第三次アルヌデン平野会戦・7
「前へ、進め!」
威勢よく軍鼓が打ち鳴らされ、それを合図にしたように軍笛が軽快なリズムを奏でる。
だが降り続ける雨により太鼓の革は延び、笛の音も濁って不協和音一歩手前の音色のせいか、勇壮な音楽はどこか冒涜的な音楽へとなり果ててしまっているのが惜しまれる。
だが真剣に音楽を楽しむ者などロートス支隊にはいないようで、その狂った調子のリズムに無言で歩調を合わせながら進んでいく。
眼前からは友軍と思わしき銃声や剣戟が響いてくると共に血の臭いが濃くなってくると、太鼓や笛に混じって自分の心音がいやに大きくなってきた。
雨粒と汗が混じった頬を伝う不快感さえも遠くに感じられるほど腹の底から緊張が這い上がってくる。
あぁ、くそ。腹が痛い。
てか、こんな時でも緊張で腹痛を起こすとか、俺は間抜けか。もう苦笑しか浮かばないわ!
「だ、大隊長殿が笑われてる――!」
「あれが騎士殺しのロートス大尉か……!」
「お、おれたちだってやってやる!」
ぼそぼそと雨音に混じって聞こえる兵達の囁きに首を傾げたくなるが、その直前にくいっと袖を引かれた。
「どうしたハミッシュ?」
「……今更言うことではないのじゃろうが、やっぱり兄者は楽しんでいるのか?」
「楽しそうに見えるか?」
「楽しもうとする余裕があるのは分かるのじゃ」
そんな余裕あるわけないだろ、と言いたかったが、確かにこれから殺し合いをするというのに腹痛をかかえる己を嘲笑わらっていた事を思えば確かに余裕があるのかもしれない。
だが余裕がないよりも余裕があったほうが良いんじゃないだろうか。張りつめてばかりじゃ自分にも周囲にもストレスしか生まないし。
「悪いかよ」
「悪くはないが、それに飲まれないでほしいのじゃ」
「……努力はする。まぁなんとかなるさ。そんな心配しないでくれよ」
「うぅ、子供扱いは酷いのじゃ!」
「おい、テメェーら。もう敵がお出ましだぞ。いつまで遊んでるんだ!」
ザルシュさんの言葉に意識を戦場に戻せば確かに迂回してきた敵騎士団が俺達に気づいたらしく、騎士達が横一列へと攻撃陣形を作りつつあった。その数はおよそ五百ほど。
対する俺達は二個大隊と二個小隊をあわせて千五百弱。
数は倍だが、相手は騎兵だ。油断は出来ない。
「止まれ!」
新たな号令が鼓手に伝えられると共にロートス支隊は歩みを止め、次の命令を待つ。
「構え!」
敵との距離はおよそ三百メートルほど。その一隊としばし睨みあうような静寂が訪れたかと思うと敵から金管が吹奏された。それと共にゆったりとした動きで騎士達が前進を始める。
「支隊長の命令により一斉射を行い、後は槍衾を作れ! いいか! これより一歩でも後退する事は許されない! もし俺の命令無く後退する者が出た場合、各士官はその者を斬り殺せ!!」
ばしゃばしゃと蹄が泥を踏みつぶす音が迫ってくる。
さぁ来い。来い、来い来い来い……!
