出立
「これで、終わりだ!」
書類にサインを書き終え、勢いよく立ち上がる。それを見計らったように呆れ顔の輜重参謀が手元をのぞき込んできた。
「はい、確かに」
「じゃ、中隊の事は頼んだぞ」
そう声をかけるとラギア――の隣で臨時に中隊の指揮を執る事になっていたリンクスが呆然としながら頷いてくれた。
所在なげに垂れた狼の耳に腰に吊られた真新しいショートソードが頼りげなくガチャリと揺れる。
元々、中隊長不在時の指揮権は中隊副官と第一小隊長を兼ねるミューロンが執るべきなのだが、彼女の戦闘意欲と戦闘技術からどうしても選抜猟兵から外す事が出来なかった。
だからエフタルからの戦友であるリンクスに中隊を預ける事にしたのだが、本人にとってまさに寝耳に水状態で今でも「どうしろと?」と言う疑問がありありと浮かんでいる。
「今更なんですが、おれで良いんですか?」
「他に誰が居る。リンクス臨時少尉こそ適任だと俺は思う」
「そ、そうですかぃ?」と狼耳がピンと天を指した。獣人と言うのはわかりやすいなぁ。もし尻尾があればブンブンと振り回している所だろうに。
そんな事を思っているとラギアが不安をありありと浮かべた瞳で「あんまり無茶はしないでくださいね」と言ってきた。
「分かっている。おい、それより選抜猟兵の支度は整っているのか?」
「子供ですな」と言う冷たい声は無視。
さて、忌々しい書類仕事も終わった。そういや前世じゃこの季節、真っ盛りの猟期になっているはずだ。
あぁ、有休をとるために血反吐を吐く思いをしたなぁ。今もこの時を作り出すためにどれほど書類を作り終えた事か。
「ではリンクス臨時少尉。これよりレータリ撤退戦の発令を命じる。事後、中隊の指揮権を一時的に貴官に移譲する」
「ハッ。リンクス臨時少尉、いただきます!」
カツンと軍靴が打ち合わされる軽快な音が響き、敬礼をしてくれた部下に丁寧な答礼し、表に出る。
すると一列に整列した選抜猟兵達が不動の姿勢で待っていてくれていた。
その中から一人、金の髪を軍帽からはみ出ているミューロンが鈴のなるような清廉な声で「選抜猟兵総員三名揃いました!」と叫ぶ。
「よろしい。諸君。我らの任務は撤退作戦の援護として敵地に浸透し、各種破壊工作を行う事だ。なに、緊張する事は無い。実に、実に楽しい任務だ。
さぁ、共にサヴィオン人を恐怖のどん底に突き落としてやろう。奴らに安穏な冬は与えない。奴らが味わうのは暖炉の前のぬくもりでは無く、戦慄に彩られた極寒の冬だ。
いつ弾丸に襲われるかもしれない恐怖を奴らに与えてやろう。温かい粥の代わりに熱い硫黄を与えてやろう!
さぁ行くぞ戦友諸君。乗車ァ!」
よくスラスラとこんな言葉が出るものだなと感心しながらエフタル義勇旅団第一連隊のケンタウロス騎兵の元に行く。
そこには簡素な橇とそれを引くケンタウロス二人と護衛役が……。あれ? 前は一個小隊(二十二、三人)だったのに護衛役が二人しかいない。つまりケンタウロス四人のみ。
それに首を傾げていると「おう」と低い声がかけられた。その方向に視線を向けるとケンタウロス騎兵の長をしているタルギタオス中尉がすまなそうに頭をかいていた。
「タルギタオス中尉、これは一体……」
「まずった。上級司令部にやってる事が知られてな。兵をそう動かせねぇ」
「そんな」
「本当にすまねぇ。だが帰りについては保障する。最低でも一個小隊率いて迎えに行く」
帰りは――。つまりタルギオタスは共に出られないと言う事か。
まぁ上からの命令なら仕方ない。それに元々、連隊司令部を通さずに互いが偶然に出会うと言う設定になっているから無理も押し通せない。
てか、行きは黙って潜入すれば良いだけだし、大規模兵力を投じて敵に感づかれるより少数の方が良いのかもしれない。
「なら、帰りは頼みました」
「分かった! 任せておけ。お前らもちゃんとエルフ共を送り届けてやれよ」
へい! と言う威勢の良い返事を聞きながらタルギタオス中尉に敬礼して橇に乗り込もうとした瞬間、「兄じゃ! 待つのじゃ!」と言う声が聞こえて来た。
振り返れば小さい体から精一杯手を伸ばして駆けてくる親友がそこに居た。何やら細長い物を持っている。
「どうした?」
「はぁ。ギリギリ間に合ったのじゃ」
トテトテと凍り付いた雪の上を駆けてきたハミッシュは肩で息をつきながら包み――鞘に収まった五十センチほどの小刀を差し出してくれた。
それを受け取り、鞘を抜くと白銀に輝く刀身を持った小刀が姿を表した。
「これは……」
「兄じゃの山刀を鋳つぶして作ったのじゃ」
アルヌデン会戦で痛んだ父上の形見の品がギラリと凶暴に輝く。
雪明かりに照らされたそれがいかにも血を吸いたそうにしているせいで思わず見入ってしまう。ドワーフが打つとただの山刀もここまで変わるのか。
「まぁリンクス臨時少尉殿の長剣を新調した際に出たミスリルの端材で作ったものじゃから、あんまり手間はかからなかったがのう」
「ミスリル!?」
ミスリルって超高価な金属じゃん。それをたかが山仕事用の小刀に使ったと言うのか!?
