嫌だ
「点呼、今、何人いる?」
重騎兵達から逃げ込んだ先にあった森は先ほどのよりもだいぶ小振りだったが、それでも身を隠せるだけの規模があった。
そこで散り散りになった部隊をやっとの事で集めてみたものの、その数はあまりにも少ない。
「第一小隊、二十三人だよ」
「第三小隊は十人に減っちまったくそッ」
「そうか。で、第二小隊は?」
見渡しても第二小隊長であるリンクスさんの姿が見えない。敢えて名を呼ぼうとした時、やっと彼を見つけた。
左腕がダラリと垂れた彼は「今んとこ、八人だ」と答えた。
総勢四十一人。
前世のミリタリー知識によれば部隊の三割が戦闘不能になると壊滅扱いとなり、戦闘を継続出来ないと言う。
それは負傷者の手当や後送に人員を割かれるからであり、戦闘そのものやり方が違うこの世界にそれを当てはめて良いのかは疑問だが、少なくともこの中隊での戦闘継続は不可能だ。
なんと言っても誰もが目を伏せて疲れた顔を隠そうとしていない。
戦闘意欲――士気が完全に崩壊している。
だが、敵は待ってはくれない。せっかく包囲を脱したのにまた包囲されては戦死した者に顔向けが出来ない。
――そう、戦死。俺の命令で戦死させてしまった仲間達。俺が殺したも同然の仲間達。
罪悪感で押しつぶされそうにありながらも、表情を努めて固くしたまま言った。
「みんな。疲れていると思うが、いつ敵の追撃が来るか分からない。すぐに出発するぞ」
力無く行軍を再開し、敵の追撃を恐れながら昼夜問わず街道を南下していく。
目的地はここからさらに南にあると言う村だ。そこでエンフィールド騎士団と落ち合う事に成っている。
騎士団は騎士団でその機動力を持って大街道と副街道を縦横無尽に駆けて敵を翻弄しているはずだった。
彼らと合流するために夜でも休む事無く進む。誰も何も言わない。誰も彼も疲労のせいで思考を放棄しているのかもしれない。それはミューロンやハミッシュも、そして俺もそうなのかもしれないと思うあたり、もうダメかもしれんとも思った。
だって敵情を考えて部隊を最適に運用しなければならない中隊長としての仕事を完全に放棄しているのと同義だったから。
ふと、満月に照らされた街道を進んでいて気がついた。周囲に森が無い。
南部に行くにつれて開発されているなとは思っていたが、ここはついに森が切れて周囲は見渡す限りの田畑になっていた。
刈り入れが終わり、枯れかかった背の低い雑草が群をなすそこは身を隠せる場所では無い。
あの森が近くにあって良かった。もし、あの森が無かったらこんな広々とした草原を逃げねばならなかったのだ。
それを思うと悪運があったのだろう。
もっともそれを誇っていいのか分からないが。
その時、一陣の風がそこらを撫でるように吹きわたる。それにあわせてサワサワと雑草が気持ちよさそうに身を震わせた。
――あぁ、エルフなんかじゃなく何も考えない一本の雑草であったらどんなに良かったか。
どんな因果かは知らないが、どうしてこんな身に転生してしまったのか。
いや、エルフに転生したのは百歩譲って良しとしてもどうして俺はこんな戦のど真ん中に居るのだろう。
前世はあくせく身を削りながら暮らしていたのだから少しでもイージーな暮らしていても罰は当たらないはずではないか。
ファンタジーってこう、みんなで協力しあって魔王と戦ったり、魔物を倒したりする世界じゃ無いのか。
なのに当たり前のように人の村を襲って火をかけたり、焦土作戦と言って自国を焼いたり橋を落としたりしてるとかなんて暗黒世界なんだ。ふざけんな。そんなファンタジーがあってたまるかっての。
そんな現実逃避をツラツラと思いながら行軍を続け(運よく追撃は来なかった)日をまたいで朝日を拝んだ頃合いに目的の村に到着する事が出来た。
そこで俺たちはボロボロの鎧に怪我だらけのエンフィールド騎士団から手厚い歓待を受ける事が出来た。少し、生き返った気がする。
「ロートス、生きていたか」
「エンフィールド様こそ。ですが、手ひどくやられました」
友軍と合流出来た事で安堵を覚えた。いや、俺より上の階級の人を見つけられて安堵したのかもしれない。今までは俺がトップになっていてまったく気を緩める事が出来なかった。それが出来て俺は安堵を覚え、そして緩んだ思考が余計な事を考え出す。
俺はもう少しだけでも上手く立ち回れたのではないか――?
