騎兵吶喊 【アイネ・デル・サヴィオン】【ライル・ド・アルヌデン】
アイネ・デル・サヴィオン視点。
とぽとぽとグラスに零れ落ちる赤い液体を眺め、ボトルを折り畳みテーブルの上にゆっくりと置く。
籠手を外しているのでガラスから伝わる冷たさが指先を刺す。だが、そんな事どーでもいい。
グラスを手に異国の山々を肴にして――。
ぼへぇとそんな事を考えていると背後に誰か立つ気配がした。
「殿下、よろしいですか」
「クラウスか。なに用だ?」
緩みきった思考の波間をたゆたうようにグラスをあおる。すると筆頭従者のクラウス・ディートリッヒの呆れともつかない溜息が聞こえた。
四十の齢にさしかかる初老の騎士は幼い頃からの付き合いのため何を考えているのかだいたい見当が付く。故に先手を打とう。
「良いではないか。息を抜ける時に抜く。余はそう習った」
「確かにそのように教えました。覚えております」
折り畳み椅子に深く腰を沈め、背もたれをギシギシ言わせて体重を預ける。
帝室じゃ出来ない行儀の悪い姿勢のままグラスに口を付けた段階で咳払いをされた。
「……分かった、分かった。帝位継承者としての自覚が無いと言いたいのであろう? 別に良いではないか。余は帝位を継承するつもりはないと――」
「それは存じております。殿下にお賭けしたそれがしが間抜けであったとよくよく心得ております。ただ、帝族ともあろうお方が手酌など――」
「そこか! 気にしているのはそこなのか!?」
訂正。余はこの男の事がよく分からない。
そもそも手酌のどこが悪いのだ。自分で出来る事は自分でやる。それのどこが行けぬ。
確かに帝族とは万民を支配する存在であり、身の回りの雑事は使用人に任せるべきだと言う理由は分かる。だが、これ程度の事で人を使う方が勿体ないでは無いか。
その分の人材を他所に回し、さらに利を追及して国を豊ます事こそ帝族の在り方なのではないか?
とは言え、持論を言って居ても仕方ない。
「これくらい自分でやらせてくれ、爺。別に、帝族として生きようとは思っておらん。それに鬼に付き人は不要ではないか?」
「またそのような……。しかし、鬼が不貞腐れていると言うのもまたどうかと」
話の本命は余の行いでは無くこの戦局か。
ずり落ちそうな体を持ち上げて椅子に座り直しながらチラリと眼下を確認。
敵が放った矢が明後日の方向に流れている。だがそれをした魔法使いに余の配下はいない。あそこに居る部隊全てが義兄上の軍勢なのだから。
「フン。東方辺境騎士団は魔法使いを含めて総予備扱いと言われて不貞腐れぬ戦鬼が居るか?」
「なるほど。戦無くして戦鬼は生きられず。業ですな」
「ごう?」
「東方のさらに東方の哲学ですよ。不合理でありながらそれを行わざるをえないと言う宿命的な行為――。と、言えば良いでしょうか。お暇であれば講義の方を――」
「いらん。だが、だいたいは理解した。傍から見たらただの莫迦な行いと言う事だろ?」
「御意に」
「………………」
「そう睨まないでくだされ。なに、それがしもその莫迦の一人にございますれば」
恭しく頭を垂れる孝行爺から視線を外してグラスをさらに煽る。
業――。
もし、そのような物があるのなら余はそれに囚われているのだろう。まさにその通りなのだろう。
余の居場所は戦野にしか無く、余の存在を証明するのは戦野でしか有りえず、余が生きる場所こそ戦野なのだから。
つまり、今こうして戦野を離れて昼間から酒を口にしているのは余の生を否定するのに同義な行いだ。
「西方鎮定軍第二軍は別名あるまで待機。火急の用無きは現在の占領せる土地を堅固に死守せよ、か。余の騎士団に最も不向きな任務だ」
帝国東方を脅かしていた東方蛮族――東方諸侯の神髄はその機動兵力にある。
それを一点の守備に使うなど愚の骨頂。それなのに――。
いや、怒っても詮無い。これが政治なのだから。義兄上はエフタルでの下準備を終えてやっとのご出陣なのだ。ここで余に武勇をさらわれてはならぬと躍起なのだろう。
あぁなんと煩わしい事なのだ。あぁなんと唾棄すべき事なのだ。
それに比べて戦場のなんと清々とした事か。
勝利と言う道筋に向かって走れば良い戦場のなんと単純な事か。
それでも戦場にも駆け引きと言う物はある。むしろそれ無くして戦は成り立たない。
それは唾棄すべき事とは思わない。つまり、余はただ政治から逃げたいがために政治を嫌っている、そんな我がまま娘でしかないのだ。
「フン……」
「どうされました?」
心のままの事をクラウスに言ってみるか? いや、爺なら言わずと分かって居るか。
我がままと分かって居ても彼を付き合わせてしまう。これも業なのかもしれない。
そう思いながら渋いワインで唇を潤す。
「何でもない。ただ、自分が矮小に思えた。そんな者の従者をしてくれている事、感謝する」
「わが身に余る光栄なお言葉。このクラウス・ディートリッヒ公爵少将、殿下に不朽の尊崇を新たに抱くものです」
「う、うむ。良きに計らえ」
「かしこまりました。おや? 敵軍に動きがありますな」
気まずい空気を払うように動いてくれた敵軍に感謝を覚える。
所在無げに握っていたグラスから敵を見やれば騎兵集団が前進を始めた所だった。
愚かな連中だ。アルツアルの本懐は不動の防御陣形にある。それを置いて騎兵が前進? フン、帝国も舐められたものだ。
「クラウス、あの騎士団は?」
「軍旗からしてエフタルの残党軍でしょう」
矢が効かぬと自棄になったか、もしくはここで戦功を積んでおこうと言う政治か。はたまた魔法の脅威を身を持って知っているが故に方陣の無意味さに気づいたか?
