悪夢・1
前章までのあらすじ。
サヴィオン帝国の猛攻を耐え凌いだアルツアル王国。
アルツアルは第三次アルヌデン平野会戦においてサヴィオンを下すことに成功し、王都アルトへの攻撃拠点となっているマサダ要塞攻略の足掛かりを得た。
そんな華々しいアルツアルの活躍に対し、エフタル公国は政治的主導権を回復すべくサヴィオン本土への侵攻作戦に踏み切る。
それに巻き込まれたロートスの明日はどっち!?
眼前に豚が居た。距離は十メートルも離れていないだろう。
その豚を見ていると不思議とふつふつとした怒りが沸き起こって来る。
ふと、気がつくとベレッタ社製の上下二連式散弾銃が両手に収まっており、トップレバーを引いて銃身を折ると二つの十二ゲージの実包が装填しているのが見て取れた。
これはちょうどいい。散弾銃を構え、引き金を絞る。上の銃身から轟音が迸り、実包が発射されるが豚は一瞬にして横へ移動してなにもない空間を散弾がえぐり取る。
くそ、外した。
素早く照準を修正したところでポケットから着信音が響く。そんなバカな。電源を切っておいたはずなのに。そう思いながらポケットから携帯を取り出して耳に当てる。
『ロートス大尉か? エンフィールドなんだが、何かほしいものはあるか?』
「はい?」
『実は先方から仕様の変更をお願いされてね。悪いけど社に戻って手伝ってほしい』
「いや、でも俺、有給取っているんですけど」
『有給? そんなもの我が軍には存在しないよ。それより早く来てくれ。納期まであと四時間しかない』
「え? そんな無茶な」
するといつの間にか眼前に電話の主であり、美の女神によって作られたと錯覚しそうなほど完成された相貌を持つ騎士が困り顔で立っていた。
「君にしか頼めないことなのだ。やってくれるね?」
「いや、でも――」
「さぁ頼んだ」
景色が暗転し、俺は慣れ親しんだデスクに座っていた。あ、そうだ。早く仕様変更しないと大変なことになる。
仕方なく散弾銃を脇に置き、キーボードを打ち出す。
「ロートス! お疲れさまなのじゃ。お茶を持ってきたぞ。あ……!」
いやな予感と共に振り向けばそこには幼女と見間違う親友が盆を手にしたまま倒れ伏そうという瞬間があった。もちろん盆だけではなく、そこから放物線を描く湯飲みがあるのは言うまでもない。
それはもどかしいほどゆっくりと俺のデスクに転がり込み、その中身をぶちまける。
「ああッうぁあああッ!?」
急いでパソコンを持ち上げようとするが、叶わずにデスクへ抹茶色の液体が散りばめられる。それと共にスクリーンが青色に染まってしまう。
頭の中が真っ白になり、呆然となる中、ぴしゃりと肩を叩かれた。
振り向くと黒髪の女性が気まずそうに立っており、書類を無造作にこちらへ差し出してきていた。
「これ、さっさとコピーして部長に渡しておいて」
「リュウニョ殿下!?」
「は?」
「い、いやなんでもない。コピーね」
この人は龍の国の姫君じゃなくて、その姫君に瓜二つの元カノの方か。
さっさと会話を終えたいが一心に仕事を増やしてしまった事を呪いつつコピー機に向かうとそこには青い髪に冷たい相貌をいただいたイザベラ殿下が待っていた。
「あ、あの何かご用でしょうか」
「部下の仕事の様子をこの目で見ておきたかったから」
そんな理由で来るんじゃない。こっちは忙しいんだ!!