例えば街道で敵の増援に遭遇した時、もう少し周辺偵察に力を入れていればあの犠牲は防げたのではないか? そうすれば無様に包囲されずにすんだのでは? そうなれば白昼の突撃なんて事もやらなかったはずだ。
俺が敵情を見誤ったから多くの仲間を殺してしまった。中には見殺しにした連中もいる。
それなのに俺と来たら――。
「――初めからなんでもできる訳ではない」
「エンフィールド様?」
「そもそも、軍の指揮は初めてであろう? 私でも後悔を覚える。貴様が覚えずにいられるものか。
大切なのは、それを無駄にしない事だ」
安易な言葉だが、それでも俺は頷いた。そうしなければ前に進めそうに無かった。今、立ち止まっては追撃してくる敵の騎兵に殺されてしまう。
あぁなんて醜い考え。
己が死にたくない一心で居るだなんて嫌気が差す。仲間を失ったにも関わらず自分の事しか考えていないようではまるでオークのような連中そのものではないか。なんて醜くい生き物なんだ俺は。己への嫌悪に思わずため息をつくと、エンフィールド様はそれを別の意味で受け取ったらしく苦笑いしながら言った。
「ご苦労であった。まぁ私の方もだいぶやられた。せっかく父上が残してくれた騎士団をむざむざと……。
いや、この話はやめよう。だが、とにかく今日までよくやってくれた」
そう、俺たちの作戦は無事に終了し、後はマーズ大河を越えるだけになっている。
「だが、悪い報せが来た」
「……悪い報せ?」
「マーズ大河を渡河中の馬車が橋の上で横転して撤退が遅延しているらしい。エフタル公様よりあと一日、渡河作戦を援護するよう命が下された」
話を聞くと風にあおられて倒れた馬車からはその積み荷もこぼれてしまい、その収集に時間が取られていると言う。そのせいで渡河を待つ行列が出来ており、このままでは敵の追撃を受けてしまうとの事だった。
「我らも追ってきた敵騎士団と数戦交えたが、奴ら、帝国東方辺境騎士団だったのだな」
「知っているんですか?」
東方――その名に心当たりがあった。レンフルーシャーに攻めてきたサヴィオン帝国の第二帝姫が率いる部隊だ。
「馬の背に飾り羽をつけて居たろう? あれは帝国のさらに東方を割拠する騎馬の民の戦装束だ。
彼らは生まれた頃より乗馬を覚え、縦横無尽に戦野を駆ける精強極まり無い騎士団と聞く。
おかげで手ひどくやられてこちらの手勢は七十といない。もう一戦交えられるかどうかも怪しいものだ」
……嫌な話の流れに成って来た。
君も疲れているだろうけど、こっちはそれ以上に休みは無いし、尻拭いもしているんだよと言っていた先輩を思い出す。その先輩はプロジェクトのリーダー役まで背負わされた挙句、失踪してしまっている。
何を言いたいのかと言えば嫌な予感しかないと言う事だ。それも最悪級の。
この状況で最悪の事と言えば――。
「……はぁ。つまり、俺たちを捨て石にする気なんですね?」
「――!? まだ何も言ってな――」
「それくらい分かりますよ。経験があるんで」
「経験……?」
いえ、その話は忘れてくださいと答えつつ俺は天を仰いだ。この気分はいつ以来だろう。あれか。入社した会社がブラックだと知ったあの日以来か。
