歩兵の宴
肉厚の刀身が簡素な革鎧を纏ったサヴィオン歩兵の首に食い込む。これで三人目。
「ぐああ!」
甲高い悲鳴。その声の主は十五、六歳ほどの少年だった。粗末な革鎧に鮮血が流れ落ち、黒い瞳が薄れながらも絶望に染まっている。
その瞳と視線が交わったのは一瞬だったが、脳裏に前世の学生達の姿が思い浮かんだ。制服に身を包んで模試の成績に一喜一憂するその姿が血を撒き散らすサヴィオン人と被る。きっと黒目のせいだな、と冷静に思いながら山刀を引き抜く。
手に馴染んだ肉を裂く感覚を覚えながら次の獲物を探す。――と、ラッパが聞こえて来た。退却の調べに後ろ髪を引かれつつ「中隊集結!」の号令をかける。
周囲は銃撃と砲撃のおかげでこちらに勝利の天秤が傾いているようだが、大兵力を抱えるサヴィオンならすぐにその天秤を元通りにしてしまうだろう。そうなる前に逃げなければ。
ふと、何気なしに周囲を見渡す。
砲弾によって体を抉り取られてその中身を盛大にぶちまけたサヴィオン人。
袈裟懸けに斬られて血の海に身を沈めた獣人。
長槍によって穴を空けられた軽歩兵。
大量の矢が突き刺さってハリネズミのようになったオーク。
その間を縫うようにサヴィオン軍と野戦猟兵中隊が互いに武器を交えながら互いをののしり合っていた。
そして己の体を確認する。立派な仕立ての軍服は血と泥と硝煙で酷い事になっているし、肋骨のような飾り紐も何本か切れてる。それに手にした小刀も若干の刃こぼれが出来ていた。それでも凶刃は生暖かい液体をポタポタと零しながら嬉しそうに輝く。そんなにサヴィオン人の血は美味いのだろうかと問いかけてみたくなる。
だが、いつまでもこの空気を堪能していられない。
「中隊集結! 集結!!」
何度か怒鳴るとやっと戦闘を切り上げて兵士達が集まって来る。そんな中、一人だけ倒れた敵兵の上に馬乗りになっている濃紺軍服の兵士が目に入った。彼女は他に何も無いように一心不乱に銃の台尻で敵兵を何度か殴りつけた後、ゆっくりと立ち上がる。
「……ミューロン?」
「――ん?」
小首を傾げる幼馴染が手にした白銀の剣を放り出して俺の言葉を待っている。彼女は己の頬についた鮮血を拭う事無くただ静かにスクっと立っていた。
そんなミューロンの傍に歩み寄り、袖でその血を拭いてやる。
「わっ! や、やめてよ。恥ずかしいし、汚れちゃうよ」
「俺はミューロンが汚れている方が我慢ならん」
柔らかくて壊れてしまいそうな彼女に怖々と触れると可笑しさがこみ上げて来た。
一人は大勢の敵を前に震えていたのに今は一人の女の子に震えている。
一人は今まで敵の血を浴びてもなんとも思わなかったのに一人の男の服が汚れるのを嫌がる。
可笑しなものだ。
「あ、ロートス怪我してるよ」
俺が反応する前にミューロンの細い指が頬に触れる。するとズキリと脳髄を焼くような感覚。
いつの間に斬られたのだろうと思いながらも俺の意識が頬を撫でる指に集中して離れない。
血で濡れたその温かな指が頬を行き来するのが痛いはずなのに気持ち良くて仕方ない。まるで舌で愛撫されるような感覚に思わず下半身が反応してしまう。
やばい。何がやばいって理性を捨てても良いやと思えるほど艶めかしい指の動きがやばい。もう一族の風習とか全て捨てて一発――。
「あー。お楽しみ中、申し訳ないんですがね、少尉」
「お、リンクス臨時少尉。集結は完了したのか?」
「あー。はい。第二、第四小隊共に集結完了です」
