未来を見る者と過去を見る者
通されたのはアルヌデン城の中庭にある東屋だった。
中央に簡単な炉が置かれ、積み重なった炭が赤々と燃えている。その脇に腰掛け、侍従が持ってきてくれた洗面器とリンネルで編まれたタオルで顔を清める。
「何から何まで申し訳ありません」
「お気になさらないで」
黒々と染まった水をおっかなびっくり端にどかしてタオルで水気を拭き取る。その滑らかな手触りのタオルを慎重に操って頬の傷にふれないように顔を拭うとサッパリした気分になった。生き返ると言うか。
「ご厚情傷み入ります」
「ですから、お気になさらないで。さ、その傷を見せて」
「いや、これくらい平気ですよ」
隣に座るリラ様が「だめ」と手を伸ばしてくる。それをどうかわそうかと思案していると、今度は子供特有の元気な声が俺を打ち付けた。
「だめ! おかげしてるの!」
「り、リーネ様!? ご心配なく。もう平気――」
「だめなのしろえるふ!」
元気爆発。そんな彼女の命に逆らえるはずもなく、アルヌデン婦人にされるがままになる。
すると何事か呟かれると共に頬に手が添えられた。そこから暖かい気のような物が流れ込んでくるのを感じ――痛ッ!?
「動かないで。今、治癒の魔法を施しているので」
「で、ですが――」
「動かないで」
痛みに耐える事しばし。急に痛みが遠のく感覚と共にリラ様の手が離れた。
「これでよし」
「あ、ありがとうございます」
頬を撫でてみてもそこはつるつるの肌しか無く、本当に治癒されてしまったようだ。
「ふふ。あの人もよく、生傷をこしらえて帰ってきたものなの」
「……閣下はその――」
小さく首が横に振られる。まだ行方不明なのか。
チラリと先ほどまで騒いでた姫様を見れば、悲しげに口元をゆがめて何かに耐えるようそこに佇んでいた。子供心ながら不安で一杯なのだろう。
「あの、アルヌデンから撤退すると言うのは?」
「えぇ。聞きました」
「そうでしたか」
重い沈黙が支配する中、キッと「しろえるふ」と叫ぶ声が東屋に響いた。
「な、なんでしょう、リーネ様?」
「いっしょにとーさまをまとう」
「……リーネ様?」
今度はその母を見やれば、彼女は困ったようにあらあらと笑みを浮かべる。その様がどこか、痛々しい。
「わたくし達はこの街に残ります」
「な!? ではアルヌデン騎士団は籠城なさるので?」
「いえ。イザベラ殿下とも話し合ったのですが無血開城するつもりです。ですからアルヌデン騎士団はその兵権を王家に返上し、最低限の兵を除いて殿下に託しました」
どうして――?
その言葉が頭を駆けめぐる。
だが、俺はキャンベラ様から工房の破壊命令を受けている。と、言うことは主要施設を破壊した上でサヴィオンにアルヌデンを差し渡すと言うことなのか?
「ふふ。心配してくれてありがとう。貴方を呼んだのは、おそらくお別れとなるだろうから」
「何を言って――!? 今からでも遅くはありません。婦人も撤退に参加下さい」
「それはダメなの。アルヌデン家の女としてこの街を捨てる事は出来ないし、それに――」
――あの人が帰ってくるかもしれないから――
まるで――。まるで溶けて消えてしまうような儚さを感じさせながらリラ様はゆっくりと微笑まれた。
「ですが……。アルヌデン様は……」
遅滞作戦に参加した俺から言わせてもらえば、この会戦に参加したアルツアル軍の殿を勤めたのだから、俺達より後方に居る奴らなんてサヴィオン軍以外に居るのだろうか?
