飯テロ
赤々と照らされる天幕。テントとは違い、空間を布で簡単に一囲いしただけのその空間にエンフィールド様を中心とした教導大隊の主要な面々が集まっていた。
一人は教導大隊第一野戦猟兵中隊の長たる俺。
他にディルムッド大尉やウェリントン大尉と言ったエンフィールド家縁の大尉と騎兵中隊を率いるグレゴール大尉や大隊幕僚たる中尉が二人。それと補給関連の一切を取り仕切っているホブゴブリンのラギア臨時少尉が大隊本部の中央に置かれた地図を凝視している。
今日の防衛戦は戦闘正面がえらく限定的だったために本格的に戦闘となったのはこの教導大隊だけだった。だが明日は? この後の見通しを聞くためにも俺達は一日の戦闘を終えて集まったのだ。
「さて諸君。本日はご苦労であった」
開口一番、エンフィールド様は白い歯を見せて春風のような爽やかさで笑った。
「特にロートス大尉。良き働きであったようだな。この件についてイザベラ殿下より感状が授与される運びになった。おい」
一声かけられると幕外から従卒が慇懃に感状の収められた封書を持って来た。
それを受け取り、反射的に中身を検めるとイザベラ様の押印と今日の敢闘について書かれていた。気持ちとしてお手軽に発行できる勲章と言った所だろうか。
まぁサヴィオン人を殺して褒められるのは気分が良い。思わず頬が緩みそうになるが、それを引き締めて感状を受け取る。
「殿下からお褒めにあずかり、恐悦至極です。ですが本日の戦闘を凌げたのは部下の奮闘あっての事だと愚考します」
「その件についてキャンベラ様も感心しておられた。民衆を徴兵した部隊だと言うのに職業軍人たる傭兵をことごとく倒したと言うのだからな。
あぁそうだ。ディル。お前も今日はよくやってくれた。感謝している。褒美と言ってはなんだが、酒を送ろう。ラギア」
呼ばれたホブゴブリンは「すでに手配済みです」と頭を下げる。さすがラギアだな。
「ありがとうございます。大隊長殿。して、捕虜の件ですが――」
捕虜? あぁあのサヴィオンの傭兵共か。
捕虜の取り扱いに関してはディルムッド大尉が任せてくれと言うので引き渡したが、本音を言えばサヴィオン協力者たるあの傭兵共を生かしておくのは俺の精神衛生上好ましく無いのだが……。
「うむ。ディルに任そう。戦局が落ち着き次第に後送出来るよう連隊長に話を通しておく。身代金についても連隊長頼みだが、悪いようにはしない。だが、エンフィールド家再興のためにもお前に配れるのは少なくなってしまうが――」
「いえ、我らが一族のためを思えばこその判断です。お館様もさぞお喜びの事でしょう」
「不肖の息子と嘆いておられるかもしれんがな」
薄く笑う騎士に苦笑が返される。
だが、よくよく考えるとその傭兵と真っ向から戦っていた俺に捕虜が無いと言うのはどういう事だろうか。
確かに長槍兵の援護があってこそ勝利を掴めたが、敵の攻撃を受け止めていたのは前線の塹壕陣地では無いか。それなのに報償が感状一枚と言うのは納得いかない。いや、一国の姫君から頂いた感状が捕虜に劣るとは思わないが、気持ち的にね。
こう、ディルムッド様の活躍で捕虜を獲得出来たみたいな空気がイヤだと言うかさ。
「さて、皆。今日の戦はまだ前哨戦にすぎない。明日よりより苛烈な戦場が待っていよう。皆、何か今日の事で意見はあるか?」
「では、輜重小隊より」
「ラギアか。遠慮するな。言ってくれ」
「はい、では本日使われた砲弾ですがすでに定数の三割、カートリッジに置きましては四割を消費しております。このままではすぐに予備弾薬を撃ち尽くしてしまいます」
四割!? そんなに撃ったっけ?