なんでだろ。ワーウルフ族特有の狼耳がペタンと垂れてやる気皆無ですと無言で言ってる。そんな場合じゃ無かろうに。ここは戦場なんだぞ、そんな体でどうする――! いや、俺もそうか。
「ご、ゴホン。ではこれより撤退する! 総員、小隊毎に二列縦隊!」
即座に階級順に列が整えられていく。その間にふと思った事をミューロンに聞いた。
「そういや、ミューロンは第一小隊長だろ。突撃は第二、第四小隊だけしか命じて居なかったが」
そう問いかけると彼女の白い頬が青く染まって行った。
「ご、ごめん! つい……」
「ついなんだよ」
「サヴィオン人がたくさん居たから」
申し訳なさそうに、そして気まずそうに彼女は碧の目を伏せて金の髪に指を絡ませてそう言った。
命令違反だなぁ……。さて、どうするか。処罰しなければならないのだが……。
「ちなみに何人やった?」
「うーん。一生懸命だったから……。えと、まず銃で一人殺して、それで斬りかかって来た人が居たから、その人も殺して。それでさっき馬乗りになって殴り殺した人が居たから三人かな」
三人か。それで命令違反を帳消しに出来るかなぁ。いや、無理臭いな。どうしようか。
そりゃ、彼女を弁護したいし、するつもりだがその姿勢は不味い気がする。ここで彼女を罰しなかったら軍隊組織として命令違反を認めた事に成る。それは不味いだろ。組織が崩壊して統制が取れなくなれば一気に野戦猟兵中隊は弱くなる。うーん。
「あ、あそこの人。ほら、鎧に穴空いてる」
そうミューロンが指さしたのはそこらの革鎧を身に着けた軽歩兵では無く豪奢な白銀の鎧を着こんだ兵士だった。見るからに偉そう。
チラリと隊伍を組み上げつつある仲間を確認してからその重歩兵の元に行く。壮年で細身の男。適度に日焼けしてるも胸に撃ちこまれた弾丸のせいで未だに血を流している。
「……騎士様だよな、サヴィオンの」
「うん。そうだと思う。出会った時、足を引いていたから、多分馬から落ちて怪我をしていたんじゃないかな」
試しにゴロリとその男を転がすと鎧の一部が変に歪んでいた。高い所から落ちたらこうなるかなと言う歪み。
つまり落馬した騎士様って所か。この人が偉いか分からないが、無いよりマシだろ。
「とりあえずお土産にしよう」
刃こぼれした小刀を抜こうとして、止めた。だって騎士が手にした白銀の剣が目に留まったから。
ロングソードと言うのだろうか。白銀の長剣が血を吸いたそうにしている。
それを敵の手から拝借。剣術とかは正直よく分からない。中学の体育でちょっと齧った程度でしかないから、取りあえず振り上げて打ち下ろす。その行動を五回くらい続けてようやく首が取れた。
やっぱ慣れない物は使うなと言う事かもしれない。
「はぁ。疲れ――ては無いけどな」
おっと、愚痴はダメだ。兵達が見てる。
「よし、これより帰還する。総員駆け足! 前へ進め」
隊伍を組み上げた兵達に命じて歩き出す。もちろん先ほど断頭した騎士の首と長剣を持って。
「ねぇ、わたしのためだってのは分かるけど、首はともなく剣なんて必要ないんじゃ」
「確かにそうだな。あー。リンクス臨時少尉」
「はいはい。あ、それいりませんよ。こちとら長槍で手一杯。出来るならもっと短いショートソードが良いんですがね」
「ドワーフ衆に言って打ち治してもらえば良いだろ」
「……まぁただでくれるんならもらいまさぁ」
振り返るとニヤリと笑ったリンクス臨時少尉と目があった。
そんな彼にロングソードを渡し、中隊主力のもとに戻る。
すると待ちくたびれたようにハカガ中尉が早速文句を言って来たが、それを聞き流す。
