あぁかみさま
「【永遠に燃え続ける柴よ、天の声と共に啓示を伝える赤色の光よ、行く手を指し示す声よ、我に力を貸し与え給え】」
熱風が頬を撫でる。木の影に隠れてサヴィオン帝国の陣容を伺っていると偵察結果通りの敵が広がっていた。
相手は馬の背に二本の飾り羽をつけたプレイトメイルの重騎兵が五十人。
そのうち五人ほどが下馬して複雑な魔法式を作り上げている。
彼ら彼女らの足元には総じて一メートル四方ほどの紙が敷かれ、手には得物では無く身の丈ほどの杖を持っているのが気になる所だ。あれが魔具と言う奴だろうか?
「【炎よ】」
その言葉と共に魔法式よって変換された魔素が炎に変化して森に襲い掛かる。
ヤバイ。なんであいつらあんな強力な魔法を易々と使ってられるんだ?
【炎】って確か竈に火を起こすレベルの魔法だったはずだ。複数人が同時に詠唱しているとは言え、ここまで大規模な一気に起こせる代物じゃ――。
いや、これが帝国の秘密兵器なのかもしれない。
あれほどの物をやられてはそりゃ方陣は瓦解するだろうし、城も落ちる。どんな原理でそれを行って居るのかはサッパリわからないが(そもそも魔法の原理自体よく分かって居ないが)、とにかくあれが脅威である事は分かる。
「で、どうやって突破するつもりなんだ?」
ザルシュさんの言葉に俺は答えずにそろそろと後退していく。頬を撫でていた熱気が遠ざかり、少しだけ寒さを感じた。
それでも頬に少し残った熱気が鬱陶しい。
「小隊長集合してください」
と、言っても近くにいたリンクスさんとザルシュさんにミューロンを加えたいつものメンバーが身を寄せあうだけなのだが。
「この前方二百メートルくらいの所に森が見えました。強攻して森に逃げ込めれば包囲を突破できます」
炎をなげかける魔法使いのさらに向こう、そこに広がる森に一縷の望みを託そうぜと言うことだ。
もっともその森がどれほど深いのか、敵は周辺にいないのかなどそこに逃げ込んでも安全が必ずある訳ではないが、俺は断定したように言った。
ここで「かもしれない」と言ったら信用が失われて部隊が崩壊する。そうなっては各個に撃破されるだけだ。
全員で生き残る道を探すなら一丸となっていなければならない。
「でもロートス。こっちには五十人も騎士がいるじゃない。わたしが南を偵察したからわかるけど、やっぱり無理よ。それにあんな凄い魔法使いまでいるんだよ」
「エルフの偵察によれば東はまだ敵の数が少ないんだろ? それに火の手も弱いと言う。そっちに逃げるほうが得策だ」
ミューロンとリンクスの言葉に俺では無くザルシュさんが鼻をならして答えてくれた。
「そりゃ、罠に決まっとろう。わざと一カ所だけ包囲の輪に穴をあけてそこに獲物が逃げ込んだ所を伏兵で攻撃する。戦の定石だ」
「ザルシュさんの言うとおりです。故に、包囲のもっとも厚い地域を突破します」
南からの脱出にはこれ以外にも街道沿いに南下すればエンフィールド騎士団と合流するためと言う算段も含まれいる。
どちらにしろ撤退まであと一日、すぐに国境を越えられるよう南下する必要があるのだから南に逃げる方が合理的に思えた。
「攻撃は一度だけ、第一小隊が敵を混乱に陥れるのでその隙に各自は森に向かって走ってください。
第三小隊は惜しいですが臼砲を放棄してかまいません」
「だな。あんなもん持って逃げたんじゃすぐに騎士に追いつかれちまう」
「ただ、火薬と火縄は捨てないように。では他に質問は?」
一同を見渡して誰もが緊張の色を浮かべている事だけを確かめて「では、事後は戦闘態勢を整えて待機。突撃は第一小隊の攻撃の後、命令を下す。解散」と指揮官らしい言葉を選んで締めた。
そろそろと己の小隊に戻っていく背中を見送りつつ、手のひらにかいた汗を地面に擦り付ける。
白昼の正面突破作戦。
いや、これただの万歳突撃じゃないのか? 玉砕覚悟の突撃なんて何になるんだ。だが、他に取れる手が無いのは確かだ。確かだが、これって自殺行為じゃないのか?
一か八か夜陰まで待つか? いや、その前に焼け死ぬか煙に巻かれて死んでしまう。なら今、突撃する方が勝機がある、のか?