だがそんな心の叫びが通じるはずもなく、イザベラ殿下の視察が終わるのを待ち、やっとのことでコピーをとって部長の元に行くとそこには赤髪に灼熱色の瞳を持った少女が居た。
「久しいなロートス」
「げッ、アイネ!?」
「く、フハハ。仕事をやる! 仕事をやるぞロートスッ!!」
どさりどさりと書類の束が投げつけられる。それに溺れていると一発の銃声が響き、アイネがばたんと倒れた。
振り向くとそこには満面の笑みを浮かべた天使が居た。
「これで静かになったね」
金色に輝く髪。透き通るような肌。深き湖を思わせる碧の瞳。全ての者を許すような優しい笑みを浮かべた彼女は口元を笑顔の形にして言った。
「ロートスの仕事、わたしがやっといてあげるね」
一枚の絵画のような美しい笑みを浮かべた彼女は気づくと俺の散弾銃を器用に操作し、次々とオフィスに居る者達を射殺してく。
狙い違わずバードショット弾が人々を挽き肉へと変えていき、トップレバーを引くごとにエキストラクターが殻になったショットシェルを吐き出す。
「み、ミューロン、さん?」
「んー?」
愛おしい彼女の名前を呼ぶと返り血にまみれた彼女がニッコリと良い表情を浮かべながら振り返ってきた。
「いや、これは、やりすぎなんじゃ、ないかなって」
オフィスのあちこちに空いた弾痕。外装が剥がれて大破したコピー機。血塗れで倒れ伏す同僚たち。
これはまずい。
「どうして?」
「え?」
「どうして? わたしはロートスのためにやったんだよ」
「いや、でも――」
「わたしはロートスが喜んで欲しくて、やったんだよ」
「でもこれは――」
「ロートスのためにやったのに!!」
彼女がショットガンの銃口を向け、引き金が絞られる。
すると思わず仰向けに倒れてしまった。
ははは。まったく。銃声で倒れるとか俺はなにをやっているんだ。
あれ? 起きあがれない。胸から赤い液体が流れている。
その時、再び着信がなり響いた。億劫だが、それに出てみると鳥を思わせる騒がしい声が飛び出してきた。
『あー? もしもし? ヤーナはヤーナなんだけど、頼んでいた企画、クライアントが再度仕様変更したいって。納期は二時間後でオーケーしたからよろしくね』
「……出来るわけ、ねーだろ」と言えたらどれほど良かったろうか。薄れゆく意識の中、俺は「はい、かしこまりました」と言ってしまっていた。
◇
「は!?」
飛び跳ねるように起きあがって周囲を見渡すと薄暗いテントの中にいることに気がついた。
じめっとした熱気が籠もるそこは寝苦しいという言葉では足りないほど悪環境であり、気温とは別に吹き出していた汗が体中を濡らしているせいで不快指数が計測不可能なまで高まっている。
「夢、か。はぁぁああぁぁ……。なんで転生してまで働く夢を見なくちゃならないんだよぉ……」
あぁ! かみさま――!
これはあんまりなんじゃないんですかね!
