酒場で
賑わう酒場の一角だけが静かになっていた。
俺がサヴィオン騎士を殺しすぎている……? それのどこが一体悪いのだ?
「あの、失礼ながら何言ってんだお前?」
苦笑を浮かべる美麗な騎士は「士官達がそう思っているのだ」と答えてくれた。
どうも同じ人間族であり、生きとし生ける者の中から選ばれた存在である貴族を殺すのはどうかと言うことらしい。
そりゃ、貴族と言う武力があるからこそ支配する側に居られると言うのにエフタルの森から出てきたエルフがポンポンとそのやんごとなき方々を軽く殺していくのが我慢ならないのだろう。
「貴族とは言わば力ある者だ。故に市井に広まる魔法より複雑な魔法式の教育が施されるし、武技も学べられる。それをロートス中尉はいとも簡単に殺していく」
「そりゃ……。敵を狙って引き金を絞るだけですから」
ね、簡単でしょ? と言うと「それが問題なのだ」と言われた。
もう完全にアルコールによる高揚感は抜け、ただ胃の中の物がグルグルと回るような気持ち悪さと寒さを覚えるばかりになっている。
「エンフィールド様も同様なのですか?」
「いや、そうでもないさ。敵は殺すべきだ。何者であってもな。そうでなければ私の大切なものが傷つけられる」
どうやらその大切なものの中に俺達は含まれていないようだ。
だが、その意見には同意である。
奪おうとする者が居るのならそれから身を守らなくてはならないのだから。
「まぁなんと言うかな。君の事を快く思わない連中は基本的に士官だ。その意味が分かるか?」
「いえ、お貴族様の事は下々の者には分かりかねます」
「そうか……。簡単に言えば前線に出ない連中だな。後方から指揮を執る奴らさ。
そういう者達は直接相手と刃を交えない。戦死する事の無い立ち位置と言うかな」
上級指揮官と言う奴か。
困ったな。そんな連中に目を付けられてしまったのか……。
「なんとか成りませんか? 伯爵様」
「どうかな。一昔前まで一介の騎士曹長だったのだから」
エンフィールド様は確かエンフィールド家の次男だったのだっけ?
それで自分家の騎士団で下士官をしていたが、サヴィオンの侵攻で父上も兄上も戦死されたから伯爵と継がれたと……。
つまり戦の前線を知るが故に兵達が駒では無く人であると思っているのだろう。だから相手が騎士だろうが傭兵だろうが向かってくるのなら相手すると言うスタンスなのだ。
上官としてこれほどの人は居ないはずだ。もっともこの人の部下になりたくなかったとも思うが。
「連隊長殿はどうなのでしょうか」
「あー。あの方はな……。周囲の潮流に身を任せないお方だから」
つまり皆と一緒は嫌だと言う人か。
確かにあの人は結構ひねくれた性格をしているが……。
「なんにせよキャンベラ大佐は君を高く評価しているよ。何故かは知らないが」
「心当たりが無い訳では無いですが……」
「そうなのか?」
まぁハカガ中尉射殺事件は無かった事になっているから公言は出来ない。だがキャンベラ様に気に入られている要因と言えばこれくらいしか思いつかないぞ。
だが、困ったな。
俺はサヴィオン人全てを殺したいだけなのに。
それなのに騎士達は良い顔をしない。
無視するという選択肢はどうだろうか。いや、コミュニケーション不足による孤立は危険だ。人という存在が複数集まれば無視出来ない枷ではあるが、これほど重要な物はない。
「とりあえず私が睨みを利かせているうちは安心してくれて良い、と思う」
「……あんまり信用はしませんよ」
これは新しい弱みをエンフィールド様に見せたと言うことになるのだろうか。
これでいよいよこの人の犬になってしまうな。
「そう言うな。あぁ、そうだ。また撤退の話がある」
「殿ですね。それじゃ明日のうちに必要な物資を――」
「違う、違う。それに、まだ決まった話では無いらしいが、近々レータリから兵を引く事になるだろう」
「どうしてまた……」
「城塞都市でも無い宿場町で戦えるかと言う話だ。どうもアル=レオ街道を放棄するらしい」
脳内の地図を引っ張り出して見ればアル=レオ街道の始点にして終点の水都レオルランは幾本もの大河に囲まれた地であり、川岸に防衛線を構築するのに適している。
思い切った手ではあるが、悪手では無さそうだ。
「それに併せて在レータリ軍――臨編第二軍集団は順次王都を目指す事になる」
撤退に次ぐ撤退。
こりゃアルツアルの士気は低下する一方だろうなぁ……。
「しかし、雪の積もった街道を行くのは難しいのでは? 皆が橇にのって動ける訳ではないでしょう」
「そうだな。だから一度レオルランに下るのだろう。そしてヌセ大河を遡って王都に行くものと思うが、まだ判断できん。司令部の方でまだ議論されているようだからな」
ただ司令部と言われたが、それってその臨編第二軍集団の司令部って事か?