「――緊張してる?」
鈴のような声に幼なじみを見ればクリリとした碧の瞳が静かに俺を見返していた。
その居心地の悪さと灰の臭いに咳をしつ素っ気ない態度を維持する。
「別に……」
「大丈夫だよ。ロートスの立てた作戦なら」
「……なんでそう思えるんだよ」
「だってそれしか無いし」
心にヒビが入った音がした。そりゃ愚策ではあるがこれしか無いはずだし、どうすりゃ良いと言うんだ。
「……なんてね。素っ気なく返したお返し」
「はぁ……。まったく」
ミューロン以外に気づかれない様にため息をついてからポーチを探る。さっきハミッシュからもらったカートリッジを無造作につかむ。半分より多い量を握り、それをミューロンに渡した。
「ほら。これが最後だから大事に使えよ」
「ありがと」
彼女はカートリッジを大事そうに抱えると、細い指で丁寧にポーチにしまっていく。
几帳面だな。
その優しい仕草に胸が高鳴るのを覚えつつ、俺は自分の銃に弾丸を装填する。
さて、その所作を終えて第三小隊の方に行くと荷車から火薬の入った包みを荒縄でリュックのように縛り上げ、準備を整えていた。
「まもなく攻撃を開始します。戦闘用意!」
ドワーフの周りに声をかけ、獣人達で構成される第二小隊にも顔を出す。
誰も彼もが俺を信頼するよう見ているせいで居心地が悪い。
「リンクス。いよいよなんで頼みます」
「おう。任せとけ。で、戦闘はどうするんだ?」
「出来るだけ避けてください。第一に逃げる事を心がけて」
「分かった。まぁ、今までの所あんたの作戦なら上手く行ってる。敵さんが意表を突かれて驚嘆している顔が浮かぶぜ」
「過信はほどほどに。では行きましょう」
そして第一小隊に横隊を組むよう命令し、ジリジリと燃えたぎる森の近くに移動する。
狙うはまず魔法使い、そして馬、騎士の順番だ。
これだけ派手な攻撃が出来る魔法使いを放置する事は出来ない。そして馬をやれれば敵は機動力を奪える。まずは逃げなくては。
「攻撃は中隊長のそれに続くように。構え」
腐葉土の上に腰を下ろし、木に寄りかかるように膝射姿勢を取る。乾いた唇を薄らと濡らしながら撃鉄を完全に起こす。
緊張と恐怖で呼吸が乱れ、心臓が乱暴に動く。そのせいで照準が上に下に、右に左にぶれていく。くそ、距離だって五十メートルくらいだってのに。
大学射撃じゃこの距離で点数を競っていたが、あの頃よりだいぶ難易度があがっているようだ。
――落ち着け。
銃床にピタリと張り付けた頬を引き剥がし、大きく息を付く。
そして再度照準。肺の中の空気を少しだけ吐き出し、止める。
そして撃つ。
火花と白煙が視界を覆い、それに続いて残り三発の銃声が響いた。そして弦が矢を射出する曇った音が追々し、悲鳴が漏れる。
「目標、前方の森! 突撃にぃ進めッ!」
素早く銃を背負い、小刀を抜いて移動方向を指し示す。
そして獣の唸り声のように醜い叫びをあげて中隊が走り出した。
それはまさに追い立てられた一匹の獣が森から飛び出すのと同じであり、誰もが狂ったように足を動かしていく。
「なんだあの音は!? 馬が暴れて――!? くそ、敵襲! 敵襲!」
「魔法使いを守れ! それと馬を落ち着かせろ!!」
「うああ、足が!! おれの足があああ!!」
騎士達の悲鳴と混乱。
上手く行った! 上手くいったぞ!!
銃声に驚いた馬をなだめるので手一杯の騎士達の鼻先をかけながら思わず「く、フハハ!!」と笑い声を漏らしてしまった。
目標の森までおよそ二百メートルほどあるが、嘶く馬を相手にする騎士達の慌ただしさに腹の底からおかしさがこみ上げてきた。
狂気の叫びの中に響く俺の声がひどく気味悪かったが、それでも笑わずには居られなかったのだ。
愉快な出来事だ。きっと俺たちをやりこめたと信じている敵の指揮官はこの出来事に悲鳴を上げ居るだろう。
ざまぁ見ろ!
手のひらの上だと思っていた亜人にしてやられてどんな思いでいるんだ?
何とも言えぬ快感にさらに破顔してしまう。そして森めがけて走りながら敵の指揮官を罵倒し続け――。
その時、背後を業火が襲った。
「【炎よ】」
その叫びに振り向くと最後尾を走っていたドワーフの一人が炎の渦に飲まれる瞬間がよく見えた。
討ち漏らしていた――!?
「走れ! 走れ!」
だが、追撃は魔法に限らなかった。
混乱を素早く脱した騎士が追撃してきたせいで誤射を恐れて魔法をやめたのだ。
その騎士は今まで戦って来た革鎧の軽装な連中では無く、全身を白銀のプレイトメイルに包んだ重騎士であり、彼らの得物である長大な槍が逃げ惑う背中に突き立てられていく。
一方的に逃げまどうエルフを、獣人を、ドワーフを刺していく。俺達がしてきたように慈悲の欠片なく奴らは俺達を殺しに来ている。
「振り向くな!! 走れ!!」
背後から激しい馬脚の音が響いてきた。森まで百メートルほどか!?
