決意
「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。撤退戦なんて嫌だ。うんざりだ!」
頬を伝う涙がミューロンの汚れた上衣を濡らしていく。
それさえも嫌だった。
そして彼女の手が俺を抱いてくれた。これ以上に無いほど力強く俺を抱きしめてくれた。
いつまでそうしていたのか分からなかったが、俺はゆっくりとミューロンと重なった体をどけた。
「ごめん」
「犯されると思った」
「ごめん」
「……許さない」
まぁ、そうだろうな。俺は一体何をやってるんだ。
いくらこんな時だからと言ってやって良い事と悪い事くらい分かるだろうに。ただでさえ嫌な事だらけなのに自分までも嫌悪しなければならないとは。
そんな間の悪い中、ミューロンは「やっぱり逃げた方が良いよ」と言ってくれた。
「いつも、いつもロートス、作り笑いを浮かべていたでしょ。昔から嫌な事があるとそうやって無理に笑って……」
そうだったろうか。
意識するようにやったのはここ最近だが、昔はどうだったろうか。
どちらにしろ幼馴染はよく俺の事を見ていてくれたらしい。それがむず痒かった。
「すっごい無理してたでしょ。いつも嫌でたまらなかったんでしょ?」
その通りだ。殺されるかもしれない恐怖の中でも、周囲から寄せられる重圧にも全て笑って来た。
俺を長と仰いでくれる皆のために怯えを隠してひたすら笑って来た。
「もう良いんだよ」
「……良く無いだろ。お前は戦うんだろ? 他のみんなもそうなんだろ? 俺一人逃げられるか」
「でも、わたしには銃があるし、これなら帝国兵を多く殺せる。そりゃ、弓の方が良いけど無いものはしょうがないよね。
なんか、わたしが撃てば必ず当たるし、ロートスが居なくても――」
「ダメだ」
それではダメなのだ。お前を残して逃げるなんてそれはもっとも嫌なんだ。
お前が死ぬかもしれないのが嫌なんだ。
お前が俺の傍を離れる事が一番嫌なんだ。
「ミューロンこそ逃げてくれ」
「嫌だよ。わたしは一人でも多くあいつ等を殺さなきゃ」
復讐の鬼となってしまった幼なじみの頭を優しく撫でてやる。
やはり柔らかい髪だ。とっても気持ちが良い。
「や、やめてよ。もう子供じゃ無いんだから」
頬を赤らめる彼女から手を引くと、少し残念そうに彼女は俯いた。そして「生きてよ」と言ってくれた。
少しだけ躊躇いを覚えたが、俺はそれを口にする事にした。もうこのまま想いのまま喋ってしまおう。
「……俺はただ、平凡な暮らしがしたかっただけなんだ。何がある訳じゃないゆっくりとした時間を楽しむスローライフを送りたかったんだ。転生してそれが叶って、すごく嬉しかった」
「……? 何を言ってるの?」
「とりあえず聞いてくれ。二百時間も残業をやらされた上で休日出勤も当たり前の生活でなんつーか、ボロボロだった。
会社のために命を使っているような錯覚を覚えるほど俺は働いた。で、もちろんなんのために生きてるのか分からなくなっちまった。
でも、大学の時に始めた射撃の延長で狩猟免許とって狩りをしている時、すごく心が安らいだ。
獲物を解体する時、その暖かさが生きるって事を俺に教えてくれているようだった。
そりゃ、いつもそう思いながら狩をしていた訳じゃ無い。弾が当たればラッキーって思ったし、何よりも跳ねるほどの嬉しさを覚えた。鬱憤を晴らすためにやっていたのかもしれない」
だが、それでも生き物を解体した時の温かさに心が震えた。必死に生きていると言う事を知った。
だからその命をもらう事で俺も頑張って行こうと思えた。
まぁ、共感してくれる奴は皆無だったし、共感を得ようとは思って居ない。むしろ危険思想を抱いていると通報されそうになった事もあるが、それだ正しい反応なのかもしれない。
「きっと、神様は怒ったんだ。そんな身勝手な理由で命を奪うから天罰が下ったんだ」
「だから、何を言っているの?」
「なんでもない。ただ、命を奪う恐ろしさを知った。闇に沈んでいくあの怖さを知った。
でも、エルフになってそれを忘れたように動物を殺したし、人間も大勢殺した。俺の放った弾丸がサヴィオンの鎧を貫いてその人の命を奪ったって言うのに俺は無感動だった。何も思わなかった。
食うためだったし、復讐のためだったり理由はある。正統化する言葉なら万もあるだろ。
でも、いざ俺が逆の立場になった時、恐ろしくてたまらないんだ。虫のいい話だよな。相手は殺しておいて自分は死にたくないなんて」
なんて嫌な奴なんだ。
嫌で嫌で仕方ない。そして情けない。ミューロンを前にそんな態度で居る事が恥ずかしい。消えてなくなりたい。
「こんな奴に逃げて良いなんて言わないでくれ。言われる資格なんてなんにも無いんだ」
「…………なんだか、二人のロートスが居るみたい」
………………。………………?