居るとしてもその命は風前の灯火も同然だろう。
「無礼を承知で申し上げます。確かに、故郷を捨てるのは辛い事です。血涙を流すほど堪える事です。
ですがそれでも再起を期するべきです。共に戦いましょう。アルヌデン辺境伯閣下の仇を討つためにも。それこそアルヌデン辺境伯のお望みなのではありませんか!?」
「……ふふ」
「――あの、何か?」
脆い笑みを浮かべた婦人はただ一言「ありがとう」と告げるや、東屋から見える庭園に視線を送った。
茶色くなった芝。冬支度の整った楓達。それらを眺めた後、暇そうになった愛娘を呼んでその膝に彼女を抱き抱える母。
「お気を悪くなされないで。エルフの方々は、皆そうなのかと思って」
「……どういう意味でしょうか」
「あの人なら、きっとそう言うのだろうと思って。
主人の古里はジュシカ領にあったの。今でも懐かしそうにそこでの思いで話をしてくれたわ。もうわたくしもそこに住んでいたかのような錯覚に陥るほどに……」
エルフにとって故郷を忘れる事など出来ない。
故にそこを奪われるのが我慢ならない。奪われたのなら、それを取り返したいと熱望するし、そのために武器を取ろうと思うだろう。
戦闘狂のように。
「わたくしは思うの。あの人が帰ってきた時にわたくしやリーネが居なかったら、あの人は寂しがるでしょう」
「ですがそんな保証――」
「えぇ。帰ってくる保証なんて無いわ。運良くサヴィオンに捕らわれているのかもしれないし、天の国に召されてしまったのかもしれない。
それでも、わたくしは信じるしか無いの。この瞬間にもあの人の訃報を握った伝令が来るかもしれないと不安になるわ。それでもわたくしは待つしかないの。
それが城を預かる女房の仕事だから。いえ、わたくしは待ちたいの。それをしたいの」
優しくリーネ様の銀の髪を梳いていく手を身ながら、俺は強い人間だなと思えた。
それに納得しようとは思えなかった。
どうして大切な人のために戦おうとしないのか。どうして漠然とした希望にすがろうとするのか分からない。
それでも、それを羨ましいと思う自分が居る。
「……俺は、そのようには生きられません」
「良いのよ。それで良いの。ただ、知っておいて欲しかったの。わたくしの考えを」
その瞳に移るは暗い感情では無く、明日を見ようとする希望だった。
眩しいほどの希望。
人間族と言うのは、強いな。いや、だからこそ様々な種族が跋扈するこの世界で非力な人間が生き残ってきたに違いない。
人間とは凄いな。
故に、思わず妬みそうになる。なんて醜いエルフなのだ、俺は。
「サヴィオンが来たらどうするのです? リラ様は人間族ですから良いでしょうがリーネ様は……」
人間至上主義のサヴィオンがエルフと人が交じったリーネ様を生かしておくとは思えなかった。
いや、貴族の血が流れる身をおいそれてと傷つけるだろうか?
貴族の血が流れているとあれば政治的な価値も付与されるだろう。それに縋ればあるいは……。
「ごめんなさい。貴方に心配をかけようと思ったつもりは無いの。やはり話さないべきだったわね」
「……いえ。お話が聞けて良かったです」
「ロートス少尉」
「今は中尉です」
「ごめんなさい。では改めてロートス中尉。どうかご武運を」
「ありがとうございます。アルヌデン婦人閣下。これにておさらば――!」
静かに立ち上がって敬礼を送る。それを不思議そうに見ているリーネ様の顔がやけに瞼に焼き付いた。
◇
それからは慌ただしいの一言だった。
まず俺が正式に中隊を掌握した事を部隊全員に通達し、撤退戦の事を告げた。
これは仕方ない。目的もなく人を動かすのは非常に難しい事だから目的だけでもハッキリさせたかったのだ。だから撤退の事は包み隠さず話した。
次いでそれに必要な措置をラギアに一任した。彼はすぐさま達輜重分隊を中心に他の小隊を指揮下において消耗品の購入計画を立て実行に移させる。
つまるところ水や糧秣に飼い葉や鉛に火薬の原料等の買い付けだ。幸い資金はある。銃を売った金や盗賊から接収した隠し金を駆使して値上がりするそれらを買いに行く。
だがその買い付けに一隊だけ不参加だった。
火薬の取り扱いに慣れた第三小隊だけは。
「第三小隊に達する。これより我々は、この大工房の破壊任務を実行する」
幾本もの煙突が林立する大工房を背に命令をドワーフ達に伝えると彼らはあからさまに敵意の眼差しを向けてきた。
それを正面から受けて立ち、火薬で炉や煙突の破壊と周辺住民の一時的避難等についての訓辞を強行する。
そして「別れ」の命令を下し、作業スタート。
きっと遅々として進まない作業になるんだろうなと思ったが、実際そんな事は無かった。
みんなテキパキと工房の形状からその機能を奪うのに適した爆薬の量を決めていく。
「さて、こんな物か」
爆薬の積み込みこそ行っていないが、どこにどの程度の火薬を使用するかの目処だけはつけた。
それを紙にメモし、使用出来る火薬量からさらに爆破箇所を絞って行かなくてはならない。なんたって火薬は無尽蔵じゃ無いから。
「よし、工房は良い。後は周辺の住民を回って付近に近づかないよう声かけをしてくれ。別れ」
きっとみんな、俺がハカガ中尉に抱いていた感情と同じ物を抱いているに違いない。
それにどう応えて良いのか、正直分からない。
ドワーフのために命令を無視して無傷な工房をサヴィオンに差し出す事など到底出来ないのだから。
「……ハミッシュ?」
そして工房に一人残った幼女然の親友に声をかける。
あの日、俺がハカガ中尉を殺したあの日から互いに避けるようにしていたから、その名を呼ぶのがとても久しく感じた。
そして静まり返った工房に俺の声は思ったより大きく響く。
「その……」
「どうしてなのじゃ?」
短い問いだった。だが、それだけでだいたいの意味は分かった。
「ハカガ中尉の事か?」
ぶかぶかの軍衣袴をまとった彼女がゆっくりと振り向く。軍帽の下に隠されていた瞳はその小さな肢体に似合わない鋭さを秘めている。
それが空恐ろしかった。
「……あれは中尉殿が撤退を拒んで――。いや、違うな」
論理の通った説明くらい、すぐに出来る。だがそれはハミッシュが求めている物とは違うのだろう。ではなんと言う? 理を説かずになんと言う?