いや、最初の魔法攻撃で塹壕が浸水した時に壕内の弾丸が濡れてダメになってしまた分もあったな。それでももう半数近くの弾丸を消費してしまた事になるのか。
「輸送状況はどうなっている?」
「レオルアンから順次補給物資が送られてくる手筈になっておりますが、早くて明後日には第一便がこちらに到着する見込みです」
遅いな。
チラっと砲兵中隊の長であるウェリントン大尉を見れば彼も顔を渋くしていた。
「ウェン。明日の砲撃だが、発砲を押さえられないか?」
「お言葉ですが敵は明日以降、本格的な渡河を試みるものと予想される手前、力を押さえるのは不可能かと」
学者然としたウェリントン大尉の言葉にため息が漏れる。
そりゃ無いものを調達しろと言う方が酷なのだから。
まぁそれでも物を確保させるとか、無意味と思われる行為に奔走させられる事もままあったけど。
「では近衛連隊から融通して頂けないのでしょうか。攻撃正面から外れているのであれば、彼の砲兵は余剰に砲弾を持っているはずでは?」
「ふむ……。掛け合ってみるか。ロートス大尉。君もそうするか?」
「はい、よろしくお願いします」
弾丸の消費を考えれば拒めないし、物がある内に確保しておく方が良いだろう。
あ、それよりも――。
「あの、近衛連隊では無く、騎兵中隊の方から融通して頂ければ手続きも簡単なのでは?」
そう、火薬の量こそ若干異なるが、手近な第三中隊も同じ弾丸をしようしているのだから共用も出来るはずだ。
もっとも火薬の量が減れば射程も伸び悩むのだが、仕方ないだろう。
「なるほど。ゴレゴール。どうか?」
「しかし、我が中隊は定数の弾薬しかありません。エルフに供出する事はできません」
訳をつけるとするなら『成り上がりの蛮族にやる弾丸は無い』と言ったあたりだろうか。この人間至上主義者め。
それに今日一日まったく活躍していない部隊なんだから融通してくれたって良いだろうに。
「だ、そうだ。ロートス大尉。火薬の量も違うのだろ? わざわざ計量し直すのも手間だろうし、近衛連隊から融通してもらえるか共に殿下に奏上しようと思う。それで良いな?」
「……はい、エンフィールド様の仰せのままに」
まぁ文句ばっかり言っている嫌われ者にはなりたくないしな。確かに不満を感じる事はあるが、それを一々口にしてもしょうがないし、周囲を不快にさせるだけだ。
なら、皆のために口を閉じるのも周囲への気遣いなのだろう。うん。
「では皆、今日はよく休め。ディルへの酒はすぐに届けさせる。では解散。別れ」
その号令に「別れます!」と言う声が唱和し、各々が本部を出て行く。
俺も部屋を出ようと立ち上がるのだが、その前にエンフィールド様から呼び止められてしまった。はて、なんだろう。
「何用でしょうか」
「なに、少し待て。おい、お前達も出て良いぞ。外で夕食に加わると良い」
大隊本部付きの中尉達を追い出すと少しだけ空気が冷えたように思えた。パキリと火の粉が飛び跳ねる音が妙に大きく聞こえる。
「あの、何用でしょうか?」
改めてそう問えばエンフィールド様は疲れたように折り畳み式のイスに身を投げ出した。
「全く……。今日はすまないな。苦労ばかりかけさせて。ラギアには既に言ってあるが、君の所にも酒を届けさる予定だ」
「は、はぁ。ありがとうございます」
それを言うためだけに俺を残した訳では無いだろう。確かに皆の前で感状の上に酒まで賜っていては他の面々に不満が募ると言うもの。
いや、俺達が活躍したからこその報償であるのだから不満を向けられる事そのものが筋違いなのだが、それでも不満を持ってしまうのが人と言うものだ。
だから隠れて報償が出されたのは分かったが、それは伝令でも使ってこっそり知らせてくれれば済む話だし……。
「捕虜の件だが」
「その話でしたか。いえ、もう済んだ話ですし、俺が関知する事では――」
「その割には未練がましい目をしているぞ」
そんな目をしていたのか。ポーカーフェイスには自信があったのに。いや、疲れて営業スマイルを浮かべるのも億劫になりつつあるのかもしれない。体力落ちたか?