「狙え!」
装填を終えた新型小銃を構え、完全に撃鉄を引き起こす。
まだ距離は二百メートル。だがもう二百メートルしかない。どんなに装填を急いでも次の射撃まで二、三十秒はかかってしまうのに対して騎兵はその間に二百メートルを詰めて俺達に凶刃を振るう事が出来る。
ならば射撃のチャンスはこの一度のみ。
だからまだ号令はかけない。
「さぁ、来い」
まるで恋いこがれるように心臓が早鐘を打つ。
それと共に騎兵の速度が徐々に上がってくる。その時、幾人の騎士が輝きだした。いや、その騎士が持つ杖が光っているのだ。
「魔法使いか!?」
魔法使いの周囲に降り注ぐ雨が一つの塊へと変貌していく。それは音を立てて凝固したかと思うとバスケットボールほどの氷塊となり、目にも留まらぬ早さで射出された。
多くは走りながら射出されたせいか戦列を飛び越したり、その手前に着弾して土煙をあげたが、三つほどが戦列に飛び込むや人を瞬く間に挽き肉へと変えさった。
氷塊は前列で膝立ちになる兵の頭を潰し、その勢いのまま背後に立つ兵を肉塊へと変える。
その純粋な運動エネルギーを受け止めるには人の身は脆弱すぎたと言えよう。
「怯むな! 狙えッ!!」
ついに距離が百五十メートルを切る。
だが兵には飛び散った戦友を頭から浴びたせいで発狂する者、自分にも惨たらしい死が襲ってくるのではないかと恐れる者が相次ぎ、蜂の巣をつついたかのような騒がしさで溢れかえる。
「逃げるな! 逃げればただ死ぬだけだ! サヴィオン人を殺せ! 自分達を殺そうとする者を殺せ!!」
まだロートス大隊は平静を保っているが、国民義勇銃兵隊やレオルアン銃兵大隊は混乱が納められないようで、幾人かが戦列から抜け出していく様が見て取れた。
くそ、脱走兵かよ。なんでサヴィオン人に背を向けてるんだ!
「逃げるなッ!!」
その鬼気と迫る叫び声は戦列右翼――レオルアン銃兵大隊より響いた。 思わずその主を見やるとロベールが腰に吊られたロングソードを引き抜き、持ち場から逃げだそうとする兵にそれを振りかぶり――。
「はあああッ!!」
彼は一息で部下を切り捨て、鋭い瞳で次の逃亡者を探す。
えぇ!? なにあれ!?
「逃げるな! 逃げる者はこの私――レオルアン公爵少将が嫡子ロベールがこの剣の錆としてくれる!」
迫り来る敵よりも恐ろしい形相で恫喝されたレオルアン銃兵大隊はより顔を青ざめさせつつ持ち場につく。
もっともそれが完了する前に敵騎兵との距離が五十メートルを、切った。
「撃てッ!!」
号令一下、銃火がほとばしり、轟音が耳を貫く。だが雨に濡れてか、それとも恐怖に負けて陣形が乱れたせいかそれの音は半減してしまった。
白煙のカーテンが視界を覆う中、忌々しい事に馬脚の音が小さくならずにいることが射撃の効果を如実に表しているのが腹立たしい。
「槍構え!!」
総員が槍を突きだし、槍衾を作る。
他の部隊に比べてロートス支隊は幸いに銃兵を主力としており、彼らが持つ銃は着剣する事で簡易的な長槍としての能力を付与する事ができるため濃い槍衾を作る事ができる。
今はそれを信じ、槍を構えて敵が突き進んでくるのをただ待つ。
だが襲いかかってくる殺意にその”待つ”行為は心にどす黒い不安をまき散らしていく。
時間にしてほんの十秒程度だろうか? だが実際には一分にも一時間にも感じられる時の中、圧倒的な破壊力を内包した重騎士の突撃に対処しなければならぬ緊張と不安が止めどなくあふれ出す。
あぁくそ。怖い。怖いが……。
「く、フハハ。来い。絶対に一人残らず殺してやる……!」
不安から生まれた動機は高揚に変わり、冷や汗は戦意に火照る体をちょうどよく冷やしてくれる。
あぁくそ。俺は今という時を――。
その時、白煙の向こうから迫る騎士と銃兵が交差する。
いくら銃剣を使って槍衾を濃くしたとはいえ、多くの騎士はそれをものともせずに突撃を敢行し、濁流が木々を押し流すように戦列を食い破っていった。
「うわッ!?」
脳内麻薬でドーピング出来たせいか、己に向けて突進する騎士が向ける馬上槍の軌道を見る事ができた。それに合わせて体を滑らし、間一髪でその攻撃を、避ける……!