さて、乾いた唇を軽く舐めて気持ちを落ち着け、胸の内に湧く思いを慎重に文字に置き換える。
「あの時の事だが……」
「うん」
「――悪いとは、思えない」
ギリッと彼女の歯が軋む音。それでも俺は言葉を続ける。
「開き直るって訳じゃない。俺は、どうしてもサヴィオン人が許せない。いや、俺だけじゃ無くてミューロンも……。
エルフはどうしても憎しみを捨てきれない。どうしても村を焼いて仲間を殺したサヴィオンを許せない。
だから俺はハカガ中尉を撃った。サヴィオン人を殺すために、俺は彼を撃った」
ふと、何故か己の生き方を説くリラ様の顔が思い浮かんだ。
人間は未来を見ているが、エルフは過去を見ている。故に、俺達はあの日――村が襲われ、全てを失った日に囚われているのだろうか。故に、俺達は戦おうとするのだろうか。手段を択ばず、ただ戦をしようとするのだろうか。
「……狂っておるのじゃ」
「その通りだと、思う。でもそれがエルフなんだと思う」
「爺様達がエルフを嫌う理由がはっきり分かったのじゃ」
「失望したか?」
言って後悔した。
もし「失望したのじゃ」と言われたらと思うと、怖くて仕方ない。
彼女に――親友であるハミッシュに嫌われる事が怖くて仕方ないのだ。
「――なんとも言えぬ」
ハミッシュは冷たい工房の床に腰を下ろし、愛おし気にその床を撫でる。
幾年もの年月が作り上げて来た技術の苗床をなぞるようにする彼女の気持ちは、生憎察する事が出来なかった。
「わしにはエルフの考える事は理解出来ぬのじゃ。どうしてそんなに過去に囚われるのかも理解出来ぬ」
そう、過去だ。
確かに村を焼かれたのは過ぎた悲劇だ。だがそれを無かった事などには出来ない。
どうしてもあの日の事を思い出すと胸の内にくすぶる種火が燃え上がろうとする。俺はそれを否定したくない。いや、否定出来ない。悲しみを怒りに変えようとする。それが当たり前のように。
「なぁ、良いか?」
「なんだよ」
「……ロートス。お主は賢い」
「藪から棒に……」
「銃の開発をわしに話した時じゃ。その発想に度肝を抜かれたし、よう考えられてた機構だと感心したのじゃ。そんなお主がどうして理も無い言葉を使うのじゃ?」
そりゃ、理詰めで説得ならもっと雄弁に語ったろうな。
そういう話なら数々のプレゼンをこなしてきた身からすれば容易に出来る。
だが――。
「それじゃ、お前が理解はしても納得しないだろ。俺がどう考えているのか、それを知ってもらいたかった。いや、違うな。俺の言い訳を聞いて欲しかったのかもしれない」
「……。前から思っておったが、ロートスは不思議なエルフじゃな。典型的なエルフを見ているせいか、余計にそう思うのじゃ」
典型的……。あの戦闘狂が正しいエルフの姿なのだろうか。なら俺は――?
憎しみの為に銃を取り、ミューロンのために弾を込める俺は――?
「お主と会うまではエルフと言う連中を頑な奴だとずっと思っておったのじゃ」
「つまり、俺はふらふらしているって事か?」
「ふらふら――。むしろ中庸のような気がするのじゃ。エルフであるロートスと、別のロートスとでも言うのかのぅ」
二人のロートスが居る。
「ミューロンにも同じ事を言われた」
「む! 先を越されたか。やはり契りを交わした者には勝てないのじゃ」
「つっても婚約しただけだぞ。正式には戦争が終わったら」
するとハミッシュは小さく「ならまだ機会があるのじゃな」と呟く声が風に混じって流れていった。
……聞いてしまったからには、答えた方が良いのだろうか。
「なぁ、ハミッシュ。その、悪いんだが俺は――」
「知っておるのじゃ。あれだけいちゃいちゃとよく出来ると逆に感心するほどには」
「…………あの、その上で、って事か?」
「そ、そうじゃ。戦争が終わる前にはわしの方が魅力的になっておろう」
暗くて顔はよく見えないが、それでも彼女の声に恥ずかしさが宿っている事に気がついた。
これは、モテ期と言う奴なのか? 前世では得られなかったモテ期と言う奴なのか!?
だが、俺には心に決めた相手がいるのであるし、それに――。
「戦争が何年続くと思ってるんだ」
「な!? 失礼なのじゃ! 春が来るくらいには胸だって倍の倍には膨らんで――」
「なぁ、ハミッシュ。知ってるか? ゼロを何倍にしてもゼロなんだぞ」
「こら! そんな慈愛に満ちた目で胸を見るでない!! えっち! 変態! ロートス!」
頬を膨らませてぷりぷりと怒る彼女の頭から軍帽を取り上げてわしゃわしゃと撫でてやる。
ぎりぎりと歯ぎしりしながら何か言いたげにしている彼女。
その距離感は一歩前進したが、相変わらず心地良かった。
今章はあと一話と幕間を入れて終わりになります。
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