激戦の橋 【ロートス】
「伏せろッ!!」
風を切る音が迫る。即座、質量の塊が地面に激突して足下を揺さぶる。
さっきまで陣地後方を手当たり次第に攻撃していたはずの氷塊が再び塹壕陣地に降り注ぎ始めていた。
「損害は!?」
泥と氷に埋もれた塹壕から這う這うの体で現れたリンクス臨時少尉が「負傷者無し。なお、壕が持ちません!」と悲鳴のような報告をしてくれた。
「おいリンクス! 情けない顔をするな。さぁ笑え!」
ガタガタと震える体にむち打って笑顔を作ってやる。もっとも氷に押しつぶされる恐怖と純粋な寒気によって頬が上手く動いてくれない。
塹壕に押し寄せたフラテス大河の雪解け水にサヴィオンが氷をぶち込んでくれたおかげで春とは思えない寒さを感じている。
「中隊長! 排水が終わっただ!」
「でかしたナジーブ!」
オークの臨時少尉がづかづかと銃撃を加える兵士をかき分けてやってくる。大きな体躯に併せて仕立てられた特注の軍衣袴を泥で染め上げた彼は周囲を見やって苦笑する。
「今度は塹壕の修復でもするだ?」
「それを頼みたい所だが、あいにくその余裕もあるかどうか」
また氷が塹壕陣地に降り注ぐ。これほど集中攻撃を受けると言うことは俺達を塹壕に押し込めている間に何かをしようと言う魂胆に違いない。
塹壕の手入れも大事だが――。
「ナジーブ。今の内に一個分隊を率いて弾薬集積所からてつはうを持ってこさせといてくれ」
「分かっただ!」
さて、今度は敵陣の方だ。塹壕から目線だけ出してやると橋の袂に敵の傭兵と思わしき連中が集まっていた。
また橋に強行突撃でもするのだろうか。もう橋の上の敵は全滅していると言うのに。
「ロートス、危ない!」
気が付くとミューロンに首をつかまれ、地面に引き倒された。それと同時に氷りが前面――それこそ俺と直線距離で二メートルほどの場所に着弾し、その衝撃で割れた氷片が辺りにまき散らされる。
「助かった」
「ふぅ……」
間一髪。もう少し遅れていたら頭が無くなっていたかもしれない。今になって恐怖が汗のように流れ出してくる。今のはさすがにやばかった。
「助かった。本当にありがとう」
「まったくだよ……」
力なく壁に寄りかかるミューロン。全身泥に汚された彼女にも疲労が見え始めていた。
そりゃそうか。こんな攻撃が絶え間なくやってくるんだから。
「砲兵はどうしたんだ? 砲兵で敵の魔法使いを潰せればなぁ」
とは言え、肉眼で着弾の誤差を修正している砲兵にとって対岸を観測しうる陣地が周辺に無いのだから当てろと言う方が無茶なのだが……。
そう考えているうちに敵の攻撃が降り注ぐ。
「どうかここに直撃しませんように……」
鈴のような小さい声が聞こえた。振り向けばカタカタと震える幼なじみが堅く銃を握っている。
その手を無言で掴む。俺と同じく冷たくなり、泥のこびりついた細指と指が絡み合う。それこそ互いの体温を貪りあうように。
それがどれほど俺に安堵を与えてくれる事か。
あぁくそ。こんな所でミューロンにかっこわるい姿を見せられないな。
「――ってロートス! 立ち上がったら危険だよ!」
「立たなきゃ外が見えないだろ」
顔を出す。茶色く濁っていた川面が急速に氷始めている。く、奴ら河を氷らせて進撃してくるつもりか! なんて奴らだ。
道が無いからって河の上に道を作ると言う発想には脱帽だが、これは不味い。俺達の優位点である天然の要害による防衛構想がこのままだと瓦解する。
「敵襲! 敵襲! 銃兵攻撃用意! 装填せよ! 選抜猟兵は装填が完了次第、各個に射撃せよ!」
橋の上の敵が沈黙してから小休止状態だった兵士達が慌ててカートリッジを取り出していく。
俺もそれに違わず手早く装填し、撃鉄を完全に引き起こす。
「木と風の神様。我に力を――!」
小さい祝詞。大きな銃声。
火薬の力を一身に受けた弾丸が回転しながら飛翔。緩く放物線を描きながら弾丸は魔法使いと思わしき連中を護衛する盾持ちに突き刺さった。
木材のそれを貫通し、簡素な革鎧を食い破って柔らかな肺腑を破壊する弾丸。
それに続くように射程の長い選抜猟兵が前進を続ける敵に弾丸を送り届けていく。
肉を抉り、骨を砕く鉄の嵐をまともに受けた連中が辿る末路を思い描いて口元がつり上がる。
く、フハ――。
突如、前進してきた敵の前に壁が生まれた。
