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戦火のロートス~転生、そして異世界へ~  作者: べりや
第一章 エフタル戦争
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逃亡

 着の身着のまま闇の支配する森を駆ける。生い茂ったクマザサをかき分け、根を飛び越して走る。走る走る――。

だがそれも限界だ。特にさっきからミューロンの足取りがおぼつかない。それに俺の心臓も限界を迎えつつある。言葉を紡ぐ余裕のあるうちに――。



「き、休憩にしよう」



 足を止めるとどちらからともなく倒れる様に木に縁りかかった。額から滲んだ汗が流れ落ち、激しい呼吸に顎の辺りが痛みだす。

 重い疲労感に言葉なくそうしているとやっとの事で荒い吐息が引いて行った。



「……ミューロン、大丈夫か?」



 無言で頷く気配に安堵が漏れる。それを確認したせいか、どっと渇きを覚えた。その上、先ほどまでの火照りが急に寒気に変わって行く。

 それを無視して耳をすます。聞こえるのは荒い吐息と遠方から響く狂乱の叫びのみ。敵は追って来ているのだろうか? それだけが気がかりだ。



「ロートスこそ、大丈夫なの……?」



 俺を見つめる碧の瞳に頷くと、彼女は無言で俺の胸に頭を乗せた。



「ごめん、ちょっとこうさせて」



 堰を切たったように震える幼馴染。それが汗の冷えなのか、恐怖からなのかは察しきれなかった。

 ただ彼女の震えを受け止めて静かにしていると、急に今までの暮らしが崩壊したのだと言う事を唐突に理解した。

 貧しくも平穏な暮らしが。父上と共に過ごした日々が。ミューロンと笑い合った日々が。全てが奪われた事に怒りを覚える。


 それが不思議だった(・・・・・・・・・)


 どうして俺はこんなに怒っている? それより人を殺めた事を悔いるべきじゃないのか?

 いや、あいつらは侵略者だ。俺達から平和を、父上を、村を奪った憎むべき侵略者だ。なら何故悔いる必要がある?


 待て、それでも俺は獲物と同じ感覚で相手を屠ったのだぞ。命のあるその者を。

 ……くそ、どうにかなってしまいそうだ。

 せめぎ合う二つの心が内心にある事に不安を覚える。いや、不安と思えばこれからどうすれば良いと言うのだろうか。

 夜が明ければきっとサヴィオンの連中は村から逃げ出した連中を探しに出るだろう。むしろ今にも追撃の手は出ているのかもしれない。

 そんな中を逃げなくてはならないのか? この俺が?

 弓も下手くそな俺が? 無理だ。絶対に逃げられ――。



「…………ぇぐ」



 と、その時、鈴の音のような声が漏れた。

 だがその音は感情を押し殺すように飲み込まれる。今、泣いてはならないと強く己を自制するように――。


 くそ、ミューロンが泣きたいのに俺が泣いてどうするんだ。俺が泣いてちゃミューロンが泣けないだろ。

 不甲斐ない自分に腹が立つ。その怒りで無理やり恐怖を上塗りしようとするが、上手く行かない。

 体に力を込めてその震えを消そうとするが、それでも俺の体は意志から離れて震えてしまう。


 恐怖に震えていたが、ふと耳に馬脚の音が聞こえて来た。咄嗟に顔を伸ばす。

 走るのに必死だったからどこに居るのかわからなかったが、どうやらスターリングの街に向かう街道近くの森の中にいるようだ。

 そして黒い森の中で輝く三つの松明がこちらに迫ってきていた。



「ミューロン、敵だ」

「え!? そんな……。やり過ごす?」



 それに小さくうなずき、唇に指をあてる。

 物音を立てないよう身を低くして耳をすます。運の悪い事に俺達の居る近くで蹄の音が途絶えた。



「森に何匹か逃げたそうだが、見つけられるだろうか」

「これほど深い森だと難しいな」

「一度、陣に戻るか?」



 そうだ戻れ。

 一心に念じるも騎士の一人が「ここに居るんじゃないか?」と何か、得物を草村にやたらめったらに刺す音が響いた。それにつられて他の騎士達も周囲に無意味な攻撃をしてくる。