まぁ御上のやってる事に口を挟めるほど偉くもないし……。
「それじゃ、撤退が決まるまでまた選抜猟兵による浸透作戦でもやってますか」
「先の話を聞いていたのか? まず休め。ほとぼりが冷めるまではな」
「ほとぼりって……。どれくらいの間ですか?」
「春が来るまで」
有無を言わさない物言いに思わず閉口する。
春までお預けとか……。俺はともかくミューロンは絶対に反発するぞ。いや、それを諫めるのも上官たる俺の仕事なのだが、彼女の気持ちが痛いほど分かるから制止したくないと言うのが本音だ。
「不満か?」
「えぇ。非常に」
今回の作戦は贔屓目に見ても大成功だった。それなのに作戦を継続出来ないのか……。
一冬の間に敵を恐怖のどん底に突き落とし、消耗させられれば春の攻勢の助けにもなると思うのだが。
「こればかりは仕方ない。諦めろ」
「ですが――」
「諦めろ」
クソッ。
「……了解しました。大隊長殿」
「うん。分かってくれたか。さぁ出よう。おい! 勘定を頼む」
何事もなかったかのように花も恋するような微笑を浮かべたエンフィールド様が給仕を呼んでその手に銀貨を握らせると、彼女は寂しそうに「また来てくださいね」と熱っぽく貨幣をもった手で騎士の手を握ってから離れていった。
まったくクソである。
「さぁ行くぞ中尉」
「ハッ」
寒々とした空気の広がる屋外に出ると体が震えた。寒い……。こんな事ならもう少し飲んでおくべきだった。エンフィールド様の金で。
ため息をつきながらぶらぶらと大路を歩くと再び呼子が集まってきた。それもエンフィールド様に向かって。
やはりクソだ。
いや、俺にはミューロンがいるし、彼女以外は居なくても良いと思っている(ハミッシュは……)。
だが、納得いかない。イケメンに群がる娼婦達にしろ、浸透作戦にしろ、俺を嫌う士官にしろ。
あー。ダメだ。悪酔いしている。
そう、きっとこんな反抗的なのも度数の高いダクラウを飲んだせいだ。そうに違いない。
そんな事を僅かに思いながら娼婦をのらりくらりとかわすエンフィールド様と共に宿営地にたどり着いた。
「ではこれまでの任務ご苦労であった。これからの奮闘も期待している」
「その奮闘も春まで無いでしょうが」
「そう拗ねないでくれ。では」
「失礼致します」
軽く手を振る上司に敬礼を送ってテントを目指すとすぐに歩哨や洗い物をする兵達と出くわした。
時折テントから賑やかな声が響く以外静かな空間。皆訓練に疲れてほとんどがすぐに寝入るのだ。
そんなテント群の中にある我が家に足を踏み入れれば相変わらず小汚いテントを体に巻き付けたミューロンがすぅと寝ていた。
「ただいま」
小さく声をかけると「うーん」と返事とも唸りともつかぬ音が返ってきた。そんな彼女を起こさないように装具を外して毛布をテントの隅から引っ張り出してそれをミューロンにかけてやる。
「ぅん?」
起きた。いや、違うのか?
確認しようとその白い顔をのぞき込むと薄っすらと碧の瞳と視線が交わった。
とろんと潤んだ碧の瞳。
互いに吐く吐息を感じつつ、ただ静かな時間が流れる。
そして唐突にミューロンのぷっくらとした唇と俺のそれが、重なった。 声を漏らせないほど唐突な一撃。
その甘さに頭の芯が痺れるほどの電流が走り、下半身が熱く疼く。
娼婦に絡まれるエンフィールド様を見ていたせいだろうか? 非常に高ぶっている。
「……お酒」
「ん?」
ミューロンが細い声で何か言った。
もう軍袴に手をかけようとした瞬間だったせいか、それを意味として認識出来ない。
「お酒飲んだ?」
「あ、うん」
「……美味しい物も食べたでしょ」
意識の乏しかった碧の瞳はいつしか俺を咎めるような色をしている。
「さ、酒は飲んだ。だけど飯は中隊で食った」
「嘘でしょ。美味しかったよ」
ペロリと小さい舌が唇を拭う。
それと同時にぐぅと無言のままに空腹を訴えられた。
もう、下半身の事情がどうのと言うより、黙って外食した事に対してとてつもなく大きな罪悪感を覚えている。
「悪かった」
「良いよ別に……」
ゴロリと俺に背を向け、手探りで毛布を引っ張って身を覆う。それも俺の毛布で。
「あ、あの、ミューロンさん?」
「早く寝ようよ」
「お、おう」
だいぶお疲れのよう。
まぁ、俺も疲れた。それにアルコールのせいなのか、急激な睡魔が襲って来ているし。
「それじゃ、お休みミューロン」
「おやすぅ……」
最後まで言葉を続ける事叶わずミューロンは意識を手放して無防備な寝息を立て始める。
それにため息をついて軍帽をテントの端に投げ、俺も同じ布団に滑り込む。互いの暖かさを感じるうちに、俺もいつしか夢の中に降り立って行った……。