「強いロートスと、弱虫なロートス。どんなに辛くても無理に笑みを浮かべるロートスに、ぐちゃぐちゃになって弱音を吐いてくれるロートス」
彼女の白い手が俺の手をとってくれた。押し倒すような事をして、醜い俺の内面を告白したと言うのに、彼女は優しく俺の手を取ってくれた。こんな俺の手を、取ってくれた。
「名前通りだね」
「名前?」
「知らなかったの? 名前の由来」
そう言えば聞いたこと無かった。だが、唐突になんで俺の名前の話に?
「おじさんが酔った拍子に言ってたんだ。あれは……。そう、お母さんとお父さんが天に召して間もなかった頃かな。ほら、ロートスの奇行が始まった頃」
だいたい三年前。俺が硝石の原材料を集め出した頃だ。父上に散々心配をかけた頃で、ミューロンが居候を始めた時期。
「白い蓮の華。失われたエルフの言葉なんだって」
失われた言葉――アルツアルがエフタルを征服した後、あいつ等は俺達の神様こそ奪わなかったが、言葉を奪っていった。それまで使われていた先住種の言葉はやがて消え、代わりに人間の共通語が口ずさまれるようになった。もう大昔のそれは断片的にしか伝わらず、その多くもただ単語が残されるのみだ。
その単語を積み重ねて作られた魔法式を残して完全に廃れたその言語が俺の名だった。
「蓮って、綺麗な花が水面に咲くでしょ。でも、その下には濁り切った泥水がある。清濁を合わせた花」
鈴のような声が耳をくすぐる。流れるように紡ぎ出される言葉。それは魔法でも何でもないのだが、どこか力があるようだった。
「貴方も、清濁を合わせてる。恐ろしさに慄く貴方も、恐ろしさを笑う貴方もロートスなんだよ。
だから、そのままで居て。自分を嫌いにならないで」
「………………。はは、なに言って、るんだ――」
限界だった。夏の夕立のように頬を伝う涙を止める事は出来なかった。これ以上醜態をさらしたくないと思っても、ただ温かい物が次々と溢れていく。
嫌悪感でも絶望感でも無く、ただそんな俺でも傍で手を握ってくれる彼女が居る事が嬉しかった。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
彼女が傍に居てくれるだけで嬉しかった。
あぁ、失いたくない。そんな彼女を、ミューロンを失いたくない。ならば戦うしかない。絶望している暇も、恐怖に震えている暇も無い。
あぁかみさま――!
俺はなんて馬鹿で愚かなんでしょう。自分が醜い者である事を知りながらまた罪を犯そうとしている。救いようの無い存在で申し訳ない。
だが、それでも俺は銃を手に取る。弓も下手で勇気も無い俺が唯一まともに扱えるのはそれしか無いのだから。それだけが彼女を守る方法なのだから。
そう、彼女を守るためなら俺は甘んじて罪を犯そう。開き直りと蔑まれても構わない。
「業なのかな」
「ゴウ……?」
「いや、なんでもない」
普通に笑えた。作り上げたものでも、意図的に口角を釣り上げたものでも無い普通の笑顔を浮かべられた。
「ありがとう。もう俺は大丈夫」
「べ、別に何もしてないし。それより、さっきのどういう意味なの?」
「なんでも無い」
床に投げ出した銃を拾う。
「さて、作戦を考えよう」
「作戦?」
「最後の悪足掻きと言うかね」
強引に目元を拭い、立ち上がる。もう十分時間は取れた。
だからミューロンが丁寧に閉めてくれた扉を躊躇いなく開ける。すると待っていてくれたのかエンフィールド様が申し訳なさそうに立っていた。
まぁ、せめてこの人は詰っても良いだろう。
「遅滞作戦の事ですが、騎士団がご活躍出来ないのなら仕方ありません。謹んでお受けします」
「分かった。で、条件は? タダで受けてくれつもりは無いのだろう」
まぁ、分かっていたか。それなら話が早い。
「さっき言っていたこの作戦の後の事ですが、それを証文にして俺に渡してください」
「分かった。他には?」
「明日の何時まで粘れば良いのか教えてください」
「昼頃だな。ラッパで知らせよう。もしくは敵が追撃出来ないほどの損害を与えたらいつでも後退して良い。渡河出来る橋は街道沿いに一キロ行った所に一本だけ残してある。それ以外の橋はもう落としてあるはずだ」
「あと、村を焼くのは俺達に任せてください。ギリギリまでこの村で敵を迎え討ちます」
それから必要な物資の話をして俺はミューロンを伴って周囲の状況を確認しに行った。なんと言ってもまだ太陽は昇り出したばかりだ。敵が迫って来る事を考えるに今の内に周辺の調査を終えておきたい。
それにしても見渡す限りの平地。まるでハミッシュの胸を想起させるその地形。
まもなく冬とあって刈り入れの終わった晩夏から生い茂っていたであろう雑草達がクタリと枯れている。それが一面に広がっているものだからまさにこれを荒涼とした風景と言うのだろう。