 それがいつ俺達を貫くのか分からず、冷たい汗が流れ落ちていく。

 そして草を貫く音が迫ると同時に恐怖が口から飛び出そうになる。だがそれが飛び出た瞬間、俺達の死が確定してしまう。

 だから無駄だとわかりつつも恐怖を上塗りするために口元に笑みを浮かべる。頬がひきつる中、必死に口角をつり上げる。



「ちッ。いねぇーか」

「そろそろ陣に戻ろう。殿下が再編の指揮を執られるはずだ」



 その言葉を最後に騎士達が遠ざかる音が聞こえる。ゆっくりと顔を上げると遠ざかる松明が見えるだけだ。

 良かった。行ってくれたか。

 安堵と共に力が抜け、今度こそ動けなくなる。そこで胸に乗る重さに気が付いた。



「ミューロン、さん?」

「もう少し、こうさせて。もう動けない……」



 互いに疲弊した精神が肉体に動かないでくれと懇願しているようだった。

 故に俺もそのまま幹に頭を預け、空を仰ぎ見る。

 最近はめっきり冷えて来たが、まだぎりぎり野営は出来るであろう気温。そのため少し目を閉じてしまおうかと思ったが、夜の内に敵と距離を稼げと理性が警笛を鳴らす。

 それでも泥のように動かない体はどうしようもない。やはり仮眠をしようと思うも、アドレナリンが大量に分泌されているせいか、寝付く事は出来なかった。

 だからただ俺達は互いの体温を貪るように味わい、それからゆっくりと動き出す事にした。



「危なかったね」

「あぁ。それより行こう」



 目的地など無い。ただ村から遠ざかろうとするだけだ。

 村の皆は無事なのか、占領された村はどうなったのか。

 疑問は覚えてもそれを口に出す余裕が無い。

 ピークに達した疲労と緊張のせいで自分の足を動かしているのかさえ疑問を覚えるし、乾ききった喉は裂けるように痛い。

 殺してくれと懇願したくなる苦痛にさいなまれながら歩く様はまさに餓鬼界の亡者を思い出させた。


 そのためか、普段は聞き流すような水の流れる音が耳に入った。

 振り返るとミューロンも虚ろな目のままその音の方向に歩き出していた。幻聴では無いようだ……。

 ふらつく足を無理矢理動かして木々を越えるとそこには小さな沢があった。

 それを見つけた瞬間、俺たちは走り出した。どこにそんな力が残っていたのか分からないがそれでも湧き出す水に口をつけるとその甘さに思考が飛びそうになった。

 俺たちは時間を忘れて水をのみ続け、息が切れると地面に座り込んで呼吸を整える。

 気が付くと夜が明け、木漏れ日が生まれていた。そんな事にも気づかずに歩いていたのか。どうりで簡単に沢を見つける事が出来た訳だ。



「助かったの……?」

「わからん」



 乾きを癒す事が出来たせいか思考に余裕が生まれる。だが、それと同時に今度はどうしようもない空腹が襲って来た。

 飢えを癒す方法など一つしかない。だが、その方法など持ち合わせていない。



「くそ……。火薬を撒く前に食い物をくすねて来るべきだった」



 もう消し炭となっているであろう蓄えに想いを馳せると同時に腹の虫が悲鳴を上げた。



「あぁ……。お米の御粥が食べたいよ。あつあつの」

「言うなって……」



 もう動けない。そう思っていたが、草がガサリと動く音が聞こえる毎に俺達はビクビクと体をこわばらせた。それはサヴィオンの連中では無く獣が動き回る音なのだと分かっていても恐ろしくてたまらなかった。

 恐怖が空腹に勝り、俺達はどちらからともなく立ち上がって森を彷徨い続けた。



「ねぇ……。何か聞こえない?」

「あ? 何が――」



 耳をすます。微かにだが、人の声が聞こえて来た。身を固くし、思わず地面に伏せる。

 そしてゆっくりとその声を確認するために進む。すると森が消え、街道を横切るように流れる河があった。そこにかかる橋をよく見ると体躯の小さな男達が斧を振り上げようとしているのが見えた。あれは――。