「んぅ……」
ふと隣を見ると幼なじみエルフが寝苦しそうに寝転がっていた。起こしてしまうところだったな。
「寝てる、な? よかった」
少し換気でもするかと布をめくる。すると外は相変わらずの雨であり、そこでやっとテントを雨粒が叩いていることに気がついた。
「まじかよ。どうりで湿度が高いわけだ」
雨が吹き込んでくるのを防ぐためにやむなく布を戻すが、そこでぽたぽたとテントが雨漏りしている事に気がついた。
油を塗り込んだ布を使っているとはいえ、限度があるらしい。
そんな中、再びごろりと横になるが、眠気はやってこない。
「頭に水滴を垂らす拷問があるって言うけど、その通りだな」
悪夢の余韻が残るせいというのもあるのだろうが、目覚めてしまった手前、寝付く事は出来なかった。
まだ暗いテントの中でつらつらと思い浮かぶのは昼間の作戦会議だ。
これからエフタル義勇旅団はアルツアルのマサダ攻略の支援として第二次台風作戦を実行するために北上する。それにロートス大隊もついて行く事になっており、休む間もなく別の戦線にいかねばならないという。
「あぁ。転職してぇ……」
でも転職までもう少しだったのだ。本当なら今日の作戦会議でエフタル義勇旅団からアルヌデン支隊に編入される旨伝えるはずだったのに……。
「『台風』作戦終了後にアルヌデン支隊に編入って……。まじかよ。辞めるんだから有給消化させてくれても良いじゃん……」
そう言えば俺、最後の休暇っていつだったけ? と思いだそうとして、やめた。だって思い出せないのだから。
やっぱり有休って神話か何かだったのかな。
「あーあ。働きたくねぇ……」
しとしとと降り続く雨の中、ぼけぇと過ごしているとラッパの音が響きだす。起床時間だ。
だというのに体は重く、なんだか急に疲れと眠気が身体を襲ってくるから不思議だ。さっきまで眠れなかったのに。
「もう起きるか。ミューロン、朝だぞ」
「うん」
もしかして起きていた? と疑う速さで身を起こして小さく伸びをするミューロン。その小さな鼻先にぴちゃりと雨水が垂れた。
「このテントも油を塗り直さないとだめだね」
「そうなんだけど、時間があるかな?」
湿度と連日の雨でぐっしょりした下着を取り換えようかと思うも予備もすでに泥まみれになっていることを思い出してげんなりする。
だが軍帽を頭に乗せたミューロンがテントを開けると「やんできたよ」と地面に手をつきながら嬉しそうな声をあげる。
「どれどれ」
彼女の隣で空を見上げると確かに雲が明るくなりつつあり、猛スピードで空を流れていた。うん、この分だと昼には晴れるかもしれない。
そうなれば湿った衣服も乾かせて多少は幸せを感じられるかなと思って横を見ると若干日焼けしているものの十二分に色白な肌、小さくもぷっくりとした唇、湖を思わせる深い碧の瞳が間近にあり、呼吸はおろか心臓さえも止まりそうだった。
「ろ、ロートス?」
じぃっとカメラよろしく今の後継を網膜に焼き付けているとミューロンが顔を赤らめつつそっぽを向く。その恥ずかしさに震える姿もまた愛らしい。なんだかムラっとくるが、その欲望を封じ込めつつテントを出る。
そしてミューロンと共に連隊司令部に向かい、そこで上司と会食となるのだが……。
「……う、うぅ」
ドロドロのオートミールの格別な味を堪能していると俺って本当に貴族に叙任されたっけ? と疑問を覚えてしまう。
だが貴族らしい贅沢が出来ないのは我らが上司――ジョン・フォルスタッフ・エンフィールド様も同じようだ。
稀代の美しい相貌はこの暗雲の中でも輝いているようで、それが彫刻ではなく生きた人間であることに疑問を覚えるほどである。
そんなエンフィールド様の前にもオートミールの粥が供されているが、不釣り合いなのは言うまでもない。この人、朝はフルーツと紅茶しか飲みませんって顔をしているが、しっかりと食べているのだなっと思いなおすほどだ。もっとも紅茶とかこの世界じゃ見たこと無いけど。
「どうしたのかね? ロートス大尉」
「い、いえなんでも。そ、それより本日のご予定は?」
「この後、エフタル義勇旅団司令部に出頭だな。『第二次台風』作戦の詳細な作戦会議がある。もちろん君も出席するのだよ」
うへぇ。不味い飯がより喉を通らなくなる。