「それより撤退を急ぎましょう、敵がすぐにでもやって来るはずです」
「わ、分かっておる。よし、転進! 転進! 大隊主力と合流するぞ」
これで一段落――と行ければ良いが、その前にこれまでの戦果報告と損害報告をしておこう。
気持ち敵に悪い報告から良い報告の流れがベストかな。
「中尉殿。まず突撃した第二、第四小隊の損害ですが、第二から三人、第四から一人の戦死者が出ました。重傷者は同じ順で九人と三人です。軽傷者は含めていません」
「第二小隊は壊滅では無いか! 何をしていた!?」
殺し合いであります中尉殿。と、言う皮肉を口走りそうになった。
もちろん口だけ中尉に殺意が沸き上がるが、それを隠すように営業スマイルを浮かべる。
「仕事をしていました。中尉殿」
「そ、そうか。わかったからその顔をやめろ。気持ち悪い」
「それは失礼致しました。しかし、表情はどうにも……。あぁ、それと、一人命令違反者が」
そう言うと後退準備を指示していたミューロンの肩がビクリと震えた。
何事も無かったかのように突撃した面々からこっそり離れて部隊指揮に専念するフリをして誤魔化そうとしやがって。
「誰だ?」
「第一小隊長のミューロン臨時少尉です。ただ、この首を」
先ほどからハカガ中尉が目を逸らそうとしている首を彼の眼前に掲げる。
すると「ひぃ」と短い悲鳴が聞こえたが、それはあえて無視してやる。
「豪奢な鎧を着ていました。おそらく騎士と思われます。この首を討ち取った功績と命令違反を相殺していただきたいのですが」
ずいっと首を差し出すとハカガは俺の腕を押し退けて言った。
「好きにして良い。それよりその首を捨てろ。め、目障りだ」
「しかし……。首が無ければ彼女の罪を相殺した証拠が――」
「命令違反など無かった。それで良いではないか」
ほー。隠蔽って事ね。
初めてハカガ中尉に好感が持てたぞ。
俺もその言葉は大好きだからね。そう言えば年度末に会計の人からかり出されて帳簿をいじり回したっけ。
「ありがとうございます、中尉殿」
「う、うむ。それより行くぞ。中隊、前へ進め」
いつの間にか組みあがった二列縦隊が動き出す。
銃兵、長槍兵、砲兵と続く長蛇の列が草原を踏みしめて堂々と、意気揚々と行進していく。
この光景を見て撤退行動中なのだと思う人は何人いるだろう。それくらい統率された動きのせいでエフタル義勇旅団の下に戻ると敵と誤解されて槍を構えられてしまうハプニングが起きた(友軍相打ちは避けられたが)。
で、そこで新たな問題が待っていた。
方陣の中に迎え入れらるや俺とハカガ中尉が第二連隊長であるキャンベラ・エタ・ステン伯爵大佐に呼び出されたのだ。
その連隊司令部天幕に赴くと沈痛な表情をしたキャンベラ様や参謀達が鎧をギシリと重く音立たせて歓迎してくれた。
「まずい事になった。アルツアル騎士団主力援護のために前進した第一大隊長エンフィールド伯爵少佐の安否が分からない……」
重いのは音だけでなく空気もズンと重さを増した気がした。
脳髄がキャンベラ様の言葉を理解するのに時間がかかると共に言いようの無い恐怖が這いあがってくる。
「つまり、僕達はどうすれば――」
「通例であれば大隊副官もしくは第一中隊長が指揮を代行するのだが、どちらもエンフィールド少佐と共に行方知れずだ」
……あれ? おかしくないか?
あの美麗の騎士が行方不明と断定する時間が早くないか? 救援が手こずってまだ戦場にいるだけでは? と言う可能性が欠如してないか?