◇
とある敗残兵より。
厚く空を覆っていた雲が流れ、透明度の高い月光が降り注ぐ。
どう見ても最悪だ。
「おい、ガムラン。何人残っている?」
雪の降り積もった森の中で押し殺すように問えば長年のつきあいであるガムランが「四人だ」とすぐに答えてくれた。
傭兵として名を上げようと参戦したアルヌデン会戦は敗戦し、敗走する本隊からはぐれてしまった時は主を恨んだものだ。だが今ははっきりと主に災いあれ! と雲の切れ間から覗く星々達に怒鳴り散らしたかった。
「ヘルムは? あいつはどうした? 矢傷どうなっている?」
「アイツはダメだ。もう捨ててきた」
冷徹な報告に舌打ちをし、大きなため息をつく。
「少なくともあの木こり小屋には戻れねーな」
「どちらにしろ食料も心細くなっているから移動は必要だったさ」
「だが、移動先はどうする? アルヌデンには戻れないぞ」
すにでアルヌデンが陥落し、サヴィオンの手に渡っている事は掴んでいる。
故にあそこには帰れないし、かと言って街道を通って他の町に行こうにもそこにはサヴィオン軍が検問を敷いていて突破は不可能……。
「なぁ隊長。もう良いんじゃないんですかい? この際、アルヌデンに行って雇い主を新たにしようじゃないですか」
青白い光に浮かんだ不健康そうな男が言った。
くそ、これだからガリアンルート人は……。
「ダメだ。どうしてもアルツアル側から旗色を返るつもりはない」
「そりゃ、隊長は生粋のアルツアル生まれだから愛着もあるだろうが、この職業は命あっての――」
空を裂く鋭い音と共に言葉が止まる。そしてバタリと額から矢を生やして倒れる人影。
「しまった! 伏せろ」
今、旗色云々を議論している暇はない。
なんて事だ。さっきからこれだ!
「敵はエルフかっての!」
「で、どうする? もう三人もやられたんだ」
ガムランの不安そうな瞳が月明かりを写して輝く。
どうするかって? こっちが聞きたいくらいだ。
「ガムラン、テメェ弓の腕は鈍っていないな?」
「あ、あぁ」
闇の中から短弓を引っ張り出すガムランを見つつ共に逃げてきた細身の男に「あの方向に駆けろ」と十メートルほど離れた木を指さす。
すると暗がりでも分かるほど顔を青くして首を横に振られた。
「心配すんな。この距離なら狙いを定めて矢を放つ時間なんてない。ただ注意をそらせれば良い。そうすりゃガムランが全て終わらせる」
無理矢理納得させて互いに手はずを整え、「行け」の命令で細身の男の背を押す。
それと同時にガムランが短弓に矢をつがえながら立ち上がり、矢が突き刺さって倒れた。
「な!?」
振り返れば細身の男は指示通り目標まで無事に駆け抜けていた。
やられた。囮を出す事を読まれてしまった。
「おい、ガムラン! しっかりしろ!」
頭を低くしながら戦友に近づくも、胸のど真ん中に矢を受けた彼は物言わぬ物へとなりつつあった。
くそ、一体どこから!?
それすら分からないとは……!
くそ、くそ。こんな事なら母ちゃんの言う通り家を飛び出すんじゃ無かった。
毎日稲や作物の世話なんて嫌だと言わなければ良かった。
そしてアルヌデンで戦があるからと故郷に返ってくるべきじゃなかった。
アルヌデンにほど近い故郷を守ってやろうと思って来たと言うのに騎士団は敗北し、この街を捨ててしまうなんて……。
「う、うああああ! 助けてくれ! い、命だけは助けてくれ!」
「あのバカ!」
だが、これは好機だ。アイツには悪いが、また囮になってもらおう。
そう、俺はアルツアルを、故郷を救うためにこの戦に身を投じたのだ。
それを恥ずべき事とは思わない。
弱気になるな。出来る。やれば出来る。そう、出来る。
暗示をかけながらガムランの弓と矢をつかみ、中腰で視線の位置を上に上げ、素早く周囲を観察。
猟で身についた目で森から違和感を探しだす。
居た。
だいたい三十メートルほど先の木の根本。そこにハッキリと人影が見える。
「お返しだぜ」
矢をつがえ、弦を引き絞る。
その時、月が動いたのか、黒い影だったそれが鮮明に見えた。
「え?」
その人物がクロスボウを構えているのが見えた。その人影が朱髪の少女だと言うことも分かった。その狩人がサヴィオン軍を思わす赤い戦装束である気がした。
そして俺に向かって飛翔する、矢も――。
新キャラ登場。なお敵の模様。
ストック的に次更新出来るのは月曜日かな? と言う感じです。ご容赦ください。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