いや、毎日ご飯が食べられるだけありがたいものだ。村に居た頃などいつも空腹だったし、こうして食べられるだけでも感謝しなければならない。どうも最近はこうした飽食に慣れてしまっていけない。
「その後は兵站業務だな。あぁ、あと捕虜の移送もやらなくてはな」
「捕虜の移送ですか……?」
ふとテーブルを見ると作戦書類や兵站計画書を踏みつぶして塩の入っている小瓶が目にはいった。さすが貴族の天幕はこういうのもしっかり行き届いているのね、と思うとミューロンがサッとその瓶を取ってくれた。
「ありがと。それで、捕虜の移送ということですが、居るのですか?」
「ロートス大尉、君と違って私は捕虜を取るのだよ。その移送を君の所に頼みたい」
それはちょっと引っかかる言い方だな。否定はしないけど。そういや確かに俺の大隊は捕虜を取った試しがない。
ふと気がつくとミューロンのコップの水が消えていた。貴族特権でついた銃兵にちょいちょいと手招きしてお冷(真水)を入れてもらう。
「あ、ありがと、ございます」
「……話は変わるが、君達は――」
エンフィールド様がスプーンを皿に置き、微笑みながら静かに言った。
「いつ結婚するのだったかな?」
「ぶふぅ!?」
オートミールが飛び散り、書類にぽたぽたと白濁したものがかかってしまった。もちろん食を共にしている幕僚の方から凄まじい殺気が飛んでくる。ゆ、ゆるして。ゆるしてください。わざとじゃないの。
そして隣を見ればスプーンを口に入れたまま固まる幼馴染。あ、唇の端から涎垂れてる。
「あ、あの、失礼ながら今はそのような話は――」
「いや、なに。君達を見ているとつうかあの仲とはこの事だと思ってね。皆もそう思おう?」
すると幕僚の幾人かは呆れを滲ませながら頷かれ、その他はわれ関せずというように黙々とオートミールを口に運んでいる。
「もう互いの事で知らないことなんてないんじゃないかな?」
「は、はぁ……」
確かにミューロンとは彼女の両親が三年前の流行り病で亡くなってから同じ屋根の下で暮らしてきた。もう家族も同然な関係だし、ほぼ知らないことはないはずだ。それに彼女もまた俺の事を知っている、と思う。
いや、違うな。ミューロンは俺が持つ前世の記憶のことは深くまで知らない。たぶん『いつもの変なこと』くらいにしか思われていないだろうけど。
唯一の隠し事と言えばこれくらいかな?
「それより捕虜の移送でしたね。ロートス大隊でやるんですか?」
「君の所は特に手ひどくやられたから後方に下げる必要があるからついでだと思ってくれ」
ロートス大隊は先の第三次アルヌデン平野会戦において壊滅的な損害を被っており、すでに戦闘単位から除外されている部隊だ。故に再編のために後方に下がって休養と新兵の補充を受けねばならない。
「後送の件は嬉しいですが、ロートス支隊は『第二次台風』作戦に参加せねばならないのですよね? もう支隊を編制する余裕はありませんよ。その上捕虜移送のために戦力を割るのでは――」
「支隊に必要なのは君の戦力ではなく支隊長としての君の名前だろう。恐らく君の大隊から戦力を抽出して、ということはないはずだ。そうした諸事情も踏まえ、詳細が会議で知らされると思うよ」
自分も何を命じられるか分からないという様に肩をすくめる上司にこっそりため息をつく。
しかし仕事を割り振られたのなら遂行するのがサラリーマンだ。サラリーマンじゃないけど。
「捕虜は我が第四四二連隊戦闘団のエンフィールド騎士団を母体にした部隊が管理しているから今日中に引継ぎを頼む。明日には出発できるようにな」
「了解しました。ミューロン、そっちの方は頼める?」
「……サヴィオン人は嫌いだけど、ロートスの代わりにがんばるよ!」
さすが天使……! でも口元がへの字になっているのは見なかったことにしよう。
そして朝食を飲み込めば課業が始まる。あー。昨日は昨日でサヴィオンと大立ち回りしたんだからお休みしたいなぁ。
取りあえず思うだけならタダなので休日はミューロンと何するか妄想しながらエフタル義勇旅団の司令部にエンフィールド様と向かうのであった。
長らくお待たせしたので初投稿です。
他作が一段落したため更新再開となります。またよろしくお願いいたします。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