もう振り返る余裕も無く、笑みはただひきつり、足は今までの酷使で悲鳴をあげている。それでも全てから逃げる様に、死からも逃げる様に足を動かしていく。
心臓がさっきとは比べものにならないほど踊る。肺は新鮮な酸素を求めて張り裂けんばかりに痛み出す。
後ろからは馬に取り付けられた飾り羽が風を切るバタバタと言う恐怖の唸りが聞こえてくる。
ダメだ。意識が朦朧とするし、胃が運動に耐えきれずに口から飛び出しそうだ。
だが、それでも走る。走らなければ死しか残っていない。
そして気づくと森の中に居た。いつもは気にもならずに避けられる木の根に躓き、全力疾走のまま滑り倒れた。
全身が痛む。
倒れた際に出来た切り傷が、酸欠になった胸の奥底が、限界を迎えようとする足の腱が痛む。
それに加えてひどい吐き気が襲ってきて、その衝動のままに胃の中の物をぶちまけた。
そう言えば凄惨な戦場を見て吐き気を覚えた物だが、こうもハッキリと戻したのは初めてかもしれない。
喉に残る不快感と倦怠感に押しつぶされそうになるが、最後の意地で振り返る。
俺に続いて次々と中隊員達が森に入ってくる。その中にミューロンを見つけた時、すごくほっとした。それこそ意識を手放しそうになるほど安堵した。
それから親友のハミッシュを見つけた時こそ、半分だけ意識が飛んだ。
だが、そうしても居られない。
ストライキを起こそうとする体に鞭を打ち、立ち上がると「もっと奥へ!」と叫ぶ――。しかしその声は酷く掠れていた。吐いたせいか、呼吸が乱れているせいか判断が出来ない。それでも喉を震わし警告を発する。
その上、逃げ込んでくる仲間達の背を押して逃げるよう言う。
中にはうずくまって動けない者もいたが、それを種族の別なく叩き起こして走らせる。
ふと、森の外を見れば逃げ遅れた連中が騎士になぶり殺しにされている光景が見えた。この上なくハッキリと。
助けなくちゃ――! そうは思っても動けない。そもそも方法がない。ここまでやられては何発か銃を撃った所で焼け石に水だ。それより生き残りをとりまとめてエンフィールド騎士団と合流した方が良いと冷静な部分の俺が言い放つ。
それに対する反論を考える、考えるも、思う浮かばない。
唇を噛みしめて悲鳴に背を向け、そして逃げた。
勝利の余韻など消え去り、ただ無様な今が打ち寄せる。それを後押しするように聞こえる悲鳴に耳を閉じたくなった。
だが、俺はそれをしない。いや、出来なかった。
それが出来るほど俺は剛胆では無かったし、悲鳴とも罵声ともつかぬ叫びを聞いている方が心安らいだ。そうやって自分を傷つける事で罪を一身に背負い込んだような気がして、悲劇の主人公にでもなったようでそれに酔えそうだった。
そんな自己弁護をしながら森の奥を目指す。
何故、こうなってしまった?
答、当たり前だ。
そもそも白昼の万歳突撃で勝利をつかめる訳が無かったんだ。
てか、方陣を組んでいない歩兵なんて騎兵に殺してくれと言っているも同然では無いか。
もう少しだけでも馬が銃声に驚いていてくれたら――。
あの魔法使いが居なければ――。
いや、そもそも公都で遅滞作戦の命令が下った時に全力で拒否していればこんな事にはならなかったかもしれない。
てか、中隊長に任命されなければ白昼突撃だなんてバカな命令なんて出なかったかもしれない。
命令されてしまったから、俺が命令してしまったからあいつ等は死んでしまった。
俺のような奴が命令を発したばかりに――。
みんなの信頼を裏切り、多くの血を流させてしまった――。
あぁかみさま――!!
どうしてなのですか!? どうして俺なのですか!?
世界を創ったかみさま! どうしてこんな仕打ちをなさるのですか! 俺はただ静かに暮らしたかっただけなのに!!
爆発寸前感情をギリギリの所取り繕う。まだ完全に敵から逃れたとは言いがたい。
まだ中隊長としての仮面を被らなくてはいけない。
ぐちゃぐちゃに乱れる思考の中で今しなければならない事を羅列してそれに優先順位をつける。悲しんだり嘆くのは最後の最後だ。
まずはエンフィールド騎士団と合流だ。
あと一日とは言え、敵はあの森を大々的に包囲していた。その集結には騎兵とは言え時間がかかるだろう。
うまくすれば明日は一戦も交える事無く国境をわたれるかもしれない。
うん、そうだと良い。
それだけを望んで俺は泣いているような、それでいて笑っているような、だが、冷静であるような顔で森の奥に足を進めた。
ちと最後が鬱っけですいません。
もうちょっとで再起予定です。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