「まぁ、君に任せたら誰一人生かしておかないだろう」
「確かにその通りですが――」
「エルフは捕虜の価値を知らないようだから教えるが、あれは金になりえる。傭兵を一人作るのには時間も金もかかるからな。だから出来れば再利用したいと思う」
「それはつまり生かしておいた捕虜が再び我らを襲うと言う事じゃありませんか。だったら森の肥やしにしてやるべきです」
助けてやったのに剣を持って応えられてはたまらない。やはり殺すべきだ。
「だがよく考えてくれ。森の肥やしにするのと換金するの。どちらが益になる?」
「……エルフらしく森と答えるべきですか?」
「フハハ。なるほど。これはやられたな。まぁ人間の思考として森より金を取りたいところだ。だから君には任せなかった」
ひねくれた返しに腹を抱えて笑う大隊長にため息がもれる。
まぁ、この人の中での優先事項はエンフィールド家の再興なのだから捕虜もそれに利用したいのだろう。
これは仕方ないか。俺達がサヴィオンを殺したくて仕方ないのと同じでこの人は家を守りたいのだろうから。
「分かりました。捕虜の件はお任せします」
「分かってくれてありがとう。さぁもう今日は帰ると良い」
失礼しました、と一礼して去れば各所に焚かれた篝火と半月が優しい光を放っていた。
だが、篝火の近くに居た目からすると闇の濃さに思わず立ち止まる。
てか、篝火が光を放つせいで陰が濃くなって余計に闇が増している気さえしてしまう。
「さて、戻りますか」
形の崩れた軍帽を被りなおして歩を進めれば煮炊きの香りが漂ってくる。
あぁ腹減った。それに陽が落ちて急に寒くなるこの季節、まだ暖かい飯にありつきたいと言う願望がはちきれそうになるものだ。もう捕虜がどーのこーのと言う話より飯の方が大事になりつつあるな。
「現金なものだよなぁ」
そして手渡された感状を見て、それを各種地図や作戦書類を詰め込んだマップケースに仕舞い込む。
まさか王族からこんな者を受け取れる日が来るとはと遅れながら感動がやってくる。てか、よくよく考えたら一階の田舎エルフが王女様から戦功を労われるんだからたいしたもんだ。
うん、良かった。良かった。
そう言えば酒も届けてくれると言っていたし、今夜の飯は美味いだろうな。うん。
まるで天にも昇るような気持ちで塹壕に帰ってみれば、何故か沈痛な雰囲気が流れている。
そりゃ、親しい者の死があっただろうから陽気に居られるほうが可笑しいのかもしれないが、何故か皆、椀を手に暗い顔して夕飯を食べているのが気になる。
「どうした?」
「あ、ロートス……」
鈴のような声の主が椀を片手にやってくる。
どうやら療兵の所から帰ってきたようだ。この調子なら怪我も大丈夫そうだし、一安心だ。
「良かった。平気だったんだな。そうだ、皆。我らの活躍がアルツアル王国第三王姫イザベラ・エタ・アルヌデン殿下の御耳に入られ、その戦功を認められた殿下より感状を賜った! 皆の奮闘があってこそこの感状を頂けたのだと俺は思う。
明日は今日以上の激戦になるだろうが、一層の奮闘を期待するものだ。
また、大隊長たるエンフィールド様より特別に酒が配られると言う。少しばかりだが、それで今日の疲れを癒してくれ」
塹壕の空気が若干緩んでいく。
士気の回復に繋がっただろうか? そうした士気昂揚も指揮官たる俺の仕事だと分かっているつもりだが、皆を鼓舞するだけ鼓舞して死地に縛り付けると言うやり方に胸が悲鳴を上げる。
だがそれも隠さねばならない。それを隠し、皆を戦わせるのが今の仕事なのだから。
「どうしたの? お褒めに与ったんでしょ?」
「いや、その……。それより飯だ。腹減ったよ」
「そうだよね。お腹減っちゃったよね? ちゃんとロートスの分もあるよ」
ちゃんと? いや、俺が指揮官なんだからちゃんとも何も飯が無いと困るんだけど。
そしてミューロンが差し出してきた粥を受け取る。
ドロドロと溶けた米……。米だよな? それに赤い色の小豆のような物が漂っている。これって一体……。
「……これは?」
「ロートスの分だよ」
チラリとミューロンを伺えば暗がりでその表情までは読みとれない。だがそれでも口元が歪んでいるのが見えた。なんで笑っているんですかね?