どちらにしろ巻き込まれた兵には堪らないな。
「法兵達が準備を始めましたな」
クラウスの言葉に西方鎮定軍第三軍の歩兵陣に目を向ける。
横隊を組んだ歩兵の中央に水の詰められた樽と魔法陣が展開。法列を整えた魔法使い達が一斉にイチイの杖を掲げて緻密な魔法式を組み上げていく。
「壮観だな」
グラスを掲げて彼らを透かし見る。
詠唱が完了する。すると樽に納められた水が生き物のように浮きだし、宙で氷結。氷塊が唸りをあげて哀れな騎士達に突き刺さった。
「今日ほど帝国に身を置いている事に安堵した日はありませんな」
クラウスが目を細める理由が分かる。
一斉に降り注いだ氷塊によって突撃してきた騎士二千ほどを壊乱させたとなれば頷けると言うもの。
「だが、実際の効果は低そうだな。死んでも百か、二百か?」
「ですが効果は大ですな。敵の出鼻を叩けました」
確かに敵には騎兵突撃において必要不可欠な突破力を喪失してしまっている。
突破力を失った騎兵は脆い。
「右翼軍前進、か」
突撃のあった左翼軍も前進を始めているが、右翼軍の方が大胆に機動している。
「バカ共め。敵に横腹を見せるとは。将は誰だ?」
「確か、鉄槌のラーガンドルフ公爵であったと記憶しております」
あの筋肉達磨か。
義兄上お抱えの公爵の一人にして常に筋肉を鍛えていないと気が済まないと言う戦闘狂。一応、余の前任として東方討伐に関わっていた歴戦の戦士ではある。
「頭まで筋肉で出来ていたか」
「敵が出張ってきたから突撃……。ラーガンドルフ公爵らしい戦ぶりですな」
「なぜ嬉しそうなのだ」
「いえ、なに。騎士将校としてラーガンドルフ公爵を慕わぬ者はおりますまい。あのお方は典型的な騎士なのですから」
だからと言って敵に横撃されたらどうなる。攻撃を正面に向けているのだから横やりを入れられたら壊走する事になるぞ。
「殿下。ラーガンドルフ公爵は思ったのでしょう。敵騎兵を撃滅する好機だと」
「……余には分からん。余が右翼に布陣しているのならそのまま前進して敵右翼を食い破る事に力を入れる」
こちらには強力な魔法使いが居る。その援護の下に敵方陣を切り崩して敵戦線を突破するよう動く。
エフタル戦ではそれで勝利したのだから。
それに無駄に横撃を受ける危険は避けるべきだ。
「ラーガンドルフ公爵はおそらく、敵は横撃に出ないと確信されたのでしょう」
「…………魔法使いの援護があるから、か」
恭しく頭を下げるクラウスが「左様にございます」と言った。演技臭い奴め。
だが、なるほど。
敵がもし横撃を行おうにも後方に控えている魔法使いが敵の突破を阻止するだろうし、騎兵を無視して歩兵に食らいついても魔法使いが居る。
いや、もっと単純に魔法攻撃に晒されたエフタルの残党軍の二の舞にならないよう攻撃を躊躇すると思ったのやもしれない。
「なるほどな。戦は奥深い」
「サイコロと乙女心と戦ほど予想の出来ぬものはありません」
その通りだろう。まさに。
突撃してきた騎士は魔法使いの攻撃をまともに受けて隊列が乱れた所で左翼騎士団と戦闘に入ったようだ。
だが、意外と体制を立て直すのが早い。
こちらが優勢である事に代わりはないが、左翼騎士団も少なくない出血を強いられているように思える。
だがそれもラーガンドルフ騎士団が突入するまでだった。
まったくの混戦の中に飛び込んだ増援によって左翼騎士団の息を吹き返しつつある。おまけに左翼後方にいた歩兵集団も前進を開始。
魔法使いを後方に逃しながら突出した敵騎兵を叩くつもりなのだろう。
「左翼歩兵の動きが良いな。指揮官は?」
「……申し訳ありません。失念致しました。ですが、確かに動きがよいですな。騎兵の突破力が完全に喪失された段階で歩兵を進める。
中々、戦場の臭いを嗅ぎとる者なのでしょう」
余率いる第二軍の弱点を上げるなら優秀な歩兵が居ない事だ。騎士こそ東方諸侯からかき集めたが、歩兵ばかりは傭兵頼み。義兄が羨ましい。
あぁ、どこかに優秀な歩兵指揮官は居らぬものだろうか。大枚叩いてでも抱え込みたいものだ。