「ま、待ってくれ!!」



 空腹で思考が鈍っているせいか、自分達が帝国騎士に見つかるかもしれないと言う危機感を忘れて叫ぶ。



「――!? 誰だ!?」

「レンフルーシャー村のロートスだ。父はマルコム!!」



 ふらふらとした足取りで森から出るとそこに居た人物と目があった。

 小さな体躯に濃い顎鬚。間違いない。ドワーフだ。

 ドワーフ達は顔を見合わせ、「こっちだ! 急げ!」と叫ぶ。それに森の中に居たミューロンを手招きし、橋を渡る。



「危なかったな、エルフども。他に仲間は?」



 彼らが打ったであろう優美な輝きを持つハーフメイルを着こんだドワーフが訪ねて来た。

 無言で首を横にふると、彼は目をつぶって川向うに頭を下げる。そして身の丈ほどもある斧を担ぎ上げた。



「何を――?」

「橋を落とすんだ。今、他の連中もやってるが相手の進軍を阻むにはこれが一番手っ取り早い」



 彼は不安定な足場をうまく降りて橋脚までたどり着くとそこに渾身の力で斧を叩きつけた。だが、それだけでは橋はビクともしない。

 そもそも目測で五十メートル強はありそうな橋だ。いくら木材でしか作られていないと言ってもそんな攻撃じゃビクともしないだろうに。

 そう思って居たら別のドワーフが桶を手に橋に向かっていく。そしてその桶の中の物を一気に撒いた。つるつると光る無色の液体が橋を濡らす。その行動をまじまじと見ていると先ほどまで橋脚を攻撃していたドワーフが戻ってきて説明してくれた。



「本当は橋板を一枚も残らず剥がすんだが、時間が無いから油を撒いて橋を燃やすんだ。あんたら運が良い。こんな作業を夜中からずっとやっててな、もう三つの橋を落とした。間に合って良かったな!」



 何故とは聞かない。もう近隣の村々には帝国軍接近の報せが入り、戦支度に追われているのだろう。そして橋を落とすと言う行為もその一環だ。



「橋を落としたんじゃ、村を取り戻す時に苦労するんじゃ?」

「……。それがな、噂によればここいら一体を放棄するって考えている連中もいるらしい」



 放棄!? この地を!?



「そんな! そ、それじゃわたし達はどうすれば!?」



 悲痛な叫びに顔を伏せるドワーフ。そして彼は思い立ったように「レンフルーシャーって言ったな」と聞き返して来た。



「そうです。昨日の夜にサヴィオンの連中が来て」

「うちの村からも戦士を出したんだが、ザルシュの行方を知っているか?」

「えぇ。村に立ち寄ってくれました。ですが逃げるのに必死で……」

「そうか。落ち延びていれば良いんだが……」



 なんと言って良いのか分からず口を閉ざすと、彼は何かを悟ったのか顔を背けて「早くしろ。火を放つぞ」と油を撒いていたドワーフに声をかける。もう作業は終盤。橋の半分ほどから撒かれた油で光る橋を見ていると「おーい!」と言う声が聞こえて来た。



「おい、あれ、ザルシュじゃないか!?」



 油を撒いていたドワーフの一人が森を指すと幾人かのエルフと共にこちらに走り寄る影が見えた。

 そしてその後を追う軽騎兵達も。



「やばい!! 早くしろ!! 追手が来るぞ!!」



 斧を担いだドワーフが怒鳴り声を上げる。

 敵の数はおよそ五人。



「どうしようロートス」

「くそ!」



 肩に下げていた銃を下し、ポーチからカートリッジを取り出す。急いで弾を込めているとザルシュさんを先頭にエルフの一団が橋に入った。急げ急げとの檄を飛ばすドワーフ達は各々、戦槌や斧を構えて戦闘態勢を取る。



「耳を塞げ!!」



 撃鉄を押し上げ、狙いを付ける。だが騎士の前に居るみんなが射線に重なりそうで撃てない。



「頭を低く!!」



 高速で移動する騎士に命中させるのは至難の技だ。だから馬を狙いたいのだが、そこにはザルシュさんたちが居て狙えない。

 川沿いに走り、なんとか射線を確保して狙う。敵との距離は……およそ四十メートルと言ったところか?



