第三次アルヌデン平野会戦・終
二〇一高地の突破を阻止すべく、ロートス大隊の面々は降りしきる雨などおかまいなしというように水没を始めた塹壕にスコップを入れてむなしい排水作業と並行しながら部隊の再編とてつはうの再分配を行っていた。
「くそ、もう四発しか残ってねーのか」
「仕方ないだ。この雨だで、濡れてないものが残っているだけめっけもんだ」
それもそうかとリンクスはこぼしつつ汗と硝煙を流してくれる雨粒を拭いつつ自慢の狼耳をひっかく。
「おい、てつはうは全部第四中隊に渡せ」
「良いのかリンクス」
パチクリと目をしばだたかせるナジーブにリンクスは「オークの方が投擲距離が長いからな」と返しながら雨水を吸って形の崩れた軍帽をかぶり治す。
豪腕を誇るオークの方がてつはうの運用に向いていると彼は気づいたのだ。
もっとも頼みのてつはうも残りわずかであり、この集中運用がどれほど効果があるのかリンクス自身も不明であった。
それでも火器が使えぬ現状、てつはうは貴重な火力であり、頼みの綱でもある。
「テメェ等はまだやんのか。大尉さんの気狂いが移ったのか?」
そんな二人の中隊長のやりとりをこの場に残された先任下士官となってしまったアンリが恨めしそうに睨む。
「やるに決まっているだろ。今までもこれからも生き残るためには戦わなくちゃならないんだ。そうやって戦い続けてきたからこちとら生きてられるんだぞ。まぁ大隊長の気狂いは否定しないが、気狂いで言えばてめーこそ一番の気狂いだろ」
「オレァは壊すのは好きだが壊されるのは滅法キライなんだよ」
「都合の良い野郎だ。だが逃げたきゃ逃げて良いぞ。その時は脱走の罪でぶっ殺してやる」
「くそ、テメェこそ覚えてろよ駄犬。テメェもいつかぶっ壊してやる……!」
いつでも牙を剥きそうなリンクスに獰猛な笑みを浮かべるアンリ。
そんな二人にナジーブが辟易を覚えていると歩哨から「敵に動きあり!!」の報告が飛んでくる。それと共に空を裂くような擦過音が近づいて――。
「魔法だ! 退避! 退避!!」
絶え間なく降り注ぐ雨を氷結させた魔法が次々と丘を抉りだす。
そんな中を塹壕に退避してきたリンクスは足首が完全に水につかることに気がついた。
このまま雨が降り続ければいずれ身動きをとるのもやっとの状態になるだろう。
「たく、サヴィオンもそろそろ退いてくれねーかな」
頭上をふと見上げると氷の塊が曇天に浮かんでいるのが見えた。それは急速に大きくなり、丘の頂を潰すように着弾した。
先ほどまでは氷塊を直撃させるような軌道で投射してきたサヴィオン軍だが、それでは稜線を巧みに使って隠れる兵を攻撃することが困難であると悟ったためか、今は放物線を描くように高弾道で氷塊を投射し始めていた。
そのため真上から降り注ぐ魔法の直撃を受けた場合、塹壕では防ぎきれない攻撃となったものの、それは直撃出来た場合の話だ。
塹壕に身を隠す事で周囲の土塊や氷片が飛び散ってもそれらが頭上を飛び越していくため損害らしい損害もなく、低地から高地を攻撃するサヴィオンでは正確な塹壕線を把握できず、弾着修正も大ざっぱにならざるをえないため有効射はなかなかやってこなかった。
その上、塹壕という陣地に閉じこめられたロートス大隊はそれ以外の逃げ場などなく、例え塹壕を脱したとしても待っているのは魔法の洗礼とあって士気の低い新兵から『脱走』という選択肢を奪っていてくれた。
それがついに二百名ほどまでに戦力を落としたロートス大隊が継戦出来る理由であり、サヴィオンを苦しめる理由であった。
「魔法が止んだな。くるぞ! 敵騎兵に備えろ!!」
そして魔法が止めば今度は敵兵がやってくるのが道理であり、リンクスは着剣状態の愛銃の様子を点検して立ち上がる。塹壕に身を寄せるような部下達もそれに習い、得物の様子をチェックしながら身を寄せて槍衾を作る用意に移る。
「良いか!? 騎兵は狙わなくて良い! どうせ甲冑に阻まれて禄に攻撃できないんだ! それより馬を狙え! 馬だぞ!!」
血と硝煙。泥水と脂と雨に支配された兵士達が逃げ場のない塹壕で健気な抵抗を示すべく、来る騎兵を待つ。
だがやって来たのは馬脚の響きではなく、蛮声をあげる歩兵達であった。
「――!? 馬を下りたのか!?」
見れば歩兵達は傭兵が身につけているような雑多な武具ではなく、豪奢な甲冑をまとっていた。
馬が疲弊したため下馬して丘を占領せんと二百ほどの騎士がロングソードを手に丘を駆け上がってくる。
そこへ「投擲!」とナジーブの命令が響き、てつはうが投げ飛ばされるが、爆発が起こったのは二つだけであった。
「総員塹壕から出ろ!!」