「早く食べないと。もう冷めちゃってるけど」
「お、おう」
椀に放り込まれていた匙を抜こうとするが、ドロリとした粘性の感触が指に伝わる。これって結構水が少ないのかな? 文字通り水増ししているわけではないのだろうし、いけるはずだ。
「頂きます」
立ったままで行儀悪いが、それを咎める人も居ない。
さて、一口。
「………………」
「ねぇ美味しい? 美味しい?」
ドロッとした触感。だが口の中に残るプチプチと麦が絶妙な不快感を放ってくれると共にデンプン特有の甘さしか味が感じられない。良く言えば癖の無い味。いや、普通に味気ないにもほどがあるぞ。
それも冷たい。しっとり冷えた重みが舌を絡み取り、噛もうにもぐちゃぐちゃに潰れた米だか小豆――ちげぇ、これ、この油っぽい感じは小豆じゃ無くてコーリャンじゃねーか。
村で飼ってた山羊に食わせるために育ててた雑穀の中の雑穀。てか人の食うものじゃない。
くそ、やられた。この……不定形の物を作ったのはどこの部隊だ? よくも大切な糧秣を白いタールに練成しやがって。
せめて味噌なり塩なりふってくれ。このほんのりとした甘さと重さを打ち消すくらいの味付けを頼む。
「ほらロートス。器を返すんだから早く食べないと」
「……これ、ミューロンも食べたのか?」
「うん。皆食べたよ。この米だかコーリャンだか分からない雑炊を」
よし、決めた。兵站部隊にはきっちり抗議の声明文を叩きつけてやる。せっかく大尉に昇進したんだからその権力をフルで使ってやる。もうパワハラも辞さん。
怒りがこみ上げてくると共に残りの粥を無理矢理流し込む。
クタクタに煮込まれた粥というよりくたくたに疲れた粥を食わせやがって。
「やっと半分か。だけど食わなければ――」
その時、風切り音が聞こえて来た。
もう耳慣れたその音――。
「伏せろ!!」
ミューロンを押し倒しながら風と木の神様に祈る。どうかここに氷塊が落ちてきませんように、と。
そして轟音と共に氷が砕ける音が響き、大量の土砂が降り注いできた。
頭に降り注いだそれを払いのけて立ち上がる。
「大丈夫かミューロン!?」
「うん、平気……」
「良かった……。やってくれやがって。戦闘配置! 戦闘配置! 伝令! 伝令! 大隊本部へ! 我攻撃を受けつつあり。以上」
慌ただしく駆け回る兵士達。そして足下に泥を被った椀が落ちている事に気づいた。
もったいないが、それでも初めてサヴィオンに感謝を覚えてしまった。
みんな大好き飯テロ回だよ!
コーリャンってなんじゃって人は高粱飯でググって見てください。
私は食べた事ないのですが、祖父母が幼少期に実食していたらしく、感想を聞いた所、ガチで顔をしかめてました。一度食べてみたいです。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