「……狙いが」



 空腹と疲労のせいで視界が霞む。それでも気力を振り絞り、引鉄に力をかける。

 雷を思わせる銃声が響き、銃身に刻まれたライフリングに従って回転を得た弾丸が飛翔。河を越えて馬の胴に突き刺さる。肉を裂くその一撃により馬が倒れ、騎乗していた騎士が欄干を越えて冷たい河に姿を消した。

 銃の被害はそれだけでは無く、銃声に驚いた馬達が棹立ちになり騎士達はそれをなだめるので手一杯になる。中にはバランスを崩して落馬する者すらいた。



「今だ!」



 足の止まった騎士達を残して最後の一人が橋を渡る。そしてすぐにドワーフの一人が短い呪文と共に火の魔法を放つ。

 瞬く間に油を伝わった火炎が橋を封鎖し、木造のそれは次々に延焼していった。



「ずらかれ!!」



 追撃も出来ない事も無いが、弾薬がもったいないし、ぼんやりとした思考が声に従えと無条件に決定を下す。火の回る橋を一瞥して俺も走り出した。

 だがすでに体力が底を尽きかけていた俺とミューロンはそれほど長く走る事は出来ない。

 特にミューロンは限界が来ていたようですぐに膝をついてしまった。



「立てるか!?」

「む、むり」



 街道の途上。振り返れば炎をあげる橋とパニックに陥った馬を御する騎士達が見える。



「肩を貸す」

「良いって。後から追いつく」

「うるせー。早くしろ」



 本当は自分一人で走るのがやっとといった具合だったが、彼女を置いていく気にはなれなかった。

 彼女の細い腕を肩に乗せ、悲鳴をあげる体に鞭を打って歩き出す。

 だが、すぐに限界が来た。

 そもそもが限界間近だった体のせいでミューロンを支える行為自体が止めとなった感は否め無い。

 地面をこする足の裏が、銃を担ぐ肩が、全身に血液を送る心臓が、その全てが「止まれ」と叫ぶ。


 でも――。


 それでも俺はミューロンを放す事が出来なかった。

 幼い頃から共に育った彼女を、唯一の家族となってしまった彼女を見捨てる選択肢など最初から存在しないのだから。



「ねぇ、捨てていって」

「黙ってろ。しゃべる気力だって底をつきそうなんだ」

「だったらなおさら――。ねぇ」



 ――そんな辛い顔をしないで。

 もう、自分がどんな表情をしているのかさえおぼつかない。だが、彼女にそんな事を言われるなんて。


 くそ、情けないぞ。


 俺はミューロンが居て、みんなが居るあの穏やかな暮らしを続けたいと願っているのに、それなのに(おまえ)はなんて顔をしてるんだ。

 前世のように仮面を被れ。

 どんなに辛くても笑顔の仮面を張り付けろ。幼なじみを支えるなんて役得じゃないか。

 前世なら残業代さえ払われない中、四徹して営業スマイルを浮かべていただろ。



「辛い事なんて、無い」



 口角をつり上げて無理に笑う。

 体力のせいか、つり上げた表情筋が痙攣している気がした。

 それでも俺は笑う。



「変な顔……。怖いよ」

「うるせー」



 だが、余計な所に力を割いたせいか、視界がさっきからぼやけて仕方ない。それでも俺は笑顔をやめない。



「よく頑張ったのじゃ」



 ふと、気がつくと視界のど真ん中に幼女が居た。

 栗毛色の髪を輝かせた幼女が優しく俺の頬に手を添える。その暖かさに俺の意識が闇に沈み始めた。

 だが、最後に思考がつながった。



「ハミッシュ……。来てくれた、の――」



 ぶっつりと俺の思考が途切れた。


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