「ついでじゃ、ついで。べ、別に兄じゃのためではあったりするのじゃから感謝して欲しいのじゃ」
「そっか。ありたとな」
そういや、リンクスが新しいショートソードを持っていたな。
そうか。あの会戦でミューロンが討ち取った騎士が持っていたロングソードこそミスリルの長剣だったのか。
確かにリンクスのメイン武器である長槍からすると重くて長いロングソードは邪魔でしかないからサブ武器として使えるショートソードに鋳なおしてもらっていたな。
その余りとはいえ時間が無いのに父上の形見を直してくれた親友に感謝の言葉が尽きない。
思わず彼女の頭を軍帽ごと撫でてしまっていた。
「よ、よすのじゃ」
「良いじゃないか。そう邪険にしないでくれよ。本当に感謝を――」
「そうじゃないのじゃ。後ろ、後ろ」
後ろ――?
その言葉の意味を考えた瞬間、すさまじい殺気を己が浴びている事に気づいた。
その主に視線を送ればぷぅ唇を尖らして目線を逸らすエルフが一人。
「ミューロン、さん? そう拗ねないで」
「うぅ。どうせわたしはロートスの大切な小刀を直せないよ」
「その代わり誰よりもサヴィオン人の死体の山を作ってくれるだろ?」
「うん! もちろん!」
キラキラと輝く碧の瞳が眩しい。
まさに泉の精霊が出てきそうな神々しいほど澄んだ瞳。可憐で居て力強く、そして純粋な瞳。
俺の期待に答えようと奮起した頬が朱に染まり、噛みしめた唇からその決意の堅さを伺わせる我が想い人。なんと美しい姿なのだろう。
「おーい。帰ってこいエルフ……」
おっと。タルギタオス中尉が「迎えに行きたくねぇ」と言う顔でこちらを見ている。どうしてだろうか。
身に覚えが無い故にどう対応しようか迷う……。
「あー。なんだ。みんな違った特技を持っている。それを羨むんじゃなくて……。あれだ。その……。そう、己の特技を生かすように、な」
しどろもどろな訓辞に無理矢理持っていきつつ場を収束させる。
なんか締まらないなぁ。だがそれでも別れはキチンとしておこう。何が起こるか分からないし。
「じゃ、ハミッシュ。行ってくる。風邪引くなよ」
「子供か! そんな事分かっておる!」
口を尖らせる親友。それに今度はミューロンが小さく手を振りながら言った。うん、なんやかんやで二人は仲が良いのだろう。
「ちゃんと毛布をかけて寝るんだよ」
「じゃから子供か! 二人ともバカにしおってからに!!」
凍り付いた地面に地団太踏む可愛らしい親友に思わず笑みがこぼれる。
その感動冷めやらぬうちにケンタウロスに牽かれた橇が動き出す。
今回の橇は大型の物を用意してもらっている。なんと言っても派手に後方攪乱作戦をしなければならないからな。
予備の弾薬から火薬の瓶詰め――てつはう数個とその他に火薬五キロほどや兵糧等を積み込んでいる。
「よし、行くぞ!」
そのかけ声と共に橇が加速していく。そして背後の人々が一気に小さくなっていく。
それでもいつまでも手を振ってくれる小さな陰だけが瞼に焼き付いた。
◇
アルヌデン郊外の村。アイネ・デル・サヴィオンより。
「殿下、危険です」
「うるさい。もう何日閉じこめられていると思って居るのだ」
我が儘であるのは分かるが、クラウスのうるさい事と言ったら無い。馬屋でそう怒鳴ると馬がおびえてしまうではないか。
「故に完全武装の一個小隊で出ると言っているのだ」
威力偵察。将校斥候。
十分言葉を尽くしたはずだが、やはり伝わらぬ物は伝わらぬようだ。言葉のなんと扱いの難しい事か! このやるせなさは天に嘆かざるを得ないぞ。
「ですがアル=レオ街道は現在、敵の勢力下にあると――」
「間諜からの報告では『敵は撤退準備を進めつつあり』と聞いているぞ。奴らに街道を制する力はすでに残っていない」
アルヌデンから南に下る主要街道であるアル=レオ街道の宿場町であるレータリに放っている娼婦に化けた間諜からの報せだから間違いはそうあるまい。
男と言う生き物はどうもベッドに入ると本音を口にしてしまう存在のようだ。
「何も危険なのはアルツアル軍だけではありませんぞ。敗残兵が盗賊に身をやつす事も――」
「故に十分な戦力を供に付けると言うておろう」
無益な会話を続けていると「そこまでにされては」と呆れた声がかけられた。
チラリと見やれば東方辺境王――鎧姿のミーシャがため息をついていた。
その肩にかけられたクロスボウの位置を調整しつつ彼女は愛馬に歩み寄っていく。その姿にクラウスが、折れた。