「なッ!?」
壁にいくつもの氷片が飛び散るも貫通している気配は無い。どんだけ分厚いんだ。
そして奴らはしばらくするとまた盾持ちが現れ、前進。攻撃が激しくなると氷りの防壁を張って――と徐々にこちらに迫ってきていた。
「くそ! 伝令! 大隊本部へ。敵接近中。橋へ砲撃を集中せよ、と伝えろ!」
近くに居た選抜猟兵のエルフが復唱して走り去ろうとした時、巨大な何かが落ちてきた。
それは大量の土砂をまき散らし、思わず意識を手放しそうになる。
奇跡的に繋がった意識をたぐり寄せ手に触れる温もりを感じた。それを意識すると共に一瞬で黒く染まった視界に色が戻る。
「なん――。ペッペ! なんだ? 何が起こった?」
いや、そんなの分かりきっている。魔法攻撃が塹壕に直撃したのだ。
そして右手の温もりを引っ張ればグッタリとしたミューロンが居た。
下半身が泥に呑まれ、眠るように瞼を閉じるミューロン。まるでよく出来た人形のように鎮座する彼女に寒気が増す。
「おい、ミューロン! ミューロン!!」
倒れた際にすりむいたのか、頬にうっすらを傷が走っている以外に目立った外傷は無さそうだが――。
「おい、おい!!」
何もかも思考が遠のいていく感覚。指先の神経からだんだんと麻痺して行くような不安が見る見る肥大化していく。ただミューロンの暖かさが手に染みる。それが無性に心を抉ってくる。
「おい! ミューロン!!」
「ぅん……」
「――!?」
小さく息を吐き出すぷっくりとした唇。
慎ましやかな胸も上下に動いている。それを知覚すると共に全ての感覚が戻ってきた。
「被害報告!」
「ハルト上等兵戦死! ハルト上等兵戦死!」
「エリーザ伍長が居ません!」
「ライン一等兵殿の足が! 足が!」
阿鼻叫喚。
崩れた塹壕に埋まった仲間を必死に掘り起こそうとする者。押しつぶされた足を押さえる者。
気が付くと選抜猟兵分隊も半数ほどが打ち倒れていた。
「負傷者を後送しろ! 手の空いている者は生き埋めになった者を助けるんだ!」
救援と復旧の作業で戦闘行動が出来ない。
泥をかき分け、埋まった者を探す。水を多く含んだ塹壕を多くの兵士が行き来していたせいで降り注いだ氷りが割れる事無く着弾下のは幸いだった。
どちらにしろ氷りが押しのけた泥をどかし、救急活動が続けられる。
だが川岸から喊声がわき返った事で状況は変わる。
「敵上陸! 敵上陸! 軽騎兵を含む敵部隊上陸!!」
「くッ……」
足下でうずくまるミューロンに視線を飛ばし、それから塹壕の外を見る。
ついに河を渡りきった傭兵然とした兵士とこれまた傭兵のような軽装の騎兵が続々と上陸しつつあった。
「銃列を敷け! ナジーブ! ナジーブ臨時少尉!」
「はいだ!」
塹壕の後方。そこから顔を出した彼に「てつはう!」と叫べば全て合点と言うように頷いてきた。
「総員、各個射撃! 攻撃目標前方の集団。打て!」
復旧作業に当たっていた者も銃を取り、鉛弾が続々と降り注ぐ。その間に敵も前進してくる。特に機動力の高い軽騎兵が歩兵を追い越して前面に出る。
その時オーク達が塹壕に進入し、等間隔に並んでいく。その手に握られた小壷の導火線に火の魔法を付与していく。
「投擲するだ!!」
遠吠えを思わせる力強い声にオーク達が一斉にてつはうを投げ飛ばす。それを聞くや各所から「伏せろ!」と警報が叫ばれた。
その警報は外れず、短めに切られた導火線が一気に燃え、壷の中に詰められた火薬に引火。莫大なエネルギーが解き放たれ、壷に内蔵されていた無数の弾丸を弾け飛ばす。
鉛弾が死の嵐を吹き散らし、岸辺に飛び込んできた傭兵を襲う。
そこで即死した者はまだ幸運だろう。弾子に身を刻まれ悲鳴を上げる者。興奮した馬に踏みつぶされる者。
だがまだ悲劇は終わらない。
「撃て! 撃ち続けろ!」
容赦のない弾丸の雨。それが済めばまたオークがてつはうを投げる。
そしてついには彼らが必死に架橋した氷橋に砲兵の支援攻撃が降り注ぎ始めた。
「ん、うぅん……」
「お、ミューロン起きたか」
「なんか、すごい音が聞こえたけど」
頭を押さえて立ち上がる彼女の肩を押しとどめる。
「少し待て」
改めて彼女に怪我が無いか確認するが、やはり目立った外傷は無い。泥で汚れた彼女の髪ごと押したりしても悲鳴は上がらない。うーん。大丈夫そう?