「気づいたようだな、少尉」
「はい」
するとハカガ中尉がポカンと俺を見た。察しの悪い奴だな。
「エンフィールド少佐が生存しているのなら悪い事をしたと思う。だが、時間が無い」
時間――? そうハカガ中尉が問い返すとキャンベラ様は皮肉を言いたそうに顔をゆがめた。
「総予備になっていた大隊が所定位置を離れた事でアルヌデン騎士団歩兵隊の救援が遅れて向こうは大騒ぎだ。故に連隊司令部は彼らを戦死と仮定しなければならなくなった」
俺達が丘を下った後、友軍左翼方面で歩兵同士の決戦が始まったが、サヴィオンの魔法攻撃によりアルヌデン騎士団の方陣は瓦解。敗走間近と言う。
その救援として総予備になっていた第二連隊第一大隊に出撃命令が下るもその大隊は丘を離れていて命令伝達が遅れた。
そう疲れたように言われたキャンベラ様にハカガ中尉が噛みついた。
「い、今からでも我らが救援に向かえば――」
「バカ者。間に合う訳がなかろう」
「しかし、救援命令が出たのならそれを違える訳には――」
「間に合わんと言うておろう。無駄だ。今からお前の中隊を向かわせた所で戦局を左右するで無い。いたずらに兵を死なせるだけだ。
それになんだ。お前。
兄上が安くない金をアルツアルに払って留学させてやったと言うのに頭の中は空っぽか。一体何をやっていたのだ?」
あー。撤退と言う目に見えての敗北を前にキャンベラ様の自制心が外れかかっているのだろう。
鈍色の鎧を着込んだ参謀達を見渡すと誰もが安堵の表情をしている。つまりキャンベラ様の避雷針が現れて助かったと思っているに違いない。
もっともキャンベラ様からの攻撃が集中したハカガ中尉は顔を赤くして羞恥に耐えている。貴族の息子としてここまで面と向かってバカにされた事がない身の上なのだろう。
それが先住種の目の前で罵倒されるなんて許せないのかもしれない。
「だが、貴様等が前進して敵を叩いた事で撤退に余裕が持てそうだ。少尉。君の見立ててかまわないが、遅滞作戦に中隊を投入して時間が稼げるか?」
「補給状況によるとしか申し上げられません。現在の装備であれば、半日は時間を稼いで見せます」
キャンベラ様は「短いな」と感想を漏らすも、司令部内に広げられた地図に素早く視線を通す。
「だが、我々は半日だけでも欲しい。おい、馬と馬車の手配をしてやれ。少尉、必要な台数は?」
「馬十頭と馬車を五台ほど」
「よし、おい、儂の侍従の乗ってきた馬車を解体せよ。お前等のも徴用するぞ。良いな」
有無を言わさぬ口調が参謀達に向けられ、彼らから怒気があがるもキャンベラ様は即座に「ならお前が殿をするか?」と問えば静かになった。
「よし、臨時編成を行う。第一大隊第二野戦猟兵中隊は一時的に連隊司令部直轄中隊に編入、撤退支援のため無理の無い範囲でサヴィオン軍を遅滞させよ。なお、出来る範囲で友軍の救出と敗残兵の吸収を行うように。以上」
その言葉に頷き、ハカガ中尉に視線を送る。
すると拗ねたように俯き続ける若騎士がそこにいるだけだった。おい、勘弁してくれよ。
「中尉、命令だ。復唱しろ」
そうキャンベラ様が言うや、不承と言う事を隠さないようにボソボソと命令を復唱する。
くそ、なんて奴だ。こいつが長で、本当に大丈夫なのかと不安になってきた。
待たせたな!
書いたあとでサヴィオンが魔法使いを前進させてエフタル叩く方が常道だろうと思ったり。
とりあえず突出してきたアルヌデン騎士団とかを警戒して虎の子の魔法使いを下げさせたと自分を納得させると言うことで。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