「ねぇ、どこ行くの? 騎士の人もついてきてるし」
振り返れば見晴らしの良い田圃の中に一人の騎士が俺達の方を見ていた。監視か。まぁ別に逃亡を企てているつもりはないし、放っておこう。
「小さい声なら聞こえないかな」
「うーん。たぶん。でも聞かれちゃ不味い事でも話すの?」
不安げに呟かれた言葉に苦笑しつつ畦道を歩いていく。
田圃に生えた雑草を眺めながらあるくと浅く掘られた用水路が見えてきた。もちろん水は流れていない。近頃の天気のせいかひび割れ、背の低い枯れ草がそこかしこに生えているから一見してそれが水路だとは思いにくい。
「でもどうやって戦うの? 森の中に隠れてたから騎士の人でも殺せたんでしょ? ここには森なんて無いし……」
姿を消しての奇襲もこんな所じゃ出来っこない。今まで築いていた優位なんてこれっぽちもない。
まぁ元々、絶望的な戦況なのだから今様これ程度の不利などどうでも良いだろう。
そして俺達は用水路の堰にたどり着いた。
木の板で出来た簡易なそれ一枚向こうのマーズ河の支流にはこんこんと清涼な水が流れている。やっとお目当ての場所を見つけた。
村の中には井戸が無かったから水はどうしているのだろうと思ったが、ここから汲んで水ガメに入れていたのだろう。
そこに歩み寄り、手を浸すと冬を思わせる冷水が指を切るように流れていた。それを無造作にすくって顔を洗う。汗と垢と様々な汚れでベトベトしていた物が流れ落ち、サッパリとした。
「……ねぇ、何やってるの?」
「ん? ミューロンもやると良いよ。気持ちいぞ」
彼女は躊躇いを見せるも、洗顔の魅力に勝てずに俺の隣で水をすくった。
まぁ、女性が汚れを落とす瞬間を見続けているのは男としてどうなのかと思って視線をそらし、一面に広がる田圃に視線を向け、そしてため息をついた。
「後はみんな次第か」
兵力が足りないのが痛い。それに敵に魔法使いが居るか否かで作戦が瓦解しそうになる。
「それでもこれしか無いか。元々、玉砕覚悟の決戦になるんだからな。生き残れるかは天運次第って所か」
「どういうこと?」
ぷはッと顔を手で拭いながら立ち上がった幼馴染が首をちょこんと傾げる。そんなミューロンに「生還出来る作戦は思いつかなかった」とだけ伝えた。
もうこれは作戦ではない。そもそも相手がこう動くだろうと希望的観測を多分に含んだ物を作戦とは呼べないだろう。
それに今の士気の低い中隊ではなす統べなく蹂躙される可能性だって多分にある。てか、士気の崩壊した今、俺の指示を聞いてくれる奴が居るのかさえ怪しい。
そうなれば俺もミューロンも命が無い。このまま逃亡しようにも背後には騎士が控えているから追いかけられて処刑される事間違いなしだ。
一筋の希望に賭けるしかないか。
だが、分が悪すぎる。それでも仕方ない。そうなって当然の生活を前世からして来たんだ。なら、後悔の無いよう生きるしかない。
「ミューロン。こんな事をこの場で言うのは場違いかもしれないが、許してほしい」
「なに?」
「この戦が終わったら結婚してくれ」
「………………はい?」
当然の反応だろう。だが、美しい幼なじみが露骨に「何いってんの?」と言う顔をしているのは耐えられなかった。明日を待つ前に命を断とうか。
「……わたしで良いの?」
「もちろん」
「その、自分で言うのもなんだけど、わたし、この戦争が始まってその、おかしいと言うか、サヴィオンの連中を思い起こすだけでギラギラとした憎しみばかりになっちゃうし」
「そこも良い。なんつーか、俺が女性に求める物全てをミューロンは持ってる。だから――」
顔から火が出そうだった。だが、言いたい事は言った。
これが死を前にした吊り橋効果だと言われても仕方ないとも思っている。
だが、まぁ、言えて少しスッキリしている自分がいるのは確かだった。
「……わかった。良いよ」
「良いの?」
「うん、でも、お互いに生きていたら、ね」
「あぁそれで良い」
少しだけ、重い心が軽くなった気がした。
支離滅裂でどうしようも無いが、すごく良い気分だった。最高の一日と言っても良い。
そして思わずそれを口ずさんだ。
「俺、この戦争終わったら結婚するんだ!!」
「ちょっと! 恥ずかしいよ!」
頬を赤らめるミューロン。そしてその遙か後方で俺達を見張っていた騎士が居づらそうに背中を向けてた所だった。
まぁちょうど死亡フラグが立った所で俺は村に向けて歩き出した。
不思議と心は静かで、泰然としていた。これが開き直りなのか、それとも諦めなのか。もしくはその二つが入り混じったものなのか。
二つの要素を併せ持つ白い花のように――。
主人公復活! 主人公復活!
次回決戦となります!
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