それと共に粘つくように見えていた時間が急に進み出し、けたたましい馬脚が通り過ぎていく。そして残ったのは負傷者のうめき声だけだった。
敵も味方もなく、ただ先ほどの一撃で運の悪かった者が叫び、濃厚な血の臭いをまき散らしている。
「く、総員装填! 装填急げ! 各中隊長は損害をまとめ、部隊を再編しろ!!」
騎兵突撃を成功させ、駆け抜けていった敵はおよそ二百メートルほどの地点まで突撃を行うとそこで部隊を反転させ、隊伍を組み直し始めた。
騎兵は集団で突撃する性質上、急なターンが出来ないという。だから目の前の連中のように突撃を終え、改めて損害の集計と部隊の再編を行いつつさらなる突撃の準備を整えているのだろう。
「ロートス! 損害は第一中隊が二十八人、第三中隊が四十五人だよ!」
「結構やられたな」
「でもみんな大丈夫そう。でも国民義勇銃兵隊が――」
その時、ロートス大隊左翼に展開していた国民義勇銃兵隊から兵士の一団がやってきた。その先頭を行くのはジャン大尉のようだ。
「どうしたジャン大尉!?」
「大尉殿! 我が大隊は三分の一ほどが戦死乃至戦傷で、戦闘が継続できません! どうか後退の許可を!」
「は? 逃げる? なに寝言を言っているのだ?」
「いや、しかし――」
「いよいよ盛り上がってきたところじゃないか! それなのにこんな所で引くだと? バカを言うな。戯言を言うな。持ち場に戻れ」
「で、ですが――! 戦闘可能な人員にも多くの負傷者が出ております! どうかご再考を!」
「俺は持ち場に戻れと行ったのだ! 聞こえなかったか大尉!?」
「しかし――」
「それともジャン騎士大尉はサヴィオン協力者なのか? サヴィオンの間諜故に引こうというのか? 利敵行為は死罪だろ? なぁそうだろ?」
「ち、違います!」
「ならば戦え! 騎士に叙任されたのなら忠誠を果たせ!!」
「は、はい!!」
やべ、父親ほども年齢が離れている人を怒鳴ってしまった。
後味の悪さこそ残っているが、罪悪感はない。
もっともジャン大尉の切実な訴えは分かる。錬度不足の国民義勇銃兵隊では先の攻撃で死というものがどれほど身近に迫っているかが認識されたはずだ。故に次の攻撃を受ければその綻びがついに表に出てしまうかもしれない。
だがかといって恐怖を覚えた兵からそれを取り除く方法などありはしない。強いて言うならロベール大尉のように恐怖を上回る恐怖を与えて心を縛り付けるしかないが、ジャン大尉にそれが出来るとは思えない。
くそ、上手くいかないもんだな。チキショウ。
それよりも隊列を整えたサヴィオンの第二次攻撃だ。
「装填は!?」
「装填よーし! うちの大隊大丈夫だよ!!」
ミューロンの報告と共に再び馬脚が迫ってくる。その数はおよそ……。あんまり変わってないな。五百弱か?
「構え!! 狙え!! 撃てッ!!」
だが二百人ほどの部隊に命じたはずの命令は十発前後の銃声しか効果をあげなかった。いよいよ雨により銃が接近戦専用の武器になってしまった。
「銃剣の配備だけは進められていて助かったぜ」
幸い銃は射撃が出来なくても銃剣を取り付ける事で長槍の代参兵器となりうる。これは弓矢のような他の遠距離系の武器にはない利点だ。
「来るぞ! 槍構え!!」
だが今回の攻撃はロートス大隊が直接的な損害を被る事はなかった。何故ならサヴィオン騎士共は陣形が崩壊し始めている国民義勇銃兵隊にその矛先を向けたからだ。
そりゃハリネズミのように槍を突き出して敢闘精神を如実に表す部隊と潰走しようとする部隊では後者の方が攻めやすいのは火を見るよりも明らか。
「しまった……!」
すでに戦意の失われた国民義勇銃兵隊はサヴィオンに蹂躙されるがままとなり、潰走が起こってしまった。バラバラに逃げる兵士達を騎士達は追い抜きざまに槍で刺し、剣を振るって命をつみ取っていく。
このままでは動揺が広がって連鎖的に部隊の統制が失われる可能性もある。