「念のため後送だな。療兵に見てもらえ」
「でも――」
「いいから」
有無を言わさずに兵を一人呼んで彼女を治療所に向かわせる。もちろん兵を呼んだのはミューロンを支えてやるためと彼女が脱走して前線に戻ってくるのを防がせるためだ。
「な、なんか気が付いたら派手な事になってない?」
「まー。派手って言ったら派手だな」
粉砕された橋脚。死屍累々の川岸。聞こえるのは死者となり始めた者共のうめき声。臭うは硝煙と泥と血の臭い。
まったくもって酷い状況だ。それでもまだ橋に取り残された傭兵達が居る。彼等に後退の二文字は物理的に無くなった。
それでも戦力は多い。だいたい一個中隊――百五十くらいは残っている。
「まだ敵が居るのに……」
「名残惜しそうにしない。おい一等兵。必ずミューロンを療兵に見させるんだぞ。それまで帰ってこなくてかまわん」
人間族の女がしきりに頷いてミューロンの腕を引っ張っていく。きっと敵の攻撃はなはだしい陣地から離れられるのが嬉しいのだろう。
さて、ミューロンには悪いが氷りの上に止まる連中を早々に排除してしまおう。
「装填! 斉射用意!」
塹壕の各所で装填の声が響く。込め矢が銃身を擦る音を聞きながら血塗られた川岸を見れば意を決した傭兵が喊声を上げて突撃してくる所だった。
「急げ! 構え!」
さぁ掃討戦のお時間だ。
「狙え!」
哀れな傭兵共を地獄に送ってやろう。
「撃て!」
号令と共に白煙が視界を覆う。だが待っていられるほど悠長な間は無い。
「着剣せよ!」
左腰に指したソケット式のスパイク銃剣が引き抜かれ、銃口に差し込まれる。
環状になった取り付け具を銃口に差し込み、回転させる事でフロントサイトでロック。この銃剣は環状の側面に刺突に優れた細長い穂先が取り付けられている。
「悪いなミューロン! 今回は独り占めにさせてもらうぞ!! 構え!」
塹壕から槍と化した銃が一斉に並べられる。
さぁ来い。そう念じるも敵が来る前に慌ただしい軍靴の音と共に「道をあけてくれ! 援軍だ!」と叫び声がした。
背後から長槍を手にした兵士達がなだれ込んでくる。教導大隊第二中隊の長槍兵だ。
彼らは四メートルに迫る長槍を手に銃兵を押しのけて槍嚢を作っていく。
塹壕から突き出される槍達に後込みする傭兵。だが彼らが後退するスペースなど存在しない。
「次弾装填!! 各個に撃て!」
槍の間合いに攻め込まないと言うのなら銃の間合いで戦わせてもらおう。
装填を済ました銃兵が今度は長槍兵を押しのけて射撃。それが終わるや長槍兵がその穴を埋めるように槍を構える。
即席にしては綺麗に決まる連携。こちらも銃剣を装備しているが、長槍兵のそれと比べてリーチが短い。だからそれを補うように働いてくれる長槍兵のなんとありがたい事か!
対して敵は進むも地獄、引くも地獄と身動きがとれなくなりつつあった。攻めて来れば長槍の餌食となり、踏みとどまれば弾丸がその命をついばみに来るのだから。
そしてついにその時が来た。
「降参だ! 降参する! 命だけは助けて――ぐあ!!」
武器を捨てた傭兵に弾丸が命中したのか、胸板から血を溢れさせてまた一人倒れる。
さて、降伏か。どうしようかな。
これは重大な問題だ。よくよく考えねば――。
「命だけは助け――うああ」
よくよくよく考えねば――。
「大尉! 大尉!」
「――ん?」
トントンと背中を叩かれる。エンフィールド様に似た美形の騎士が鬼のような形相で俺を睨んでいる。右頬の泣き黒子――確か長槍兵中隊の長ディルムッド・エンフィールド様だ。
「どうされました?」
「攻撃を中止せよ。敵が降伏しているではないか」
「しかし俺は大隊長より停戦命令を受けておりません。偽装降伏の可能性もありますし――」
「状況的に見て作為の無い降伏に決まっているだろう。すぐに攻撃を中止させよ」
「ですが――」
その間にも優秀な部下達が続々と発砲を続ける。
もう見る間に生残りが減っているし、後少しかな。
「攻撃の手を緩める事でそれが利敵行為とみなされる可能性もあります。冬の一件で俺はその嫌疑がかけられましたし――」
「話にならん! おい、攻撃止め! 攻撃止めだ!!」
業を煮やした騎士の手によって銃声が小さくなっていく。
残敵は……。まだ七十人ほど残って居やがる。もう少し減らせれば良かったのに――。仕方ないか。
「撃ち方止め! 止め! あー。ディルムッド大尉。敵の収容をお願いできますか? 我が中隊は近接戦闘を不得手としておりますので」
「元よりそのつもりだ。大隊長殿が懸念を示されるはずだ。これだからエルフは気に喰わん――」
「……それはどうもありがとうございます」
気に喰わない? 俺だってあんたの事が気に喰わないさ。
「――何を笑っているのだ?」
「いえ、お気になさらずに」
ただただ営業スマイルを浮かべてやる。コイツも仲間とは思えんな。く、フハハ。
今回は時系列的には前話とだいたい同じです。
それと話は変わりますが、作者のミスで感想の設定をユーザーのみにしていました。
ご不便をおかけして申し訳ありません。
現在はどなた様でも書けるようになっているのでお気軽にどうぞ!
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




