がる。
「原初の蒼海より神の御手によって引き上げられしバクトリア。国の中の国。龍神と天の神々の祝福厚き国。統べよバクトリア! 大海を、大空を統治せよ。バクトリアの民は断じて奴隷とならじ!」
浪々とした祝詞とも歌声ともつかぬ響き。それが終わるや各々が一斉に立ち上がり、同じ歌詞を唱和する。それを見届けた父上が「これより御前会議を開会する。星の神々に誓って流血を禁じ、口において議を執り行う」と厳かに宣言した。
そして再び父上の言葉が唱和され、「さて」と父上が席に座り込み、他の皆々も席に着く。
「では議題であるが、大陸問題についてだ」
大陸問題――それは北の人間至上主義国家であるサヴィオン帝国とその支配に抵抗する多種族国家アルツアル王国の戦争だ。
昨年の秋口に開戦した両国の動向については絶え間ない監視を行ってきたのだが――。
「タンニン。海の方はどうなのだ?」
「はい、陛下。申し上げます。現在、サヴィオンの主力艦隊である高海艦隊はエフタル北方の主要港であるオストロット湾に止まり、活動の兆しがありませんでした。
しかしそれは冬季に大荒れとなる高海故の事かと。おそらく今後、出撃してくる可能性は十分にあると思われます」
冬の海はよく荒れる。海龍でも流され、群から離れてしまう事もあると言うのだから人間が船を出せる訳がない。
もっともあの海域には人魚やクラーケン等も遊弋していて安全に海を渡る方法など存在しないだろうが。
「引き続き監視を厳とするように」
「御意に」
恭しく白く整った顔が下げられる。
彼女の鱗がキラリと光り、眩しい。あぁなんとお美しいのだろう。
「さて、海防について我が王国を抜く国はありえない。だがその上で皆に聞きたい。この戦、介入すべきか?」
「不介入であるべきかと」
そう声を大にしたのはリザードマンだった。
彼らとしては外征よりも重要な問題がある。領土問題だ。一応の停戦が実現しているとは言え、彼らとドラゴン族の因縁が消えた訳ではない。
無駄に外敵と争っている暇など無いのだ。
「いや、介入すべきですな。陛下! 大陸利権は我らドラグランドの悲願ではありませんか! アルツアルのノルマンには我らが同胞が暮らしています。その保護のためにも出兵すべきだ」
アルツアル南部の突き出た岬――ノルマンには数百年前にドラゴン族の一部の者が移り住んだと言う記録がある。
その末裔が人間と混じり合い、ノルマンには龍目と呼ばれる人間でありながら細長い虹彩を持つ者が生まれると言う。
だが、血といっても薄まりに薄まった状態で亜龍と呼ぶにもおこがましい状態のはず。きっと叔父上は外征においてリザードマンを外に連れ出して弱体化させたいに違いない。
「どうせ連中は海を渡れぬ。対岸の火事ではないか。わざわざ人間や亜人共に義理を売らなくてもよかろうて」
「それが甘いのだ。龍神様は全ての空を、海を我ら龍種が治めよと言われた。我らは万族の上に立つべき種族。故に誰一人龍種の者が奴隷になってはならぬ。
サヴィオンは人間至上主義の帝国。そのような者がアルツアルを治めるようになれば我らが同胞がどのような目にあうか!」
いよいよ保守派であるはずの叔父上の言動も怪しい。
ドラグランド貴族さえその言動に眉を潜めているのだ。もっともこの調子では主戦論を唱えるのは叔父上だけなのやもしれない。これはこれで良い。今、バクトリアには戦をしている余裕など無いのだから。
まずリザルランドとの融和政策が急務であり、戦で荒廃したリザルランドの復興も視野に入れた協調外交を取る必要があるのだ。そうした地歩固めが出来ぬ内に外征と言うのも……。
「リザルランドとしては外征に反対である!」
「北のトカゲ共は腰抜けそろいのようだな。先の戦で頭の回る者達はすべからく死んだか?」
「何を!? 我らを侮辱するとは許せん!」
ん? 話がまずい方向に転がっていないか?