「ん? なぁクラウスよ。敵右翼騎兵は動かない。そう、思っているのだろう?」
そう声をかけるもクラウスは返事をしない。
一度、振り返って従者に視線を送ると冷や汗を頬から流した老騎士がいるだけだった。そして視線を元に戻す。
敵右翼騎兵が前進を始めた所だった。
「動かないのでは無かったか?」
「………………」
「はぁ。仕方ない。出陣の用意を整えよ」
「畏れながら殿下。待機命令は?」
「それは火急の用無き場合だ。すぐに貴様の慕うラーガンドルフから予備兵力の前進要請が来る。さぁ支度を整えろ。戦争の時間だ」
あぁ小唄を口ずさみワインを飲もう。そしてグラスを掲げて乾杯しよう。
何故なら平和に別れを言わねばならないから。あぁその白き手でこの手を握っておくれ。
さようなら安穏。さようなら平和。
さようなら、ごきげんよう。我ら進軍する。我ら進軍する。我ら敵を求めて進軍する。
く、フハハ!!
◇
アルヌデン辺境伯視点
「銃は使うな! 総員抜剣!!」
号令と共に横隊を組んだアルヌデン騎士団が草原を風のように駆けていく。
その前を駆けていた風はすでに吹きやんで今やその息さえも怪しい。
「急げ! もっと急げ!!」
あの魔法の威力は凄まじかった。あんなものを受けたら我が騎士団とは言え戦闘継続は不可能だろう。
だったらどうする?
攻撃が来ない位置――敵味方入り乱れた戦場に飛び込まなくてはならない。
さすがのサヴィオンでも友軍と相打ち――などと言う事はやるまい。
「王国万歳! アルツアル万歳!」
「「「王国万歳! アルツアル万歳!!」」」
喊声と共に騎士達が槍先を敵騎兵に向ける。
こちらはバスターソードを振り上げ、一人の敵に狙いを定め、敵陣に飛び込む。
愛馬のスピードに乗せて片手で大剣を振るうと虚を付かれたと言わんばかりに敵兵の顔に混乱が染まった。その理由を説明する前にその首が宙を舞う。
立ち止まりはしない。そのまま次の敵を探す。
「我に続け!」
ケンタウロスならまだしも騎兵突撃は基本的に一方向にしか行えない。
だからこのままスピードに任せて敵の波をかき分け、時に打ち破る。
三人ほどと剣を交えて敵陣を突破し、振り返ると続々と騎士達が後に続いてくれていた。
「ジャン! 生きてるか!?」
「生憎な。敵さん、相当混乱してるぜ。もう一回やるか?」
悪運の強い奴め。
ざっと敵陣を確認すれば追撃に出ようとする者、それを返り討ちにすエフタル騎士と混沌とした戦場が広がっていた。
そして前方の丘を見て、決めた。
「いや、それはエフタル騎士団に任せよう。次の目標は、あれだ」
あの方からもらった剣を丘に――サヴィオン軍総大将ジギスムント・フォン・サヴィオンの本陣に向ける。
「どうだ?」
「なるほど、なるほど。面白い! さすがライルだ! なぁ!」
その声に歓喜の叫びがあがる。
戦意は充足し、困難な作戦を遂行しようとする仲間が居る。
そう、俺たちの手でこの戦争を終わらしてやろう。
大切なものをこの手で守るためにも。
「だが、どうやって歩兵を崩す? 迂回か?」
「新兵器を使おう。銃兵前へ」
取り扱い方を拾得した騎士達が興奮に顔を綻ばせながら前に出る。
「敵にそいつをお見舞いしろ。敵さん、驚くぞ」
おそらくこちらが奴らの魔法を見たくらいには驚くだろう。
それにサヴィオンの騎兵は脅威中の脅威なのだが、歩兵は言うほど強くはない。
こちらが連携した方陣を組むよう訓練を積んでいるが、奴らは個々の武を優先しようとする。
そこを付ければ歩兵の突破など容易だ。
「さぁ行くぞ! 我らの力を今こそサヴィオンに見せつける時! 攻撃目標、敵歩兵集団! 突撃陣形作れ!」
実はあと少し別人視点が続くんじゃよ。
そうしたらロートス君とミューロンちゃんのドキドキ流血イベントになりますのでお楽しみに!
またメッセージ返信は今夜行います。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