そしてリンクスは即座に命令した。このまま穴の中に籠もっていては敵歩兵の袋叩きにあってしまうから打って出なければならない。
「これより我々は敵、突撃歩兵に対して逆襲を行う! 我らの未来は惨めな敗死か勝利の栄光のどちらかだ! 栄光! 栄光! |我らに勝利の栄光を与え賜え《グローリア・ヴィクトリア》!!」
リンクスは銃を捨て、アルヌデンでの戦で手に入れた戦利品のショート・ソードを引き抜く。ドワーフのハミッシュからミスリルで出来た業物と言われたそれが血を求めるように白銀の輝きを見せ――。
「突撃にぃ! 進めッ!!」
ラッパ手が曇天に吸い込まれる音色を吹奏し、それを押しつぶすように二百人まで減じた二個中隊の喊声が丘を圧しながら雪崩のように丘を駆け降りる。
それに立ち向かうラーガルランド騎士団は馬を降りたとは言え、高い士気を維持しながらそれを迎え撃つ。いや、彼らに退く選択肢は未だなく、蛮族追討の使命を抱いて雪崩に飛び込んでいった。
各所で金属のひしゃげる音が轟き、人々の悲鳴が木霊する。
戦場は極まり、戦略も戦術も作戦もなく原初的に兵達が粗暴な欲望を解放させる殺しあいが瞬く間に広がった。
「うおおおッ!!」
リンクスは昔、親から習った剣の型を思い出そうとして止めた。ただ勢いのまま丘を駆け、そのまま敵の騎士に剣を力の限り振り下ろした。
だがその一撃を相手は横へ払うように剣を振るった事で外れてしまったものの、スピードにのった彼はそのまま騎士に体当たりする。二転三転と騎士ともみくちゃになりながら丘を転げたリンクスは岩かなにかにあたり、盛大に弾かれてしまった。
「ぐぇ。いっでぇな! チキショウ!!」
気づけば転がった拍子にか、ショートソードはどこかに消え去り、眼前によろよろと立ち上がろうと重い身を起こそうとする騎士が一人いるだけだった。
「もう少し寝てろ!!」
リンクスは兜ごと頭を蹴り飛ばして意識をつみ取るとまずは武器がないかと周囲を見やる。
幸い死体だらけで武器は選び放題という状況に彼は動物的な獰猛な笑みを浮かべると手近な死体からロングソードを拝借し、混乱を極める戦場に飛び込んでいく。
乱戦となった戦闘は当初は丘から打って出たロートス大隊のほうが丘を駆け上がる騎士に対して優勢であったが、次第に騎士達も劣勢を挽回しつつあった。
と、いうのも根こそぎ動員で徴兵されたロートス大隊の兵士よりも長年武勇の鍛錬を積んできた騎士の方が戦技が上手である上、多くがミスリルを主体とする高性能な防具を身につけているサヴィオン軍とただの軍衣しか身に纏わない銃兵では装備の差に開きがありすぎた。
個対個における戦いではどうしても銃兵はサヴィオン騎士に遅れをとらざるを得ず、ジリジリと戦線が後退を始める。
「おらッ!!」
リンクスが乱暴にロングソードでナジーブと戦っていた騎士を背後から昏倒させ、荒い息をつきながら合流になんとか喜びを顔に出した。
「よぉ。生きてたか。互いに悪運が強いな!」
「あぁ。だけど、そろそろまずいだ」
「チッ。そうだな。後退! 後退だッ! 塹壕まで引き上げろ!! おら急げ!!」
リンクスの判断は早かった。動物的な感とも言うべき判断力で彼は兵に後退を呼びかけながらジリジリと兵に声をかけていく。
もっとも多くの兵が眼前の戦闘に夢中で後退もままならず、丘に残された第二、第四中隊はここで完全に統制が失われてしまった。
「まずいな……」
今更ながらに判断を誤ったとリンクスが後悔が押し寄せるが、あの場合は逆襲をせねば敵に飲み込まれていただろうと考え直し、そして考えることをやめた。
「もう塹壕に籠もって抵抗するしかないな」
もちろんリンクスは死守命令に反して丘から後退する事もできたが、後退したところで相手の追撃を受ければ玉砕しかねないし、降伏したとしても非人間である自分達がサヴィオンからどのような処遇を受けるかも想像に難くなかった。故に彼は最後の拠り所である丘上の陣地での抵抗を選ぶことにした。
「よし、戻って来れたな。何人居るんだ? 五十か? 六十か?」
やっとの事で塹壕に退避できた戦力はすでに二個小隊ほどまでに減っており、ほかはどこかへ四散したか未だ丘で白兵戦をしているか、さもなくば死んでいた。
そんな兵達の中にリンクスはアンリを見つけてしまい、場違いにもげっそりとした表情を浮かべてしまった。
「お前、実は塹壕から出ていないんじゃないのか?」
「そんな事はありやせんぜ。ほら」
アンリはポケットから人間と思わしき耳たぶを取り出し、自慢げにそれを周囲の兵士に見せびらかす。
誰も感情が麻痺しているのかそれに眉一つ動かさずにそれを見やり、中には苦笑さえ浮かべているものさえいた。