そりゃ、噂程度にブラック疑惑を持っていたが、同僚が仕事中に怪我をしたのに一切の労災が下りなかった時、俺はそれを確信した。そりゃ残業は多いし、その手当は出ないしでブラックだとは薄々思っていた。いや、なんと言うか認めたく無かったと言うか。
とにかく、その暗い谷の縁にいるような気分を贅沢に味わってから俺は言い訳を口にする事にした。
「まぁ、それにこんな事、考えれば誰だって分かりますよ。壊滅状態の騎士様を置いて亜人が撤退出来るなんて美味しい話がある訳ないじゃないですか」
あくまで俺たち先住種は非支配階級だ。俺達を征服した人間がわざわざ俺達のために血を流してくれるとは思っていない。あの豚のようなエフタル公だって捨て石にするならと義勇軍を指名したのだろう。
「すまない。他に取れる方法が無い」
「あなた方が俺達を救うために玉砕覚悟で事に当たると言う作戦もありますよ。犠牲の順番が逆になるだけですが」
「……いきなり辛辣になったな」
それが話題のすり替えである事には言及しなかった。エンフィールド様の言うとおりだったから。
なんたってこっちは昨日、大勢の仲間を失い、消沈のまま逃げてきたんだ。
その上で死ね同義の命令をされたんじゃ口も悪くなる。
そういや、労災が降りないと嘆いていた同僚が辞表を出したあたりからこんな口調で周囲に皮肉を言っていたっけ。その後、彼と入れ違いに労基から監査が入ったのは良い思い出だ。犯人探しにかり出された時は辟易したが。
「頼む。父の残した騎士団を、そして下賜されたエンフィールドを失ったままこの生を終えたくないのだ」
「俺だってこのまま死にたくはありません。いや、俺達に訂正します。誰だって故郷を奪われたままなんて嫌ですし、死にたくありませんよ」
あぁやっぱり醜い。なんて醜い駄々。どうせ相手は身分の高い騎士様の言葉を俺のようなエルフが覆せるはずなんて無いんだ。
それにこのまま無理を通しても俺の首が跳ぶだけだ。俺を殺して誰か代理を立てて遅滞作戦に当たらせる。死ぬのが早くなるか遅くなるかの違いしかないんだろうな。まったくもってクソだ。
「出来る限りの支援は行う。水も食糧も全て渡そう。その後の事ももちろん手配する」
「死んでは元も子もないでしょう」
「別に死ぬまで戦えとは言わない。友軍の渡河が完了さえすれば良い。その方法は問わない」
一介の騎士にそこまで作戦を変えられる力があるのだろうか。そんな戦いをしていては失敗した時に友軍に損害が及ぶ。
それを避けるために俺達を捨て石にするんじゃないのか?
それを察したのか、エンフィールド様は「エフタル公と密約を結んでいる」と言いながら手を上げると彼の後ろに控えていた従者が一枚の羊皮紙を持って来た。
そこにはエフタル公の字で撤退作戦に必要な装備を融通し、多額の褒章を出すと記されていた。
「それで、これが何か?」
「作戦は失敗しない。ただ、足止めがあれば、ね」
……つまり、エフタル騎士団の多くはすでに脱出し、後は損害が出ても惜しくもない物しか残っていないと言うことだろうか?
だが、その程度の物なら捨てて逃げれば良いだろうに。そんな事もできないのだろうか?
