アルヌデンの悲劇 第五幕
「どうか、どうかお逃げ下さい婦人! 敵が、敵が迫っているのです。どうか! どうか!!」
仰々しい声を美麗な騎士装束の男が叫ぶ。だがそれはただ怒鳴っているのではなく、耳に心地よい抑揚を届けてくれるおかげでまさに心臓が早鐘を打つような緊張が伝わってくる。
「なりませぬ。わたくしは逃げる訳には参らないのです。それがアルヌデンの女の宿命。どうかエンフィールド卿は落ち延びてください。
我が血はこの地に眠り、解放の時を待つでしょう。そして夫の帰りを待つでしょう」
「あぁ麗しのお方! されど、御身には幼子もおりましょう。敵は容赦がありませぬ。敵は赤子とは言え人間族以外の血が交わっていると知れば悪魔の所行に及ぶと聞きます。
あぁ麗しのお方! ともに参りましょう!」
「なりませぬ。例え敵の毒牙にかかろうと、わたくしはこの城を捨てる事は出来ぬのです。
さぁお行きなさい。使命を果たし、戦い続けるのです。さぁお行きなさい!!」
「あぁ麗しのお方! これにてさらば。これにてさらば!!」
騎士が悲痛な叫びと共に舞台袖に消えていく。
逆にそこから新しい役者が出てくる。こちらも騎士装束なのだが、それをまとったのはどこか嫌らしさを醸し出す女優だった。
「おぉ、ここが我らが目指した城か。おぉ奥方! 我が軍門に下るとはなんと潔いことか!」
「フリドリヒ卿! どうかこの身はどうされても構いませぬ。ですが、ですが我が娘リーネだけはお許しを! 何卒温情を!」
「殊勝な心がけだ! なんと素晴らしい親子の愛。されど我が国の国是に反する!
亜人と交じり成した子を我が国は認めない。
奥方よ。さぁお子をお出し下され。情けで肉親の前では処刑はいたしませぬ。どうか我らにお子を託されよ!」
「なりませぬ! あぁなりませぬ!」
婦人は先ほどの騎士に見せていた貴族としての体面を捨て母親として訴える。子を持つ女として訴える。
だが女騎士はそれに首を振り続け非情な決断を申し渡す。
「えぇい! ならば力で命令を遂行しよう! お前達! 子を探せ」
その声と共に舞台袖から複数人の赤いマントを纏った騎士達が飛び出し、舞台に並べられたセットを手当たり次第に物色していく。
その時、ドーンと太鼓が打ち鳴らされた。すると先ほどまでコミカルな動きで家捜しをしていた役者達が一斉に天井を見やる。
「なんだ!? 何事だ!?」
明らかに動揺する女騎士。そこに新たに赤マントを纏った騎士が駆け込んできた。
「報告致しますフリドリヒ閣下! 残敵が街を砲撃して来ました! 壮麗な大工房は奴らに破壊され、朦々と粉塵を上げております」
「なんだと!? なんと言うことだ! 奥方が留まる地を砲撃するだと!? なんと言うことだ!」
「敵は南の丘陵に集まっております。あのエルフにございます!」
「そうか! ではその敵を成敗しよう! 皆の者! 我に続け!」
素早い身のこなしで敵騎士達が消えていく。
すると一気に舞台の照明が消え、薄闇に閉ざされたそこで素早くセットが交換されていく。
そしてライトが一筋だけ舞台を明るくする。そこには子役を抱き抱える婦人の姿。
優しく子役の頭を撫でる婦人が言う。
「さぁわたくしとお父様の帰りを待ちましょう」
「うん! ねぇお母様! 父様はいつになったらお戻りになるのでしょう」
「そうね。リーネが良い子にしていたらすぐにでも」
「分かった! 良い子にして待ちます。そういしたら皆でまた夜会に出ましょう。
エフタルの方々を交えてお食事をしたり、共に踊り、そしてお歌を唄いたくあります、母様!」
「そうね。あぁ瞼を閉じればあの夜が蘇る。あの楽しき日々が」
顔を伏せ、咽び泣く声が響く。
それが波となって心を揺さぶる。あぁあの騎士と共に逃げれば良かったのに――。
「リーネ。ごめんなさいね」
「母様?」
「いえ、なんでもありませんよ。では少し眠りましょう」
「眠くはありませぬ」
「それでも、ゆっくり瞼を閉じるのです。あぁ喉が乾いては眠れませぬね。さぁこれをお飲み」
懐から取り出される小瓶。母に言われるままに子はそれを飲み、ゆっくりと眠りにつく。もう二度と目覚めぬ眠りに――。
「ごめんなさい。あぁごめんなさい。辺境伯の家に生まれなければこのような事にはならなかったろうに。ごめんなさい」
ゆっくりと子を床に寝かせ、そして立ち上がる婦人。それと同時に周囲に赤い照明が灯る。