「確かに我が主君は一度決められた事を曲げたりはせぬ傑物ですからな」
「余計なお世話だ」
そう言い捨てて己の愛馬であるブケパロスのたてがみを透いてやる。すると白い馬体を嬉しそうにすり寄せてきた。可愛い奴め。
主君に対する愛情表現と言うように鼻面を向けてくるが、注意しなければならない。その頭頂には僅かだが、角があるからだ。
「まったく、お前は主の顔に傷を付ける気か」
「行くなと言っているのでは?」
「くどいぞクラウス」
ジトっと睨んでやると初老の騎士はやれやれと肩をすくめて一歩引き下がった。
それにクスクスと笑う声が響いた。
「お二人はまったく仲がよろしいな」
「ミーシャ! これのどこが良いと言うのだ」
すでに灰色の馬にまたがった親友にして天敵がにこにこと微笑みかけてくるのが鬱陶しいと言うか、居心地が悪いと言うか……。とにかくイヤな気分では無いが、恥ずかしさを覚えてしまう。
「それにしてもブケパロスも良くアイネに懐いたものだ。暴れ馬と言っても過言では無かったのに。父上は先祖返りしたと言っておられたのに」
「フン。だが、こいつに乗ってしまうと角無しの馬には二度と乗れぬな。病みつきになる」
「故に我らは永らく帝国と戦う事が出来ました」
東方の馬は品種改良としてユニコーンと交配が続けられている。その先祖の名残こそ頭頂のわずかな突起のような角なのだ。
元来、ユニコーンとは風のように早い足を持ち、林のように静かに駆け、烈火の如き獰猛であり、山のように不動の勇気を持つ生き物だ。
故に人が飼い慣らす事は不可能なのだが、東方ではそれを飼い馴らすために馬と交雑させた品種を作り上げた。
その東方を征服した余への献上品としてあてがわれたのがこのブケパロスだ(もっとも前東方王のセルゲイ殿はもっと気性の穏やかな馬を献上しようとしていたのだが、余がそれを蹴ってこやつを手に入れたのだ。すまぬ事をしたと思う)。
「角馬が居なければ東方平定もちと楽であったろうにな」
「そう言っていただけると貴女の宿敵として光栄です」
気分の乗ってきたらしいブケパロスが嘶く。
それに併せて鞍に跨がり、近くに控えていた下男から武器――と言ってもかさばる超長槍は受け取らず、携帯用の短魔法杖とマップケースに数枚の凡庸な魔法陣と簡易な地図。そして一振りのサーベルだけ携帯する。
「せめて長魔法杖の携帯を」
「……分かった」
ここで余も一度折れておこう。その方が人間関係を円滑に進められる。
もっとも王族が妥協を見せる姿などあってはならぬものだが、いつまでも平行線の議論をして時間を無駄にしたくない。
それに長魔法杖なら超長槍よりかは取り回しが楽だし、持っていて損では無かろう。
「では行って――」
「お待ちを! 最終確認ですが、殿下の目的はあくまで街道の視察であり――」
「交戦では無い。もし、敵と望まぬ遭遇を果たした場合は即座に離脱。これで良いな?」
「確かに。ではイヴァノビッチ王。殿下の事を御頼みします」
「任せて下され。アイネの命はこの身を挺してもお守りいたします」
「これで一安心という物。どうかご武運を」
やっと一息ついた筆頭従者に心の中で舌を出してブケパロスの腹を蹴る。ゆったりとした足取りで進みだす愛馬を先頭に六騎の馬が続く。
さて、目標はアル=レオ街道の半ば――旧街道と呼ばれる側道にある古城だ。
軍事拠点の規模を推し量るのは重要な意味を持つし、何よりその古城が機能しているのか調査する必要がある。
まったく、アルヌデンの城が炎上して種々の記録が散逸してしまわなければこのような事をせずに居られたのにまったく。まったくもってありがたい!
「アイネ。口元が笑ってる」
「おっと。なに、例の古城がどのような場所かと思ってな」
「本当にそうですか? そこに敵が居れば良いと思ったのでは?」
「御見通しか」
軍事拠点があると分かればまず叩かねばならない。そもそも最近の襲撃にしろ敗残兵にしろ拠点を求めるものだ。特に冬季となれば凍傷や凍死を避けるために絶対的に必要になってくる。
つまり拠点さえ潰せば事態は沈静化するはずだ。
クラウスには悪いが、余は春が待てなぬ。闘争の春が来る前に、少しだけ盗み食いをさせてもらおう。く、フハハ。
リンクスはチョロイン。
今章は視点変更大目ですいません。
やはり一人称視点より三人称で書いた方が良いですね。次回作へ新たな教訓を得ました。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