「これはエフタル公の私情命令でもあるから、公にはされていない。だが、命令ではできる限り時間を稼ぐようにとしか言われていない。
それが一日延びたとあれば多少の犠牲が出ても仕方ないが、それでも最後まで抵抗しなければ命令違反に問われる。それを君達にやってほしい。もちろんタダでとは言わない。私に支払われる報酬を君達に分ける事も出来るし、私が君達を推薦して公国騎士位を授ける事も出来る」
「その代わり生きて居たらの話ですか」
そんな事、どんな金を積まれても願い下げだ。絶対にやりたくない。
「……どうか、頼む」
「拒否権は無いのでしょう? まぁどうせ拒否したところで俺を殺して代わりを立てるだけなんでしょうけど」
出来るだけ冷たい声で言い放つ。
それに無言で答えるエンフィールド様に腹がたった。
信用しても良いかもしれないと思ったが、早計だったようだ。
だから怒りも込めて「お受けしようとは思いますが、時間をください」と言って返答を聞かずに手近な民家に足を向けた。
「時間が無い。返答は――」
「時間は取らせません。あぁ、そう言えば村人は? あんまりにも静かじゃありません?」
「疎開させた。少しでも敵の進軍を遅らせるためにここの村は焼く事になるからな。昨日の内に村人は居なくなった。好きな家で休むと良い」
「分かりました」
閉まっていた戸を乱暴に開け、同じように乱雑に戸を閉めた。
多少、不敬罪かなと思ったが、それがどうしたと言うのだ。どうせ俺達は捨て石だ。死ぬのが決まっているようなものならどうとでもなれと言うのだ。
くそ、くそ、くそッ。
薄暗い屋内の物を手当たり次第に蹴りつける。そこに転がっていた桶を蹴り、甕を蹴り、田下駄の入った箱を蹴って、それでも気が収まらずに土足のまま居間に上がり込んで銃を投げ捨てる様に放って大の字に寝ころんだ。
そりゃ今までだって絶望的な戦況の中に居たが、それでも生きられる可能性のある戦いだった。だが、今回はどうだ?
生きられるたってそりゃ、建前のようなものだろ?
そんな戦場になんで俺が行かねばならないのだ。
――あぁ、これがツケなのだろうか。
今までのような穏やかな暮らしをしてきたツケなのだろうか。それとも多くのサヴィオン兵を殺してきた事のツケなのだろうか。
あれだけ殺したのに俺だけ死にたくないと言うなと言う事なのだろうか。
嫌になる。何もかにもが嫌になる。そして脳内の想いが収拾のつかない嵐のように暴れ出す。
人を殺す抵抗感も仲間を失った悲しみも村を焼かれた怒りもがごちゃごちゃに混ざりに混ざって判然とせずまともな思考が出来なくなっている。
いっそのこと全てを投げ出してしまいたい。それこそ、プロジェクトを放り投げて失踪した先輩のように。
「………………ロートス。入るよ」
乱暴にしめた戸が開き、背後からミューロンの鈴のなるような声が響く。俺は彼女と目を合わさないようにのそりと起き上がって背を向ける。もう構わないで欲しかった。ただ一人にしておいてほしかった。
だが、彼女は去る事無く、静かな足音と共に真後ろまでやってきた。なんとも言えない沈黙が過ぎていく。そのまま諦めて帰ってくれるだろうと思った。
だが急に柔らかい彼女の手が肩に、柔らかい胸が背中に当たる。
いい匂いだ。あんな逃亡生活をしていたと言うのにミューロンの香りはなんて甘いのだろう。そしてなんと温かいのだろう。張りつめていた心の堤防が決壊しそうになる。
「……嫌なんだね」
その通りだ。
「逃げたい?」
もちろん。
「逃げて」
やっとの事で「どうして?」と言う言葉を絞り出す。
「だって、ロートスは長になるのが嫌だったでしょ? おじさんも薄々気づいていたようだけど」
長……。中隊長の事かと思っていたが、村長の話だったか。
確かに嫌だった。昔から長とつくものは苦手だった。
代理でプロジェクトのリーダーになっても俺はみんなと取りまとめるのが下手だったし、あれが成功とはほど遠い物に仕上がった事を俺は一番よく知っている。
それにみんなから寄せられる重圧が嫌だったのもある。
「ロートスはがんばったよ。だから、逃げて」
優しい吐息が首筋にかかる。詰め込んできた全ての物が胸のうちから暴れ出し、止められなかった。
気づけば背後にいたミューロンを乱暴に取り押さえ、彼女の上に馬乗りになっていた。
「ちょ、ちょっと!」
抗議の声も綺麗だなと場違いな事が思い浮かんだ。そして自分を拒絶するような声が余計に理性を委縮させ男の本能に任せて襲ってしまいたいという欲求を生む。それに今の体勢は獣欲のままに事を運びたいと思うほど甘美なままだった。
だが、俺はそのまま動けなかった。
「……ロートス?」
「………………嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。撤退戦なんて嫌だ。うんざりだ!」
今まで溜めていた物が溢れだした。もう止める事の出来ない奔流が俺の中から溢れ出した。
絶賛アムロ君状態。
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