「悪運の強い野郎だ。さっさとくたばれば良いんだ」
「言葉を返しますぜ、駄犬が」
「だからいい加減にするだ」
二人の間にナジーブが入り、物理的な壁となりながら周囲を警戒する。未だ敵はやっては来ないが、それも時間の問題であると彼は思っていた。
その時こそ自分が死ぬ時であり、エフタルに残してきた村は、畑はどうかるかと手当たり次第に未練を思い出していく。
それでも彼はただ命令だからと全てと決別しながらただ大木のように眼下を見下ろし、異変に気づいた。
「あれは、なんだ?」
「あれって? ――! 友軍だ!! 友軍が来たぞ」
丘の下まで響きそうなリンクスの叫び声だが、残念ながらその時は丘がどうなっているのか把握すら出来ておらず、ただまだ戦闘が続いている事に俺は安堵しただけであった。
「大隊長。丘の友軍を救出する! 縦隊のまま速歩にて二百メートル前進せよ」
「はい、ロートス大尉。大隊は縦隊のまま速歩にて二百メートル前進せよ。前へ進め」
疲弊したロートス大隊に代わり、アルヌデン様よりお借りした一個大隊を伴って二〇一高地に急行してみれば丘には歩兵が張り付き、いよいよ二進も三進もいかないようになっていた。
これを間に合ったと言って良いのか疑問だが、少なくとも玉砕だけは免れた事だろう。
それに安堵を覚えつつ前進を続けると敵もこちらに気づいたらしく、丘から撤退する構えを見せ始めた。
追撃か、それとも丘へ向かうか悩み――。
「追撃は友軍に任せ、丘のロートス大隊と合流する。行くぞ」
サヴィオン人を殺しに行くのは魅力的な事ではあるが、それよりも丘に残してきたみんなが気になる。
それにサヴィオン人を殺す機会はいくらでもあるのだ。だからまずは丘に戻ろう。
そうして長かった雨中の第三次アルヌデン平野会戦はアルツアル王国の勝利によって幕を閉じたのであった。
◇
勝利に幕を閉じた第三次アルヌデン平野会戦ではあるが、まだまだ事後処理が山のように残っていた。
負傷者や武器防具の回収に部隊の再編。捕虜の後送や野戦昇進や野戦任官……。
その上、アルツアル王国が会戦に勝利したとは言え、アルツアルの秋期攻勢作戦である『竜巻』作戦の主目標は王都侵略の足がかりとなっているマサダ城塞の奪還であり、未だ作戦は継続中なのだ。
速やかに進軍を再会し、『竜巻』作戦を完遂するためには早急な部隊の再編が必要であり、特に損害が著しく多いエフタル義勇旅団は戦力の補充を欲していた。
よって戦闘から一夜明けたその日にエフタルの将校が義勇旅団司令部に集合させられたのは必須と言っても良かった。
一応、所属がエフタル義勇旅団からアルヌデン様が直卒する臨編アルヌデン支隊に部隊が配置換えになっているものの今回の呼び出しに応じたのは消耗激しいエフタル義勇旅団の大幅な再編成の号令がかかると予想されているため、その折りに配置代えの書類を大公閣下に渡すためだ。
念のため一夜のうちにアルツアル王国第三王姫であらせられるイザベラ殿下から勅を受け取ったりと徹夜で下準備をした事もあり、ここでエフタル義勇旅団とお別れ会が出来るかな? という思いで俺は会議に望んでいた。
「総員起立。エフタル大公閣下御来入!」
神経質そうな旅団の副官の号令に立ち上がり、司令部に現れた丸まると肥えている上司に礼をすると共にふと、人生初めての退職願を叩きつける日が来たのだという感慨が浮かんだ。
そう、人生初だ。前世で出来なかった事を異世界ファンタジーで行うというのは夢のある事だが、それが退職願いを出す事になろうとは……。
思えばエフタルからの撤退戦で酷使され、アルヌデンでは部隊を取り上げられそうになるし、春期防衛戦では禄な作戦指導もしないし、王都では敵本陣強襲を命令されるし――。
本当に禄なことがないぞ!? だがこれでおさらばだ。それに部隊の損耗が著しいし、この秋は再編で終わるだろうな。そうして冬になれば必然と軍事行動がとれないから春までの長期休暇が得られるわけだ。
良いね。長期休暇。時にはミューロンと長旅して狩猟とか良いよね。獲物はもちろんサヴィオン人で――。
「皆、よく集まってくれた。これより我がエフタル義勇旅団の作戦方針を示す。我らはこれより北上してジュシカ領を目指し、補給を受けた後にマサダ城塞を攻撃する友軍を援護するために第二次『台風』作戦に参加し、サヴィオン帝国南部を脅かす! 総員の奮闘を望むものである!!」
んー。困った。何を言っているのか俺にはサッパリだ。
やっとここまで来ました。あと一話を投稿して次章となります。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