「動じるな!! 槍を構えろ!! 栄光よ! 栄光よ! |我らに勝利の栄光を授け賜え《グローリア・ヴィクトリア》!!」
動揺を露わにする兵達に歌いかければそれが続々と伝播していく。
それに対し、サヴィオン野郎は散り散りになる国民義勇銃兵隊狩りに満足したのか、はたまた馬の疲労を勘案してかそのまま本隊へと転進を始めた。
そりゃ三分の一以上の兵力を蹴散らしたのだから戦闘続行は不可能と敵は断じて、もう脅威にならぬ手合いを相手するよりエフタル義勇旅団を殲滅するほうが遙かに戦略的だろう。
「部隊を集結させろ!! それと各大隊長も呼び集めてくれ。部隊を再編する!!」
慌ただしく兵達が動き回り、出すべき命令を出し終えた安堵感を覚えると重い疲労がやってきた。
なんだろう。一仕事終わったのにまだまだ仕事が残っているこの感覚……。あ、前世か。
「ロートス男爵大尉。ご無事で何よりです」
「ロベール大尉も。その、派手にやってたな」
「えぇ。その、自分の事を味方殺しと蔑むならばお好きにしてください。事実ですから」
「いえ、そんな……! 逃亡を図る者はサヴィオンに通じる裏切り者。まさに脱走など利敵行為以外の何物でもありません。それを防ぐ気概にはむしろ感服いたします」
「そう言っていただけると嬉しいです」
先ほどの戦闘を見ていればもしかしかしてロベールさんとは上手くやれるんじゃないかとわくわくが芽生えてしまっている。
「失礼します。ジャン大尉です」
「おぉ! ジャン大尉生きていたか!」
そして最後にやってきたのは全身泥まみれのジャン大尉だ。
どうやら無事だったようで何より。これでまだまだサヴィオン人を殺す事が出来る。
もっとも先の戦い具合のせいかだいぶ憔悴しているようだが……。
「報告します。国民義勇銃兵隊は、潰走。もはや戦闘は不可能です」
「まぁその通りでしょうね。生存者をまとめ、臨編中隊を作ってください。以後はロートス大隊の指揮下に入るように」
「ま、まだ戦うのですか!?」
「――? ジャン大尉。あそこにいるのはなんだ? 敵であろう? 連中は俺達に殺されるために戦野に赴いているんだ。ならば赴いて殺しにいくべきじゃないのか?」
「も、もう無理です! 満足に戦えるものなどわしの隊にはもう――!!」
「一人や二人くらいいるでしょう。まだまだ休まれては困るんですよ」
だがジャン大尉の言葉も一理ある。
友軍を救援するにはロートス支隊は消耗しすぎていて、このまま戦闘を継続しても損害だけ増えそうな気もする。
だが救援命令を受けて、その直前で敵に救援を阻止されましたと上に報告出来るだろうか? いや、出来ない。下手すりゃ厳罰とか下されるかもしれない。せめて敵本隊に一撃入れてから引けば敢闘虚しく解囲ならずという報告が出来るのではないか?
まぁジャン大尉はそれすら反対だろうけど。
「ロベール大尉はどう思う?」
同調圧力に弱い俺としてはまずは周囲の意見を聞いてから答えを出したい。それにロベール大尉は貴族出身だから何かと政治的な機微もわかるだろう。きっと田舎エルフには思いもつかぬ貴族的な意見を言ってくれるはず――。
「畏れながら申し上げれば我が大隊が行えるのは前進と射撃全般の号令のみであります」
「……後退は?」
「笑止!! 我が大隊が行えるのは前進と射撃のみであり、後退などというものは存在しません!!」
「……く、フハハ。よろしい! よろしいぞ大尉!! すぐに部隊を再編する。国民義勇銃兵隊を我が大隊に編入次第、攻撃を続行する!! 我らに行く手に栄光があらんことを!!」
その時のジャン大尉の絶望顔は筆舌に尽くし難い表情だったのが記憶にこびり付いたのは別のお話。
なかなか会戦が終わらなくて私もあれぇ? もう七話目? となっております。プロット通りだけどこんな長くなるなんてどいうこっちゃ……。
それではご意見ご感想をお待ちしております。