焼尽の色が舞台にともり、婦人は舞台の上で何かを探すように左右に歩く。
「あなた。あなたの帰りを待てないわたくしをお許し下さい。その代わり、この身を灰に変え、風に舞ってあなたの下に伺います。
あぁあなた。あなた――!」
木の葉が風に舞うように愛する者の名を叫ぶ女。だが枝を離れた葉がいずれ地面に降り立つように、彼女は倒れた。
それと同時に耳を盛んばかりに拍手が場内に響きわたる。
幕が落ち、赤い照明が失せて白色のそれが輝かしいばかりに灯ってするすると幕が上がる。カーテンコールだ。
万雷を思わせる響きと共にハニカんだ役者達が一列に並び礼をする。
思わず私も手が痛くなるのも忘れて拍手を続けた。
「お父さん、泣いてるよ。あんなにバカにしていたのに」
「う、うるさい。史実と芸術は違うのだ」
娘から歌劇に誘われた時はどう断るか、悩んだ物だ。
だが子供から女の階段を上っていく娘からの誘いもこれが最後かもしれないと思うと断り切れなかった。
そのため研究室の連中に倍の課題を授けてここにやってきたのだが(最後になるかもと助教授にちゃかされたからではない)、来て良かったと思っている。
だが、史実の歪曲もある。
そもそもアルヌデン会戦後の戦闘詳報によればエンフィールド卿は二週間ほど行方知れずになっていた。つまりあの舞台に立った二枚目俳優は存在しないのだ。
それに軍の記録を調べれば分かるが、アルヌデンの大工房を破壊したのはサヴィオン軍がアルヌデンに入る前だったし、街中に向けて砲撃したと言う記述も無い。
「良いお話だったね、お父さん」
「まぁストーリーは悪くない。だが、悲劇を脚色しているのは――」
ハッと口を閉じる。
ここは大学の講義室等ではないのだ。
それに気づいて隣を見やれば微妙な顔をする我が娘が……。
い、いかん。
同僚達の話から女となりかける娘は父を別の種族――いや、同じ生命体とは見ないと聞いていたが、せっかくの感動をぶち壊してそれを早める事もあるまい。
むしろ来るな。大人にならないでおくれ。
「そ、そろそろ出るか」
「うん」
感動の残り香と史学教授としての血がうずくが、我慢だ。我慢。
だが話がぶつ切れ手しまったようで娘と気持ちの良くない沈黙が漂っている。それをなんとかしようにも話題が浮かばない。
えぇい。なんと言うことだ。講義とあればぺらぺらと動く舌がまったく動かないぞ。
そんな暗澹たる気持ちのまま劇場を出ると外はすっかり闇が支配し、所々に街灯が灯っていた。そういえば腹が減ったな。
「ねぇ、お父さん。やっぱりつまらなかった?」
「ん? いや、そんな事は――」
史学の目から見ればお粗末な劇だったとは思う。
「だが、私だったらあんな判断はしなかったろうな」
「じゃ、どんな判断をしたの? エンフィールド卿について逃げるの?」
「そうしたかもしれないが、とにかく娘だけは助けようと思ったろう。うん」
そう、血を分けた子ならなんとしても生きていて欲しいと願う。
それが親と言うものだろう。
「……ありがと」
数歩駆けた娘がクルリと振り返る。
私と妻との愛情の結晶。この世に彼女に勝るものはないと確信出来る存在。
「ねぇお腹すいちゃった」
「なら軽く食べていこう。母さんに見つからない程度に、な」
うん、と言うと彼女は「お父さん大好き!」と花開くような満面の笑みを浮かべた。
うん。娘が父を同じ生命体だと思わなくなるなんて嘘なんだ。あいつには長期出張を申しつけよう。
◇
???視点より。
城が、城が燃えている。
「な、これは一体……!」
隣に立つ美麗な騎士が呻き声を漏らす。それがただ静かに聞こえた。
どうしてなのだ?
どうしてアルヌデン家の旗とアルツアル王国の旗が燃え、サヴィオンの旗が翻っているのだ?
「アルヌデン殿!? どうか、どうかお気を確かに!」
「……エンフィールド殿。これは、これは夢なのだろうか」
いや、夢であってくれ。
顔の左半分を覆った火傷がジクジクと痛む。
あぁリラは? リーネはどうなった!?
「あぁ……」
漏れ出るは悲鳴。憎悪と哀愁と喪失感の交じった獣の叫び――。
「うあああああああああ!!」
短めですいません。明日も更新予定です!
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