まさか議会を紛糾させてリザルランドと再戦しようとでも言うのか?
これはまずい。
「ち、父上のお考えを聞きたくあります!」
「ん? そうか。いや、先にブルドラの意見が聞きたい」
「私ですか!?」
その言葉に周囲の視線が集まる。ドラグランド貴族からは気遣わしげな(叔父上除く)、リザルランドからは試すような、そしてタンニンからは静かな視線。
生唾を飲み下し、椅子から立ち上がる。
「私は、外征を見送るべきかと」
「理由は?」
「はい、我が国にそのような余裕がないからです。民は戦により疲弊しています。それはドラグランドやリザルランドを問わずです。
民の事を思えばまだその時では無いかと。それに所詮は人間の戦。龍が介入するまでもありません」
「不介入であれ、と?」
「まったくの不介入ではありません。確かにノルマンの地には我らの同胞の血が流れる者を守護するべきとも考えますが、それよりもアルツアルとの交易無く我が国はもう維持できません。
彼の国がもたらす品々が途絶えては今までの暮らしは出来ますまい。いざとなれば介入も辞さないべきです」
父上は楽しそうに「時局が大事と申すか」と呟いた。
まさにその通り。まだアルツアルに余裕があるうちに国内を一つに固め、外征よって団結させる。
そうすればドラゴンやリザードマン、亜龍を越えた絆が生まれるはずだ。それをしてバクトリアは諸外国に対抗できる強大な国家となりえるだろう。
そのためにも今は国内だ。
「なるほど。諸侯はどう思う?」
「妾はその案に賛成致します」
タンニン……!
彼女が賛成してくれたことで胸の内からこみ上げてくる物がある。
「海龍として申し上げます。我が一族はいざとなれば神聖不可侵のバクトリアを侵さんとする幾千の軍船を沈める盾となりましょう。いざとなれば我らの眼前に立ちはだかる幾千の軍船を蹴散らして御味方の上陸を助ける矛となりましょう」
「頼もしい限りだ。さて、では我が国は現状、静観を決め込むと言うことでよろしいか?
ただし不足の事態が起こった場合を除いて、と付け加えねばならんがな。
神話にある通り我らの一族が奴隷になる事は許されない。大洋を征し、天空を支配するは龍でなければならぬのだから」
各所で賛成の拍手が沸き起こる。あのリザードマン達でさえ、だ。
もっとも叔父上も不承不承と言うように拍手している。
さて、これで一件落着。
私の施策が取り入れられるとはこれほど嬉しい事はない。ふっとタンニンに視線を送れば、金色の龍目がうっすら笑っていた。その事に頬が紅潮していく。
いやぁ、これほど嬉しい事は無いな。
「陛下ァ! 陛下ァ!」
嫌な予感を覚えつつ振り向けば血相を変えた小人がこちらに駆け寄ってくる所だった。
側付きのハーフリングが息を切らせてやってくるや、父上の耳元で何かを素早く伝える。それに表情を変えずに聞いていた父上が小さくうなずいた。
「さて、諸侯。議会を閉会しよう。各自、遠方よりはるばる集まったのだ。今宵は我が居城にてゆるりと過ごされよ。ささやかながら宴を開きたい。それでは解散」
ハーフリングの乱入に何事かと目配せしてくる各人達。とくに叔父上は龍目を細めてこちらを見てくる。
それらを無視して足早に庭を出て行く父上の背中を追うと視線を合わせぬまま小さく口が動かされた。
「リュウニョが消えた」
「え? たまたま散歩に行っているのでは?」
「書き置きがあったそうだ。戦争を見てくると」
……あのバカ妹! どこまで散歩に行くつもりだ!!
現在、出先で銃火の含め感想返信や誤字修正が出来ません。早くて明日の夜になると思います。
ごめんなさい!
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




